陽が落ちて暗くなっていくと共に、スチェンカ小屋が賑わっていく。今夜は刺青の男が出ると噂を聞きつけ、近隣の村や豊原や大泊、いろんな場所から観客が集まっていた。昨日以上の熱気にあたりが包まれている。
「おい、あんた、今日は日本のイイ男達には賭けないのかい?」
酒と賭け金を取り仕切っている店員に声をかけられる。昨日、杉元達に賭けて大勝ちしたのだから今日も賭けると思っていたのだろう。私は首を横に振った。
「皆さんが帝国陸軍の四人に賭けてるから倍率良くないでしょ?だからと言って刺青の男に賭ける気もないので今日は昨日以上にお酒を頂きますよ。」
「金を落としてくれるのは助かるが、昨晩より良い試合になるだろうに、前で観戦しないんだね。」
店員がウォッカをグラスに注ぎながら尋ねてくる。私は苦笑いをしながら酒に口をつけた。
「お金賭けてないのに前に割り込めませんよ。そもそも押し合いへし合いですからね。今日は遠くからゆっくり楽しみます。」
「そうかい、ならコレで好きに飲みな、塩とコケモモのジュースだ。」
私は有り難くコケモモのジュースを貰ってウォッカを割り、塩を舐めながら酒を飲み始めた。飲みやすくなったウォッカに舌鼓しながら杉元達の様子を伺っていると、ついに刺青の男が登場する。その男は昨晩スチェンカ後に杉元が話していた岩息という男だった。
「…殺して刺青を剥ぐよりも、直接拳で戦いたかったんですね。杉元さんも男の子だなぁ。」
八百長で負ける気がなさそうな四人を見て嬉しくなった私はゴクゴクと酒を胃に流し込んだ。観客のボルテージも上がり、既に沢山の野次がとんでいる。
「Bнимaинe!Бей!」
開始の合図と共に戦いの火蓋が落ちた。その瞬間、岩息が杉元のお腹に強烈なパンチを打ち込む。杉元は吹き飛ばされ、柵の一部が破壊される音がした。だが、すぐさま立ち上がった杉元が右ストレートで岩息の顔をえぐる。
「いけー!!日本軍ー!!!」
「お前らに賭けたぞ!兵隊さん!!!」
歓声や試合をツマミにどんどん飲んでいく。この後、刺青人皮を手に入れる為に男と戦う可能性なども頭からすっ飛んでしまっており、私は酒に溺れていた。酒が美味いから致し方ない。杉元が岩息にボコボコに殴られているが膝をつきそうになっては立ち上がっている。谷垣や月島、鯉登は目の前の男を殴り倒し、残るは刺青の男ただ一人になった。
「四人同時に殴ってきて欲しい!」
岩息の声が会場に響いた。とんだバトルジャンキーである。四人が同時に岩息をタコ殴りにするが彼は喜ぶばかりで、最後には全員吹き飛ばしてしまった。まるでザンギエフのダブルラリアットである。ゲームの主人公の様な強さに私は思わず笑いながら拍手した。酒もすすむ、すすむ。岩息に賭けた男達も喜んで声を上げている。あまりの強さに皆が惚ける中、杉元が一人立ち上がった。
そして、反則技である足を使って回し蹴りをした。
「え…?」
誰もが頭にハテナが浮かび上がり、時が止まる。状況を理解した頃には会場全体からブーイングが飛び交っていた。賭けていたのに無効試合になってしまうんだからギャラリーからしたら溜まったもんじゃない。止めようとする谷垣、月島、鯉登に対しても殴り始める。暴走する杉元に怒ったギャラリーが柵の中に雪崩れるように入っていった。
「ひゃーっ乱闘だー!!ヒクッ…。」
私は無くなったコケモモジュースの瓶を横に置いて、ケラケラと笑いながらウォッカをストレートで一気飲みする。杉元が観客など近づいてくるもの全てをボコボコにしていると、それにつられてか何故か観客同士でも殴り合いが始まった。
「がふッ…!」
酒を飲んでいるだけだった私にもロシア人の拳が飛んできた。左ストレートで顎を殴られ、顎と一緒に脳がガンガンと揺れる。大量の飲酒と殴られた衝撃で強烈な吐き気が襲い、思わず戻してしまった。
「ゔえぇゔ……気持ちわるっ……。」
会場では杉元が鎌やハンマーで暴れ始めたようで、悲鳴が聞こえる。さっきまで乱闘していた男達も蜘蛛の子を散らすように外に逃げてしまった。私は頭がぐらぐらしていて、まだ動けずにいる。銃を支えに必死で起き上がると、ゆっくり杉元達を追いかけ始めた。
「あ"ー…のみ"すぎた…。」
吐いたものの、胃はムカムカしているし、頭も変わらず痛い。フラフラになりながらもなんとか足跡を追うと、ポツンと佇む小屋に行き着いた。入口をグズリがガリガリしている。私はすぐにモシンナガンを構えてグズリを狙い、発砲した。しかし目眩が激しく視界が何重にも重なっていたからだろうか、銃弾はグズリの身体ではなく尻尾を貫いた。
「ああ"ー!?なんでえ"ー!?」
怒ったグズリが私に襲いかかる。急いでリロードしようとするが間に合わない。私は銃床でグズリを殴ると、小屋へと駆け込んだ。
「…はぁ…はぁ……あれ?」
小屋の中には裸の谷垣、鯉登、月島、そして刺青の男の岩息がいた。いや、何で裸?と思って一歩進むと、強烈な熱風に襲われる。高温サウナに防寒着のまま入ってしまった私はあまりの暑さに酔いが回り、再び目眩と吐き気が襲い始めた。
「七瀬結城!!よく来た!!銃を寄越せ!」
「…あ…はい…どう…ゔえっ。」
銃を鯉登に渡そうとするが、気持ち悪くなって先に倒れてしまった。それと一緒に水が入った桶も倒してしまい、モシンナガンに大量の水がかかってしまう。
「おい!たわけ!!水に濡れたら使えないではないか!!」
鯉登の叫び声が響いた。暑さと酒にやられている私の頭には彼の声が鐘のようにガンガンと鳴って痛い。
「二挺持っていただろう!もう一挺はどうした!?」
「…や…宿に…荷物と一緒に預けて……ま…す…。」
「この阿呆!!何のためにいつも二挺からっておったのだ!役立たずめ!」
怒る鯉登に何も言う体力が残っておらず、私はそのまま蒸し風呂の床でくたばった。死ぬな!と谷垣の声がうっすら聞こえる。
「結城!すまない!そのままの格好だったら暑さで死ぬ!服を脱がすぞ!」
谷垣が私のダウンコートやニット、シャツ、肌着、ボトム、靴下などを脱がしていく。ブラジャーとパンツだけは残してくれたらしい。されるがままの私に谷垣が水をぶっかけた。少し生き返った気がする。
「あ"ーっ…。」
ようやく起き上がった私に皆の視線が集まる。まだ意識が朦朧としている私は、ただ、壁に寄りかかりながら座りこんで呼吸を整えた。
「酒で脱水になってるはずだ。水をたくさん飲め。」
谷垣が介抱してくれる。有り難く水をゴクゴクと飲んでいると、岩息が熱された石に水をかけ蒸気を発生させ始めた。そして、ヴェニクという白樺の葉で皆を叩き始める。
「ヴェニクで叩くことにより血行が促進されると同時にッ、室内の空気をかき回す事で体感温度更に上げます!」
ロウリュウでもやっているような熱さが私達を襲った。流石に私は叩かれなかったが、それでも熱さのあまりに汗が止まらない。
「やめろッ!外にはグズリがいるんだぞ!」
「あんたら私を殺して刺青をひっぺがすのが目的だろう!さあ、誰が先に我慢できずにバーニャから飛び出すかな?」
岩息の言葉に、鯉登と月島と谷垣がヴェニクを持って岩息を叩き始めた。岩息はもっと!と何故か喜んでいる。私はそんな男四人を朦朧とした意識の中眺めながら、死なないようにひたすら水を胃の中に流し込んでいた。だが、流れ出る汗に水が追いつかない。男四人がヴェニクを振り回しているので、蒸し風呂の空気がかき回されてどんどん温度が上がっている。そろそろ本気で意識飛ぶかも…と最悪な想像が頭に浮かんだ。
そんな時、谷垣は外の様子に気付き蒸し風呂から飛び出す。グズリがエノノカとチカパシの方に走って行ったらしい。涼しい風が中に入ってくる。冷たい空気が肺に入り、生き返るようだ。暑さにやられていた私は、フラフラと匍匐前進で這いながら皆と一緒に外へと出た。
「俺の肩に捕まれ。」
あまりにみっともない姿に憐れになったようで、月島が肩を貸してくれた。彼の肩を借りてゆっくりと歩く。鯉登は私の姿を見ないように前を先に歩いていた。
グズリはチカパシと谷垣によって銃弾で倒れたが、杉元と岩息が再び殴り合いを始めた。
「……岩息さん…戦いながら勃起してる…。」
「やめなさい。そこは見なくてよろしい。」
月島に目を覆われてしまった。私を支える彼も、月島の隣にいる谷垣も鯉登も全裸なのだが、なぜ今更…と思いながら私は月島の手を退ける。
「助太刀すべきか?」
「とにかく止めるべきだッ!杉元はアシリパ奪還に必要だッ!これ以上殴らせるわけには…。」
鯉登が殴り合う二人を見て呟くと、谷垣が止めに入ろうと声をかけた。しかし、激しい殴り合いが続いており、止めようにも間に入りにくい。
「どうしてそんなに怒りを抱えている?誰に怒っているんだ?いったい何に怒っているんだ!!」
「梅ちゃん…寅次…アシ…アシリパさん…結城さんッ……。」
岩息の問いに我を失いながらも杉元が答えていく。
「オレ…俺ッ…俺ッ…俺は…役立たず…!!」
「許してやりなさい。頑張ってるじゃないですか、そんなボロボロになるまで。」
過去も今もどこまでも自分のせいだと抱えて、責めていたんだろう。吐き出した杉元に胸が締め付けられた。直後、杉元の右ストレートが岩息に綺麗に決まり、膝をつく。
「そこまでだッ!もうやめろ!!」
バリバリバリッ
谷垣が止めようと声をかけると、立っていた氷の地面が割れ、みんな湖に落ちてしまった。
「うひいいッ!冷てえッ!!」
「ごふッ……。」
皆が寒いと叫んでいるが、泳げない私は声出せずに沈んでいく。それぞれが這い上がってバーニャに戻ろうとするが、私は冷たい水をどんどん飲み込んで、もがくことさえできず真っ暗になった。
「…待てッ!結城さんは泳げない!」
一度、湖から這い出した杉元が私に気付いたようで、再び凍るほど冷たい湖に飛び込んだ。すごい速さで潜ってきて沈んだ私を抱えて浮上する。
「ぷはッ…すぐ気付かなくてごめんね!?大丈夫!?息できる??」
「ゲホ…ゲホッ…ゴホッ…ヒュー…ヒュー…。」
水を吐くがあまりの冷たさに肺が痛い、いや全身が凍るように痛い。私は杉元に抱えられたまま、蒸し風呂へと連れられた。感覚がなくなっていた指先がじんわりと温かくなる。紫色に染まっていた唇も少しずつ動かせるようになったきた。私の意識がようやくはっきり戻った頃には、岩息との話し合いが終わったらしく、杉元は晴れやかな顔をしていた。
「結城さん、やっと顔色が戻ったね。声は出せる?」
「あ"ー…ゴホッ…あーあー…大丈夫です。」
私は起き上がりながらゆっくり頷いた。身体の上にかけてあったダウンが落ちて、再び下着のみの露わな姿になる。
「えー…服も自分で着れる?」
杉元が顔を赤くして言った。既に下着姿も裸姿も彼には見られてるが、何度見てもやっぱり恥ずかしいんだろう。私は軽く脱水と貧血を起こしているので羞恥心なんて感じる暇はなく、落ちてる服をフラフラを拾い始めた。キエエエと変な声も聞こえるが無視する。
「珍しい褌と胸当てですな。ロシアのものですかな?」
「海外製ですが、ロシアのではないです。」
目を逸らしてくれている谷垣、月島、鯉登と違って堂々と凝視していた岩息が普通に話しかけてくるので、私もカーゴパンツを履きながら答える。それに反応したのは月島だった。
「どこで買ったんだ?」
「あー…アメリカだった気がしますよ。貰い物なので詳しい店は分かりません。」
本当は日本製だが、アメリカということにした。月島の声色から私を探ろうとしているのが分かったので、適当に濁しとかないと面倒くさい。
「私のことより、皆さんもちょっとはその凶暴なものを隠してくれませんか?何で全員勃起してるんですか。」
私がそう言うと、鯉登だけキエエエと叫んで自分のイチモツを手で隠した。顔も耳も首も真っ赤になっている。谷垣は何故か泣き始めた。
「男の生理現象なんだ…ッ!許せ…ッ!決してインカラマッに二心はない…ッ!!」
涙目の谷垣が一番デカくて凶暴で、下手したら死人が出るような立派なイチモツを持っていたので、インカラマッに対して同情と尊敬の念を持った。
「……インカラマッさんは凄いですね…よくそんなモノが入りましたね…。」
「やめてッ!見ないでッ!」
恥ずかしがる谷垣と何も気にしていない月島を横目に杉元がなんだか悲しい顔をしている。杉元のイチモツは確かに谷垣や岩息や月島と比べると貧相に見えるが、まあ一般的な大きさの範囲なんじゃないだろうか。周りがデカすぎるだけで、小さすぎるわけでも無いと思う。
「…杉元さん大丈夫ですよ。5センチ以上あれば性交も妊娠も出来ると聞いたことがあります。それにチンポは大きさじゃなくてどれだけ紳士かが大事だって、牛山さんも言ってたじゃないですか。」
「そんな優しい言葉をかけないで…!男の誇りの問題だから…っ。」
そう項垂れてしまった。これ以上杉元にかける言葉な何もないので、私はシャツのボタンを全部閉め終え、ニットを重ねて着た。会話を聞いていた鯉登がワナワナと震えている。
「七瀬結城!貴様、女の癖にチンポやら勃起やら下品だと思わんのか!!」
「え?わざわざ上品に振る舞う必要性もないじゃないですか。」
私はしゃがんで靴下と靴を履き直すと、立ち上がってパンパンとお尻を払った。
「信じられん!!月島!おなごとはこんなに卑俗的な生き物なのか!?」
「まあ…女人にも色んな人間がいるのでしょう。」
「着替えも終わりましたし、水飲みたいので先に外に出ますね。それでは。」
私はギャーギャー騒ぐ鯉登達を無視してダウンコートを手に持つと、扉に手をかけて外の冷たい風にあたり先に宿へと戻っていった。
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宿で再び新しい服に着替えて、夜食を作っているとバーニャを終えた杉元達も帰ってきた。スチェンカとバーニャで腹が減ったらしく、子供だけ先に寝かせた後、皆で夜食を囲んだ。
「深夜に食べるおじやは良いな。ヒンナだぜ。」
「沁みますよね〜…。ヒンナ、ヒンナ。」
鹿肉の干し肉をふやかして作った卵雑炊を、かきこんでいく。米を大泊で買っておいて良かった。明日の朝の出発に向けて精がつく。一瞬で食べ終えて箸をおいた月島が背嚢から紙と鉛筆を出して、さっそく岩息の刺青を写し始めた。
「フンッ!!フーンッ!!」
「おい、無駄に動くな、変な格好をするな、書きにくい。」
自分の肉体美をアピールしようと様々なポージングをする岩息を月島が宥める。せっかくなので全員で岩息の姿をデッサンしてみようという事になり、皆で鉛筆を持って書き始めた。誰が一番上手いか並べてみると、鯉登が一番綺麗に描けていて、次に月島、谷垣と私、そして最後は杉元だった。
「絵心のかけらも無いな。酷すぎる。」
「うるせえ!芸術家でもないのに描ける方がおかしいんだよ。」
鼻で笑いながら見下す鯉登と、反論する杉元。
「鯉登さんは何でそんなに上手なんですか?」
「士官学校の試験に自在画もあるからな。情報を伝える手段として、高価な機材が必要な写真よりも精密な絵が優先される時もある。将校として当然の教養だ。」
フフンとドヤ顔の鯉登少尉。杉元が青筋を立てていたので、喧嘩が始まる前に彼を止める準備をする。すると、月島がボソッと呟いた。
「必要な技術だと思いますよ。写真に映らない人間もいるらしいですから。」
私と杉元はその言葉にドキリと固まった。どこでその情報を手に入れたのだろう。月島がチラリとこちらを見る。杉元が「夜遅いし、もう寝よう」と切り出し、話を流してくれたのでこれ以上詮索される事はなかったが、私の心臓はバクバクと鳴っていた。