(倉持視点)
次の日も続けて行ってみれば、また三脚に乗せたカメラを空ではないところに向けていた。
「今日は夕方にスピカと金星が最接近する日だったんです」
「この前も何かが再接近、って言ってなかったか?」
「あ、そうそう。よく覚えてますね。この前は月と金星、今日はスピカと金星でした」
スピカなんて初めて聞いた、と思う。もうこの時間には見えないと田中は続けた。思えばこの時間のこいつのことしか知らないんだな、俺は。
「最接近って、どれぐらい近づけは最接近になんの?」
「今日は2度くらいです、って言ってもわからないですよね。んー・・・双眼鏡で見たときに、同じ視界に入る距離になる、で伝わります?」
「いや、全然わかんねぇ。ぶつかりそうになるって感じ?」
「あ、いや、実際の距離は全然そんなことないです。人間から見ると近いねってだけで」
それがわざわざ写真に撮りたいものなのか俺にはさっぱりわからねぇ。理解してあげられないから、何も答えずカメラが向いている方向に目を向けた。
もう見えないらしいスピカ。星なんてちゃんと見たこともなくて、どの時間に何が見えて何が見えなくなるかなんて田中に会うまで考えたこともなかった。近づいているとか遠ざかっているとか、言われないとわからない。こうやって同じ空を見ていたとしても、田中に見えている景色は全然違うのだろう。
「近いとか遠いとかって、わからないですよね」
「宇宙の中でいえば月ってものすごく近いんですよ。もうぶつかっているのと同じくらい。でも私たちがこうやって手を伸ばしても、絶対届かない」
十五夜を超えたばかりの丸い月に向かって田中が手を伸ばす。長袖から覗く5本の指はいっぱいに広げられたあと、切なげに宙を掴んだ。
「スピカと金星だって、別に近くないんです。地球からの距離でいえば金星は4200万キロメートルくらいまで近くになることもあるのにスピカは260光年先にあって、1光年は9兆5千億キロメートルくらいだからその260倍ってもう、果てしなく遠いんです。でも地球から見てると今日は隣同士でした」
何を基準に近いとみるか、遠いとみるか。頭にふと甲子園と先輩たちが浮かんだ。
手が届きそうで届かなかった夢の舞台。あと一歩だったと言われたら、もう少しで行けそうな場所に思える。けれど実際のところ甲子園という舞台は果てしなく遠い。
(「難しいから挑戦する。簡単に達成できねえから夢なんじゃねーか」)
8月に純さんが沢村に言ったことを思い出す。
「欲しくても届かないように思えるものでもあの星よりは近いんだって、だって頑張れば届く可能性があるんだからって、そう思えば頑張れるなって、あの頃はよく思っていました」
「あのころ?」
「あー・・・はい。あの頃です」
突っ込んで聞いて良いのかがわからなかった。こういうときの田中はいつも空を見ていて、表情や目から何かを感じ取るのが難しい。
(「ほら夜ってなんだか落ち込むじゃないですか。考えちゃうというか。」)
今夜も落ち込んでいるんだろうか。何かを考えちゃっているのだろうか。
少し手を伸ばせば届く指。こんなに話をするようになって同い年だってわかっているのに抜けきらない敬語。
田中にとって俺は遠いのか、近いのか。あの頃っていつ?何があった?って聞いて良い距離にいるのか。他にも色々、俺はこいつの何も知らない。
イヤ待て、だめだ。野球以外のことに気持ちを持っていかれているヒマなんてないっつーの。