小樽

コタンから小樽に行く前にフチとアシリパからアイヌの服を貸してもらった。私の格好では変に目立ってしまうからだ。多少のお小遣いはもらったので、古着の着物でも買うことにしよう。私は財布を握りしめ、拳銃だけ懐に忍ばせて小樽へと向かった。

小樽は想像以上に広くて栄えている街だった。店先に出て客を呼び込む人があちこちで見られる。ニシンやホッケなど干物がぶら下がっている魚屋、本屋や塩屋、問屋に茶屋など気になる店がたくさんあった。まずは和服を扱う店に行って一番安い無地の木綿の着物を一枚買う。下駄も勧められたが寒いので断った。靴はアシリパから貸してもらった鹿皮のユッケレの方が暖かくて良い。

「アンタ、アイヌじゃなくて和人だろ?絣も下駄も買えず、女なのに髪もそんなに短く切られて…可哀想だねぇ…。」

「まぁ…いろいろありまして…。」

店主に憐れまれる。店で和服に着替させてもらい、雑談がてら軍服姿の顔に傷が入った男を見てないか尋ねるが有力な情報は中々見つからなかった。

「南満州鉄道はもう開業してるんだ。ロシアが満州から撤退を発表したけど韓国併合はまだ…。東京株式相場が暴落してるけど大丈夫なのかな?」

新聞を立ち読しながら今がどんな時期かを把握していく。日露戦争が終わり、ポーツマス条約締結からもう2年がたっているらしい。杉元の傷は戦争で出来た傷なのだろうか。今、追われているのは脱走してしまったからなのだろうか。数日一緒に過ごしたものの、私は彼のことを殆ど知らなかった。

青い空がだんだん赤みがかってくる。そろそろ日が暮れるので帰らなければならない。呉服屋の店主や茶屋の娘、銭湯の番台など行く先々で杉元のような顔に傷がある軍人を見てないか聞いてまわったが、どこも空振りだったので肩を落として外に出る。すると目の前に数人の軍人が立っていた。杉元達を追って死んだ奴らと同じ、27という数字が軍服に縫われている。

「不死身の杉元を探しているのはお前だな。ついてきて貰おう。」

「…へ?」

驚いて目を大きく見開いた。頭を丸めた背の低い軍人は小銃をこちらに向けている。

「抵抗すれば撃つぞ。さっさと足を動かせ。」

暴れて逃げたりすれば殺される。そう悟った私は大人しく小樽の兵舎へと連れて行かれた。

兵舎の個室へと案内され、鶴見中尉と呼ばれる男の前に座らされる。鶴見はおでこまで仮面のようなもので覆われ、目の周りは爛れている。彼の見た目の怖さとその迫力に、冷や汗が背中を伝った。

「街で杉元という男を探しているそうじゃないか。一体どんな関係だ?」

鶴見が手を組みながら私に問う。軍からこんなにしつこく狙われるなんて杉元は一体何をやらかしたんだ、と頭が重くなった。私は動揺を見せないように平静を装い、言葉を選びながら答える。

「…山で遭難した所を助けられました。私が身寄りが無いため数日間一緒に過ごしていたのですが、今朝方、急にいなくなったので街に探しにきました。」

「ほう…。金塊のことは何も聞いてないのか?刺青人皮のことも?」

私が淡々と答えても鶴見はねちっこく私を見つめて疑っている。私を殺すか生かすか見定めるようなその視線はとても寒気がした。嘘をついてもすぐに見破られるだろう。

「金塊のことは知りません。刺青人皮…?はよくわからないですが、杉元さんが文字が刻まれた皮を何枚か持っていたように思います。彼が追われていたのは脱走兵などではなく、その刺青人皮が原因なのですか?」

私が正直に見たものを話すと、鶴見は満足そうに口角をあげた。肘を机に載せ、手を組んで顎を支える彼に愛らしさは無く、獲物を前にした蛇のような目をしていた。

「そうだ。やはり隠し持っていたなァ…。肝の座った男をどう吐かせるが問題か。」

少し考えた後、鶴見は席を立ちながら私へ微笑みを向けた。それが良いものではないと察した私が一歩後ろに下がるが、彼は私の腕を掴み別の部屋へと連れて行った。

6畳程の暗くて狭い部屋に、見知った顔の男がいた。顔は何度も殴られたように赤く腫れていて、頬には2本の串が刺さっている。あまりの酷い顔に目を逸らすが、男が先に口を開いた。

「結城さん!どうしてここに!!」

「杉元さんを探していたら軍の方に連行されました。想像以上に危ない橋を渡ってらっしゃったんですね。」

焦って身を乗り出す杉元に私は呆れるように答える。杉元は私の全身を見まわし何もない事を確認すると、ホッとしたように胸を下ろす。…のも束の間に鶴見を睨んだ。

「… 結城さんをどうするつもりだ。」

「それは杉元、お前次第だ。刺青人皮を隠し持っているのは彼女の証言から確認済だ。白状しなければお前だけでなく彼女の命の火まで消えてしまうぞ?」

鶴見のその言葉に杉元が奥歯を噛み締めた。眉間に皺が寄り、優しい彼が悩んでいるのがよくわかる。私は二人の駆け引きを遮断する様に一歩前に出て手を挙げた。

「あ、私なら殺してもらって平気ですよ。この世に未練はないので人質や交渉材料の価値はないです。拷問もされるぐらいならその前に自害します。」

「…は?」

私の言葉に二人が驚いたように口を開けた。杉元が疑問符を私に投げかけたが、すぐに気付いたようにまた深く眉間に皺を寄せた。

「山奥で助かった命を捨てる気か?この世から消えたらあの世に行けるとでも思ってるのか?」

杉元の声に怒気が混じりはじめる。自ら命を落とそうという精神が理解できないらしい。

「はい。死ぬことであの世に行けるかもという希望はあります。この世での思い出もありませんし、杉元さんの目的の障害になるのも嫌ですから。この命がどうなっても構いませんよ。」

「笑いながら言う事じゃねーだろ…。」

調子の変わらない私の言葉に杉元は呆れ果てていた。私と杉元とのやりとりを見た鶴見も眉を下げ、肩を落とし、大きくため息を吐く。

「…無駄骨か。素性も調べぬまま、今すぐ殺すわけにもいくまい。彼女も椅子にくくりつけてくれ。その後の対応はまた追々考える。」

逃げないように私も椅子に座らされ、そのまま麻縄と手錠で縛られた。杉元の横に固定された私は兵士達が部屋を出て、光が入らなくなり暗くなっていくのをボーッと眺めていた。重い扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。静まった部屋で杉元が口を開いた。

「……巻き込んで悪かった。」

低く篭った声に後悔が滲んでいる。串が刺さった杉元の顔は直視しづらいので、私は自分の足元を見ながら答えた。

「巻き込まれたのは私の勝手だから良いんです。」

それより…と視線を下に向けたまま続ける。

「黙って出て行ったのが一番悪いと思いますよ。アシリパさんと話し合って決めた事ならともかく、何も言わずに出て行ったらコタンの皆も、私も心配します。同じ釜の飯を食べて、一緒に過ごした仲じゃないですか。」

私が責めるように言葉を吐くと、杉元は黙ってしまった。きっと彼なりの言い分はあるのかもしれない。金塊を独り占めしたかったとか、危険な事に巻き込みたくなかったとか。でもアシリパや村の皆はもう杉元の事が好きだ。だからその気持ちを汲んで欲しかったし、言付けだけでも置いていって欲しかったのだ。

「…アシリパさんにも怒られるかな。」

「そりゃもちろん。ストゥで殴られるでしょうね。まずは、杉元さんだけでも生きて帰って下さいね。」

きっと何発も入れられるだろう。尻にでも刺されたらいいのだ。杉元が目を伏せながら苦笑する。

「ストゥか…。結城さんも無事じゃないと、アシリパさんに殴り殺されるだろうな。」

杉元の目は爛々と月に照らされ光っていた。もちろん生きるのを諦めてないし、私さえも生かす気満々だ。脱走方法はまだ思いつかないが、彼の根拠のない自信になんとかなってしまうような気がした。


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