鶴見と第七師団の追っ手をまいた私達は、アシリパと白石と合流する事が出来た。杉元は案の定アシリパにストゥでぶん殴られている。黙って出て行って捕まった杉元と助けに来てくれたアシリパとの間に気まずい空気が流れた。そんなギクシャクした中で馬を解体していく二人を置いて、私は小屋の近くの森の中へと入っていく。
「卵を貰ってくるのは白石だけでいいぞ!どこに行く!」
「お花摘み!お手洗い!厠!」
アシリパが呼び止めようとするので、トイレに行くと叫んで後ろを振り返らずに森の奥へと走り出した。興奮状態だった頭が冷えきって、昨晩の騒動がフラッシュバックしてしまったのだ。杉元が双子の片割れの洋平という男を殺し、腸を引き摺り出す。首の骨が折れる音、内臓が出てくる音、血の匂い、鮮明に焼き付いている。
「…っ…はぁ……きっつ……。」
目の光がすっと消えていく、死ぬ瞬間の洋平の顔が忘れられない。昨日から何も食べてないのに、胃から酸っぱい匂いと共に胃液が上がってきては戻してしまう。胃酸で焼けるような痛みが喉を襲った。苦しい。苦しい。苦しい。何度も吐いて、やっと胃から出るものが無くなった。嫌な匂いの吐瀉物の上に雪を被せて隠し、冷や汗を拭い、口をゆすぐ。少しでも気づかれない様にしなければ。そして私は何もなかったかのように森を走り、杉元達の元へと戻った。
「ヒンナヒンナ。」
「ヒンナだぜ…。」
小屋ではもう既に杉元とアシリパと白石が桜鍋を食べていた。食卓を囲む二人の間にはもう気まずさ感じない。
「そういえば、その綺麗な顔したザンギリの嬢ちゃんは何者だ?杉元の女か?金塊の目当ての女か?」
白石が顎に手を当てながら前のめりで尋ねてきた。自分の胃液臭が気になる私は口元を押さえて少し引き気味で答える。
「どちらでもありません。遭難していた所を杉元さんとアシリパさんに助けて貰ってから、しばらくお世話になってたんです。七瀬結城と申します。昨日は…成り行きで捕まってしまった感じですね。」
「そりゃ災難だな。軍の連中に顔も覚えられちまっただろ?結城ちゃんも金塊探しの仲間入りだな。」
白石が笑うとアシリパと杉元が下を向いた。せっかく明るくなった空気が暗くなるのは勘弁して欲しい。私は笑いながら答える。
「そうですね。行く先もやる事もなかったので、面白そうな事に突っ込めて良かったです。金塊の山分けにわけて貰えるように頑張りますね。」
私がアシリパに笑顔を向けると、彼女は複雑な顔をしながらも少しだけ嬉しそうに表情を緩めてくれた。よかった。大好きな馬肉は胃が痛くてあまり箸がすすまないが、少しでも栄養を摂らなければ。生きていることに感謝しながら、時間をかけてゆっくりと噛み締めた。
「はー、美味かったな。」
皆はペロリと鍋を平らげ、すぐに横になった。アシリパと白石は疲れからすぐに夢の世界に落ちたようで、寝息を立ている。二人を起こさないように外で念入りに歯を磨いた後、私も彼らの横に寝転んだ。一日寝ていないのですぐに意識が切れてもいいはずなのに、神経が昂っているのか横になっても眠れない。
「…寝れないのか?」
何度も寝返りをしていると杉元が気付いたのか私に声をかけた。小屋が狭いので杉元の顔が近いが不快感はない。
「はい。色々と初めての経験だったから興奮してしまってるんだと思います。」
私がそう言いながら苦笑いをすると、杉元は私の肩を抱き寄せた。
「…知らなくていい世界だったのに…ごめん。」
いきなりの抱擁に驚いて、つい固まってしまう。他意はないとすぐ悟った私は何も言わずに杉元の肩に顔を埋めた。恨みたい気持ちと、慰めたい気持ちと、ここから消えたい気持ちと助けてくれた安堵感とでぐちゃぐちゃだった。返答は出来なかった。私は唇を噛み締めながらも、彼の体温でとけるように眠りについた。
(全部、夢だったらよかったのに。)
次の日。当然のように昨日寝たアシリパの狩猟小屋で目を覚ました。私が目を覚ました時には既に皆起きており、白石は情報集めの為に街に出ていた。寝返りで乱れた着物を直していると、背後からアシリパが声をかける。
「結城、コタンへの道は分かるか?シサムの女の服だと森では動きづらいだろうから、先に帰っておいてくれ。」
「うん、分かった。アシリパ達は今後どうします?」
「杉元は街に出ない方がいいから、しばらく山で狩りをしながら白石を待つ。獲物が取れたらまた村に帰ってくるから、また動けるように準備だけしてコタンにいてくれ。」
アシリパの指示に私は素直に頷いた。着物姿よりも山岳用に揃えた服や靴の方が断然動きやすいからである。荷物が揃っていない私は狩り一つとっても足を引っ張るだろう。私は杉元とアシリパに手を振り、コタンへの道を一人で歩いた。
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コタンに戻ってから三日経った。その間、アサルトライフルのSIGM400を持って川に鴨撃ちにいったり、くくり罠の作り方をアシリパの叔父のマカナックルに教わったりしていた。コタンの周りの地形も把握してきたのでそろそろエゾシカを獲りに忍び猟に出かけようと準備していた朝、アシリパと杉元と白石が帰ってきた。簡易な担架に見覚えのある男乗せて。
「おかえりなさい、無事に帰って良かったです。この男性は…以前にアシリパさんを追ってオオカミにやられた兵士じゃないですか?」
「ああ、そうだ。今回はアマッポという毒のついた仕掛け弓に引っ掛かった。村には薬がたくさんあるからな、連れて帰ってきた。」
アシリパが答えると、皆で男をフチの家にいれて治療を始めた。ヨモギやウドを使ったりする自然療法をマナカックルの横で学びながら手伝っていく。
「頑張れよ。俺の友人にも第七師団で日露戦争に行ったアイヌが何人かいる。お前の強さは聞いている。きっと良くなる。」
マナカックルが男に笑いかける。私は第七師団という言葉に反応して肩が揺れた。鶴見中尉が第七師団だったからだ。鶴見の仲間をどうして…と思ったがアシリパが連れてきた以上何か理由があるのだろう。私は何も言わずに、食卓の準備を手伝った。
「うんうんヒンナ!鹿肉は煮込んでもヒンナだぜ!」
「確かにヒンナ!」
杉元と白石がハフハフ言いながら鹿鍋をかきこんでいく。私も鹿肉を行者にんにくといっしょに噛み締める。少し獣くささも感じるが、赤身肉の旨味が出ていてぺろっと入った。私達がヒンナヒンナと食べているとアシリパが笑いながら杉元をチラチラ見出した。
「杉元…またオソマ入れなきゃいいけど…。杉元…この鍋にまた…オソマ入れなきゃいいけど…。」
繰り返して杉元にアピールしている。押すなと押すなという芸人みたいだ。私は素朴な疑問を杉元にぶつける。
「オソマって…うんこでは?」
「あ…ああ…アシリパさんは味噌をオソマだと思ってるんだ…。」
杉元がわっぱに入っていた味噌を取り出すと、アシリパが嬉しそうにオソマオソマ言い出した。杉元はオソマが好きだと言われて杉元の目が死んでいる。子供って下ネタ好きだもんな。
ワイワイ団欒が続く中、フチが鮭のルイベ漬けを出してくれた。。アシリパ達はルイぺと呼んでるらしい。酒が欲しくなるなぁと、思いながら、ちょこちょこつまむ。私達がヒンナ、ヒンナと味わっていると、フチが鮭にまつわる言い伝えを語り出した。
「男達が砂金を採って水を汚したせいで神の魚である鮭が川を登ってこなくなった。同じことが日高、釧路、白老、あちこちで起こった。砂金は村の代表者が船を使い海を通って一箇所に集められた。」
フチのアイヌ語をアシリパが和語になおして話してくれる。何年も砂金が取られていたが、鮭が取れなくなり禁止されて隠されたこと、金塊のありかを知るものはこの村の年寄りだけになったこと。
「その年寄りものっぺらぼうに殺された…。」
杉元が呟く。金塊の場所は刺青人皮が鍵だと鶴見が言っていたことを思い出した。情報をもつものが殺されてしまったから、金塊を巡って刺青人皮を求めてるのかと納得する。フチの話を聞いて白石が焦り出した。
「いやいや…ちょっとまてそれが例の埋蔵金ってことか?北海道各地から何年もかけて集められたって?」
初めて聞いた話に白石もアシリパも動揺していた。白石の額がうっすらと汗ばんでいる。
「ばあちゃんの言い伝えが本当なら俺たちが聞かされていた20貫より…もっとたくさんあるんじゃねえのか?」
白石が焦りながらそう言葉にすると、横で寝ていた第七師団の男が苦しそうな声だが、はっきりと口を開いた。
「桁が違う。」
男が鶴見中尉について語り出した。情報収集や分析能力に長けている情報将校らしい。私は鶴見の銃を撃ち落としたあと、最後に合った目が忘れられなかった。獲物を見つけたかのようなギラギラとしたあの目が。
「鶴見中尉の推測では…囚人が聞かされている量の千倍はある。」
男の言葉に白石が尻餅をついた。2万貫。1貫が3.75kgだから75トンはある。日本最大の佐渡金山の産出量が江戸時代の270年で40トンほど、閉山までの400年で78トンである。日本を400年支えてきた金と同等の金の量と思うと莫大である。日本で使うのも勿論だが、海外に持ち出せばもっと価値は上がるだろう。第一次世界大戦までは世界は金本位制だからだ。
「…世界がひっくりかえりそうな量ですね。西欧諸国がもってる植民地を買い取ったり、一国ぐらいつくれそう。」
私が乾いたようにカラカラと笑うとその場は静まり返った。皆が前のめりになり、真剣に話し合いを始めた。
「アシリパさんの父親たちの遺体はどこで見つかったんだ?」
「…トマコマイ。」
杉元とアシリパのやり取りに耳をすませた。アシリパが杉元と一緒にいる理由は、きっと父親が関係しているのだろう。深く聞くことはなくても察することができた。
「おい谷垣、のっぺらぼうはどこで捕まった?」
第七師団の男、谷垣も話に加わり金塊のありかを相談している。皆が刺青人皮を探すしかないと殺し合って、はぎとっているらしい。あまりに物騒な話に現実味がわかない。鶴見は金塊を得て第七師団本隊を乗っ取る計画を立てているらしい。
「金塊がそんなにたんまりあるならよお、お仲間と山分けして遊んで暮らそうって発想にはならんのか?なにがあった?」
白石が谷垣に問うと杉元が険しい顔をして答えた。
「旅順攻囲戦だろう。」
杉元と谷垣の口から日露戦争の旅順攻囲戦について細かく語られた。旅順要塞に手こずっていた大本営からの指示で第七師団が投入され、屍を盾にしながらただ力攻めで兵を溶かしていったこと、第七師団の半数が戦死したものの正面突破での作戦を行なったことで批判を受け当時の中将が切腹したこと、それが部下の責任にされ命をかけて戦った第七師団が格下げ冷遇されたことなど、あまりに悲惨な話だった。戦場で戦う兵士たちが大本営や中央政府に対して恨みを持つのは当然だろう。
鶴見は金塊で北海道に軍事政権を作り、旅順攻囲戦で戦死し、残された遺族を救うのだという。そして戦争が終わって報奨金も与えられず苦い想いをしている第七師団を救い、死んでいった戦友のために動くという。
「お前らが何のために金塊を見つけようとしているのか知らんが、鶴見中尉の背負っているものとはおそらく比べ物にならんだろう。」
谷垣がそう言ったが、杉元は何も答えなかった。谷垣は苦しそうに目を瞑り、部屋を静寂が包み込んだ。私が彼の汗を拭う。三人は看病する私を置いて外にオオワシ猟に出ていった。
「…お前はここにいていいのか?」
「ええ。谷垣さんの思想がどうであろうとアシリパさんが救うと決めたならそれに従うまでです。」
定期的に頭と腋と鼠蹊部を冷やし、患部に貼っていたヨモギの葉を取り替えていった。私のバックパックの中に入っていたポーチからも薬を取り出した。数が限られた貴重なものだが、目の前の人が死ぬのが一番良くない。
「熱が下がらないので解熱剤を渡しますね。飲んでください。」
私は常備していたカロナールを谷垣の口に入れ、水と一緒に流した。自然療法だけでなく、化学治療も並行するほうがいいだろう。
「私もアシリパさんと杉元さん、コタンの皆に助けられたので、今度は私が助けます。ただ安心して寝てください。」
私が笑いながら谷垣さんの頭を撫でると、彼は少し照れたように、安堵したように目をまた瞑った。今度の彼は眉間の力も抜けて寝息を立て始めた。