網走と第七師団

いつの間にか倒れていた私は家永に左肩を処置された後、医務室のベッドに寝かされていた。飛び起きた拍子に左肩が痛み、思わず顔を顰める。

「……っ!」

着ていたはずの血に汚れていた絣が、サラッとした麻の着物に変わっていて、手元にライフルもない。私は慌てて荷物を探そうとあたりを見回し、ベッドから降りようとすると家永が止めた。

「結城さんの荷物は第七師団の方に回収されないように、ちゃんと隠しておきましたよ。この木箱の中に入れてます。」

家永の言葉に胸を撫で下ろした。鶴見に私の荷物を漁られた日には全部取り上げられ、監禁されてもおかしくないからだ。

「ありがとうございます、助かりました。杉元さんや谷垣さんはどこに?」

「谷垣さんはインカラマッさんの側に、杉元さんは隣の部屋に寝かせています。ここはあくまで網走監獄の医務室ですから、これから近くの病院に移動しますので第七師団の方からご説明があるかと思いますよ。」

私は家永の説明に頷く。まったく知らない場所で敵に囲まれる中、顔見知りがいる事がこの上なく心強かった。これからどうなるのだろう。私は家永から武器と荷物を受け取ると、漠然とした不安を抱えたまま、整備を始めた。半刻後、涼やかな顔をして現れたのは鶴見中尉だった。私は三十年式歩兵銃を手に、緊張と共に背筋を正す。

「…小樽ぶりですね。今回の網走監獄の顛末を教えて頂けませんか。」

「この半年で随分見た目が変わったな、七瀬結城。あの時はただの村娘かと思えば、私の拳銃を撃ち抜いてきたから驚いたぞ〜?…顛末は…そうだな、どこから話そうか。」

鶴見が椅子に座り、膝を指でトントンと叩きながら詳しい経緯を話してくれた。インカラマッと第七師団が繋がっていた事、キロランケがインカラマッを刺した事、そしてキロランケがアシリパを連れ去った事。土方達は逃げて捕らえられなかった事などであった。

「杉元を撃った相手は分かるか?キロランケの仲間だと思うが。」

「…第七師団造反者の尾形百之助です。東の高見張りに上がったのを確認し、銃弾はそこから撃たれていました。…ですがキロランケさんと尾形さんが組む目的や利が見えません。本当にキロランケさんがやったんですか…?」

アシリパを娘の様に見守っていたキロランケが、ウイルクを殺したとは到底信じられなかった。そしてキロランケが尾形に杉元を殺すよう指示したとも思いたくない。

「部下からキロランケが合図する様に手を上げたとの目撃証言が出ている。詳しくはインカラマッから話を聞くしかないだろうが、アシリパを連れ去った所や他の情報からもキロランケで間違いないと見ていいだろう。」

「………。」

私は今にも溢れ出しそうな涙を堪える様に、強く唇を噛んだ。尾形の裏切りだけでも心臓が張り裂けるほど辛かったのに、キロランケまでなんて到底耐えられない。鶴見の言葉が本当なのか、杉元と早く話したいとそれだけを考えていた。

「尾形がのっぺら坊をやったのか…。こちらが嫌がる事を的確にやってくる男だ。」

鶴見が顎を触りながらそう呟く。私は銃を触りながら俯いていた。

「七瀬、君も狙撃手だったとはな。どこでその腕を身につけた?」

鶴見がニヤッと私を見た。彼の関心が私に向けられるが、探られる事は覚悟していたので私は平静を努めて答える。

「三十年式の扱い方や狙撃は…尾形さんに教えて頂きました。」

「…ほう。尾形がそんな殊勝な事をするとは思わなかったぞ。育てて手元にでも置きたかったのか…。残念ながら君は尾形よりも杉元を選んだようだがな?」

鶴見の投げかけに私は苦笑いで答えた。杉元を選んだつもりはない。ただ、仲間だと勝手に思っていた尾形に裏切られただけだ。

「君が持っている銃と荷物もぜひ我々に見せてもらいたい。」

沈黙が流れた部屋で本題とばかりに鶴見が前のめりになった。やっぱり来たかと私は懐から拳銃を取り出して首元に当てながら笑う。

「杉元さんを救って頂いて申し訳ありませんが、それは何があっても無理です。私の所持品を見たり奪おうとすれば全部爆破させて死にます。」

「ははっ、それだけ貴重なものという事だろう?喉から手が出るほど魅力的じゃあないか。」

鶴見の前頭部をおさえる琺瑯から、液体がとろりと流れ出た。彼の背後から出る殺気や興奮は私の全身を逆毛立たせる。

「これらの物品も貴重ですが、それを扱う知識がある私の脳味噌も大事ですよ。まあ、でも私は利用されるぐらいなら、杉元さん達を人質に取られようが躊躇いなく死にます。欲しがったり脅したりする前にご理解下さい。」

私が笑いながら拳銃のトリガーに人差し指をかけてくるくると回して見せると、鶴見は降参した様に両手を挙げた。

「ここまで腹を括っているお嬢さんも珍しい。これ以上探るのは辞めておいて、お互いの情報共有と今後の話をしよう。」

全てを無にする覚悟がある私を見て、ひとまず諦めた鶴見は網走監獄の惨状とこれからアシリパを追う部隊の必要性について話してくれた。ウイルクが殺された以上、金塊への鍵は彼女が持っているからだ。アシリパ奪還に向けて手を組む事になる事を察した私は、手を差し出して鶴見と握手を交わす。お互いの腹のうちは隠したまま微笑み合い、私と杉元達は近郊の病院へと移送された。

ーーーー

白い病院の一室。杉元は個室のベッドで今も眠ったままだ。私は杉元のベッドから片時も離れず、彼のベッドに頭を伏せて休んでいた。家永が言うには容態が安定したらしいが、脳を損傷している以上目が覚めなくてもおかしくはない。私は一抹の不安を抱きながら、杉元の手を握って回復をただただ祈っていた。

「……っ。」

布団がモソッと動いた。私は伏せていた顔をバッと上げて杉元の様子を伺う。ゆっくりと瞬きをして目をあけようとしている杉元を見て、私の目頭が熱くなった。一生、植物状態なのも覚悟していたが、さすが不死身の杉元だ。起き上がりたそうに肘を立てる杉元の背中を支えて、身体をおこす。顔をこちらに向け、目をパチパチさせる杉元に私は声をかけた。

「…杉元さん……私が誰だか分かりますか…?」

私の声は震えている。どうか記憶がありますように、口が動きますように、麻痺などありませんように、悪い想像ばかり膨らむ私に杉元が戸惑う様に目を丸くした。

「……結城…さん?」

杉元の口から私の名前が出てきたことが嬉しくて嬉しくて、彼の懐に飛び込む様に彼に抱きついた。

「……っ!杉元さんが無事で…本当に…よかったです…。」

「わっ…!この通りぴんぴんしてるから!そんな泣きそうな顔しないで?」

子供相手に宥める様に私の背中をポンポンと叩く杉元だったが、アシリパがいない事に気付いてすぐに私の肩を掴んで顔を合わせた。

「アシリパさんは…?」

私は唇を噛み、目を伏せて首を振ると杉元の顔の血の気がサーっと引いた。

「…キロランケさんに連れ攫われたそうです。白石さんもアシリパさんと一緒だと思います。たぶん…尾形さんも…。」

私の言葉で杉元は目は怒りの色に染まり、拳で強くベッドの縁を叩いた。

「…尾形の野郎…ぶっ殺してやる。」

杉元の言葉に胸が痛くなる。私達を裏切り、攻撃してきた尾形は敵で、絶対的に殺さなければいけないはずなのに、心がそれを認めたくなかった。

「キロランケさんの事など、あくまでインカラマッさんや第七師団からの情報なので真偽は分かりません。でも…死体が出ない以上、四人が一緒にいる確率は高いと思います。」

「どいつもこいつも裏切りやがって……土方の野郎も俺達をダシにしてのっぺら坊を先に奪おうとしていたしな。」

苦虫を噛み潰したような顔の杉元。土方達まで裏切っていたとは知らなかったので私は目を見開いた後、深くため息をこぼした。最悪の空気が病室を包む中、杉元のお腹が鳴り始めたので、私は席を立ち、食べ物を貰いに人を呼びに行く。廊下を歩きながらこれまで皆で協力しながら過ごした日々を思い出していた。

廊下にいた月島軍曹に杉元が目覚めた事を伝え、主治医室にいる家永にも声をかける。家永がおにぎりを作ってくれたので、それを持って杉元の病室に戻ると鶴見が既に部屋に入っており、話し始めていた。杉元におにぎりを差し出すとバクバクと食べ始める。

「不死身の杉元、脳みそが欠けた気分はどうだね?我々は『脳みそ欠け友達』だな…。」

鶴見が杉元に声をかける。私は後ろに立って嫌な友達だなぁと思いながら黙って聞いていた。インカラマッの情報によると、キロランケ達は樺太に向かったらしい。それを聞いた杉元はすぐさま鶴見に告げた。

「アシリパさんを取り戻す。オレを樺太へ連れていけ。」

鶴見は口角を上げて頷き、状態が悪いインカラマッの元へと部屋を移動した。松葉杖をつく杉元を支えながら、私たちも後を着いていく。インカラマッのそばには左腕を負傷した谷垣がそばにいた。第七師団と繋がっていた彼女を献身的に支えるのは、谷垣にとってインカラマッがかけがえのない女性になっているからだろう。

「ウイルクと杉元さんを撃った発砲音は…照明弾を打ち上げる轟音でかき消されて分かりませんでした…。」

インカラマッが弱い声だが、私達に状況を教えてくれる。それを聞いた杉元が一歩前にでて口を開いた。

「あんな狙撃が出来るのは尾形百之助しかいねえ。撃たれた瞬間、あいつを感じた。」

「そうだろうとも、尾形の姿は七瀬結城が捉えている。応戦したが左肩を撃たれて逃したらしいがな。」

推測する杉元に対して鶴見が断言した。鶴見は横目で私をチラッと見る。まるで無能とでも言われているようだ。

「…申し訳ありません。」

「尾形と撃ち合いをして死ななかっただけ上出来だよ。左肩、痛かっただろ?」

杉元が心配そうに私の肩を見た。私よりも重傷者が目の前に二人もいるのに頷く事はできない。首を振ってインカラマッを見ると、これ以上喋るのは苦しそうだったため、また部屋を後にした。

杉元はキロランケと尾形への殺意で満ちている。痛みで疼くのは肩ではなく、心だった。

「のっぺら坊は七人のアイヌを殺したあと金塊を少量持って樺太へ向う途中で捕まった。確かな情報を持って行き本隊を動かすつもりだったと私はみている。」

インカラマッの部屋から杉元の部屋に戻ると、鶴見が刺青人皮を持ちながら話し始めた。ウイルクが極東ロシアのために金塊を持ち出して捕まったのなら、何故キロランケはウイルクを殺したのだろう。長年の仲間でも金塊の鍵が杉元や他の人に渡る可能性があるなら、非情にも殺せるのだろうか。

「アシリパという重要なカギを手に入れた今、キロランケはかつて極東でゲリラ活動をしていた仲間と合流する可能性が高い。パルチザンにアシリパが確保されると厄介だ。」

これまで知る心優しいキロランケとの違いに、心が戸惑っている。未だにインカラマッや鶴見の話を信じれなかった。会って話がしたい。何か訳があるのだと、彼の口から聞きたかった。話を聞いていた杉元が鶴見の顔を見る。

「オレを使え。あんたらだけで行ってもアシリパさんは信用しない。アシリパさんを確保して刺青人皮の暗号が解けたら二百円、俺にくれ。」

もう二百円あるのにそれを伝えるのは取引する為だろう。私も杉元のベッドのそばに立ち、三十年式を縦に立てた。

「私ももちろん行きます。キロランケさんだけでなく尾形さんとも戦う以上、狙撃手は必要でしょう。出来たら網走監獄の看守から獲ったモシンナガンを一挺下さい。」

杉元と私に続いて部屋に入ってきていた谷垣も名乗りを上げる。

「俺も行きます。杉元はこの状態だ。何かあったときは俺が必要になる。アシリパが信用してるのは俺たち三人だけのはずです。」

インカラマッのことを杉元が心配して尋ねるが、必ず戻るから死ぬなと伝えているらしい。谷垣を信用しているが、信頼していた仲間から裏切られたばかりだ。インカラマッと恋仲の谷垣が第七師団側に転ばないか私は警戒心を高めた。私達三人の樺太行きへの希望を確認した鶴見は部下を部屋に呼ぶ。

「網走監獄で暴れた後片付けが残っているので私はまだここを離れられん…。樺太へは少数精鋭で『先遣隊』を送る。月島軍曹と鯉登少尉!!お前達が同行しろ。」

「きえええええッ!!!」

鶴見が監視兼計画実行係の二人を呼んで任務を任命するが、鯉登少尉が嫌がって猿叫を発する。鯉登は急いで月島の耳に手を当て言葉を伝えた。

「『どうして私が鶴見中尉から離れなければならないのか』と。」

無表情で翻訳する月島は疲れや苦労が顔に出ている。

「父上である鯉登閣下の頼みだ。」

鶴見がそう告げると鯉登は膝から崩れ落ちて身体を反らせて倒れる。ただでさえ第七師団と一緒なのも嫌なのに、こんな鶴見狂信者と協力しないといけないのかとため息を吐く。さっそく、明日の出立が決まった私達はすぐに樺太行きへの準備を始める事となった。

杉元の部屋から全員が退出し、私と杉元の二人きりになる。私は彼の横で改めてパッキングしながら、足りないものを紙に書き出していった。寒いだろうからマフラーや分厚い手袋などが欲しい所だ。

「結城さんは何で俺の側にずっと居てくれたの…?」

ベッドに座ったままの杉元が私に尋ねた。質問の意図をはかりかねていたが、私はペンを走らせながら素直に答える。

「大事な仲間ですから。谷垣さんが助けると決めた以上、置いて行く選択肢はありませんでした。」

「そっか…そうだよね…ありがとう。」

杉元は落ち込んだように肩を落とした。何と言えば彼は喜んだのだろうか。好きだからとか、一緒にいたいからとか、可愛らしい事は言えない私は困ってしまう。

「…変なこと聞いてごめんね。俺の側を選んでくれた事が嬉しくて、期待しちゃった。」

耳を赤くした杉元が自分で自身の頭をグシャグシャにした。ボサボサになった髪を私は彼に近づいて撫でながら整える。アシリパを奪われ、傷心の杉元はきっと誰かに縋りつきたいのだ。求められたいから私の気持ちを確認しようとしているのだろう。

「杉元さんは私の命の恩人以上に、一緒に苦労してきた仲間で、沢山の時間を過ごした家族で、大事な人です。お人好しな所も、強い所も、暴走しやすい所も、乙女な所も、全部好きですよ。夫婦にはなれませんが、愛おしく思ってます。…だから、杉元さんが生きているだけで私は幸せなんです。」

杉元を慰めるように癖っ毛の髪の毛をひたすら撫でていると、彼が私の腰に抱きついてきた。今度は私が彼の背中をゆっくりと叩きながらあやしていく。

「結城さんは俺の欲しい言葉ばかりくれるね。本当にずるいよ…。」

珍しく弱々しい声をみせた。保護欲を掻き立てる杉元の方がずるい気がしたが、私は何も言わない。悲しさと悔しさが滲んでいる彼を優しく撫でていると、ガタッと扉が開く音がした。

「…すまない。取り込み中だったか。」

部屋に入ってきた月島が無表情で私達に言い放つ。言葉とは裏腹に別に悪いとは思っていなさそうだ。

「そうだよ。取り込み中なので早く出て行ってくれますぅ〜?」

「いえ、大丈夫です。紙に欲しいものを書き出したので用意して貰えると助かります。樺太は厳しい北海道よりと厳しい土地でしょうから。」

コアラのように私の腰をがっしりと掴む杉元の頭をポンポンと叩きながら、ちょうど良いと書きだしたメモを渡す。

「分かった、こちらで用意しよう。…それより猛獣のしつけも大変だな。どうか、うまく操縦してくれよ。」

メモを確認して胸ポケットにしまうと、月島は私達を冷たい目で見下ろして言った。

「…まずはそちらの鯉登さんをよろしくお願い致しますね。」

私もにこやかに作り笑いで返答すると、月島と交差する目線でバチバチと火花があがるのを感じる。前途多難な私達の樺太への旅が始まった。


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