番と命

小樽のコタンのフチの家。私は谷垣の側につき、フチと交代で看病にあたっていた。昨日の朝から少し落ち着いた谷垣を見て胸を撫で下ろした私は彼に声をかけた。

「一命は取り留めたみたいですね。」

谷垣がこくりと頷く。まだ顔色も悪いし、動けないだろうが、昨日よりも呼吸が整ってきている。私はバックパックから常備薬を入れたポーチを引っ張り、昨日とは違う薬を出した。
 
「これ、痛み止めです。痛みで眠れない時は飲んでください。」

「…モルヒネか?高価だろう?」

第二次世界大戦まで日本でも負傷兵にモルヒネを打っていたのを思い出した私は首を横に振った。

「モルヒネは薬物で中毒性がありますが、これは違います。アヘンも大麻も入ってないので安心てください。高価で出回ってないので、乱用はやめてくださいね。」

私はそう言ってロキソニンを谷垣の枕元に置く。モルヒネほど強力ではないが、少しは痛みがマシになるだろう。彼をオソマとフチに任せてライフルを手にしてアシリパ達のもとへと向かった。

「…お前はいったい…。」

彼の言葉には聞こえないふりをして。
 
ーーーー

アシリパと杉元はキタキツネの猟に出ていた。

「キツネってエキノコックス大丈夫なんですか?触るだけでも危険では?」

私はキツネ用の罠をしかけるアシリパに尋ねた。エキノコックス症に罹ったら肝臓をやり、最悪死ぬからだ。キツネには近寄るなと祖父に散々言われてきたので毛皮目当てでも触りたくない。

「なんだそれは?私達は普通に食べるぞ。結城の時代には食べれなくなったのか?」

怪訝な顔でアシリパに見られる。彼女の目に少し憐れみが映っている。私は頷いた。この先の未来で寄生虫がやってきたのだろう。

「そもそもキツネって美味いの?」

「あんまり美味くない。タヌキのほうが脂が多くて美味い。でも杉元、キツネも食べてみたいだろう?」

杉元の問いにアシリパがニンマリ顔で答えた。私はキツネもタヌキも食べる文化がなかったので目を逸らした。鹿肉や馬肉ならいいが、他の動物は抵抗がある。逸らした目線の先にフクロウが寄り添いあっているのが見えた。

「エゾフクロウって美味いの?」

「オイオイ杉元ぉ…食べるわけないだろ!!」

「いや知らねーし。」

二人のやり取りを聞きながら私はエゾフクロウに見惚れていた。映画でしか見たことがなかったフクロウはとても美しかった。杉元を馬鹿にしたように笑いながらアシリパはフクロウについて解説してくれる。夜鳴く神という名前はとても綺麗な名前だった。

「あんなにぎゅうぎゅうに寄り添って…仲がいいんですね。」

木の穴の中で仲睦まじそうにくっつくフクロウはとても絵になる。つい目を細めて呟いた。

「エゾフクロウは一生同じ相手と暮らす。それなのに毎年この時期夜になると鳴きあって求愛するんだ。」

アシリパが指を差して答えてくれる。

「へ〜夫婦になってからも求愛するんですね。」

「へえ〜一途だね。」

私と杉元が見上げながらへーへーと頭を上下に動かしていると、アシリパはフクロウを見ながら微笑んだ。

「不安だから相手の気持ちを確かめ合うんじゃないか?」

大人びた表現をするアシリパに唾を飲み込んだ。まるで人間みたいだから。そんな気持ちを抱いたことがあったからだ。人も動物も変わらないのかもしれないな、とフクロウを見ながら思う。彼女の言葉に何かを縋るように杉元が口を開く。

「もし片方が死んだときは?」

「そのときは別の相手を見つける。子孫を残すためには当然のことだ。」

アシリパは当たり前だ、と鼻から息を吐いて言った。それを聞いた杉元は苦笑いをする様に下を向く。

「…きれいごとじゃ生きていけねえもんな。」

そう呟く彼の横顔が気になってしまった。

日が落ち、夜の寒さがあたりを包むと、私達はいつものように狩猟小屋で火を焚き皆で横になった。アシリパは一番に眠りの世界に落ち、安らかな寝息を立てている。私も寝ようとするが、一人起き上がって火を見つめる杉元が気になって眠れない。しばらく彼を眺めた後、私は寝袋から這い出して杉元の横に腰掛けた。

「少し、お邪魔してもいいですか?」

杉元はこちらに気付いて頷いた。声をかけるまで私が起きてることに気付いていなかったのだから、よっぽど深く考え事もしていたんだろう。せっかく二人きりになったので、込み入った質問を投げかけてみる。

「杉元さんは、なぜ金塊を探してるんですか?アシリパさんは殺されたという父親の為ですよね?」

巻き込まれたんだから聞く資格ぐらいはあるだろう。杉元はメラメラと揺れる火を見ながら一度頷き、そして口を開いた。

「親友の嫁さんの目が悪い。日露戦争で亡くなった親友がアメリカの目医者に治してもらうために渡航しようとしていた。渡航費用を稼ぐには金塊が手っ取り早いだろう?」

だから以前アメリカという言葉に反応していたのか、と納得がいった。金塊が必要なくらい、この時代の渡航費用はとてつもなく高いのだろう。それでも第七師団に終われ、殺しに手を染めてでもやる必要があるのだろうか。
 
「…未亡人になったお嫁さんの側で支えながらコツコツお金を貯める方が現実的では?何故、彼女のために命をかけてまで金塊を求めるんですか?」

すると杉元は言葉に詰まった。彼は戦争が終わってロシアから日本に帰還しても家族の元にも帰らず、北海道で金塊を探している。それも親友の嫁の為に。よっぽどの愛情がないと出来ない。そして、それほどの愛情があるのに、彼女の側にはいない。

「彼女のことを愛してるんですね。目を治して幸せに生きて欲しいと願っているのに、彼女の隣にはいられないと思ってるんですか?」

私の言葉に杉元は鋭い目でこちらをみたが、唇を噛み締めて項垂れるように下を向いた。適当に言った事だったが、図星だったようだ。

「…急がないとアメリカとの関係が悪化すると聞いたから砂金で一攫千金を狙ってた。だが砂金はいくら探してもさっぱりだ。その時に金塊の話を聞いて、刺青を見た時はコレだと思ったよ。命を狙われるとまでは思ってなかったけどな。」

苦笑する杉元はさらに言葉を続けた。

「なるべく人は殺さずに刺青は写しでやるつもりだ。だが、殺しにくる奴は殺す。俺はとっくに地獄行きだし、悪人を殺すことに躊躇いはない。金が必要なんだ。」

杉元は手をかたく握りしめた。想像以上の覚悟と深い愛に驚く。だが、高尚な目的を述べられるよりも、人間らしい理由の方が共感出来るし、好感を持てる。

「金塊が第七師団の手に渡り、日本に軍事政権が出来て戦争がまた引き起こされるよりも、杉元さんの愛のために使われる方がいいと思います。」

私がそう言いながら笑うと杉元は指でポリポリと頬をかいた。
 
「…ガラじゃないからやめてくれ。」

彼の耳が紅くなっているのは寒さのせいなのか、照れのせいなのかは分からない。焚き火がパチパチと音を立てる。私は燃えるの火の中に拾った薪を追加しながら呟いた。

「誰かのためだけじゃなくて、杉元さん自身のための金塊の使い道も出来たらいいですね。」

複雑そうに彼は笑った。自分事には案外無関心なようだ。話がひと段落した私達はおやすみを言い合って、ゆっくりと眠りについた。

 ーーーー
 
次の日、キツネ罠にかかっていた白石と合流し、リュウというアイヌ犬とタヌキを捕まえてコタンに帰ってきた。谷垣は起き上がれるようになって、アイヌの服を着ていた。

「谷垣さん痛みはどうですか?」

「まだ動くと痛いが、あの薬のお陰でうなされる痛みはマシになって夜も寝れている。」

「良かった。」

私が笑うと谷垣も綻ぶように笑みを見せた。悪人には見えないが、動けるようになったら杉元や私達の命を狙うのだろうか。鶴見の手下として動くのだろうか。そんな疑念が拭えなかったが、私は引き続き彼の看病を続けた。

空いた時間は杉元やアシリパ達と一緒に山に入り山菜をとったり、魚を捕まえたり、猟をしていた。

「結城もだいぶ慣れてきたな。罠設置も獲物を捌くのも、手早くて助かる。」

「元々やってたのはありますが、ここ迄出来るようになったのはアシリパさんとマカナックルさんのお陰です。」

アマッポを設置していきながら二人で笑いながら話す。杉元は私達の作業を少し離れて眺めていたので、作業を終えてから声をかけた。

「杉元さん、三十年式歩兵銃の扱い方を良かったら教えてくれませんか?持ってるライフルの弾を節約したいので、この時代の銃も使えるようになっときたいんです。」

クマに殺された第七師団兵から拾った三十年式歩兵銃を肩から外して杉元に見せる。

「いいよ、もちろん。アシリパさん、近くにいい獲物はいそうか?」

快諾してくれた杉元はアシリパに声をかけ、足跡からウサギが近くにいる事を見つけてくれた。アシリパの後ろについていきながら杉元からやり方を教えてもらう。

「安全子を押し込みながら右にまわすと引き金がロックされるから、普段はこっちにしといてくれ。弾は排莢口からこめる。5発な。装填は槓桿を引いてくれ。このボルトアクションで安全装置は自然に外れる。後は照準を合わせて引き金をひけばいい。」

さっそく姿を見つけたウサギをめがけ、狙いをつけて1発撃った。

「おしい。少し上にそれたな。」

背後から杉元が声をかけてくれる。思ったよりトリガーが落ちる重さが重く、ガク引きになってしまい上に弾道が乱れてしまった。遠くにリスを見つけたので、もう一度感覚を思い出しながら強めに滑らかに引き金を引く。

 パンッ!

小さい的だったが、確実に当たったのが分かった。高揚感が身を包む。競技大会で狙いを決めた時の感覚が蘇った。杉元がやった!と喜んでくれるが、その隣にいたアシリパは苦い顔をしている。

「結城…次から銃で撃つならウサギより大きいのにしてくれ。リスはたださえ食べるところが少ないから銃弾で身が飛ぶ。」

プンプンと頬を膨らませているアシリパをみて私は我に返って頭を下げた。

「…完全に遊戯感覚でした。ごめんなさい。」

狩猟というのが頭から飛んで、的に当てたいとしか考えてなかった。命を大切にしているアシリパが怒るのは当然だろう。その日はリスの脳みそを口の中に無理やり入れられた。濃厚な白子のような口触りに、独特の味がする。思わずウッと戻しそうになったが、なんもか堪えた。

(……これが脳みそ…命を頂くということッ…。)

杉元に憐れみの目で見られながら、命に感謝しながら必死で飲み込んだ。

「どんなものでも命は命だ。遊びじゃない。それだけは忘れるな。」

私は涙目で何度も頷いた。杉元がポンと背中に当てた手は何だか変にぬるかった。


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