網走作戦会議

北見から北東に40キロ。網走に着いた私達はフチの13番目の妹のコタンを拠点に作戦を練る事になった。作戦を立てるためにも網走監獄の偵察をしに、杉元とアシリパが土方から買ってもらった双眼鏡を手に北を、私と尾形が南を探りに行く。

「…おい、それを貸せ。」

森を歩きながら双眼鏡で敵の所在地や装備を確認しながらメモを取っていると、尾形から双眼鏡を奪われた。仕方ないので代わりに渡された尾形の双眼鏡を覗く。

「…これ3〜4倍ぐらいじゃないですか。少し外がボヤけますね。」

尾形が持っていたのは江戸時代末期のガリレイ式の双眼鏡の様で、私が持っているポロプリズム式の10倍の双眼鏡とは見え方が全然違う。これで尾形がガンガン狙撃が出来るのは元々の眼の良さと勘の良さが大きいのだろう。

「…遠くまで見えて、手ぶれがないな。この数値は距離も測れるのか?」

「そうです。ミルで計算します。大体、あの見張り小屋にいる人の大きさが1.5mだとして双眼鏡を覗くと2ミルなので、ここから大体750mありますね。」

双眼鏡の目盛りのレティクルを見て尋ねてきた尾形に、詳しい計算方法を教えた。

「フン…網走監獄が丸裸だな。」

私の双眼鏡が気に入ったのか、勝手に盗もうとしていたので、それは断固拒否する。

「俺のほうがコイツをもっと上手く使ってやれる。」

「そうでしょうけどね。尾形さんはこの双眼鏡が無くても戦えるでしょう。私はこれがないと役に立たなくなるので、勝手に持っていかないで下さい。」

うぐぐと双眼鏡を巡って引っ張り合うが、このままじゃ壊れると判断した尾形がなんとか引き下がってくれた。しかし不機嫌そうに口を曲げている。無表情のようで、意外と分かりやすい尾形を見てつい笑ってしまうと、八つ当たりの頭グリグリがとんできた。空には雁が飛び、川には鮭が登ってくる。季節はいつの間にか秋になっていた。

ーーーー

「結城さんと尾形が調べてくれた事を合わせると、敷地内には監視のヤグラが5箇所、周囲三方の山の見張り小屋が20箇所だな。これ以外にも巡回する看守がウヨウヨいた。」

網走のコタンのチセで網走監獄の地図を真ん中に置いて作戦会議が始まった。杉元が私のメモを見ながら、まとめて皆に話してくれる。

「小屋の中にはマキシム機関銃があり、看守は全員ロシア製のモシン・ナガンを手にしていました。」

モシンナガンは伝説のスナイパーであるシモ・ヘイヘが第二次世界大戦まで使っていた小銃である。70年近く活躍したとても優秀な狙撃銃だ。

「戦争にでも備えてんのか?あいつら。」

双眼鏡で見つけた装備を私が伝えると、杉元が呆れながら言った。

「私達が脱獄する前よりさらに厳重になっている。」

土方の言葉に皆が頭を悩ませた。白石が言うには囚人の舎房がある山側は脱獄する囚人の対策の為により厳重らしい。のっぺら坊を奪いにくる連中の警戒もあるだろうと永倉が付け加える。

「とすればやはり進入経路は警備の手薄な網走川に面した堀しかねえ。ここだ。」

白石が網走監獄の地図を指差しながら言った。

「手薄と言っても誰も見に来ないわけじゃないだろう。」

牛山が皆が思う疑問を代わりに喋ってくれた。白石はニヤッと口角を上げて、詳しい説明を始める。

「この計画は今の時期しか出来ねえぜ。鮭が獲れる今だからこそな。まずはトンネルの入口をアイヌの小屋で偽装する。」

網走川に面した所からトンネル堀をして中に入る作戦らしい。日露戦争の二○三高地でロシアの堡塁を破壊する為にトンネルを掘った事があるキロランケが指揮をする。そしてトンネル堀で出た土は一箇所に捨てずに舟に積んで、鮭を獲っている間に川のあちこちに流すらしい。工兵だったキロランケと、近くにアイヌのコタンがあるからこそ出来る作戦である。

「つーわけで、トンネル堀を鮭漁で偽装する…網走監獄侵入大作戦だぜ!!!」

白石の完璧な作戦に、皆が息を呑み、感嘆を漏らした。杉元が帽子を脱いで白石に敬意を払う。アシリパも連れてきて正解だったと褒める。

「白石さん…本当に天才です。脱獄王の名は伊達じゃないですね。」

私も続いて白石を称えると調子に乗ったのか、ピュゥ☆と決めポーズをしてくる。何も言わない尾形に対してピュウ☆と何度もしつこくアピールしていた。作戦が決まり、担当をそれぞれ分担する。誰がアイヌの衣装を着てアイヌの振りをするかのファッションショーが開催された。

「牛山と白石は顔が特徴的過ぎるからナシだ。俺の顔の傷も目立つし、結城さんも髪の毛の色も派手だからダメだな。」

杉元が無理な人間をどんどんあげ、私達以外の人がアイヌ紋様のアミプを着る。

「家永は顔が洋物過ぎるから似合わねぇーな。」

家永が女物のアットゥシを着たが牛山に却下された。次に永倉が重い腰を上げ、夏太郎も珍しい服を嬉しいそうに羽織る。

「永倉は和人顔過ぎるな。夏太郎は中々似合ってるんじゃないか?」

土方が茶を飲みながら感想を述べていると、アシリパが土方の後ろにまわってモレウの額当てをつけた。

「どうだ?土方も似合いそうだぞ。」

「「「似合う。」」」

チカルカルペを着た土方はアイヌの長老のような風格さえある。アイヌの振りをするのは満場一致で土方になった。尾形は早々と逃げていたのだが、尾形のアイヌ姿も見たかったなと思いながら、その夜は解散した。

十六人も一つのチセにお世話になるわけにも行かないので、コタンのそれぞれの空いたチセにお世話になる。それでもギューギューで申し訳ないので、私はコタンの端にテントを立てて寝る事にした。赤と黄色の目立つテントだが、網走監獄から見えるわけではないし気にしない。山岳用の一人用のテントの中でゴロゴロしていると勝手にジッパーが下ろされ、人が入ってきた。

「おい、詰めろ。」

「え?尾形さん?これ一人用なんですけど。」

私の言葉にも構わずに、靴を脱いで普通に入ってくる尾形。当たり前のように寝袋も勝手に広げて丸まった。「狭い!」と尾形の背中を叩いても、「エゾシカの中より十分広いだろ」と返される。引っ張ろうと耳に触れるととても冷たくなっていた。初秋の寒さにやられたらしい。

「…はぁ。寒いならチセの中の囲炉裏の横で寝せてもらえばいいのに。」

「火が消えたら寒いだろ。一晩中、火をつけるのは冬だけだ。」

-20℃まで耐えられるダウンの寝袋の暖かさを知った尾形は囲炉裏よりもこっちを取ったようだ。一人でのんびり出来ると思った矢先に邪魔されて正直迷惑である。どれだけ追い出そうとしてもガンと動かない寒がりの尾形に根負けして、結局同じテントの中で寝ることになった。

「…なんですか?」

視線を感じて後ろを振り返ると、尾形が銃を抱えたまま私を見つめていた。いつもなら背を向けて寝るのに珍しい。

「…何か言いたいことでもあるんですか?」

尾形は返事もせず、光のない死んだ目でこちらをジッと見てくる。顔が近いし怖い。

「…え?…ちょ…何…?ムラムラきたとかやめてくださいね?…え、待って!」

どんどん近づいてくる尾形に怯えながら、必死に胸板を押し返すがびくともしない。思わず目をぎゅっと固く瞑ると、髪の毛を引っ張られた。ブチっと抜ける音がする。

「…髪、伸びたな。」

「…え?…わざわざ顔近づけて抜く必要ありました?」

髪の毛を抜かれた痛みに頭を抑えながら、尾形に抗議した。普通に無視される。

「処女は弾に当たらないとのゲン担ぎでその陰毛をお守りにするが、金色の髪の毛の方が金塊が見つかりそうで縁起が良いだろ。」

「…不衛生すぎるでしょう。…それより何で私が処女だって決めつけてるんですか。」

私がイラッとして尾形の胸板をドンと叩くと、尾形は嘲笑するように私を見下ろした。

「あ"?違うのか?…嫁に行く前に股を開く女だったとはなぁ…。」

「…違わないですけど。でもその硬い貞操観念嫌いなんですよ。この時代は処女とか童貞とかどうでも良い事を気にしすぎて嫌ですね。どうせ戦争でも殺人童貞とかそんな事まで言う人がいるんでしょ?」

腹立つ顔をしている尾形の顎を掴みながら、頬を膨らませて言うと、すぐに手を振り払われる。

「…それが普通だろ?」

「……はぁ。……明治…生きづら…。」

私が大きなため息を吐くと、逆に尾形に顎を掴まれて頬を潰される。

「成仏させてくれなかった神を呪うんだな。」

フンと、鼻で笑われた。そして、さっき抜いた髪の毛を私に見せてくる。

「この伸びた髪の毛の分、お前は既に生きてしまってる。そろそろ、ここで生きていくしかないと受け入れろ。死を願うのはただの逃げだぞ?」

馬鹿にするような顔で言う尾形にムカッとするが、言ってる事は正しいのでぐうの根も出ない。でも、「はい、そうですね」とは言いたくない私は尾形の目を一度見つめてから、何も言わずに背を向けて目を瞑った。

すると、小銃を身体の上に乗せられそのまま後ろから抱きしめられた。

「………。」

重いと払いのけたいが、揉める体力もないし眠いので諦める。尾形の身体はまだ冷たい。

「体温高えな…。」

眠いですから、とは口に出す前に私は一足先に夢の世界へと落ちていった。

ーーーー

「…っ!…暑い!!」

テントの中で寝袋をかけて寝ている上に、後ろから抱きしめられていたので、背中が暑すぎて早朝にも関わらず目が覚めてしまった。私がガバッと起きたので、一緒に寝ていた尾形が不機嫌そうに睨んでくる。

「…まだ寝てて良いですから。私は外行きますね。」

私がそう言うと、寝袋を自分のもののようにグイッと引っ張って顔を埋めて丸まってしまった。まるで猫みたいなその姿に、肩をポンポンと優しく叩いてから外に出た。

テントの外はまだ薄暗くてひんやりする。顔に当たる風が気持ち良くて、散歩がてら近くをウロウロする。まだ皆は寝静まっているのに、私と同じように朝早くから散策している人物がいた。

「土方さん…早起きですね。」

「年を取ると目が覚めるのも早いもんでね。結城、お前もだろう?」

切り株に腰掛けると、土方も私の隣に座った。お爺ちゃんみたいな事を言ってるのに、貫禄があるのが土方の凄い所だ。私はまだ眠いのであくびをしながら答える。

「私は大きい猫に寝床を奪われただけですよ。」

「尾形か。随分懐かれているらしいな?」

土方がヤマボウシの木から取った赤い実を私に渡した。ありがたくムシャムシャと食べる。マンゴーみたいに甘い。

「そうなんですかねー…。得体の知れない男ですから、ずっと一緒にいても何考えてるか分からないですよ。」

「腕はあるが、確かにそうだな。まあ、それを言うならお前さんも随分、得体の知れない女子だぞ?」

土方の手には北見の写真館で撮った、中に浮くアシリパやお姫様抱っこで浮遊する杉本の写真があった。土方の古くからの知り合いに写真を撮ってもらったのだから、当然話はいくだろう。

「あー、そうですね。自分でもびっくりですよ。何で映らないんでしょうね。」

特に動揺することもなくヤマボウシを食べながら答えた。口の中が少しジャリジャリする。

「100年以上先の世から来たからであろう。魂はまだ向こうにあるのではないか?」

「…誰かから聞いたんですか?」

土方にも既にバレている。白石やキロランケも知ってるし、まあ漏れるだろうなと予想の範囲内だったが、普通に話されると多少驚いた。

「自分で塵を落としておったぞ。隠す気がないのかと思っていたら、ただ脇が甘かっただけか。」

消費期限が2024年と書かれた保存食のゴミを土方が私に見せてきた。どうしても甘い物が食べたくなってあけたものの、ゴミを着物の裾の中に入れたままだったのを忘れていた。歩いているうちに落としてしまっていたらしい。やってしまったと頭を掻く。

「金塊やのっぺら坊、私の事はどう伝わっている?」

土方が探るように私に聞いてくる。やっぱり気になるのね、と私は淡々と答えた。

「土方さんは函館戦争で戦死、金塊や囚人の事は何も伝わっていません。私が無知なだけかもしれませんけどね。未来の知識とかそう言ったものはアテにしないでください。そもそも時間軸が多分岐している場合、似たようで全く違う世界の可能性は大いにありますから。」

ヤマボウシで汚れた口周りを手拭いで拭く。私が未来の事を一切喋る気がないのを悟った土方はフッと笑った。

「もし捕らえられたとしても鶴見中尉に利用されるタマではないな。」

「そうですね。全部燃やして死ぬでしょうね。」

フフッとお互い顔をみて笑い合うが内容的には大変物騒である。いつの間にか日が登ってきたようで、白石が目を擦って起きてきた。

「えー、知らないうちに仲良しになってるじゃん。結城ちゃん、じーさんはやめときなぁ?チンポ勃たねえよ?」

朝から下ネタ全開の白石に胸焼けがしそうだったが、せっかくなのでからかってみる。

「でも若さだけの白石さんより、手管があるでしょう?」

「えっ…まじ!?結城ちゃんってジジ専…!?」

驚愕する白石を前に、土方と意味ありげに微笑みあった。歳を重ねても色気ある土方の笑みに、若い頃はたくさん女を泣かせてきたんだろうなと当時の女性達に同情する。

他の皆が起きてきた途端、白石が私がジジ専だと言いふらし始めたので頭をはたいておいた。クゥーンと犬のようにしょんぼりする白石。呆れて肩を落とす私の頭にアシリパが手を置いた。

「結城がどんな奴を好きになろうと、結城が選んだ相手なら応援するぞ。」

私はアシリパが一番好きだと言って、男前な彼女に抱きつく。網走監獄でどんな真実が分かったとしても、アシリパの味方でいようと心に決めた。


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