「よ、田中」
「倉持くん、おつかれ」
9月になった。沢村くんは相変わらず苦しんでいるらしく、倉持くんはあれから毎日ここに来ていた。
横に来ても座ることなくバットを振っていることが多い。何を話すということでもなく、倉持くんは練習をして、私は空をみる。バットを振るノルマが終わると倉持くんから話始める。ここ数日でその流れが馴染んできていた。
「今日はいねーと思ったわ」
「なんで?」
「学校始まったら、夜遅くまで空見てることもなくなるんだろうと思ってたからよ。本当に好きなんだな」
軽く流すようにバットを振り続けている。私が星が好きでたまらなくて、だからどんなときでも天体観測の時間だけは削れない!っていう、倉持くんにとっての野球のようなものだと思っているのだろう。
好きだけど。それだけじゃない。
「学校行ってないから、夜も朝も関係ないです」
何でもないことのように言ってみた。人には知られたくない部分だと自覚しているからか、声は少し上ずった。
「・・・え、実はグレてんの?」
「グレてないです」
ちゃんと聞いたほうが良いって思ってくれたのか、倉持くんはバットを抱えたまま座った。
この時間にもうはくちょう座が天をおりはじめている。9月だ。新月が近づく暗い宇宙にアンドロメダ座がくっきり見えている。
「私には倉持くんみたいな仲間が作れなかったんです」
**
思えば始まりは、倉持くんと同じようなものだった。
町の公園の丘の上で望遠鏡を覗いているところを、同級生の男の子に見つかった。
「田中?」
「あ、進藤くん」
「何してんのこんな時間に」
「進藤くんこそ、なんでこの時間に制服?」
「塾行ってたから」
「こんな時間まで?」
「うちの学校だと珍しくないでしょ」
高校生になって望遠鏡を買ってもらったから天体観測をしていたのだと話すと、進藤くんは思っていた以上に興味を持ってくれた。ちょうど新月の日で、望遠鏡の向こうには肉眼では見えない複雑な宇宙の色が広がっていた。進藤くんにもそれは新鮮に映ったようで、以来塾の帰りにはたまに公園に立ち寄って一緒に望遠鏡を覗くようになった。
学校には天文部がないから在学中に作るのが夢だと話したのは、去年の夏休みだった。夏期講習で遅くまで塾にいることが多かった進藤くんに、天文部があれば合宿をやって星漬けになれるのにね、なんて言ってしまったのだ。
々テニス部に入っているらしかったのに、うちは大会を目指すような部じゃなくてただの同好会みたいなものだから、と天文部の立ち上げをするなら協力できると言ってくれた。
天文の話ができる友だちなんていなかったから、嬉しかった。初めてできた同志だと思った。
だから夏休み明けにクラスの友だちにもそのことを話した。それが間違いだった。
「アキラと毎晩一緒にいるって聞いたんだけど」
クラスで1番影響力のある野々木さんに呼び出されたのはその日の放課後のことだった。
「進藤くん?あ、うん、毎晩じゃないけど一緒に星を」
「なに人の彼氏に手出してんの?」
誓って言う。知らなかった。進藤くんに彼女がいることも、それが同じクラスの野々木さんだっていうことも。
何より彼に恋愛感情なんてなかった。天文の話ができる仲間だ。
そう言っても信じてもらえなかった。今思えば仕方ないと思う。夏休みの間は頻繁に遅くまで2人でいたのは事実だ。進藤くんはその間野々木さんからの連絡に返事していなかったから、元々何かあるんじゃないかと疑っていたと聞いた。スマホの明かりを見たら星が見えなくなると言って、スマホを見るのを止めたのは私だ。
クラスの中心である彼女を敵に回した。
その次の日からいじめが始まった。
昨日まで友だちだったはずの子たちまで私を無視するようになった。誰とも目が合わなくなって、心細く思いながらも学校には行き続けていた。一人で過ごす時間は天文の図鑑を見て過ごすようになった。
夜になれば公園で星を見る。その時間さえあれば生きていける。
公園に進藤くんは来なくなった。野々木さんと2人で校内を並んで歩く姿を見たからきっと続いているのだろう。それならきっといつかこの辛い時間も終わる。2人が仲良くしていれば、私にこんなことする必要はなくなるはずだ。
だから大丈夫。
そう思って冬まで耐えた。
心が折れてしまったのは、12月。公園に野々木さんがやってきた。
私は望遠鏡を覗いていて、彼女の訪れに気づかなかった。突然ガシャンと大きな音がして、視界いっぱいに映っていた宇宙がなくなった。代わりに見えたのは怒った表情の野々木さんと、地面に転がった望遠鏡だった。
「目障りなの!」
突然向けられた怒りに、何を返せばいいのかわからない。混乱し、けれど倒れた望遠鏡が心配で慌ててかけよる。
返事をせずに望遠鏡に向かった私がよほど気に入らなかったのか、野々木さんは望遠鏡を蹴り上げた。
眼の前で、望遠鏡が割れてしまった。
「おい、やめろよ!」
もう1度蹴ろうとしていた野々木さんを止めたのは進藤くんだった。
「アキラがこの子見てるからじゃん!」
「星見てるなーって言っただけだろ」
「気にしてるってことじゃん!」
「だからそんなんじゃないって言ったろ?」
2人の言い合いは聞こえなかった。なんの罪もないのに壊れてしまった望遠鏡をただ見ていた。
「悪いな、田中。こいつは連れて帰るから」
かつて一緒に天文部をつくろうとまでいってくれたその人は、壊れた望遠鏡には目もくれず、泣きじゃくる彼女の手を握ってその場から立ち去った。
仲間だなんて思った私が馬鹿だった。あれからもずっとここで星を見ていた私が馬鹿だった。
気づいていた。無視していただけの友だちだった人たちが、私がひとり図鑑を見ているのを笑っていたこと。進藤くんが学校でさえ私をフォローするような行動は何一つしていなかったこと。
最初から友だちも仲間もいなかったんだ。全部気づかないふりをしていただけだ。
(宇宙にただ浮かんでいられたらいいのに)
壊れた望遠鏡を抱えて家に帰り、そのまま学校にいけなくなった。両親は何があったのか必死に聞き出そうとしてくれたけど、もうどうでもよかった。
地上のいろんなものは、もう見たくなかった。