それから3日間、近くのいろいろな場所で空を見てみたけれど、初日に行った野球グラウンドの近くが1番開けていて見やすい。
「野球のグラウンドって、青道高校でしょう?あそこは超強豪校よ」
「そうなんだ」
「そうそう、お母さんがまだこっちに住んでいるころに1回甲子園行って、駅にも『祝!甲子園!』って旗が出てたことある」
野球グラウンドの近くにいると話すと、そこなら家からも近いから安心と両親にも納得してもらえたこともあり、私は今日もまたその場所に来ていた。
徐々に満月に近づいていて、明るくなっていく空では星も見えづらい。それでも毎晩星を見るためにレジャーシートに寝転ぶ。この時間だけが、私が息をしていられる時間だ。
デネブ、アルタイル、ベガ。ゆっくり夏の大三角を繋いで、今日もそこにあることを確かめる。私の目には特別な関係のある3つの星に見えるのに、実際のそれらは全然関係のない星たち。
過去の友だった人たちが脳裏をよぎり、慌てて息を吸った。
しばらく眺めて、気づいたら23時。お母さんからの電話が鳴って、私は帰路につく。
空を見上げながらゆっくりと歩いていると、ブン、ブンと空気を切るような音がたくさん聞こえてきた。ライトの消えたグラウンドの横。右下を見やると、素振りをする野球部の人たちがいた。
ライトが消えたときに練習は終わったものだと思っていた。それでも遅くまでやってるんだなって思ったのに、まだ練習しているんだ。
超強豪校よ、というお母さんの言葉を思い出す。
その中心にあの日声をかけてくれた人の姿があった。こうやってあの傷だらけの手ができるんだな。遅くまでおつかれさまです、と心の中でエールを送った。
*
「毎日いるんすね」
その人から再度声を掛けられたのは、満月の夜のことだった。
今日もバットを持って現れ、しかし1週間前と違うのは、彼が隣に座ったことだ。
「あ、こんばんは」
「ども。また、流れ星すか」
「いや、今日は特には・・・強いて言えば、満月です」
確かに、と月を見ながら彼はぐうっと伸びをした。
「昨日も一昨日もいたっしょ」
「はい、よくご存知ですね」
「いつも自主練のときにそこ通るから」
「ああ、・・・あなたも毎日練習してますよね、遅くまで」
ふわりと夜風が吹く。月の光が明るい夜、彼の額の汗がきらり光った。今日もきっとやっていたのだろう。
「まだまだ全然足んねえす」
月を見たままの彼の目が輝いてみえて、どろっと生まれる劣等感を知らんふりして私もまた空を見上げた。
霧がかった8月の月は少しだけ赤みをおびる。見る人によってはおぞましさを感じるかもしれない。
けれどスタージョンムーンとも呼ばれる8月の満月は繁栄を意味するとされていて、しかも月の後ろにいるみずがめ座は団結を表していて、多分野球チームにとってはちょっといい意味がある月です。
そんなことを頭で考えたけど、言わなかった。
「まだやってるヤツもいるけど、豆潰れて、俺はここ走ってた」
「潰れたって、痛そう」
「こんなんいつもだから」
そう言って彼は自分の両手を見ている。指の付け根に並ぶのはただの傷じゃない、全部マメだったんだ。どうしたらそんなに痛々しい手が出来上がるのか、自分には想像もつかないような練習を積んでいるのだろう。
「そっちも、毎日よくずっと見てるすね」
一緒になってその人の手のひらを見ていたのに、ふと目が合った。無邪気な目をしている人だと思った。
「好き、なんで。星見てるの。」
「好きだけでこんな毎日見てるって、すげー」
「いや、見てるだけですから」
「じっと見続けるって結構根気いるっしょ」
俺には絶対無理と笑っている。確かにこの人はずっと動いていたい人、なんだろうな。
何も答えず、ただまた星を探した。ここは何の音もしない。遠く遠くに車の走る音が聞こえるくらいで、そしてたまにかすかに男の子たちの張り上げたような声が聞こえるだけで。
彼は答えを求めるでもなく、一緒に夜空を見ていた。
東京はまだここと家としか知らないから、都会であることを忘れてしまいそうになる。静かな夜だ。
ブ、ブと2回スマホのバイブが鳴った。きっとお母さんからの連絡だ。
「そろそろ私、帰ります」
「歩き?」
「はい、すぐそこで。」
立ち上がり、レジャーシートをたたむ。隣で同じように立ち上がったその人と、思っていた以上に身長の差があって少し驚いた。
「俺そこの寮なんで、そこまで送るっすよ」
寮があるのは知らなかった。だからこんな遅くまで練習をしているんだ、とひとり納得する。
「まあ、ホントにすぐそこなんすけど」
「いえ、ありがとうございます。私もほんと、すぐそこなんで」
歩き始めたその人の、3歩後ろをついていく。何で送ってもらうことになったのか、そもそも何で話しているんだったか、よくわからないけれど。明るい満月の夜、彼の汚れたスニーカーを見つめながらゆっくり歩いた。