謀略と純情

猛吹雪の翌朝。毛布に包まれながら微睡んでいると、外から杉元達が雪かきする声が聞こえてきた。昨晩の猛吹雪で大量の積雪があった為、早くから起きてロシア人夫婦を手伝っているらしい。キャッキャッと楽しそうだ。

「…痛っ…。」

私もそろそろ起きようと身体を起こすが、低体温症になったせいで筋肉が弱っているのか全身が痛い。肌もボロボロに乾燥しているようで服が擦れるたびにヒリヒリする。

「…はぁ…強い身体が羨ましい……。」

みんなの所に行くのは諦めてまず自分の身体のメンテナンスをする事にした。まずは凍傷になってしまった手足の治療から。手は真っ赤に腫れ、水疱が出来ていたようだった。所々、水疱が潰れて痛いので暫くは銃を握るのにも一苦労しそうなのが辛い。ただ、問題は足の指である。

「……ひぃー…グロすぎる……。」

靴下を脱いで見てみると、足の指の皮膚が黒くなっていた。部分的に壊死してしまっているのかもしれない。目を背けたくなるほど悲惨な足先に涙が出そうだ。

少しでも治したい私は行者ニンニクを煎じ、その汁を患部にかける。凍傷に効くとアシリパが教えてくれた知識だ。北海道では凍傷にならなかった私も、流石に樺太の寒さには勝てなかった。傷口に汁が沁みて痛いが歯を食いしばってして耐える。行者ニンニクの葉を巻き付けて乾くのを待った。

「あ、おはよう結城さん。身体の調子はどう?手伝えることある?」

鼻先を真っ赤にした杉元が戻ってきた。雪かきはまだ途中だが、私のことが心配になって見にきたらしい。

「痛むところはありますがなんとか動けそうです。手伝いは……背中に軟膏を塗るのだけお願いしても良いですか?」

私は熊の油と蓬で作っていた軟膏を杉元に渡して乾燥した身体に塗るように頼んだ。放置してこれ以上皮が剥けたり、爛れたり、悪化する方が困るので、恥ずかしいとか言ってられない。胸を隠しながら服を脱いで背中を見せると、戸惑いながらも杉元は軟膏を塗り始めた。

「……ボロボロでみっともないですよね。触らせて不快にさせたらごめんなさい。」

「いや、綺麗だよ。生きようと身体が必死に戦った証拠じゃん。その、好きな人の肌を前に緊張しただけ。」

後ろにいる杉元の表情は分からないが、気休めだとしても嬉しい。こんな身体の私をもう女として見れる訳がないだろうけど。私は杉元に礼を言うと返して貰った軟膏を残りの身体に塗り、服を着直す。落ち込んでいても仕方がない。死ななかっただけラッキーだ。

杉元は残りの雪かきや、簡易橇を作っているヘンケの所に行くそうだ。彼に手を振って、私はゆっくりとリハビリがてら部屋の中をぐるぐる歩き始めた。

台所に行くとエノノカとチカパシがロシア人の奥さんと料理を作っていた。手伝おうとするが、私の真っ赤な手を見て断られる。ペチカの上で寝てなさいと指示され、大人しくペチカの上でうとうとさせてもらった。

「結城!起きて!もうすぐご飯が出来るよ!」

1時間ほど経っただろうか。チカパシの声で目が覚める。ポカポカと温かったペチカから降りるが、まだ男達は帰ってきていない。足をならすために私が鯉登達を呼びに行くと手を上げて、外に出た。

足を引き摺りながら台のほうへと歩くと鯉登と月島の話し声が聞こえた。向こうはコチラに気づいていない。ふと二人だけで何を話しているのか気になって足を止めて身を隠して耳を澄ましてみた。

「難しいことを言うな!十分に優しくしているではないか!これ以上、七瀬にどう接しろというのだ!そもそも、月島が懐柔すれば良かっただろう!」

月島に対してプンプン怒っている鯉登。懐柔、という言葉でまだ月島が私を利用しようとしているのが分かって胸に冷たいものが広がる。

「私は彼女の荷物を暴いたあの日から嫌われ、避けられているので。鯉登少尉のその端正な顔と振る舞いで早く七瀬を落としてください。豊原でもたくさんの女人を虜にしていたではありませんか。」

「面と向かって投げ接吻をしろというのか!?」

淡々と告げる月島に対して、鯉登はアワアワと戸惑っている。投げ接吻されても反応に困るだけなのでやめて欲しい。

「そうです。普通の接吻でも、手篭めでも何でも良いからやって下さい。遭難時に荷物を捨て去ったようですから、今後は情報を引き出すしかありません。荷物を返すように指示した鯉登少尉がしっかり役目を果たして下さい。」

「………ぐっ……。…努力はするが…手篭めにはせんぞ。私は旗手になる男だ。」

鯉登が拳を強く握りながら、そう断言した。何か知らないが、無理やり襲われることは無くなったらしい。正々堂々な鯉登の性分なお陰で助かった。しかし接吻も勘弁して欲しいところだ。

まあ、どれだけ近づいてこようとしても、この会話を聞いた以上、鯉登に対しても心を許す事はないだろう。盗み聞きだとしても事前に分かってよかった。私はそっとその場から離れ、先に杉元と谷垣を呼びに行った。

「あ、結城さん!見て、ヘンケが燃やした橇の代わりを作ってくれたよ!すごいしっかりしてるでしょ!荷物も括り付けたけどいい感じだから安心して!」

「良かった、ご飯食べたらすぐに旅立てますね。もうじき出来るそうなので、一緒に行きましょう。」

小屋にいた杉元と谷垣に声をかけて食卓に戻ると月島と鯉登も戻ってきていた。四角のテーブルに9人座るとギチギチで部屋も自然と温まる。私の横にはいつも谷垣と杉元がいたが、谷垣が座る前に鯉登が私の右側を陣取っていた。さっそく距離を詰めようとしているらしい。子供達と奥さんが作ってくれたロシア料理を皆で囲んで食べる。

「フクースナ」「フクースナ」

月島に教えてもらった美味しいというロシア語を其々に連呼する。ボルシチの温かいスープが冷えた身体を緩めていった。

「いつもふたりだけなので賑やかな食事はうれしいとさ。」

月島が夫婦の言葉を訳してくれる。アイヌ語と和語が分かるエノノカも含めて、通訳してくれる人がいると有難い。手料理を囲んでみんなで過ごす食卓は和やかで身も心も満たされる。餃子のようなベリメニもドライフルーツが入ったケーキもどれも美味しかった。

ある程度食べすすめたところで杉元と鯉登が他の家族のことについて夫婦に尋ねた。雑談のつもりだったが、夫婦の顔が暗く曇ってしまう。大切な一人娘が脱走兵に連れ去られてしまったらしい。軍や政府は動いてくれず、それに怒った夫婦は燈台を爆破するように言われたが爆破しなかったそうだ。

「しばらくするともっと北に新しい燈台が作られ、ここは不要になった…。でもこのご夫婦は娘の帰りをこの燈台でずっと待っているそうだ。」

月島が夫婦の言葉を訳し終わる頃には、奥さんの伏せた目からはらはらと涙がこぼれ落ちていた。エノノカも亡き両親と重ねて号泣している。皆が押し黙っている時、私も自分の両親を思い出していた。父と母もこの夫婦と同じように行方不明になった娘の私を、今も待ち続けているのだろうか。親の泣き顔を想像するだけで胸が締め付けられた。

帰りたい、けど帰れない。ここで生きていくと決心した私は、吹雪の中で自分の過去と別れを告げたのだ。長い夜に私を慰めた家族の写真はもう二度と見る事は出来ない。遠い世界の家族が私がいない事を受け入れ、少しでも安らかに過ごしている事を、ただただ心の中で祈った。

杉元はアシリパの事を伝えると行方不明の女の写真を預かり、代わりに自分の写真を置いていく。そして助けてくれたお礼を夫婦に伝えて私達はまた犬橇を走らせた。

「よし行け!!トホトホトォーー!!」

声を出し手綱を引く杉元から振り落とされないように、また後ろから抱きしめた。手を振る夫婦の姿が白い雪景色に消え、すぐに見えなくなる。思わず俯いておでこを杉元の背中につけると、彼の右手が私の腰をポンポンと叩いた。まるで泣いてしまった赤子をあやすようで、とても優しかった。

ーーーー

新問付近の樺太アイヌの集落まで来た。杉元と月島が集落で聞き込みをしている間、私は近くの海辺へタラ釣りに向かう。無言で鯉登が着いて来るが、何か考えているようだったので話しかける事はなく好きにさせた。

「……あ!アザラシ!!」

簡易的に作った釣竿を垂らし、タラを狙っていると可愛らしいゴマフアザラシがザブンと海から上がってきた。同じようにタラを狙っていたんだろう。私はすぐに肩に掛けていたモシンナガンに弾を込めて、ボルトハンドルを後方に引いた。まだ赤く水疱が破けたばかりの手にボルトハンドルの冷たさがグサグサと刺してくる。だが、貴重な食材をここで逃すわけにはいかない。トリガーに指をかけ撃発した。

パァンッ… !

「…っ!痛っ……クソ……っ!」

トリガーに皮膚がくっついて痛みに揺れた衝撃で、頭を狙った弾は胴体に突き刺さっていた。皮に傷がついてしまった事に落ち込みながらも、とりあえず獲れたのでヨシとしよう。

「鯉登さん、見てるだけなら手伝って下さい。」

「…あぁ?ああ…わかった。何をやったらいい。」

突っ立っていた鯉登にゴマフアザラシを回収するように指示をする。80キロ以上あるので男手があって助かった。ずりずりと二人で陸へと引き上げ、捌き始めた。

「こんな手で水仕事ができないので、洗うのは鯉登さんにお任せしますね。」

私がアザラシの内臓を取り出していき、鯉登に綺麗に水で流してもらう。ゴマフアザラシの皮は売れるので綺麗に剥がさなければならない。もう既に銃弾で傷ついてしまったが、これより価値が下がらないように慎重にナイフを入れていった。

「アザラシの生肉、プルプルして甘くて美味しいですよ。はい、口を開けてください。」

毛皮を無事に剥ぎ取ると、次は肉を取り分ける。私はナイフで切り取った肉を食べながら鯉登にも勧めた。真っ赤な血で口周りを汚す私に若干引きながらも素直に食べてくれる。

「…少し生臭いが、案外いけるな。」

「でしょう?生で食べた方が脚気にも効くのでしっかり食べてください。残りは鍋にするので香辛料を先につけときますね。」

二人でモシャモシャとアザラシの肉を食べながら作業を続けた。アシリパや叔父のマカナックルの教えが今の私を生かしてくれている。また小樽に帰ったら感謝と共に色々報告したいものだ。

作業がひと段落し、片付けを始めていると鯉登がこちらに急に向き直った。無理やり接吻されるかもと、警戒しながら構える。何をするかと思えば…本当に投げキスをしてきた。

「……………。」

「……何かものを言わんか。」

「……ぶふっ…!…くっくくく…っ!」

「貴様、なぜ笑う…ここは頬を紅く染めるところだぞ!」

いや、バカ真面目か。月島の言う通りにやって本当に女を落とせると思ったのだろうか。

「鯉登さんが真面目な顔で投げ接吻をするので面白くなってしまいました。こういうのは去り際に色男っぽくやるといいと思います。」

「…ふむ、やり方が悪かったか。」

私がダメ出しをすると、素直に頷くのでまた笑ってしまいそうだった。純粋すぎるだろう。今度は髪を掻き上げ、私にフッと微笑んできた。これが鯉登の懐柔作戦か。決めポーズという事は分かるが、どう反応したらいいのか困る。とりあえず苦笑いで誤魔化すが、鯉登はその特徴的な眉毛を悲しそうに下げた。

「私が微笑めば、どんなおなごも紅くなったものだが、貴様には効かないようだな。七瀬結城はどんな男に惹かれるのだ?」

「うーん…一緒にいて居心地がいい人ですかね。」

とりあえずそれっぽい事を言った。口説き方は下手だが慣れない事を頑張っているようなので一応返事する。すると鯉登は顔をあげ、私の目をじっと見つめた。

「私といるのは居心地がいいか…?」

「いえ、緊張感が伝わってきてどちらかというと居心地悪いです。」

思わず反射的に答えてしまうと、鯉登は肩を落としてしまった。

「鯉登さんはどんな女性に惹かれるんですか?」

「惹かれた事がないから分からんが…。そうだな、淑やかで控えめで普段は三歩後ろから着いて来るが、芯は豪胆で決して泣かない薩摩おごじょのようなおなごではないか?… 七瀬とは正反対だな!」

あははと笑う鯉登。この人は本当に私を口説く気があるのだろうか。ついでに「クソッ」などという言葉を女が使うなと余計な説教までされた。

「まあ、どんな見た目でも中身でも、鶴見中尉や父が選んだ人ならきっと好きになるだろう。私は七瀬、お前もきっと愛せるはずだ。あ、傷だらけな女は嫌だから手は早く治せ。」

上から目線の鯉登に無性にイラッとしてしまう。純粋だからと言って何を言っても許されると思わないで欲しい。差し出された馬油を自分の手に塗り込むと、鯉登の手を掴んで余ったオイルを撫でるように塗った。

「な…っ…!?」

「塗りすぎちゃったのでお裾分けです。」

私がそうニッコリ微笑んで見せると、鯉登は首から顔の先まで真っ赤に染まった。手を触っただけなのにチョロすぎる。

「こ、こんな簡単に肌を触れ合わせるなど、けしからんぞ!」

「嫌でした?ごめんなさい。あ、口元に血がついたままですよ。」

鯉登の口元を手拭いで拭う。そして同じもので私自身の口も綺麗にして見せると、鯉登の顔が湯気が出るほどもっと赤くなった。思った通り、ボディタッチだけじゃなく間接キスも弱いのだろう。単純すぎてとても愉快だ。

「……っ!!」

「私、鯉登さんの外見や肩書きに興味はないですけど、中身は面白くて嫌いじゃないですよ。もしかしたら、好きになってしまうかもしれませんね。」

嘘である。ただ、私を懐柔しようとしてくるこの男を揶揄いたいだけだ。意地が悪いと自分でも思うが、そう簡単に心を許してたまるものか。「若くて、逞しそうですしね。」と鯉登の耳元でそっと囁けば、彼はあわあわと口をパクパクさせる。

「…っ……は…はしたないぞ!淑女が取るべき言動ではない!」

「まあ、そうですね。淑女は銃を持たなければ、生き物を殺す事も捌く事もない。生肉も食べませんね。やはり、鯉登少尉殿には私のような野良犬より、お嬢様がお似合いですよ。」

私は捌いたアザラシの肉を樹皮で包むと、右肩に乗せて、左脇に掴む。ずっしりと詰まっていて重いが、運ぶのは慣れたものである。

「残りの肉と毛皮はよろしくお願いしますね、鯉登さん。」

まだ顔を朱に染めたままの鯉登を置いて、私は颯爽とコタンへと戻っていく。尊大だが根は純朴な若い男を弄んである程度スッキリした私の足取りは幾分軽かった。


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