脱獄

夜の帳が降り、真っ暗な部屋の中。月の明かりだけが微かに照らすその狭い空間に、私と杉元はいた。変わらず身体は椅子に縛られ、手は後ろで手錠にかけられて身動きが取れない。どのくらい時間がたっただろうか。精神的な疲れから眠くなってきた私は、座ったままコクリコクリと頭を揺らしていた。

意識がまだ微睡の中にいる時、ドアが開かれる音がした。何が起こったのか確認しなければならないが、瞼が重い。物音は隣の杉元に近づいて行き、何だか彼に絡んでいた。ゆっくり瞼を持ち上げ、瞬きをしながら振り向いたその時だった。

杉元が目の前の男に頭突きし、椅子を破壊する大きな音が響いた。驚いて慌てて状況を把握しようとするが、その時には既に杉元は軍服の男に銃剣で胸を刺されていた。刺されながらも、頭突きした男を絞め落とすように足で挟み、杉元は二人の男と戦っている。

「…っ!!杉元さん…!!」

杉元が銃剣で刺してきた男を殴り、腕に向かって刺し返す。杉元の足元にいたもう一人の男が立ち上がり、背後を襲おうとしたため、私は椅子に縛られたままその男に体当たりした。椅子がバキッと音をたてる。衝撃で全身に痛みが走った。。体当たりされた男が激昂して私に向かってくる。そのまま左頬を拳で思い切り殴られた。

バキッ…!

「…うっ…。」
 
軍人の男のパンチに顎が揺れ、脳が揺れた。眩暈と吐き気に襲われる。すぐにもう一発入る気配を悟って強く目を閉じた時、次々と止める人が入ってきた。

「おいやめろ!殺すなと言われているだろうが!」

二人の男、顔がそっくりの双子は目が逝っており止める兵士達に取り押さえられながら罵声を発している。杉元も彼らを煽っていて、狂気のような時間が流れていた。血が床に飛び散っている。椅子が完全に壊れて自由になった杉元をロープで足と手首を再び固定し、兵士たちは戻っていった。喧騒はすぐに収まり、再び静寂が部屋を包んだ。

「…あいつらは刺青人皮の行方なんか興味ねぇ。俺を殺す気だ。」

「あの、双子…狂ってますね…。」

二人きりに戻った事を確認した杉元が私に零した。鶴見は金塊を探しており、杉元が刺青人皮の隠し場を吐くまで殺す気は無さそうだったが、あの双子は違うんだろう。顔や胸から血を出しながら舌打ちする杉元。よくその状態でピンピンしてるものだと不思議に思う。やっと冷静になってきた私は頬と顎が痛みだし、口の中で血の味が広がった。

「…顔、痛いだろ?」

「大丈夫です。杉元さんの出血量のほうが心配ですね。」

「肋骨が守ってくれたから大丈夫だ。」

何が大丈夫なんだろう。内臓には達してないから平気ということなのか。私も鼻や口からぼたぼたと血が出ているが、杉元とは比にならない。刺されていても大したことのない様に振る舞う杉元に戸惑っていると、カタッと窓から音がした。振り返ると上半身に刺青が入った坊主の男が鉄格子から部屋に入ってきていた。

「お邪魔するぜ。」

グネグネとおかしな方向に曲がった男がキメ顔でこっちを見ている。恐怖のあまりに出そうになる声を必死で飲み込んだ。

「…妖怪?」

杉元が震えながら尋ねると男が脱獄王の白石と名乗った。二人は既知の仲のようだった。

「横の嬢ちゃんは?仲間か?」

「…ああ、そんなもんだ。なんでお前がここに?」

杉元が顔を起こして尋ねると、白石は肩をポコンと元の位置になおしながら答えた。白石は平然としているが、見てるこっちが痛い。

「おっかないアイヌの娘っ子に毒矢で脅されたのさ。」

白石がそう言うと杉元は苦そうに、でもどこか嬉しそうにアシリパの名前を呼んだ。アシリパが駆けつけてくれた頼もしさに張り詰めていた糸が溶けていく。

だが、ホッとしたのも束の間、馬が騒ぎだした。白石が急いで杉元と私の手錠を外してくれる。すぐに戦えるように、動かせるようになった手で私は胸ポケットから拳銃を取り出した。

「浩平は外で見張ってろ。誰も入れるな。」

さっき襲ってきた双子の声がする。二人は私達を殺す気満々だ。私は椅子に縛られたままのフリをして項垂れた。足を引っ張らないようにだけしなければならない。

「おい洋平、銃は使うな、よこせ。拘束を解く前に銃声でみんなが来ちまう。銃剣でやれ。」

見張りの浩平が洋平の銃を奪って戸を閉めた。杉元が音を立てずにそっと洋平の背後をとる。私は息をとめて二人を見た。杉元が奪った銃剣を片手に洋平の喉元を掴んで襲った。洋平は必死に抵抗し、右手で銃剣を防ぐが、杉元は握力と腕の力だけで首を捻じ折った。

「…っ……。」

目の前で人が死ぬのは、人が殺されるのは、初めてだった。普段は優しく、穏やかな杉元が人を殺す時には獣ようになるのだ。命のやりとりとはこんなに人を変えてしまうのかと恐ろしくなってくる。奥歯がカタカタと震えた。杉元は淡々と洋平のベルトを緩めて、上着をめくり、洋平の腹を銃剣で捌く。そしてハラワタを取り始めた。強烈な血の匂いに頭もクラクラしてくる。

「俺がこいつのハラワタと血で重症のフリをする。結城さんもあわせてくれ。」

杉元の言葉に震えながら頷いた。洋平の腸を捌いて切り離した後、服を整えていく杉元。私も一緒にボタンをしめたり、洋平の服に飛び散った血を拭った。

外で口論が聞こえて来る。浩平が問いただされているようだ。会話的にもうすぐ扉が開くだろう。すぐに杉元は座り込んでハラワタをお腹にあてながら、息を荒くした。私も彼の横に寄り添う。

ガチャリ…

扉が開いて、浩平や兵士達が中を覗きにきた。死んだ洋平を見た浩平が泣き叫び、すぐに兵士達に取り押さえられる。

「…っ!!お願いです!医者を!!医者を呼んでください…!!!」

震える声で兵士達に叫んだ。緊張と怖さで涙が滲んでくる。奥歯がカチカチなるのはまだおさまらない。騒ぎを聞きつけた鶴見がとんでやってきた。外から「はらわたが…」「ながくはもたん…」などの声が聞こえて来る。

「まさに風口の蝋燭だな、杉元…。」

「…助けろ…。刺青人皮でもなんでもくれてやる…。」

鶴見に向かって杉元がそう答えると、鶴見はニヤッと口角をあげた。私は泣きながらハラワタを押し込み、杉元と一緒にお腹を抑える。

「時間がないんです…!これ以上出血したら…急いでください…!!!」

一度出始めた涙は止まらない。目の前で人が死んだ恐怖と悲しさが一気に込み上げて来る。ポロポロと大粒の涙が杉元へと落ちていった。

「馬橇の用意ができましたッ!」

杉元がソリへと運ばれる。私も泣きながら彼の側から一歩も離れなかった。

「最善は尽くす。お前もそれに報いろ。今際の際を悟ったら必ず刺青人皮の隠し場所を伝えろ…いいな?」

「俺は絶対死なんッ!」

鶴見の言葉にも杉元は息絶え絶えに答える。杉元は演技が上手いんだろう。本当に死にそうな顔に見えてきた。私は杉元の顔を見て思わず叫ぶ。

「刺青人皮よりも…!命の方が大事だからっ!!!死なないでっ…!!」

私と杉元が信頼し合っていると思ったのだろう。これを見た鶴見が私の耳に囁いた。

「私も馬であとを追うから杉元に声をかけ続けろ。いいな?そして死ぬ前にありかを聞き出せ。そうしたらお前を優遇しよう。」

鶴見の言葉に私は首を振った。

「杉元さんは死にません…!もう関わらなくていいように…生きて…自分の口から吐いてもらいます…っ!」

涙と鼻水でグシャグシャになりながら震える私を見て満足した鶴見は兵舎へと戻っていく。ロープと布で繋がれた杉元と一緒に馬橇に乗り、月夜を走り出した。まだこれからだ。怖いけど、震えてなんかいられない。ゴクリと私は思わず唾を飲み込んだ。

兵舎が少し遠くなった頃、私は杉元とアイコンタクトを交わす。すぐさま彼を縛るロープを解いて布を後ろに投げ出した。

「どうした?何かあったか?」

物音に馬橇をひいていた兵士が反応して後ろを向いた。杉元が後ろから兵士を襲って肩を折り、馬橇から引きずり下ろして転がした。

「…よしっ!!結城さんは後ろを頼む!」

「分かりました!馬は任せます!」

すぐに杉元が手綱をもつが、馬は興奮しているのか言うことを聞かない。

「曲がれって言ってんだよ!この馬野郎!そこを曲がれって!」

真っ直ぐにしか進まない馬橇。私が後ろを警戒していると、遠くに馬に乗って駆けてくる鶴見の姿が見えた。兵舎に引き返したはずなのに、もうこの化かし合いに気づいたのか。馬を完璧に乗りこなし全速力で追いかけて来る。

「鶴見中尉が来てます!もっとスピードを出せませんか!」

「無理だ!ソリと二人を乗せている以上、どうしても遅くなる!」

このままでは追いついて殺される。そう思った私は拳銃に手をかけた。馬の胴体に狙いを定めようもすると、急に鶴見が乗っていた馬が崩れ落ちる。落とされた鶴見は転がるが、すぐに立ち上がり、今度は物凄い勢いで走ってきた。鶴見は走りながら拳銃をこちらに向ける。

「…鶴見さんを…撃ちます…。」

「…!結城さんっ…!」

命の危機を悟った私は覚悟を決め、拳銃の銃口を鶴見に向けた。反動を抑えるようにG19を両手でしっかり押さえながらトリガーを引く。

しかし、馬の揺れや手の震えで当たらない。何度もトリガーを引き、撃発と排莢を繰り返した。パンッパンッパンッと大きい銃声が響き渡る。

 パァンッ…!

五発目、鶴見の身体を狙った弾が鶴見の拳銃を捉えた。彼の手から拳銃が飛んでいくのが見える。そして鶴見の足も止まった。

「…やった…っ…。」

私は殺すことも、殺されることもなくなった事に安心し、小さくなっていく鶴見を眺めながら、杉元のひく馬橇に腰を下ろした。


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