スチェンカと煙

エノノカから聞いた情報を元にアシリパの捜索を始める私達。鯉登少尉が歩くのが嫌な為、対価を払いエノノカの犬橇でアシリパが尋ねてきたという村へと運んでもらう事になった。杉元と谷垣のソリにエノノカとチカパシが乗り、ヘンケのソリに私と第七師団の二人が乗る。ヘンケの後ろに座った私はしっかりとヘンケの腰を掴み、後ろについた鯉登も私の腰に手をまわしてくる。

「この女…細いし何だか柔らかいぞ!どういう事だ月島ァ!」

「女人とはそういうものです。変に距離をあけようとしないで下さい。私がはみ出ます。」

背後でギャーギャー騒ぎ始める鯉登と宥める月島。指の先で腹を掴んでくるためゾワゾワして仕方がない。

「良い加減にして下さい。ただ一緒に座るだけじゃないですか。落とされないようにちゃんと掴んで下さい。」

私がぐるっと振り返ると、モシンナガンとSIGM400の銃身が鯉登の頭にぶつかった。重い音が響くと、痛かったようでおでこを抑えてうずくまっている。

「二挺も小銃を肩にからった状態でブンブンと振り回すな、七瀬結城!」

「ああ、ごめんなさい。最後尾にいる事が多かったもので忘れていました。」

私は鯉登に謝ると、これ以上騒がれるのは面倒なので一度降りてから月島の後ろに座り直した。ぐっと身体で押して前に詰めてもらう。

「はい。これでいいですか?」

私より少しだけ身長が低い月島を後ろからしっかりと抱きしめる。コートの上からでも筋肉がとてもゴツゴツしてるのが分かった。

「… 七瀬、人の身体をまさぐらないでもらえるか。」

「凄い筋肉だったものでつい。」

「恥じらいのかけらもない破廉恥な女だ。堅物の月島軍曹を落とせると思うなよ!?」

何故か月島ではなく鯉登が睨んでくる。私はハイハイと適当に答えて、月島の腰をしっかりも持って滑板に足をかけた。真っ白な雪の世界をどんどん滑っていく。犬達のお陰であっという間に村へとたどり着いた。

アシリパ達が聞いてきて、立ち寄った可能性が高い村はとても閑静な村だった。酒場は一つしかない。

「のどかな農村だと思って気を抜くな。南樺太にはロシア人の監獄がいくつかあったが…日露戦争で日本領になると閉鎖された。では囚人はどこへ消えたのか、日本軍が上陸したどさくさで殆どが逃げた。」

月島の言葉に空気が張り詰める。私は酒場に入らず、外で銃を持って待機することになった。寒いし、正直暇なので拳銃をクルクル回して時間を潰す。少し待つと鼻血を出した杉元が出てきた。

「…なんでこの一瞬で殴り合いになってるんですか…。」

「酔っ払いが絡んできただけだ。酒場はダメだから近所へ聞き込みにいくぞ。」

フンッ鼻を摘んで鼻血を飛ばす杉元に私は呆れながら手拭いを渡した。血の気が多くて困る。仕方がないので別の場所で情報を集めるため、民家へと歩いているとエノノカが叫びながら走ってきた。

「イ……イヌ盗られた!!」

「えーッ!?」

おしゃべりなロシア人と話している間に、イソホセタというリーダー犬の紐を切られてしまったらしい。家族を盗まれて落ち込むヘンケとエノノカ。彼女達に話しかけてきたロシア人を探そうとすると、向こうから呼びにきた。

「Если хотите назад свою собаку , выходите драться стенка на стенку !」

酒場の男が私達に向かって強い口調で言うが、何と言っているのか分からない。早く翻訳してくれとでも言うように私と鯉登が月島を見た。

「どうやら杉元が殴り倒した男はなにか賭け事の参加者でこんなに目が腫れていては出られないから責任取れと言っています。店の主人はこいつに大金をかけていたらしいですね。…で犬を返して欲しければこいつの代わりに参加しろと言っています。」

月島が翻訳してくれるが、盗人猛々しいったらありゃしない。偉そうな店主の態度に皆、ブチ切れている。

「いいからさっさと犬返せ。店ごと潰して宗谷海峡に浮かべるぞこの野郎、伝えろ月島軍曹。」

「あの犬は私が高いエサ代を出して雇っている。すぐに返さんとそのパヤパヤ頭を三枚おろしにして犬の餌にする、とロシア語で伝えろ月島軍曹。」

「難しい表現の翻訳は出来ません。」

キレた杉元と鯉登が月島に翻訳を頼むが、月島は無表情で淡々と断る。

「……スーカ!ブリャッ……ムグ。」

「そんな汚い言葉をどこで覚えたんだ!また殴り合いなるぞ!」

私がfucking bitchと同じ意味のロシア語を思わず口に出すと、これ以上喋らないように月島に口を抑えられた。ロシアの男が立ちあがろうとしたが、なんとか踏みとどまったようで座り直した後、何か月島に話しかけた。月島の顔色がサッと変わる。

「我々が探していた男……つまりキロランケたちは『北海道から来た刺青の男を探していた』……と。」

刺青人皮の情報に皆がざわめきだす。キロランケ達がこの村に寄った理由が分かった。脱獄囚である刺青の男がスチェンカに来るかもしれないという事で、私達はスチェンカの場所に行くことになった。

「くううッなんてぇ熱気と…男共の匂いだ…!スチェンカとは一体…?」

大きい小屋で行われていたのは裸の男達が四対四で殴り合う、喧嘩賭博だった。独特の強烈な匂いに頭がくらっとする。私は杉元達と離れてカウンターに酒を貰いにいった。出された酒は普段飲む15度の醸造酒ではなく、40度を超える蒸留酒のウォッカである。

「…これ、割らないんですか?そのまま?」

「そのまま飲むのが普通だからね。割材は用意して無いよ。アンタもスチェンカで賭けるんなら金だしな。」

豊原や大泊からくる日本人客のために日本語ができる店員がいるのは有り難いが、酒はロシア基準らしい。私はグッと酒を煽ると、三十円を杉元に賭けた。

「こんな大金を日本人に賭けるなんて馬鹿だね。負けても知らないよ。」

「倍率高そうだから賭け得じゃないですか。体格は違いますが、杉元さんは喧嘩じゃ負けませんから。」

私が酒を飲み、金を賭け、リングの方に戻ると何故か杉元だけじゃなく鯉登や月島、谷垣も出る事になっていた。日本人を馬鹿にされ悔しかったらしい。幾つになっても男の子だなぁと思いながら、彼らからコートを受け取った。

「かっこいいとこ、見せてくださいね。」

「ああ、もちろんだ。」

私が杉元に拳を掲げると、同じように拳を上げてコツンとぶつけてくれた。全員が出揃うと、歓声や野次が飛び交い始める。

「Бей иx!」

「やっちまえ!日本の兵隊さん!」

「Бей японцев!」

日本人客は杉元達を応援してくれているようだが、ロシア人の声の方が大きく、熱が違う。

「Bнимaинe!Бей!」

開始の合図と共に、全員が一斉に構える。最初に動いたのは鯉登で、目の前の男の顎にストレートを叩き込んだ。強烈な一発に顎と一緒に脳も揺れたのだろう。ロシア人の男は倒れ込んだ。

「ハラショー!!鯉登さん最高ー!!」

鯉登に続いて杉元が自分の対戦相手をタコ殴りにする。谷垣は顔にパンチを正面から喰らうが、ビクともせずに上から拳を振り下ろして敵をダウンさせた。一番体格が小さく、不利に思われた月島は華麗に相手のパンチを避ける。そしてフックで相手の横腹を綺麗に抉った。

「うおおおッ強いぞ!日本の兵隊さん強いッ!!」

「そのままのせーー!」

一気飲みしたウォッカがまわってきた私は取り囲む木の塀に足をかけて大きく声を上げた。立ちあがろうとするロシア人を右ストレートでのす月島。最後に杉元がアッパーで決めると、日本陸軍の四人が圧倒的な勝利を勝ち取った。

「ウラーー!!皆さん流石です!!信じてましたよ!」

「おおおお!すげえッ!勝ったぞ日本軍ッ!」

負けると思われていた日本人がロシア人をボコボコにしたので観客達も湧いている。戻ってきた皆とハンドシェイクをしようと片方ずつハイタッチをし、腕をぶつけ、肘で小突き、両手の拳を突き合わせた。戸惑いながらも皆付き合ってくれる。私はホクホク顔で賭けに勝ったお金を受け取りに行った。

「勝っちまうとは予想外だったよ。分け前だ、受け取りな。」

「うふふ、ありがとうございます。イイ男達ですよね。」

杉元達が勝った祝いにもう一杯ウォッカを頼むと、一気に喉まで流し込みその場を去った。喉は焼けるほどに熱いが、気分は最高だ。その晩は勝ったお金で宿の一室を借り、皆で雑魚寝をする事になった。

「月島さん、前面にはたくさん傷があるのに背中には一切ないんですね。剣士みたいで格好いいです。」

「…たまたまだ。」

寝る準備をしながら月島に声をかけるが、彼の返答は出来る男そのものだ。ひゅー!かっけー!と心の中で呟くと私は杉元に向き直り、今度は彼に話しかけた。

「は〜いいですね〜シックスパック…。私も欲しいです。見てくださいよこのお腹!どれだけ鍛えても薄ら割れるのが限界で、腹直筋も腹斜筋もくっきり出ないんですよ!どうしたら良いんですか!?」

「ちょっと、結城さん!お腹を出すのはやめなさい!」

酔っ払った私が絡み出すと必死で杉元に止められた。鯉登からは軽蔑した目で見られている。

「何てはしたない女だ。貴様は最低限の慎みも知らんのか。」

「アハハ、可愛い坊っちゃまですね〜。腰を掴んだだけで顔真っ赤にしてたのに、本当に初心ですね。」

私がケラケラと笑うと、鯉登が怒ったようで私に対して喧嘩をふっかけてきた。

「女と言うには世間一般の女に失礼だったか?背もデカいし、服装も男物、髪の毛も適当にしか結っておらず、小銃二挺を持てるほどの熊だものな。」

身長は150台なので現代的に考えたら平均か少し小さい方なので、デカいと言われるとは思わなかった。私は顔を赤くしながら鯉登に抗議する。

「えー?銃を扱うにはこのぐらいの背丈は必要でしょう?着物から男物の洋装に戻したのは北海道より遥かに寒い樺太ではこっちのほうがいいからですよー。」

優しい杉元が横でうんうん、と首を縦に振ってくれる。しかし、次の言葉で杉元も鯉登も固まってしまった。

「髪の毛は尾形さんがずっと結ってくれてたので、一人でやるのに慣れてないだけです。」

「は…?尾形が?」

杉元がポカンと大きな口をあけて呟く。何度も自分でやろうとしたが見てられなかった尾形が毎朝結ってくれていた。そういえば早く起きていた私達の姿を見る人もいなかったし、誰にも言ってなかったようだ。

「…尾形百之助にそんな甲斐甲斐しい所があるとは知らなかったぞ。あの性格の悪い男をどうやって誑かしたんだが。」

「誑かしたって何ですか?あんな歪んで捻じ曲がってる奴にそんなことするわけないでしょうが!」

鯉登の随分な物言いに、私はヒクッとしゃくりをあげながらも反論する。すると杉元が呆れながら呟いた。

「性格が悪いのは同意なんだな…。」

「ほら、もうそろそろ静かにして下さい。チカパシやエノノカ達が眠ったので無駄話してないで私達も寝ますよ。」

月島が引率の先生のように私達をけしかけ、横にさせられた。私は杉元の隣で寝ようとすると、彼が私を見つめて口を開く。

「…髪の毛、俺がやろうか?」

「……いいえ、大丈夫ですよー。いずれにせよ自分で出来る様にならなきゃいけなかったですから…。」

私は彼の気遣いに感謝しながらにっこりと笑って断る。すると杉元はどこか悲しそうに暗い色が表情を染めた。

「結城さんが尾形とそんなに仲が良かったとは知らなかった…。」

「ただ一緒にいる時間が長かっただけの腐れ縁ですよ。もう敵ですから!ぶっ倒しますから!そんな顔しないでください。」

自分を殺そうとした男と仲間が親密だったのは確かに気分が悪いだろう。杉元の不安を取り除くように尾形は倒すべき相手で私達の敵だと念を押すと、安心したように眠りについた。

ーーーー

次の日、犬を返してもらおうと酒場に行くと店主がふてぶてしく私達に言い放つ。

「『日本兵の話はすぐに広まった。刺青の男に勝てる奴らが現れたと噂になってる。刺青の男は今夜のスチェンカに出る。大勢がお前らの勝ちに賭ける。お前らがワザと負けてくれれば俺は大勝ちできる』と言っている。」

空気が凍りついた。杉元の周りには不穏な気配が漂っている。エノノカやヘンケは焦り、代わりにチカパシが犬を返す約束について話すが、八百長が終わったら返すと言っている。その言葉にキレた杉元がついに店主掴み、髪の毛をむしり始めた。

「Aaaaaa!」

店主の悲鳴を無視して、皆が彼の処遇を話し合い始めた。北海道アイヌは鼻や耳を削ぐが樺太アイヌは指を切るらしい。

「月島軍曹、このあとの我々の予定をこいつに伝えろ。まず犬を返すまでお前の指を切り落としていく。お前を裏庭に埋めたあと、我々スチェンカの会場に行き刺青の男を確認する。スチェンカはやらずに男を森へ連行し、射殺して皮を剥ぐ。」

「指切るまでは良いとしてもそのまま殺すのはやりすぎじゃないですか?」

淡々と残酷な事を口にする鯉登に思わず突っ込むが、逆に貴様は馬鹿かと言い返されてしまう。

「変に生かしてこの村の奴らに追いかけられたり戦闘になるほうが厄介だろう?」

日本語でしか会話していないがあまりの不穏な雰囲気に店主がロシア語で叫んだ。キロランケの情報があると言っているようだが、そんなことお構いなく鯉登が鞘からサーベルを抜く。

「人差し指からだ。手を押さえてろ月島。」

銃で人を殺すようになったとはいえ、人が死ぬのは見ていて気持ちいいものじゃない。特に痛そうな拷問は直視できない私は顔を背けて目を覆った。しかし、店主の悲鳴は私の耳に入ってこない。

「ちょっと待った。本当に何か知っているのかもしれない。」

入ってきたのは杉元の声だ。

「この場を逃れたい一心で出まかせを言っているに決まっている。」

「こいつの口車に乗ってまた『賭けスチェンカ』なんぞ時間と労力の無駄だ。」

「杉元らしくないな。もっと合理的な奴だと思っていたが。」

鯉登、月島、谷垣が続けて杉元に対して口を開いた。エノノカも何で早く指を切らないのかと困っている。

「ごめんなエノノカちゃん。でも…アシリパさんの行方に繋がる情報として万にひとつでも可能性があるなら俺は無視なんて出来ない。」

その杉元の一言で、抑えられていた店主は解放され、四人の男達は今夜もスチェンカに出ることが決まった。鯉登はぶつくさ文句を言い、月島と谷垣は大きなため息を吐いていたが、それぞれが覚悟を決めたようだ。

夜になるまでそれぞれが自由に過ごしている。私は商店で見つけた葉巻を買って、一人でふかしながら煙で輪っかを作ったりして物思いに耽っていた。

「…はー…昼間からお酒が飲みたくなるなぁ…。」

「… 結城さんって煙草吸うんだ。」

急に背後から現れた杉元に驚いて灰を落としてしまった。私は急いでナイフを取り出して葉巻の先端を切り落とし、息を吹き込んで中の煙を追い出す。

「そんなに慌てて消すことないのに。」

「いやだって、皆さん明治の人間なのに全然煙草吸わないじゃないですか。嫌いなのかなと思って。」

町に出れば賭場でも飯屋でも道だろうとどこでも喫煙者を見かけるのに、杉元達は煙草を持ってるのも見たことがない。

「嫌いじゃないけど、お金を払って買うほどじゃないだけだよ。結城さんが煙草吸ってるとこ見たことなかったけど、本当は好きなの?」

「久々に見かけて買っただけで、ただの暇つぶしです。紙タバコはむせるので普段は吸いませんよ。」

私はそう言いながら処理した葉巻を袋に仕舞い込んだ。煙のかわりに私は白い息を吐く。

「煙を見るとキロランケさんを思い出してしまってダメですね。」

「… 結城さんは優しいからね。巻き込んでしまったけど、本当は血を見るのも死体を見るのも苦手だろ。さっきの店主の指を切ろうとした時だって目を逸らしてた。…だから結城さんはたまに狩りを楽しむぐらいで毎日平和に過ごすべき人間なんだよ。」

杉元は悲しそうに目を細めて笑った。優しいという言葉で突き放されている感じがする。そもそもそんな顔しないでほしい。

「…元々、人を殺すのが好きな人はいないでしょう?私は優しいんじゃなくて弱いだけです。だから切り替えれてないのも、適応できていないのも私の心の弱さですよ。」

「しなくていい。こんな血と暴力に慣れなくて良いんだよ。」

「でも杉元さんは慣れざるを得なかったじゃないですか。戦争とはそういうものでしょう?私はこの旅の中で、少しでも杉元さんを理解したいと思ってます。寄り添いたいですよ。」

私の言葉に杉元は目を大きく開いたあと、嬉しそうな悲しそうな複雑な顔になったかと思うと、顔を顰めて首を横に振った。

「ほら、ずっと外に出てると身体が冷える。スチェンカが始まる前に早めにメシでも食べよう。」

杉元は話を流すように私の背中をポンと叩く。私はこれ以上は何も言わずに、彼の後ろをついて行った。


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