軽業や曲芸の時の演奏の打ち合わせや少女団との曲合わせが終わってひと段落した私は、杉元のハラキリショーの練習の見学をしていた。染料が入った仕掛け付きの日本刀でいかに自然に切腹するかを座長の山田がレクチャーし、杉元が実際にやってみる。
「南無阿弥陀仏ぁ!!」
「杉元さん、念仏を唱えるなら勇ましく日本刀を掲げるより死を覚悟して手を合わせましょう。」
「やめて!そんな辛気臭くしないでいいから!お数珠も要りませんよ!?」
ノリノリで念仏を叫ぶ杉元に私が突っ込むと、山田からストップがかかった。あくまでショーなので可哀想になる演出は避けたいらしい。
「では山田座長、念仏よりも祝詞はいかがですか?祓い給え、清め給えだったらお清めの水も違和感ないと思いますよ。」
「ああ、それなら自然で良いですね。杉元さんは祝詞を唱えながら水をかけてください。あ、『水が冷たい』って情報は別に客に伝えなくていいですから。」
チカパシが水を腕にかけると杉元が大袈裟に水が冷たいと大声で繰り返し始めたので、すぐさま山田座長が訂正する。杉元が焦らしながら、仕掛け付き日本刀で腕を引き血を流した。
「痛だだだだっ!!いっったーッ!ううううーッ痛だだッ!」
あまりに迫真の演技で痛がるので、本当に痛そうで見ていられなくなってきた。山田座長も若干引いている。
「痛いって言うのやめてぇ?お客さんの気が散りますからもっと格好良く優雅に振る舞って下さいよ。」
「こういうゆっくり引き裂く斬り方は痛えんだよ。刺されたりするのはすぐには痛くねえけど。」
杉元が顔に影を作りながら真剣な顔で答えた。実体験に基づきすぎて余計怖すぎる。これまで杉元がどれだけ痛い思いをしてきたのかを想像するだけで鳥肌が立つ。私と山田座長のアドバイスで痛いと叫ぶのはなんとかやめて貰えた。一旦、杉元の練習の通しが終わると座長の山田がコチラに振り返る。
「七瀬結城さん、少女団の踊りの時はこの手風琴を真ん中で演奏してくれませんか?貴女は鯉登音之進くんと同様に顔が整っていて華がありますから、ふりふりのドレスを着ればきっと人気が出ます!」
「え、嫌です。絶対にやりません。」
私は即答で断った。表舞台に出るのが嫌で演奏係に立候補したのに、ふりふりの衣装を着てセンターでアコーディオンを弾かされるなんて拷問にもほどがある。
「男性人気も獲得出来るかと思ったのに…残念ですよ。」
私と山田座長が問答をしていると、隣で一本竹上乗芸をしていた鯉登の方から女性の黄色い悲鳴が上がった。投げキッスを教えられて女性に向かってサービスしているらしい。
「鯉登音之進くんは見た目も貴公子で華があるなぁ…!樺太巡業は彼で話題が沸騰するぞ!」
山田座長が嬉しそうに胸を躍らせている。名残惜しそうに私にも視線を向けてくるが、当然のように無視した。
「いい加減にしろ鯉登少尉ッ!!お前は樺太公演には必要ないぞ!」
キャーキャー騒がれている鯉登に対して杉元が堪忍の尾が切れたように怒り出した。しかし鯉登が倍にして言い返す。
「文句があるなら実力で私の芸を凌駕すれば良いだろ。私に軽業を止めさせようとするのは…貴様の『血みどろハラキリ芸』に自信がない現れではないのか?その程度の気概で『この街に杉元の名前を轟かそう』など片腹痛いわ!」
杉元はぐぬぬと言い負かされてしまっていた。だからと言って鯉登がわざわざ目立たなくても良いだろうに。負けず嫌いの男が集まるとこうなるのかと呆れながら、私は持ち場へと戻っていった。
その後も練習で痛がりすぎなど注意ばかりされる杉元。落ち込んだ彼はジラフピアノの前に座っていた私の所にやってきた。
「はーっ…鯉登少尉が張り切るせいで面倒なことになったぜ。座長がロシアの新聞に乗ったように、俺も話題になれば良いんだが…。」
「普通にいけば軽業よりもハラキリショーの方がびっくりしますから安心して下さい。山田座長の時は警察まで来たんでしょう?杉元さんだって顔整ってますし、傷も含めてカッコいいんですから、山田座長の時よりもきっと話題になりますよ。」
私がそう慰めるように口にすると、杉元は嬉しそうな笑ってくれる。「本当に!?こんなにでっかい傷あるのに!?ちゃんと格好いい!?」と顔を赤くしながら乙女のように何度も聞くので、格好良い色男ですよと念を押しておいた。
「ねえ、月島軍曹に洋琴弾いてたけどさ、俺にも何か一曲弾いてくれない?田植え歌やトンヤレ節、儀式唱歌ぐらいしか聞いてこなかったからさ。」
「良いですけど…私には杉元さん達が慣れ親しんだ曲の方が珍しいのでまたトンヤレ節も教えて下さいよ?」
箪笥ピアノにもたれかかりながら曲をねだる杉元に私は苦笑いしながら答えた。練習に勤しむ彼を元気付けようとペダルに足をかける。有名な曲の方が良いだろうと、私は伴奏を弾きながら讃美歌を歌い始めた。
「Amazing grace how sweet the sound…That saved a wretch like me. I once was lost but now I am found…Was blind, but now I see…T'was Grace that taught...My heart to fear And Grace, my fears relieved.How precious did that grace appear...The hour I first believed…♪……」
一曲歌い終わって杉元のほうに顔を上げると何故かボロボロと大粒の涙を溢していた。杉元の後ろにはいつのまにか鯉登と山田座長がいる。私は驚いてポケットに入っていた手拭いを杉元の鼻へと当てた。杉元は思い切り音を出しながら涙と鼻をかんでいる。
「…耶蘇のアメイジンググレイスか。父と行った陸海軍楽隊の公開演奏会で聞いたことがある。」
鯉登の言葉に私はへーと頷いた。明治から音楽隊があったのかと感心する。流石、急速に西洋化した時代だ。
「ズズーッ…神秘的だと思ったら基督教の曲なんだな…。日本語だとどんな歌詞なんだ…?」
「神は私のように悲惨な者でも救って下さり、恐れから解放して下さった。私が神を信じた時に、危険や苦しみ、誘惑を乗り越えて家にたどり着いた。一万年経っても太陽のように神への賛美を歌うだろう…みたいな歌詞です。」
私がそう簡単に訳すと杉元がまた泣き出した。神ぃいい…と唸っている。脳が欠け、アシリパが連れ去られてから情緒不安定になりやすいみたいだ。聞いていた鯉登が首を傾げている。
「だいぶ意訳してるな。」
「鯉登さんは英語分かるんですか?」
ロシア語が分かる月島と良い、尉官の鯉登もさすがに有能である。何でこんなエリート将校がサーカスなどをやっているのか摩訶不思議で仕方がない。
「外国語の専攻が英語だったから少しだけだが。…それより貴様の祈るような歌声は胸に響くな。銃を持つよりも今後は演歌師として生きていく方が良いのではないか?鹿鳴館はなくなったが、華族達や将校の夜会で人気が出ると思うぞ。」
鯉登がゆっくり拍手をしながら私にそう薦める。山田座長も大きく頷いて「公演でも歌いませんか?」と隙あらばステージに立たせようとしてくるのでキッパリ断るのも忘れない。
「横の繋がりが面倒そうな世界には関わりたくないので趣味で良いです。人前に出るのも苦手ですから。こうやってたまに身内だけに演奏したり歌ったりぐらいが私には合ってますよ。」
私が興味がないことを告げると鯉登と山田座長が顔を合わせながら勿体ない、勿体ないと呟きながら去って行った。残った杉元が鼻水と涙で濡れた手拭いをこちらに渡しながら目を細める。
「結城さんみたいな歌声は初めて聞いたから感動しちゃった。カムイを大事にしてるアシリパさんにも聞かせてあげたかったな。アイヌの考えとは違うかもしれないけど、アシリパさんはこういうの好きだろう?」
私は杉元に同意するようにキュッと口角を上げた。求婚し、求婚された仲だったが、恋よりも愛よりもアシリパが大事で、早くアシリパに会いたいという想いが同じな同志でもある。私達はアシリパを想いながら歌を歌った。目的を再確認し気合いを入れ直した杉元は意気揚々と練習へと戻っていった。
皆を見送った私は少女団の踊りと合わせようとフミエ先生の所へと赴く。しかし谷垣が踊れなすぎてまた中断していた。谷垣の様子を伺いに行くと紅子先輩と青春の一ページを送っている。毛むくじゃらの男が10歳前後の女の子達に慰められ、違和感なく馴染んで仲良くなっているのがあまりにもシュールだ。物置から真顔で覗いている月島もまた、何を考えているか分からなくてシュールだ。そんな月島を私はテントの影から無表情で見つめていた。
フミエ先生の所に戻り、汗を流しながら必死に生き生きと踊りを練習する谷垣と、顔色を変えずにむしろ死んだような目で淡々と踊りをこなす月島。宿に戻ってからも夜遅くまで谷垣が踊りの練習をしているので、流石に眠れないと杉元がキレた。
「明日の朝早くに会場に行って練習すればいいだろ!!早く寝ろ!!」
シュンと肩をすくめる谷垣と慰めるチカパシ。明日に備えてみんな大人しく布団に潜り込んだ。私も一度は布団に入る。そしてみんなの寝息が聞こえてきたのを確認してから、夜の豊原へと歩き出した。
ダウンコートを着て颯爽と賭場に入ると、毎度の如く荒らしまわる。せっかく都会に来たのだから賭け事をしなければうずうずして気が済まなかったのだ。ロシア人も入り混じる豊原ではトランプを使う賭場が多かったため、ブラックジャックやポーカーでひたすら勝ちまくった。
「…はい、ストレートフラッシュ。」
完全に調子に乗っていた私は女一人というのもすっかり忘れており、ついに賭場を回りながら煙草をつけている本出方に捕まる。
「ちょっとやり過ぎじゃないか?男の真似事したお嬢さん。上のものが呼んでるんで来てもらえますかね。」
やってしまったと焦った頃には既に腕を掴まれてしまっていた。これまでは尾形やキロランケなど用心棒がいたからよかったものの、女一人じゃ身包み剥がされ、遊女屋に落とされる可能性もある。顔面が蒼白になり、冷や汗が私の背中を伝った。明日は樺太公演の本番なのにどうするんだと大いに焦る。賭場の管理者である代貸の所に連れて行かれるその時、別の手が私の腕を掴んだ。
「こんな所で何をしている。帰るぞ。」
強い力に驚いて振り返るとそこには見知った顔があった。
「帝国陸軍のものだ。連れが邪魔をした。」
「…チッ。兵隊か…しかも軍曹殿かよ。次はねえからちゃんと飼い慣らしておけよ。」
月島の袖章を確認した本出方が舌打ちをしながら私の右腕を離した。私の左腕を掴んだままの月島に引き摺られながら外に出る。月島の早足は一歩が大きすぎて、私は走らないと追いつけない。
「ちょっとッ!早い!歩くの早すぎます!」
無言で歩く月島に息を切らしながら必死で訴えると、彼はぐるんとこちらに向き直り、鬼のような形相を見せた。
「俺が七瀬の跡をつけていなかったら酷い目に遭ってたぞ!乱暴され、襲われ、捨てられていてもおかしくない!女だという自覚はないのか!?」
「……ごめんなさい。」
平和ボケしていた私が完全に悪いので、平身低頭で謝る。しかし、幽霊や妖怪だと思ってる怪しい女に対して彼は何でこうも心配しているのだろう。
「死にたいのか?アシリパを救いたいんだろ?それなら鉄火場から足を洗え。そもそも女が行く場所じゃない。」
「お金は少しでもある方がいいじゃないですか。今回はやりすぎましたが…。そもそも月島さんが一挙手一投足を監視するほど怪しい女が乱暴されようが、死のうがどうでもいいでしょう。」
私に怒る月島に対して冷たく返す。優しさから言ってくれてるのは分かるが、干渉されたくは無い。
「貴女は得体がしれないし脅威でもあるが、戦略的価値があるかもしれない。」
その為に私を探ろうとしているのか。月島軍曹の背後に鶴見中尉が透けている。鶴見の毒牙が迫っているようで鳥肌が立った。物理的に離れているというのに、鶴見に常に見られているような感覚すら覚える。
「戦略的価値をアシリパさんの救出以外で見出すのはやめて下さいね。私は私自身を軍のために利用されるのは嫌なので、その時は躊躇せずに全部爆破して死ぬと鶴見中尉に告げてますよ。」
「……極端すぎる。」
急に物騒な事を言う私に月島が頭を抱えた。ここまで釘を刺しておかないと、雁字搦めになって第七師団から逃げられなくなりそうだからしょうがない。
「生き地獄だけは遠慮したいんです。上からの指示もあって大変でしょうがご理解下さい。」
額に八の字を寄せて溜息を吐く月島の手を取り、両手で包んできつく握手した。
「お礼が遅くなりましたが、先程は助けてくれてありがとうございました。樺太公演に出れなくなって皆さんに迷惑をかける所でした。心から感謝しています。」
喧嘩腰になってしまったが、賭場のゴタゴタから月島が助けてくれたのは事実だ。私は強く月島を握りしめたまま頭を下げて、そして微笑んだ。月島は目を丸くし何故かたじろいでいる。
「顔が良いあなた達はいつもそうだ。自信に満ち溢れ、相手がどうしたら操れるかを自然に知っている。」
「ええ…それ鶴見さんの事でしょう。普通に本心から出た言葉なので、謀略まみれの人たらしと一緒にするのやめて下さい。」
私を誰かと重ねたのか嫌な顔をする月島に私も嫌な顔をすると、月島がフッと笑った。珍しい彼の笑顔に何だか少し嬉しくなる。普段は無表情で任務を遂行するだけの冷淡な人に見えるが、無駄な殺生をせず、子供の安否を一番に考え、鯉登や谷垣や私など人の心配をせずにはいられない月島の人間くさい所を私は好きになっていた。
「私は月島さんの方が人たらしだと思いますけどね。」
「…は?」
疑問符を浮かべる月島に笑って手を振って宿の一室へと帰る。この人は上司や周りの人に好かれて苦労するだろうなと彼の事を哀れに思いながら杉元の隣で眠りについた。
ーーーー
翌朝、目が覚めると谷垣と杉元と鯉登は練習のために早めに会場に行ったらしく、既に姿がなかった。私と月島は顔を合わせて苦笑いしながらゆっくり朝ご飯を食べ、チカパシと共に遅れて会場入りをした。山田一座の噂が出回っていたのか、すごい賑わいだ。エノノカとヘンケも見に来ているらしい。『不死身の杉元ハラキリショー』という急ぎで作った暖簾が風に揺れている。
「さあさあ満員御礼だよ!みんな気を引き締めて行きましょうッ!」
舞台裏で山田座長が手を叩きながら叫んだ。みんな気合い十分なようで拳を握っている。
「樺太公演開幕だッ!」
大トリの杉元の声でみんなが持ち場へと移動した。ついに幕があがる。