結婚

鮭漁とトンネル堀を始めて二週間近く経ち、やっとトンネルが網走監獄内と繋がった。その日の夕食はお祝いがてら鮭のチタタプをする事になった。杉元は本物のチタタプにテンションが上がっているようで、夏太郎にチタタプをさせている。

「家永さんは何を作っているんですか?」

「チポプサヨという料理を教えて頂いたので、米と稗を炊いています。ついでに貴方の血も少し頂いていいですか?」

皆がチタタプする間、別の料理を作る家永に声をかけるといつの間にか腕を掴まれ、噛まれそうになっている。私はすぐに手を振り払い、腕を着物で隠すと「チッ…力が強い…」と舌打ちされた。

「何がついでなんですか。もー、人を食べようとするのはやめて下さいね。アシリパさんに手を出そうものなら撃ち殺してしまうかもしれませんよ。」

「うふふ、それは怖いですからやめておきます。」

上品に口に手を当てて、料理に戻る家永。綺麗な見た目や柔らかい物腰に油断すると危ない。私は杉元の所に戻って、一緒にチタタプを始めた。チカパシと和泉兼定でチタタプする土方は良いお爺ちゃんにしか見えない。

「尾形〜みんなチタタプと言ってるぞ?本当のチタタプでチタタプ言わないならいつ言うんだ?みんなと気持ちをひとつにしておこうと思ったんだが…」

アシリパが皆を見回りながら、尾形の所に行くと尾形が小さく「チタタプ」と言った。私とアシリパは振り向いて口を大きく開く。

「言った!聞いたか?尾形がチタタプって……。んもー聞いてなかったのか?聞いてたのは結城だけか?」

杉元と谷垣と牛山が振り返ったが、聞いてなかったようで、冷めた目でこちらを見ていた。私は尾形の横に座って白子を加えてまた細かく叩く。

「チタタプ、チタタプ。」

「………。」

もうチタタプとは言ってくれなかったが、少し歩み寄ってくれた尾形が嬉しくて、鼻歌を歌いながら一緒にチタタプをした。

チタタプや串焼き、家永が作ったチポプサヨ、フチの13番目の妹の大叔母さんが作ってくれたチポロタシケプ、皆で作ったチタタプが並ぶと、囲炉裏を囲んで皆でご飯を食べ始めた。白石はご飯前から酒を呑んでいるようで既に出来上がっている。

「イクラも鮭もどれも新鮮で美味しいですね。身もプリプリです。ヒンナ、ヒンナ。」

「獲れたてだから臭みがないんだ。ヒンナヒンナ。」

皆でヒンナと言いながらご飯をかきこんでいく。こんな獲れたての鮭は食べたことがなかったので、あまりの美味しさに何杯もおかわりしてしまった。そんな中、牛山が近くにいるインカラマッに声をかける。

「インカラマッさんっていったかね。あんたいい人はいるのかい?」

黙るインカラマッを見て、隣にいたチカパシが谷垣の食べている最中のお椀をとり、インカラマッに渡した。戸惑う谷垣にアシリパが説明する。

「女が男の家に行ってご飯を作り、男は半分食べた器を女に渡し、女が残りを食べたら婚姻が成立する。」

杉元と私はアイヌの求婚の仕方にへーと相槌をうった。杉元がチラッと私を見たが、私はすぐに目を逸らす。先日、求婚のような事を言われたばかりなので流石に気まずい。谷垣の隣でチカパシがキラキラした目でお椀をインカラマッに差し出した。

「本当の家族になれば?」

家族のいないチカパシにとって、一緒に旅をして仲睦まじい谷垣とインカラマッに家族になって欲しいんだろう。既にデキているようだったし、釧路でも屈斜路湖でもイチャイチャしていたのはキロランケから聞いていた。ヒューと夏太郎もはやしたて、私も二人が結ばれるだろうと拍手する準備をする。

「…チカパシ返しなさい。」

しかし谷垣はチカパシからお椀も戻して、外に出ていってしまった。上手くいっているように見えた二人だったが、まだ微妙な関係だったらしい。

盛り上がりかけた空気が元に戻り、ご飯を食べた人から個々解散となった。杉元からの視線を未だに感じていたが、私は気付かないフリをして外に出る。追いかけてくる程の熱はきっとないだろう。三十年式の整備用品を持って川辺の石に座った。

「はー…結婚か…。」

「…したいのか?」

独り言に返事がきたので驚いて後ろを振り返ると、気配を消した尾形が背後に立っていた。怖いので足音をたてて近づいてきて欲しい。尾形は私の隣に座って、同じように三十八式を弄りはじめた。

「そりゃ憧れは多少ありますよ。いつか好きになった人と結婚出来たらとも思ってましたが、この時代では無理ですね。違いが多すぎて相手も自分も不幸になります。」

「ほう、それで杉元の求婚を断ったのか。断られて可哀想な奴だな。」

何で知ってるのかと目を大きく見開き眉を顰めながら尾形を見ると、「杉元の態度でバレバレだ」とニヤッと笑った。杉元に対して可哀想という割にはとても楽しそうな笑みを浮かべているので尾形は本当に意地が悪い。

「…私の事はもういいんです。…それより尾形さんは結婚しないんですか?」

「俺のために死ねる女がいれば嫁に貰わんことも無い。」

これ以上私と杉元の事を掘り下げられても困るので、尾形に話を振った。嫁の条件が命を賭けれるかどうかというハードな物が出てきて思わず引いてしまう。

「ええ…絶対盾にするでしょ…。使い捨てして嫁3人目とかなりますよ…。尾形さんの嫁が可哀想すぎる。」

私がそう言うと尾形はイラッときたようで頭を拳でぐりぐりしてきた。流石にそこまで人でなしではないらしい。

「この間の酒の飲み比べの賭け……負けた奴は何でも言う事を聞くんだったよな?」

「え…まあ…そうですけど…。」

腹黒く怪しく笑う尾形の顔が近づいてくる。嫌な予感しかしない。尾形の指が私のおでこを指差した。

「じゃあ、お前は今日から俺の嫁だ。」

「え、嫌ですよ。殺す気でしょ。もっと他の事にして下さい。最悪、丸坊主でも飲みますから。」

私は即答で断り、尾形の手を顔から払った。賭けで嫁に行くなんて最悪である。愛のかけらもなく、利用され、殺されてしまいそうだ。そもそも賭けの罰はもっと面白くて笑えるものにして欲しい。

「なんでも…って言ったのは結城だろうが?」

「…うぐっ…なんでもって言っても塩梅があるでしょうよ…っ!」

尾形にほっぺを引っ張られ、抗議されるが必死に振り解こうと抵抗する。尾形に力で勝てるわけがないので、つねられ、引っ張られ、頬が赤くなっていた。

「嫁にいけない行き遅れのお前を貰ってやるって言ってるんだから、有り難く受け取るもんだろうよ。」

「…ありがた迷惑という奴ですね。はい。」

余計な一言をつい言ってしまうので、すぐ睨まれて手がとんでくる。すぐ喧嘩になるが元に戻るのも早いので、いつの間にか尾形と黙々と銃を整備していた。そしていつものようにテントに二人で入っていく。お馴染みのように尾形と同じ寝袋で一緒に眠りについた。

コオロギの鳴く声が聞こえる。
秋になっても鈴虫の声が聞こえないのは寒い北海道にはいないからだろう。深夜、虫の声を聞きながら寝ぼけ眼で寝袋から這い出した。喉が渇いて起きてしまったので、水を汲みに外に出る。目を擦りながら歩いていると、人影にぶつかった。

「あ、結城さんも廁?俺は今、行ってきて戻るところ。」

「私は喉がからからで水が飲みたくて…。」

夜遅くにで歩いていたのはトイレに行っていた杉元だった。私が水を飲みたいと言うと、ちょうど良かったと杉元が汲んだばかりの水筒をくれた。ゴクゴクとありがたくそれを頂く。

「… 結城さんって毎日、尾形と一緒に寝てるよね。尾形の事が好きなの…?」

杉元が不安そうに上目遣いで私を見た。顔に傷があるいかついの男のはずなのに、とても可愛らしく見える。深夜に起きたせいなのか、杉元の目がうるうるしているのも心臓に悪い。

「…尾形さんが私の寝袋を気に入って勝手に住み着いちゃっただけで、お互い恋愛感情はないですよ。ご心配なく。」

私が杉元の背中をポンポンと叩くも、「ほんとのほんと?ほんとに?」と何度も聞いてくる。そして、急に真剣な顔になって私の肩を持った。

「尾形だけはやめてね?」

さっきまで可愛かったのが嘘のように、怖い顔をして放つ殺気に全身の鳥肌が立つ。ブチギレた時の杉元は本当に怖いので、私は何度も大きく頷いた。私は少し怯えながら手を振って別れて、また尾形の眠る寝袋へと潜り込んだ。

ーーーー

翌日、網走監獄内の協力者である門倉の宿舎で作戦会議が行われた。門倉が次の新月の晩にのっぺら坊が移送される房を刺す。

「俺の脱獄の鉄則としては新月に拘らず全ての音をかき消す嵐の夜なんだが…トンネルがすぐ側だ。雨とか川の増水で塞がれる危険がある。今回は俺一人じゃないしな…。」

脱獄の極意を語る白石に「脱獄に関しては誰よりも天才ですね」と溢すと、褒めてくれと頭を白石に差し出された。仕方がないので白石の頭を撫でながら、話を進める。誰にも見つからずにのっぺら坊に引き合わせるというミッションを共有した。

「失敗すればここのトンネルはすぐに見つかり、その瞬間に門倉はお尋ね者だな。」

土方が門倉に言うと、門倉は「土方さんお供すれば死んだ親父が喜ぶ」と頭を下げる。その言葉に土方は嬉しそうに口角を少しだけあげた。

門倉の情報では彼以外に協力者はおらず、裏金で雇ったモグリの看守がたくさんいるらしい。そのため夜中でも樺戸監獄の2倍以上の数の敵がいるようだ。銃声をさせて途端、兵達がわらわらと動き出してしまうので、狙撃担当の私は見守るだけになるだろう。私は俯瞰的に皆の話す内容に耳を傾けた。

「もし…のっぺら坊がアシリパさんの父親だとして…連れ出すのは難しいのか?」

「片足の腱を切られているのでいつも看守に支えられている。連れて逃げるのはかなり困難だが不可能では無い。」

前のめりになった杉元は全体像を把握している門倉に聞いた。門倉は最大限出来ることを話してくれる。

「危険を冒してまで連れ出す必要はない。父が本当にのっぺら坊なら…」

それを聞いたアシリパが自分の意志を伝えようとするが、その続きの言葉は出てこない。察した土方が尾形を呼んだ。

「そこで盗み聞きしとらんで上がってこい。」

トンネルに隠れていた尾形がひょっこり頭を出す。頭だけ出す尾形を横目に見ながら、土方が尾形に話し始めた。

「キロランケと谷垣からお前のことを聴き出したぞ。尾形百之介は自刃した第七師団長の妾の息子であるというのは師団内で公然の事実であったそうだな?ただの金塊目当てで軍を脱走したにしては出自がやっかいだ。」

土方の言葉に同意するように私は頷いた。何かの目的があって動いているように見えるのに、その本当の目的は一切教えてくれない。

「俺が何が軍をどうこうするために動いているとでも?冗談じゃねえよ、面倒くせえ。」

尾形が頭を撫でつけながらそう答えた。左眼は伏せているが、右眼がこっちを見ている。あ、嘘をついていると、彼の所作で気付いてしまった。それは多分、長い間一緒にいた故の違和感だろう。

「テメエらだってお互いに信頼があるとでも言うのかよ。」

尾形は捨て台詞を言って、トンネルの奥に引っ込んでしまう。私は彼のついた嘘が頭に引っかかっていた。尾形の捨て台詞で思う所があったであろう杉元が、のっぺら坊が青い目じゃないか門倉に確認する。門倉はちゃんと見てなかったようで、アシリパの顔をよく見ようとしたら杉元に手をはたかれていた。とにかくのっぺら坊に会ってみないと分からないということで作戦会議は終わり、新月まで各々準備することになった。

テントに戻ると、先に戻っていた尾形がもう既に横になっている。狭い中で詰めて貰って私も彼の隣に寝そべった。背中をこちらに向けて丸まってはいゆが、まだ起きているであろう尾形に声をかける。

「さっき嘘ついてましたよね?軍をどうこうしようとしているんですね…。鶴見さんから離反したのは、金塊の手土産と鶴見中尉派の裏切りを中央に持っていって出世しようとしているんじゃないですか?もしかして、尾形さんは憎い父親の最終職である第七師団長にでもなる気では?」

これまで尾形が話していた断片を繋ぎ合わせて、私が推測した答えを彼に投げかける。尾形はぐるっとこちらに向き直って、私の首に手をかけた。

「何を知った気になってる、七瀬結城。」

「何も知りませんよ。尾形さんの目的次第では手を組めると思うから聞いてるだけです。私、尾形さんと殺し合いはしたくないですから。」

ニコッと笑って、私の首に添えられた尾形の手を下ろす。私は尾形を正面から抱きしめた。

「尾形さんの嫁になったら、本当の目的を、心のうちを教えてくれますか?」

手を背中にまわし、尾形の肩に顎を置き、彼に囁く。体温がじわっと溶け合い良い雰囲気になるかと思われたが、彼が私を抱きしめ返して肋骨が折れる勢いで力を入れた。

「…おい、結城、随分と小賢しい真似をするようになったな?聞き出そうとしてるのはアシリパと杉元のためだろ。二人の為なら身まで売るのか?」

ミシミシと体が悲鳴を上げる。本気で怒っているようで息も出来ない。あ、死ぬかもと走馬灯が頭を巡り始め、涙が流れた頃、やっと力が緩んだ。

「……ゴホッ…ごめんなさい…。」

「フンッ…。」

神経を逆撫でしてしまった事に反省して、頭を折る。近いようで遠い心の距離に、尾形との関係を測り損ねていた。

怒っているのに私を抱きしめたまま眠ろうとする尾形がまた何を考えているのか分からない。困惑して頭を掻きながらも、私もまた眠りについた。


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