網走監獄の結末

網走監獄の潜入作戦の新月の日まであと1日が迫っていた。それぞれが探索したり、作戦の確認をしたり、銃を整備したり、剣を研いだり、準備をしている。明日の夜が作戦開始のため、夜型に身体を合わせようと私は遅くまで起きて作業をしていた。テントに入らず、手回しライトで手元を照らしながら麻紐でブレスレットを編んでいると後ろから声をかけられる。

「…何を作ってる。」

眠そうな顔をした尾形がやってきた。目を擦るなら早く寝れば良いのに、私がいないと眠れないなどをぬかしている。

「お守りの腕輪です。麻紐で作ってるので解して焚き付けにもなります。」

「…元結じゃなく麻紐で作ってはあるが、梅結びの水引じゃねえか。何の祝い事だ?自分の父親が人殺しだった記念とでも称してアシリパに渡すのか?お前の性根がそんなに腐ってたとは知らなかったよ。」

赤と無地の麻紐で作った水引のブレスレットを見た尾形が顔を歪めながら皮肉った。すぐに歪んだ受け取り方をするのは尾形の悪い癖だ。

「…水引って元々麻紐から始まったんです。魔除けや平穏無事を願うものだったんですよ。梅は厳しい冬を越えて咲くので運命向上の意味もあります。」

私は手を動かしながら、誤解している尾形に淡々と説明する。性格が腐ってるのは尾形の方では?と言いたかったが、それは飲み込んでおいた。前日に揉めるのは避けておきたい。

「はい。もう三個出来たので手首につけてあげます。手を出してください。」

無言で手を出す尾形に水引のお守りをぎゅっと結んだ。すぐに解けないかを引っ張って確認する。大丈夫そうだったのでそっと手を離した。

「はい。これで無事に作戦は成功します。安心して寝てください。」

私が早くテントに入って寝るように尾形を促すが、尾形は動かず私の肩に背中を預けてもたれかかってくる。

「…あの飲み比べの賭け、『明日は絶対に何があっても、川岸の丸木舟に来る事』な。」

賭けの命令が嫁に来いから随分簡単な内容に変わっていた。尾形の嫁を私が嫌がりすぎたからだろうか。個人的には助かるが、急に優しくなりすぎて逆に怖い。

「何も起こらないのが一番だが、インカラマッとキロランケが胡散臭い以上何が起きるか分からん。」

尾形が手首のお守りを見つめながら言った。キロランケは仲間だと思っているが、インカラマッはフチを不安にさせたり引っ掻き回したりもしてるので不安要素は大きい。谷垣と恋仲だとしてもそれが信頼できる理由にはならない。私は尾形の言葉に頷いた。

「…分かりました。『何があっても、丸木舟に合流』します。何か起こったとしても出来うる狙撃や支援をしてから、皆と合流します。」

私は小指を差し出すと、尾形は呆れた顔をして同じように指を出してくる。約束の代わりに指を切ると、尾形は目を細めていて微笑んでいた。珍しい表情に私が目を大きくすると、すぐに無表情に戻ってしまった。その日はお守りを五個作り終わるまで尾形はずっと側にいて、テントの中でもくっついて寝てくる。私はそんな尾形に何も言わず、拒否することもせず、ただ同じ時間を過ごした。

日がとうに登っても昼まで寝た私達は、のそのそと皆が集まるチセに顔を出して、遅めのご飯を食べる。アシリパと杉元と白石とキロランケに麻紐で作った水引のお守りを渡すと、とても喜んでくれた。

「可愛い魔除けだな。私達は刺繍の紋様で魔除けをするが、シサムのこれは装身具にもなるし、紐としても火を起こすのにも使えるのが便利だ。結城、ありがとう。」

アシリパが私の手をぎゅっと握った。いつもより体温が低いのはきっと、緊張しているからだろう。私はアシリパを抱きしめて「きっと大丈夫」と呟いた。彼女は私を強く抱きしめ返して、コクリと頷く。お互い顔を見合わせて、意思を確認するように微笑み合った。

「わー!俺達みんなお揃いじゃん!キロちゃんに尾形ちゃんまで!士気が上がるね〜!」

白石が足首につけたお守りを見ながらクルクルと回っていた。お揃いに喜ぶ白石の姿はまるで女子高生のようだ。私は微笑ましく見ながら、自分の手首にも同じものを巻きつける。時間は刻一刻と迫っていた。

ーーーー

月の光のない漆黒の夜。ついに網走潜入作戦が実行された。インカラマッとチカパシ、永倉と家永はコタンで待機。谷垣と夏太郎は川岸に用意した丸木舟で待機。キロランケ、牛山、土方は宿舎で待機。尾形と私は山に隠れて何かあれば狙撃で援護。アシリパと白石と杉元が都丹の先導で囚人の舎房へ侵入することになった。

私は尾形と決められた位置へと向かう。お互いの待機位置が違うので途中で別れることになったが、その去り際に尾形から着物を引っ張られた。

「…どうしました?何か忘れ物でも?」

「ああ。」

私が振り返ると、尾形の顔が目の前にありフニっと柔らかいものが唇にあたった。それが尾形の唇だと気付いた頃にはもう遅い。頭の根本を手で抑えられ動けないように固定されて、抱きしめるように肩を掴まれて動けないようにされた。

「ーーーっ!!」

口を開けば舌を入れられ、呼吸が出来ない。溶けるように柔らかく、口内を侵していく尾形の舌の動きに状況が掴めず混乱する。手で押し返すが尾形の身体はびくともしない。頭の中が真っ白になった。

思考停止してから数分が経っただろうか。溺れるような行為に耐えられず、酸欠で苦しみ始めた頃、ふと我に返った私は尾形の唇を噛もうとした。するとそれを察したのかすっと唇が離れる。

「…っ…急に…何ですか…?」

突然なことに戸惑い、私は顔を真っ赤にしながら尾形に問いかける。しかし彼は死んだ目のまま少し口角を上げるだけで何も答えてくれなかった。持ち場に行こうと歩き出した尾形が去る直前に振り返り、私に口を開く。

「賭けの約束、忘れんなよ。」

尾形は三十八式を持ったまま、森の中へと消えていく。私は彼の背中をただ呆然と眺めていた。顔は火照るように熱い。着物で唇を何回も擦っては拭いていた。完全に姿が見えなくなった尾形を見て、私も急いで持ち場へと走ることにした。

監獄内が見える位置につけた私は双眼鏡を覗きながらひたすら待機する。真っ暗闇なので何も見えないが、それでも覗くのをやめられなかった。何も起こらないことを祈りながら、木の上でひたすら様子を伺う。30分ほど経っただろうか、強い風から身を守っていると、急に音が飛び込んできた。

カンカンカンッ!!カンカンカンッ!!

けたたましく警報がなっている。異常事態だ。状況を把握するために双眼鏡を覗きながら看守の様子を伺うと、銃を持って慌ただしく走っている。

「……アシリパさん達がバレた…っ!!」

走って中に援護しに行きたいが、今行っても蜂の巣にされてしまうだろう。外からアシリパや杉元の周りにいる敵を撃とうとSIGM400を装弾する。アサルトライフルで私が正確に届く範囲は400mから500mまでだ。銃の準備が出来ると、木から降りて射程範囲まで走り出した。暗い新月なのもあるし、監獄内が混乱しているので、見つからずに近づくのは容易い。双眼鏡を覗きながら歩を進めていると、見慣れない明るさに思わず顔を上げた。

「川岸が…光ってる…?」
 
網走川に沿って一定の距離ごとに置かれた灯りは、まるで何かを誘導するような光だった。足を止めて河口の方に目を凝らしていると、爆音が鳴り響く。

ドゴォォォン…ドドドドッ!!

地響きと轟音と共に橋が爆発していった。そしてその橋を通って駆逐艦が網走川を通って監獄へと向かっていく。

「…第七師団だっ…!!」

私は冷や汗が止まらなかった。鶴見に位置や情報がずっと漏れていたという事だろう。指紋の件といい、裏切り者はきっとインカラマッだ。尾形が言っていた事は間違っていなかった。

『何があっても、丸木舟に合流する。』

尾形と交わした約束が頭によぎった。だが今、川岸に行くのは第七師団が迫っていて危険すぎる。アシリパや杉元、白石も放って置けない。せめて三人を救出してから丸木舟に向かおう。

駆逐艦から放たれた大砲が網走監獄の壁を次々にぶち破っていく。爆発音と銃声が鳴り止まない。看守は河川側に釘付けになっている。山側から侵入するなら今だと判断した私は飛び降りて、木に隠れながら網走監獄へと侵入を開始した。

「なるべく高い位置を抑えないと…。」

高見張りは五箇所。河川側に三箇所と山側に二箇所ある。山側の見張り小屋よりも高さがあるので、戦うなら絶対に高見張りを抑えた方がいい。河川側は第七師団にとられる可能性が高いので、山側の高見張りの看守に狙いを定める。双眼鏡とスコープを覗くと哨舎と登り窯近くの高見張りを既に尾形が陣取っていた。考えることは同じらしい。

尾形とは別れた方が強いため、私は教会堂と舎房の間にある高見張りへと走った。建物に隠れながら舎房に釘付けの看守を撃ち落とし、急いで登る。第七師団が照明弾を打ち上げるので、姿が見られないように高見張りで腰を落として身を隠しながら状況を確認する。舎房の方では第七師団と囚人達が暴れていた。そこに杉元達の姿は無い。

「…あれは…!…インカラマッ…!…許さない…。」

正門に視線を移すとインカラマッとアシリパ、キロランケの姿が見えた。私は構えていた銃口を正門の上を歩くインカラマッに向ける。照準を合わせながら彼女の様子を伺うと、視線が教会堂と哨舎の間の下へと注がれていた。急いで双眼鏡で覗く。

「杉元さんと…のっぺら坊…!」
 
周りにはまだ敵は近寄っていない。アシリパの様子を伺うと、双眼鏡を手にした彼女が泣いていた。のっぺら坊はアチャだったんだろう。彼女の姿に胸が締め付けられていると一発の銃声が響いた。

パァン…

音と共にのっぺら坊の頭が撃ち抜かれる。反射的に視線をのっぺら坊に移した。一緒にいた杉元が咄嗟にのっぺら坊の身体で身を守ろうとする。しかし、銃弾が杉元の左頭部を撃ち抜いた。

「え…っ…?」

息が止まる。銃弾は東の高い角度から撃たれていた。あの狙撃ができるのは高見張りにいる尾形しか有り得ない。尾形がアシリパの父親を殺すなんて、杉元を殺すなんて信じたくない。喉の奥が熱く、痛くなってきた。

「……。」

それでも尾形がいた高見張りに対して銃を向け、スコープを覗き、照準を合わせる。人影は見えるが顔は分からない。でも、あの狙撃の腕は絶対に尾形だ。銃弾に倒れた杉元を助けようと出てきた谷垣に向かって銃撃が向かう。

「……撃つ。絶対に。」

私は谷垣を守るように高見張り台の尾形に向けてトリガーを引いた。壁に隠れられ、当たらないがそれでも撃つのをやめない。手が震えており、照準がブレまくっていたが、それでも何度も指を引いた。冷静さはとうに欠けている。カチ、カチと弾が無くなったのに気付いた私は、三十年式に持ち替えてまた高見張りを狙った。私が狙っている限りは尾形は谷垣を狙えないし、絶対に逃げれない。三十年式だと余計大きく外れるが、それでも装填を繰り返した。頬をつたうものを無視して、槓桿を引き撃茎のコッキングを完了しリロードする。再び構えると、隠れていた尾形の銃口が顔を出し、こちらに銃弾を放った。

「……っ!」

三十年式実包が左肩を貫いた。私は支えていた銃を落として痛みのあまりにうずくまる。目から涙が溢れ出していた。どうして、どうして、頭にはそれだけがぐるぐるとまわっていた。この腕では小銃を持てない。片手で扱える拳銃も尾形には届かない。

『明日は絶対に何があっても、川岸の丸木舟に来る事な。』

尾形の言葉が頭にこだまする。何故彼はそんな約束を私にさせたのか、何故別れ際に無理やり口付けをしてきたのか、分からなかった。分かりたくなかった。彼は最初から仲間でも何でもなかったのだ。尾形に着いていくことは出来ない。私は血が止まらない腕を止血しながら唇を噛んだ。その唇の隙間から嗚咽が漏れ出ていた。

「…何で…裏切るくせに…優しくしたの…。…側にいたんですか…っ。」

止血した左腕を引き摺りながら、高見張りを降りてアシリパを探すが彼女の姿は既にない。きっと尾形とその仲間が連れ去ったのだ。アシリパを追いかけたいし、尾形を問い詰めたい気持ちも大きかったが、杉元を助けようとした谷垣を置いてはいけない。

私は約束の場所へと背を向けて、杉元を抱えて逃げた谷垣を追った。正門の扉の先に居たのは倒れたインカラマッと杉元、第七師団に囲まれた谷垣だった。見覚えのある顔に全身の血の気が引く。

「お前達を助けようじゃないか。杉元とインカラマッをすぐに医務室に連れていけ。捕らえた家永もな。」

鶴見中尉は私と谷垣にそう微笑んだ。鶴見の一言で二人はすぐに担架で運ばれていく。アシリパのアチャも息がないか側に寄って確認するが、頭と胴体を撃たれていて確実に死んでしまっていた。運ばれていった杉元の姿が忘れられない。頭を撃ち抜かれている以上、杉元もいずれ息を引き取るだろう。

「…杉元さんの、最後を看取りたいです…。一緒にいさせてくれませんか。」

私がそう言うと鶴見は頷いて部下をつけてくれ、医務室に案内してくれた。この世界で出来た家族や仲間が私の手から零れ落ちていく。それは身が裂かれるほど辛く、一度流れ出した涙は止まらなかった。

医務室には既に杉元の治療に入った家永がいた。私が真っ赤な目をしながら部屋に入ると、「まだ生きてますよ」と家永が笑ってくれる。

「今出来る外科手術を行いますので、結城さんは杉元さんの手を握ってひたすら励まして下さい。」

家永の言葉に、杉元が死んでなかった奇跡に、私は膝から崩れ落ちた。今の私は彼女の言葉に縋るしかなく、杉元の手を握りなが声をかけ続ける。

「…杉元さん…お願いします…生きてください…。生きて…アシリパさんを…取り戻さないと…っ…きっと泣いてるから…抱きしめないと…っ。」

最後に見たアシリパの泣いている姿が忘れられなかった。きっと彼女はアチャと私達が死んだと思って嘆き悲しんでいるだろう。孤独だったアシリパが笑う様になったのは杉元のお陰だと、小樽のコタンの皆が言っていた。杉元が死んだら、アシリパはまた笑わなくなってしまう。二人の幸せが私にとっての幸せで生きる理由なのに。

「杉元さん…不死身なんですよね…?こんなとこで死なないでください…っ……私とアシリパさんを…泣かせないでください…。」

杉元の手術が終わるまでの数時間、私は枯れるほど涙を流し、枯れるほど声をかけ続け、家永が手を止める頃には満身創痍になっていた。自分で止血した左肩からは血が滲んでいる。家永が私に微笑んで頷いたのを確認してから、私は気を失ってしまった。

走馬灯が頭を巡る。アシリパの動物の脳みそを美味しそうに食べる顔、白石の皆に怒られてショボンと眉を下げる顔、キロランケの愛おしそうに馬を見つめる顔、そして尾形の滅多に見せない目を細めて微笑む顔。目に焼き付いた幸せだった光景がゆらゆらと私の心を揺蕩っていた。


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