ふるさと

「そもそも、結城さんはアメリカに渡ったけど、岩手に住んでたんだろ?岩手の家には帰れないのか?」

パチパチと囲炉裏に残った炭が弾ける音がする。杉元がこれまで私が伝えていたことを思い出しながら聞いてきたので、ちゃんと答えなければと姿勢を正してからなんとか返事をする。
 
「それが無理なんですよね…。信じるかは別として正直に言うので、とりあえず聞いてくれますか?」

私の言葉に杉元もアシリパも丸まった背中を起こして、こちらに耳を傾けた。私はごくんと唾を飲み込んでから、ゆっくりと、そしてはっきりと、自分の状況を告げた。

「今、1907年ですよね。私はその100年以上先の世界にいました。私が遭難した日は2021年6月2日、慶応、明治、大正、昭和、平成を経て、元号は令和です。私の家の記録は大正以降しかないので、この時代にわたしの家も帰る場所もありません。」

信じてもらえるだろうかと二人の反応を伺う。二人とも何を言っているのか分からないと顔に出ている。杉元は眉を歪めてから小さく言葉を吐いた。

「…突拍子な話だな。」

彼の言葉に同意する様に、私も深く頷いた。

「はい。私が一番信じられません。とりあえず、財布の中のお金や携帯に入った写真を見て貰えればわかるはずです。東京で撮った写真や空港の写真があります。」

スマートフォンの写真アプリを取り出して、これまで撮った写真や動画を見せる。ちょうどアメリカに行く前に東京で観光した写真があるのでちょうどいいと、浅草や新宿のビル街、羽田空港の写真を次々に二人に見せていった。

「写真は白黒しかないと思っていたが、将来はこんなに色鮮やかになるんだな。浅草寺は未来でも変わってない…あ、これって噂の雷門か?慶応の頃に消失したって聞いたが再建されたのか。」

杉元は東京に来たことがあるのだろう。昔からある皇居や浅草寺などに食いついていた。アシリパは飛行機が飛び立つ動画に夢中で何度も再生していた。

「結城!これはなんだ?写真が動いたぞ?声も入ってる。空に鳥みたいな白い物体が飛んでいったぞ!!」

「動画といって、声も姿も全部残せるものです。空に浮かんだのは飛行機ですね。私達の時代は船で海外に行くのではなく、空を飛ぶ乗り物で移動する主流です。」

日本国内の移動も、鉄道よりも飛行機のほうが速いので使う人が多いと、九州や沖縄に行った時の飛行機や写真も見せた。

「…人が空を飛ぶのか…。」

アシリパが目を輝かせているのが分かる。感嘆の声がもれていた。またお嬢様とか勘違いされたら困るので、念のため一般庶民だと言っておく。飛行機に乗るのも普通の事だと、そう伝えると杉元が素朴な疑問をぶつけてくる。
 
「未来の人間は空を飛ぶだけでなく、時間も行き来るのか?」

そんな事がありえるのか?と期待を含んだ視線を感じるが、それには大きく首をよこに振った。

「いえ、無理です。ブラックホールと相対性理論の研究があるのは聞いたことがありますが、実際に時間を行き来できた人も物もないです。もっと未来なら出来るようになるかもしれませんが、それも夢物語の話ですね。だから突然、時代を遡ってしまった事に私自身が戸惑っています。」

狙ってやったわけではないから困ってることを伝えると、杉元はわかってくれたようだ。

「なるほどね…。俺がいきなり戦国時代に飛ばされたら訳が分からなくなるだろうしな。格好がおかしかったり、時々意味の分からない事を言うのはこの時代の人間じゃなかったからか。」

「そういうことですね。」

本気で信じてくれたのかは分からないが、私に感じた違和感に納得してくれたようだった。アシリパも不思議なものだと何度も目を丸くしていた。

「今後はどうするか…展望はあるのか?」

「戻る方法を模索しながら、野垂れ死にしないようにしたいですね。とりあえずは。」

妥当だな、と杉元が微笑む。アシリパも生きていくのが大事だ、と大きく頷いた。囲炉裏の炭は小さくなり、火もだんだんと弱くなってきた。話もひと段落ついた事だし、そろそろ寝ようということで皆、横になった。私はバックパックからいそいそと寝袋を出してチャックを開いて三人の掛け布団にした。杉元、アシリパ、私の順で川の字になる。冷えないようにくっついて寝るため、アシリパの体温がじんわり伝わってくる。

「…あったかい。夢じゃないんだな…。」

私が独り言のように小さく呟くと、アシリパが振り返って私を抱きしめた。

「ここは私達が懸命に生きている現実だ。このコタンは皆、優しいから、結城に生きる術を教えてくれる。安心しろ。」

小さな少女の言葉はなによりも温かく、思わず涙が滲んだ。大きく包んでくれる彼女に、私は甘えながら瞳を閉じた。

ーーーー

次の日の朝、アシリパがコタンの近くの清流に連れて行ってくれた。エゾハナカジカという魚の取り方と罠を教えてくれる。罠を開けると大量にかかったカジカが入っていた。さっそく捌くことになったので、サバイバルナイフを取り出した。杉元は小刀も銃剣も忘れたらしく、アシリパに怒鳴られながら村へと走っていった。

「カジカは下顎にまずマキリを入れて、腹から顎にかけて切り裂く。エラと内臓をとったら後はぶつ切りだ。頭を切るときはマキリの背を使え。」

アシリパに教えられながらカジカを捌いていく。見た目は悪い魚だが、鍋壊しと呼ばれるほど美味しいらしい。研いでいたナイフでザクザクと切っていった。

「結城は覚えがいいし、捌くのも慣れてるな。山の中で生きてたのか?」

「都市部で普通に働いてましたよ。祖父がマタギだったのと、趣味で射撃や狩猟をやってたのが大きいですね。」

アシリパが感心しながら褒めてくれる。子供の頃から休みの日は森に篭っていたのが良かったのだろう。自衛隊やレンジャー上がりの人達とサバゲーや山籠りもやっていたので杉元やアシリパについていく体力もなんとかある。

「コタンの女達に刺繍や手仕事を習うより、私と共に山の中で生きる方が結城には合ってそうだな。」

アシリパが嬉しそうに笑った。基本、女は家で作業をするもので、山にいくのはアシリパぐらいだそうだ。同じように山が好きな仲間ができて嬉しいんだろう。

「ただ…アイヌでは立派な刺繍や織物が出来る者が男に好かれる。コタンに住んでも私のように結婚は出来ないから、家族を持ちたいなら山の中にはいないほうがいいな。」

アシリパが少し悲しそうに忠告してくれた。男と女の役割がはっきり分かれているのはこの時代だからだろう。見た目や性格ではなく、女としての仕事をどれだけ出来るかが嫁入りに重要なのも、生きるために仕方がないのかもしれない。

「これから先、お互い相手が見つからなかったら、二人で生きていくのも楽しそうですね。」

私がそう言うと、アシリパは嬉しそうに目を細めて頷いた。新しくていいな!と彼女はご機嫌で鼻歌を歌っている。二人でカジカを捌き終える頃に、ようやく杉元が戻ってきた。アシリパは彼にブーブー言いながら、荷物を持たせてコタンに帰ることにした。

根菜類がたくさん入ったカジカのキナオハウをフチが作ってくれる。出汁が濃厚でシンプルな味付けながら、本当に美味しい。冬の川で冷えた体がじんわりと溶けていくように温まるのを感じた。味噌を入れようとする杉元をアシリパがストゥという棒で制裁を入れるのを横目で見ながら、何杯もおかわりしていた。

夜が明け、また朝から三人で狩りに出かける。今日はカワウソをとって剥ぐやり方を教えてもらった。アシリパは私が一人でも生きていけるように、丁寧に見せながら指導してくれる。きっと父親からも同じようにしてもらったんだろう。カワウソのオハウを食べた後、杉元とアシリパが子供達と遊び始めた。

「銃が欲しいから、こないだ死んだ兵士の荷物を漁ってきます。」
 
二人に一言告げて、山の中に入って行った。今、持っている拳銃やライフルは極力使いたくない。でも狩りには銃か弓矢が必要だった。アシリパのように弓矢を扱うには高い練度が求められる。まだお金を貯めれば比較的に手に入る、この時代の銃を扱うほうが良いとの結論に達したのだ。杉元も銃を使うし、扱い方を教えてもらおう。そう思った私は、3人全部の遺留品を漁って、銃や弾薬、小刀や携帯食、包帯や薬などあらゆるものを詰め込んで持って帰ってきた。

「弾ありがとな。これから必要になるから助かる。」

杉元に多めに渡すと喜んでくれた。杉元はアシリパを目で追いながらどこか遠い目をしていた。彼が何を考えているか夜に詳しく聞こうかと思っていたが、疲れてしまった私はアシリパと一緒に早々と床についてしまった。

「アシリパさんはお婆ちゃんに愛されてるんだな。村のみんなにも。」

喋り声が聞こえる。ただ眠気には勝てずに私は意識を手放した。

朝目覚めると、杉元はもう居なかった。荷物も全部持って外に出て行っている。何も聞かされてない私とアシリパは戸惑った。

「……杉元さんがいなくなったのって、軍人に追われてたのと関係ある?」

「…知らん。私も目的があって一緒にいたんだ。危険も承知の上だ。それなのに杉元の奴…許せん!黙って出ていくなんて…ストゥで後頭部を殴らなければ気がすまない。」

アシリパは大きく頬を膨らませて怒っていた。これまで一緒に過ごしておいて一言もないのは彼女が怒っても仕方がない。なんて薄情な奴だ。アシリパは山に杉元を探しにいくと言ったので、私も手伝うと申し出る。彼女は眉を顰めて私に告げた。

「これは私と杉元の問題だ。結城を巻き込みたくないから、何故兵士たちに追われていたのかをお前には教えなかった。だから結城は刺繍でも習ってコタンで待っていてくれ。」

「私がそういった細かい手仕事が苦手なの、アシリパさんは知ってるじゃないですか。今日は一緒に狩りに行けなさそうだし、小樽にこの時代について情報収集に行ってきます。もし杉元さんを見かけたらついでに連れて帰ってきますね。」
 
私があくまで自分の用事のついでだと念を押すと、アシリパさんは苦笑いしながら頷いてくれた。また、夜にコタンに戻ってくる事を約束して、早朝に私達は別れたのだった。


PREV | TOP | NEXT
HOME

コメント
前はありません次はありません