準備期間

作戦が決まった翌日から、キロランケの指揮のもとトンネル堀が始まった。キロランケと谷垣と土方はアイヌの格好をして鮭を取るのも忘れない。中を掘るのは男性陣が中心に交代でやっていたが、永倉と尾形と家永は力仕事は無理ということで早々に離脱していた。

「手作業だと時間がかかるな。土が爪の中に入ってドロドロだ。」

杉元が小型の鍬を使い、私は折り畳みシャベルを使って土ひたすら土を削っていく。着物の裾が汚れるので、杉元に襷を結んで貰った。チカパシが土を上げてくれてる間に、愚痴を吐きながらも二人きりで黙々と作業をする。

「あ、杉元さん、私195円貯まりましたよ。」

ふと、思い出して杉元に告げた。あと5円で杉元の目標額に達するので、伝えておいた方が良いだろう。

「…え?いつの間にそんな稼いでるの?ヒグマの毛皮が5円で、胆嚢でも10円ぐらいだよ?」

「キロランケさんの競馬で稼いだ37円を行く先々にある鉄火場で転がしました。銃を買ったり生活費で途中使っちゃいましたけど、何とか出来ましたよ。」

私の言葉に杉元は目を大きく開いてパチパチと瞬きした後、身を屈めて悲しそうな顔になった。

「…一等卒の給料って知ってる?月1円20銭。」

「え…やす…っ…命がけなのに…?」

遠い目をしながら笑う杉元。200円貯めるには全部貯金に充てても7年、普通に生活していたら10年以上はかかってしまうだろう。それは金塊を一発狙いたくなるなぁ、と思った。

「食事は出るし、食いっぱぐれはしないんだけどね。」

杉元は土を掘りながら微笑んだ。生まれてこの方食べるものにも困ったことがなかった私は、時代の違いや、杉元との境遇の違いを実感させられる。少し心臓が締め付けられた。

「私には必要のないお金ですし、杉元さんが使ってくださいね。神奈川にいる彼女に渡してあげてください。」

「えっ!いや、そんな大金貰えないよ!俺は金塊のおこぼれに預かるから、結城さんが自分で使いな?」

ブンブンと大きく首を振って遠慮する杉元。落ちてきた土が足元にどんどん重なっていく。

「欲しいもの、何もないですから。アシリパさんと杉元さんの願いが叶うことが、私の幸せですよ。その為に稼いだんですからね?」

手を動かしながら受け取って貰わないと困るとアピールすると、彼は渋々頷いてくれた。足元の土を袋に詰めながら私は杉元に微笑む。

「先に梅ちゃんという方にお金を送ってもらっても大丈夫です。そのかわり、真実が分かるまでアシリパさんを二人で支えましょうね。」

「郵便で送るのは盗まれるかもしれないし、全部片付いてから直接渡しにいくよ。アシリパさんの事はもちろん、相棒として最後までしっかり見届けるつもりだ。」

お互い目を合わせて頷き合った。私達の目的は一致している。アシリパが知るべき真実を知り、この先もずっと笑って暮らしてもらう事だ。救われた身としてだけじゃなく、一緒に旅をして好きになったアシリパに幸せになって欲しい。心からそう思っているのは、杉元もきっと同じだろう。

「結城さんは、この先どうするんだ?網走監獄でのっぺら坊に会って、アシリパさんの願いが叶ったら…どうやって生きていく?」

網走監獄の目の前に来て、旅のゴールが近づいているのを感じる。だからこそ、杉元は私に聞いたのだろう。困った私は苦笑してしまった。

「…本当にどうしましょうね。アシリパさんやフチは優しいから、ずっとコタンにいて良いって言うと思うんです。ただ…アシリパさんがいずれ結婚して家族を持つと思うと長くお世話にはなれないし…うーん…。」

「結城さん自身が家族を作ろうとは思わないのか?」

杉元の声色から、何となく言いたいことが分かった。旅が終わったら私がどこか消えるか死ぬかしないか心配なんだろう。生きる理由を見つけてほしいとも言ってたしな、とうっすら思い出す。

「家族ですか…。戸籍もないし、写真にも映らない、得体の知れない女ですよ?常識もないし、価値観も違う私と一緒になりたいって人は何処にもいないでしょう。」

自分で言ってて悲しくなるが、事実なのだからしょうがない。だんだん土を掘る力が強くなる。でも…と言いかける杉元の言葉を遮ってわたしは言葉を続けた。

「そもそも、この時代の適齢期って15歳から19歳までじゃないですか?…行き遅れはお呼びでないです。」

「それは女学校に通ってる令嬢の話だろ?農村部じゃ、子供が産めたら年齢なんて関係ないよ。」

杉元がフォローするように言ってくれるが、子供を産まないと人権が無い農村部なんかには決して行きたくない。農村部以外でも子供が産めなかったら石女ときっと指を指されるんだろうけど。

「私は多分、子供ができません。家を守るとかもできません。女としての役割を求められても困るので、結婚は無理です。しません!」

結婚を勧めてくる杉元に対してキッパリと言い切った。令和になっても結婚=幸せを押しつけてくる人間はいるし、明治だと余計、結婚しないのはおかしい事なんだろう。なんだかんだ杉元も違う時代の人間なんだな…と冷めた目で彼を見た。

すると何故か顔を赤くしてモジモジしている。急にどうしたと戸惑っていると、杉元が作業の手を止めて、チラッとこちらを見た。

「じゃあ俺は?」

「え?」

「俺は家もないし、家族もいない。継ぐものがないから子供が出来なくてもいい。だから…俺と一緒になるのはどうかな…?」

あまりの急な告白に驚いてしまった。パクパクと口を開きながら、咄嗟に「う…梅ちゃんは…?」と杉元に尋ねる、

「梅ちゃんは親友の寅次の嫁さんだ。好きだったのもあるけど、寅次の遺言だからこそ目を治して欲しいと願ってる。梅ちゃんと一緒になれるとは思ってない。」

顔を赤くしながらまた手を動かし始めた杉元。真っ直ぐな杉元になんて答えるか少しだけ迷ってから、私は口を開いた。

「杉元さん、童貞ですよね。もしかして、あのラッコ鍋の日が初めてのキス…えっと接吻だったんじゃないですか?」

「え!?…急になに!?まあ…えっと、そうだけど…。」

杉元は茹蛸のように耳から首まで真っ赤になっていた。湯気が出そうなくらいで、本当に純粋なのが分かる。私は子供相手に諭すように、年上の杉元に対してゆっくりと説明し始めた。

「つまり、杉元さんは勘違いしてるんです。初めての刺激を恋の刺激だと錯覚してるんですね。あと、旅の道中で女っ気がないので、近くにいる私が魅力的に見えてしまってるだけです。」

「いや…違っ…!」

「違いません。杉元さんは優しいですから、一人も家族がいない私に対して同情してるのもあると思います。全てが重なり状況的に私の事が気になったのかも知れませんが、それはまやかしです。」

私がそう言うと、杉元は眉を顰め、口を曲げている。自分の感情を否定されて怒っているのだろう。

「私は杉元さんの事を家族のように思っています。だから幸せになって欲しいんです。杉元さんの幸せを冷静になって考えたら私という選択肢は絶対に無いんですよ。」

反論されないように、言いたいことだけを言って私は座って作業をしていた腰を上げた。「そろそろ夏太郎さんとかわりますね」と言いその場を後にする。背後からずっと視線を感じていたが、私は一度も振り返らなかった。

ーーーー

トンネル掘り以外の面子は各々好きに動いている。私はトンネル堀の作業の時以外は尾形と一緒に、偵察に出たり、森の中で狩りをしながら過ごしていた。音が出る銃は使えないので、もっぱら罠猟である。

「キツネ、なかなか獲れないですね。」

アシリパに教えてもらった罠をそこらに仕掛けたが、掛かる気配がない。それよりも土饅頭や糞の跡などヒグマの気配が強くてビクビクしている。銃を使えない状況でヒグマに勝てる訳がないので、そういった場所にはなるべく近寄らない。

「ナラの木を削ってどうする。焚き付けに使うのか。」

私がミズナラの木を見つけて削っていると、尾形が座って尋ねてきた。手伝ってはくれないが、置いて行かずに待ってはくれるらしい。

「ミズナラは魚を燻製するのに良いんですよ。鮭をたくさん獲ってるうちに保存食を作っておきたいな、と思って。」

「どうせ酒のつまみ用だろ。」

鼻で私を嘲笑する尾形。あながち間違いではないので、否定は出来なかった。ある程度木肌を取ってから、籠の中に詰める。

「尾形さんも飲みましょうよ。いつも少ししか口をつけないじゃないですか。」

「逆に問いたいが、いつ戦闘になるか分からないのによくあれだけ酔っぱらえるな。」

尾形は馬鹿にするような目で私を見る。至極真っ当だが、常に気を張っていて疲れないのだろうか。

「コタンにいる間は皆がいるじゃないですか。キロランケさんやインカラマッさんが武力に出るとしても、人数のいるアイヌコタンじゃなくて別の所やもっとバラけた時に仕掛けるでしょう?」

「キロランケやインカラマッだけじゃない。誰が裏切るか分からない寄せ集めの集団だぞ。呑気なもんだ。」

ミズナラを採り終わりナイフを仕舞いながら私が返答するが、すぐに反論が帰ってくる。

「そんな事言ったら、私が一番に警戒しないといけないのは尾形さんじゃないですか。おちおち寝てられませんよ。」

ねっ?と首を傾げると、尾形は左の口角だけを上げて怪しく笑った。今晩にでも寝首を掻いてきそうな顔をしている。あー、怖い、怖い。偵察と山菜取りを終えた私達は結局、夜に酒の飲み比べ対決をする事になった。

ーーーー

「尾形がここまで酒を飲むのは珍しいな。何か賭けてるのか?」

夕飯を皆で食べ始めて早々、私と尾形が顔を突き合わせて乾杯し合いながらどんどん酒を飲むのでギャラリーが集まってきた。牛山の問いに私が笑いながら答える。

「負けた方は勝った方の言う事を一つだけ必ず聞くっていう賭けですよ。ありきたりでしょ?」

「結城ちゃんはすぐ酔っ払うのに尾形とそんな勝負しても大丈夫なの〜?身包み剥がされちゃうよ?」

酒を片手に白石が私の横に心配そうに座った。白石も既に頬が紅くなっている。アシリパと杉元も遠くから心配そうに私を見ていた。

「酔っ払うのは早いですけど、記憶無くしたり、潰れたりは中々しないので大丈夫ですよ。普段飲まない尾形さんには負けません。」

「普段は飲まんが、弱いとは一言も言ってないぞ。俺に勝負を持ちかけた事を後悔するんだな。」

二人でフフフと笑い合いながら、また盃を乾杯した。一気に飲み干すと喉の奥が熱くなる。よく歩いた日には堪らなく美味い。酒を味わいながらも、何杯も何杯も注いでいった。

「七瀬さんすげぇ!どんどん酒が無くなる!」

「おい尾形、娘っ子に負けるんじゃないぞ。」

夏太郎が横で声援を送ってくれる。土方は尾形を応援しているようだ。色んな人のヤジが飛び交う中、私達はある酒を次から次に飲み干していった。

「うぃ〜…結城ちゃんと尾形ちゃんには…もう…ついていけんわ……ぐー…。」

「くさっ!白石やめろ!私の前で寝るな!屁をこくな!」

何故か参戦しようとしていた白石が先に潰れてしまい、アシリパの前で倒れて寝てしまった。アシリパは寝っ屁をした白石の尻をストゥで叩いている。

「私達先に寝るが、飲み過ぎて死ぬなよ?」

アシリパが紅くなった私と尾形の肩をポンと叩いて、奥で横になった。杉元はこちらの様子が気になるようで未だに起きて遠くから見守っている。

「…ふふふ…尾形さん……ペース落ちてきてますけど、そろそろしんどいんじゃない…ですか?」

「結城…お前もだろ。目が据わってきてんぞ。」

もう何合飲んだんだろう。一升瓶が幾つも床に転がっていた。イビキが部屋に響く中、二人で黙々と飲み進めるが、お互い顔が真っ赤である。それでも手は止まらない。

「…ここからがまだまだ長いんだろう?老骨には堪える、先に暇するぞ。」

いつまでも終わらない私達に付き合いきれなくなった牛山や土方達も、チセから出て行ってしまった。
まだ起きていた杉元も私が大丈夫と笑って手を振ると、眠気に勝てなかったようで眉を下げて奥へと引っ込んでいく。

キロランケだけが煙草を吸いながら私達を眺めていた。

「尾形も結城も、頭が舟漕ぎ始めてるぞ。早いとこ降参して寝たらどうだ?」

「「嫌だ」」

負けず嫌いなのが出てしまって、思わず尾形と声が重なるとキロランケが「仲良いな」と笑った。

「私が勝ったら…ふふふ…どうしましょう。坊主にした上で、剃り込みとかどうですか?愛…とか頭に書いてる尾形さん、きっとカッコいいなぁ…。」

「……ぶっ殺すぞ。」

そう凄む尾形だが、上げている髪も崩れてきて、目もトロンとしているので全然怖くない。私は尾形を笑いながらさらに酒を注いでいく。北見で何十本も酒を仕入れてきて本当に良かった。

「お前達、ここの火はもう消す。まだ飲み比べを続けるんなら、外かお前らの寝床でやってくれ。」

キロランケから最後の忠告が入り、それでも飲み続けていた私達は酒瓶と共に外に追い出された。もうグデングデンに酔っ払っていて、テントまでうまく歩けない。それは尾形を同じだったようで足元がフラフラしていた。

「あっははは…ひっー!ふふふふ!」

石が転がるだけでも笑いが止まらないのに、尾形が顔を真っ赤にして、木にぶつかりながら歩く姿はおかしくて仕方がない。

「うるさい…だまれ…。」

怒った尾形に口を押さえられるが、酔っ払った尾形の力はへろへろですぐに振り解けた。なんとかテントのあるとこにたどり着いた私達は、畳んでいたテントをまた組み立てる。

「ふふふ…ポールが!穴に…入りません…!あははははっ!」

「変な方向に曲げんな…。おい…。」

5分で組み立てが完成するテントが、酔っ払い二人では30分近くかかってしまった。テントが壊れなかっただけも良かったのだろう。未だに酒瓶を片手にお互いの口に突っ込んで酒を飲ませ合っている。早く降参して欲しいのに、尾形がなかなか折れてくれない。

テントが組み上がり、マットと寝袋を広げて中に入って座った私達は狭い空間で背中を曲げながらまた酒を飲み始めた。もうグデングデンでいつ倒れてもおかしくない。ずっと無言だった尾形が暑いと服を脱ぎ始めた。寒がりなのに珍しすぎる。私も酒で身体が火照って仕方がない。

「…お前も脱げ。」

「はあ?いやですよ?」

酔っ払って脱がせてこようとする尾形に必死で抵抗する。私を横に倒して服を引っ張る尾形の力は強くないが、私も酔っ払って力が出ない。いやいやと寝袋で身体を覆うしかなかった。その時に横になってしまったのが、いっかんの終わりだったんだろう。いつの間にか気を失っていた。

朝、目が覚めると、隣に裸の尾形と着物がはだけて下着姿の私がいた。

「…え?…あ。…まあ、下着…脱いでないなら…大丈夫か……。」

二日酔いで頭がガンガン鳴るなか、自分の格好を冷静に把握した。枕元には一升瓶が転がっている。私が着物を直そうとゴソゴソ動いていると、隣に寝ていた尾形がこっちに振り返った。

「…俺の勝ちだな。」

今までに見た事ないぐらいの勝ち誇った顔をしていた。


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