#4
「見合いの話が来ています」
「は?」
学校が終わって実家に赴き夕食を食べたあと、唐突に切り出された言葉に間抜けな返答が出てしまった。
「杏寿郎もいい年だと、大叔母さまより渡されました」
テーブルの上を滑るように俺の目の前に置かれたのは釣書の入った封筒。
「これは強制ではない。煉獄家として考える必要もない」
「槇寿郎さんの言うとおりです。貴方の意思を何よりも優先させなさい」
母上の隣に座る父上もそう言ってはいるが、煉獄家長子として果たすべきは――。
「一度お会いする場を設けてもらうよう取り計らっていただいていいでしょうか」
「っ! 兄上!?」
焦る千寿郎を制して父上、母上を真っ直ぐ見る。
「大叔母への面目もあると思います。煉獄家長子として見合いはしますが、俺の心は決まっています」
俺の伴侶としたい相手は既に決まっていた。そんな気持ちで見合いをするのは誠意がないかもしれないが、昔から懇意にしているという家柄の大叔母からの見合い話に、釣書だけ見て断るのは相当骨が折れるだろう。
ならば一度会うという実績だけ作り、その後断わったほうが早いと判断した。
「分かりました。日付が決まったらまた連絡します」
「よろしくお願いします」
頭を下げると母上が咳き込んで、少し苦しそうな顔をしているのが気になる。
「母上、体調が優れないのでは?」
「……すみません、季節の変わり目に体が追いついていないみたいです」
「いや、謝らないでください。見合いの話は父上や千寿郎伝てでも構わないのでもうお休みください」
「ありがとうございます」
母上はそう言うと父上と共に居間から出ていき、居間に残った千寿郎は、茶の片付けをしながら不安を吐露した。
「兄上、よいのですか?」
「見合いのことか?」
「はい。大叔母さまはその、割と物事を押し進めるのでお見合いも……もしかしたら……」
「大丈夫だ千寿郎。何も心配しなくていい」
「でもっ!」
「誠実に対応すれば大叔母さまもきちんと理解してくれる。俺のことは気にするな。千寿郎は本来の学業に励みなさい」
「……はい」
「よし、この話はこれでおしまいだな」
千寿郎は納得はしないが理解しようとしてくれていて、成長したようなまだ子どもだなという狭間にいる。
盆に湯呑みを乗せ、居間から出ていこうとする千寿郎に大事なことを思い出して呼び止めた。
「そうだ千寿郎」
「はい?」
「離れの改築の件なのだが、彼女に仔細を話すのは俺からしたいので暫く黙っていてくれないか? 父上や母上にもそう言ってもらえると助かる」
「分かりました」
「うむ、ありがとう。おやすみ!」
「はい、おやすみなさい!」
自分と……彼女に関わることは人づてではなく全て俺から彼女に伝えたい。
居間の明かりを消し、客間に向かい久方ぶりの実家の布団に潜りながら、俺はゆっくり目を閉じた。
「納期がクリスマス?」
午前の仕事がもうすぐ終わりそうなとき本部長から呼び出され、会議室に行けば同じ部署の年の近いメンバーが既に何人か座っている。
「唐突で悪いんだけどね、この仕事をお願いしようと思って」
そう言って渡されたプロジェクトの概要に目を通せば、隣県のとあるホテル併設美術館の期間限定の企画展示だった。
企画や展示内容はもう決まっているから私のやることってその先――。
「展示物の制作ですか?」
「進行とかディレクションの頭は別に付けるから、制作実務メインにお願いしたい。どう? できる限りになるけどスタッフはつける。時間もないし」
今まで色んな展示物の企画や制作をやらせてもらっていたけど、美術館は初めてだ。
企画内容は決まっているし、ディレクターは別に就くと言っているから挑戦して損はない。不安なのは納期だけ。
クリスマスってあと二ヶ月半だ。
「やります!」
「よし、じゃあ早速だけど今週末クライアントと全体ミーティングあるからよろしくね」
「了解です」
本部長はよろしくーとだけ言って会議室から出ていってしまった。
残されたのは同じ部署の先輩ディレクターや、私と同じ企画デザインの子たち。
この中に何度か修羅場を潜った子もいるし、仕事をサボろうなんて考える人はいなさそうでホッとする。
「よろしくお願いします!」
渡された資料を自分の席に戻って改めて見ると、今までとは規模感が違うなあなんていうのが第一印象。
とりあえず今週末納品の案件があるから資料は家で読もう。
資料をバッグに仕舞って私は目の前の仕事に集中した。
クライアントとの全体ミーティングの時間と場所を確認すると土曜日。顔合わせも兼ねているから行かないわけにはいかない。
今週の書道教室は行けないなあとため息をつきながら瑠火さんと杏寿郎さんに連絡する。
「杏寿郎さん、すみません今週は仕事でちょっと会えそうになくて……というか、納期が12月25日の案件があって、それまで休みが不定休になりそうなんです」
今週は会えなさそうだとメッセージを送ったら夜に電話が来たのでのんびりお喋りを始める。
『そうしたらその日は仕事が終わってから一緒に過ごそう。俺もその日は終業式で早く仕事が終わる』
「いいですね! そんな目標が出来たら頑張れそうな気がしてきました」
『それは良かった。その後は直ぐに正月休みだろうし、ゆっくり温泉でも行こうか』
「あ〜、ゆっくりお湯にも浸かりたいです」
『よし、どこに行きたいか考えておいてくれ! 俺も探す』
「どんどん先の楽しみが出来ますね!」
旅行の話がトントン拍子で進んで、他にも今週あった出来事とかをとめどなく話して気付けばいい時間であくびが出てしまった。
『そろそろ寝ないとな。しっかり睡眠は取るんだぞ』
「ふふ、はい。杏寿郎さんもちゃんと寝てくださいね」
付き合う前から軽い社畜な私は睡眠そっちのけで仕事をしてしまい、煉獄家に迷惑をかけた前科がある。
それから杏寿郎さんは私の仕事が立て込み始めるとこうして釘を刺してくるようになった。
気にかけてもらえる面映ゆさ半分、迷惑心配かけている申し訳無さ半分で返事をすると「本当に分かっているのか?」と更に釘を刺してきたので「大丈夫です!」と言い切る。
『おやすみ「おやすみなさい」』
二人タイミングが合ったおやすみの言葉に笑いながら電話を切った。
週末は滞りなく顔合わせが終わって、家に帰ってから私は今回の仕事先のホテルのホームページを見る。
週が明けると怒涛の雑務と実務が始まるから今の内に――。
「よし、できた」
杏寿郎さんに確認していないけど、その日は終業式だって言っていたし思い切って部屋を予約した。
クリスマスだし、いつもと違うところで過ごしたいし……。心の中で誰かに言い訳するように予約完了メールを確認してパソコンを閉じる。
あとはいつ杏寿郎さんへ伝えるかだけど、追々考えればいっかなんて私は呑気に考えた。
週が開ければ予想通りの忙しさ。細かく変わる仕様や展示内容、展示物の使用許諾の確認作業など常に先方とやり取りをする。
終わるの? 本当に? 毎日そんな疑問が浮かぶけど手を止めている暇はない。
「大枠のデザインは決まったから……」
あとは、実際に展示したときにどうやって見えるかだ。
パソコンの画面で見ているのと立体になって見えるのとでは印象が全然違う。
まだ美術館の中をきちんと見たことがないから週末行ってみようかな。
折角なら杏寿郎さん誘ってデートしたい。会ったときにホテルを予約したことも話そう。
週末までならハロウィンのイベントも何かしらやっているだろうし、先週会えなかった分、話したいこと盛りだくさんなんて思ったらテンション上がってきた。
《今週の土曜か日曜に仕事関係で行きたい美術館があるんですけど都合どうですか?》
我慢できなくて昼休みにメッセージを送ると直ぐに既読が付いて返信が来る。
《すまない、今週は土日とも煉獄家で用事があって駄目なんだ》
《そうなんですね。了解です! そうしたらまた来週ですね〜》
煉獄家ってことは書道教室もお休みか。
ん? そうしたら瑠火さんと先週に引き続き二週間も会えないってこと?
杏寿郎さんとはメッセージや電話できるからいいけど、瑠火さん相手となると恐れ多くてなかなかメッセージや電話はできない。
瑠火さん欠乏症になって、干からびてしまうかもしれない由々しき事態が発生した。
スマホの煉獄家フォルダを開いてお気に入り設定している瑠火さんの写真を開く。カメラ目線で照れ笑いをしている瑠火さんの写真を見て、どうにか生き延びるしかない。
私は会う度に瑠火さんの写真を撮るという自分の行動にサムズアップした。
日曜日、一人で目的の美術館に来て施設の人に許可を貰って中に入る。
「この位置だと照明があんまり当たらないな」
図面で見ていただけでは気付かなかった現場の作りをメモしながら、デザインも明るくしたほうが見やすいかもと、いくつかの角度から写真に撮って確認していく。
一通り確認が終わって美術館の出口を抜けると、全面ガラス張りの窓の向こうに庭園が見えた。
「ここのホテル、庭園も有名だよね」
なんて独り言を言いながら美術館を出て庭に出ようとしたら足が止まる。
見覚えあるどころか、見間違える方が難しい髪色――煉獄家男性陣特有の鮮黄色の髪の毛と艶のある黒髪の女性。
間違いなく煉獄家だと思って、今日は家族で用事があるって言っていた場所は此処だったのかと思った。
みんな余所行きの格好をしているから何か集まりだったのかな?
声をかけてもいいのか悩んでいたら彼らの後ろから初老の感じの女性ともう一人――落ち着いた色合いの着物を召した女性。
この場面は見てはいけない。見てはいけないし私が遭遇してはならないと頭が警鐘が鳴らすけど、足に根っこが生えたみたいに動かない。
それでもどうにか後退りして気付かれないようにしていたら一番背の低い子――千寿郎くんが何を思ったのかこちらを向いた。
千寿郎くんは完全に私に気付いている。だって、目が合って大きな目を更に大きく見開いているから。
誰かが自分より慌てたり驚いていると、自分の方が途端に冷静になるのは何でだろう。
千寿郎くんの驚きぶりは私より大きくて、私は急激に落ち着いて体が自然に動き始めた。
――シィ。
此処で私が出ていったら話がややこしくなるのは目に見えているから、人差し指を自分の唇に当てて声を出しちゃ駄目だよと千寿郎くんに意思表示する。
「千寿郎? どうかしましたか?」
「すみません、今行きます!」
瑠火さんに促されたようで千寿郎くんは慌てて向き直ると去っていった。
……良かった。何とか私がここに居ることがバレずに済んだ。
壁の影からもう一度覗き込んで、彼らがこれから何処へ行くのかを確認する。
これから食事なら今帰ればいいし、帰るところならもう少し此処で時間を潰さなければならない。
私が鉢会うことだけは絶対に避けなければ。
美術館内で見た資料とか、庭園も見に行こうとかそんなことはすっかり頭から抜けて、彼らの動向だけに全神経を集中させた。
その日はどうやって帰ったかもちゃんと覚えていない。
考えのまとまらない頭だと何か変なことを口走ってしまいそうだと思うと、なかなか自分から杏寿郎さんに連絡出来ずにいた。
そうやって時間を置けば置くほど連絡ってしづらくなるもので、気付けば週の後半に入っている。
杏寿郎さんも忙しいのか向こうからも連絡は特になくて、連絡がないのはもしかしたらなんて考えてしまうのを振り払うように仕事を捌いた。
やっと迎えた週末の金曜午後、明日も仕事が確定したから瑠火さんに書道教室と夕食作りに行けない連絡をする。
瑠火さんからは仕事の労いと《仕事が落ち着いたら平日でも構わないのでお茶でもしましょう》って返ってきて、仕事への意欲が増した。
絶対に仕事をやり抜いて、満を持して瑠火さんに会いに行くんだ。
心の中でガッツポーズをしてから、杏寿郎さんにも連絡を……メッセージだけだと味気ないし電話にしよう。
今は杏寿郎さんも仕事中のはずだから夜に電話しようと、私はスマホを仕舞って仕事に戻った。
スマホの画面を眺めて、スリープしたらまた画面だけつけてを何回か繰り返す。
杏寿郎さんに電話しようと思うのに、なかなか踏ん切りがつかない。付き合いたてのカップルじゃあるまいし、何を躊躇っているんだ私は。
こんなときはお守りにしている桔梗のバッグチャームを見て考えをポジティブにしよう。それから電話をかけようと、テーブルに置こうとしたスマホが震えて着信を私に告げたから反射で通話ボタンをタップした。
「も、もしもし?」
『もしもし。メッセージも送らず電話してしまったが今大丈夫だろうか?』
「大丈夫です。私も今電話しようと思っていてので」
『なんだか久しぶりに声を聞くな!』
「なかなか連絡できなくてすみません」
『ナマエが謝ることは何もない。俺も仕事に埋没してしまっていたからな。明日は会えるのだろうか?』
「明日も仕事になっちゃって……。仕事が押し気味なので今月は書道教室を休むつもりなんです」
『そうか……。ちゃんと睡眠は取れているか?』
「はい。ご飯と睡眠はしっかり取るようにしているので!」
一週間ぶりに聞く杏寿郎さんの声に、緊張しているのか自分の声が若干上ずっている気がする。
『先週は俺の都合で一緒に出掛けられなくてすまなかった』
「いえいえ、杏寿郎さんには杏寿郎さんの都合がありますから!」
少しずつ緊張が解れていくと思っていたら、先週の話を出されて食い気味に返事をしてしまった。
大丈夫かな? 怪しまれたりしていないかな?
『都合の合う限りはナマエと出掛けたりしたいんだがな』
声だけでは杏寿郎さんがどういう風に感じ取ったか詳細まで分からなくて不安になったけど、杏寿郎さんはそのまま話を続けてくるからどうやら大丈夫っぽい。
『ちなみに仕事と言っていたがどこの美術館なんだ?』
「あー……隣県にあるウブヤシキホテル併設の美術館です」
『そうなのか!?』
美術館の場所を聞かれて正直に言えば、杏寿郎さんの驚いた声が耳に届いた。
「それで! 土曜日に行ってきたんですよ!」
『土曜日?』
「はい、土曜日です!」
元気いっぱいに答える私はとても怪しいが、日曜に行ったと口にしたら煉獄家と鉢合う可能性が出てしまう。
あくまで私はその日あの場所にいなかったことにしなければと、良心が痛みながらも嘘をついた。
杏寿郎さんといえば「ふむ」と考えたあと、声のトーンが変わったから私の背筋が伸びる。
『本当は会って話そうと思っていたのだが、ナマエに話がある』
「は、い」
多分、話の内容は先週の日曜のことのはずだ。
心の準備はしているつもりだけど、どう反応すればいいのかまでは考えていない。
『報告になってしまうのだが、先日見合いをした』
「そう、なん、ですね」
知っていますとは言えなかった。
やっぱりあの日、美術館――ホテルで見たのはお見合いだったんだ。
相手の方は後ろ姿しか見えなかったけど、姿勢正しく着物を着こなしていて瑠火さんの隣に並んでも遜色ない立ち振舞だった。
『誤解しないでくれ。煉獄家と昔から懇意にしている筋からの話だったから一度会うことになっただけで、その先を受けるつもりはない』
「……」
今私はどんな顔をして、どんな言葉を返すのが正解なのか分からない。
何も反応しない私に杏寿郎さんも次の言葉をどうしようか探しているみたい。
『今はまだきちんと伝えることができず不甲斐ないが、必ず伝えたい言葉があるから待っていてくれないか』
電話の向こうで杏寿郎さんも困っていると思っていたのは私の単なる思い込みで、私の焦りと反対に彼は落ち着いた声音で諭すように話を続けた。
心配や不安になるようなことは何もないとでも言うように。
『……もしもし?』
相変わらずなんの反応も示さない私に杏寿郎さんが疑わしげに声をかけてくる。
「え、あ、すみません。聞いてます! ちゃんと聞いてます!」
『大丈夫か?』
「……えっと、なんて言ったらいいか分からないんですけど」
『ゆっくりでいい。ちゃんと聞いてる』
先週見た光景を忘れるように仕事に没頭すれば、その反動でネガティブさが増していた。
それなのに杏寿郎さんの直接の言葉が心配を吹き飛ばそうとしてくるから、自分でもよく分からない感情がぐるぐるしている。
「杏寿郎さんの言葉って……安心します、ね」
『……』
今度は杏寿郎さんが黙ってしまった。
「杏寿郎さん?」
『やはり今から会いたい……が! 明日ナマエは仕事だ。我慢する!』
急に願望を言い出したと思ったら大きな声で我慢宣言をする杏寿郎さんに笑ってしまう。
「あはは、私も今日は寝ます!」
『それがいい。突然電話してすまなかった』
「いえ、こちらこそ電話してくれてありがとうございます」
『何かあったら……いや、何かなくとも連絡をくれ。直ぐに行くから』
「ふふ、そんなこと言ったら直ぐ呼んじゃいますよ?」
『む? 俺は本気だぞ』
ちょっと想像してみたけど本当に来そうだと思って顔が笑ってしまう。杏寿郎さんの声が聞けて良かった。
「少しでも話せて良かったです」
『俺もだ。おやすみ』
「はい、おやすみなさい」
電話を切った後改めて杏寿郎さんに「おやすみなさい」の文字とスタンプを送る。
杏寿郎さんからの返信は変な芋のキャラクターが布団に入っているスタンプ。
どこまでも芋が好きなんだと笑いながら寝室に行けば、買ったまままだ使われていない枕が袋に入った状態で寂しげにしていた。
「早く一緒に開けたいな」
布団に潜りながら杏寿郎さんと袋を開ける場面を想像しながら目を閉じる。
それからも杏寿郎さんに会える時間は取れなくて、世間は確実に年末へと近付き始めていた。
見合いが終わって日を置かずに断りの連絡をすると、大叔母は決めるには早いと納得していない様子だったが、一旦押し切った。
改めて場を設けたいとう大叔母の申し出が出た矢先に、母上の体調が思わしくなく検査のため入院となり、身の回りの変化がめまぐるしい。
母上が家に居ないことに父上は目に見えて憔悴して、千寿郎一人では大変だと、母上が家に居ない間は俺も一旦実家に戻ることにする。
見合いの話が出てからというもの、機会が折り合わず彼女と会える時間も取れておらず、メッセージや夜の時間が合えば電話ができることが今の俺の唯一の癒やしだった。
寝るために客間に向かっていると台所仕事を終えた千寿郎と廊下で会う。
「母上の代わりにすまないな。ありがとう」
「いえ、それは問題ありません。兄上も忙しい中ありがとうございます」
「俺はただ家に居て父上の酒の相手をするくらいしかしていない」
「俺にはまだそれが出来ないので」
未成年の千寿郎相手に父上も流石に管を巻くのは控えていたから俺がそれを聞いていた。本当に俺にできることと言えばそれくらいしかない。
この家での母上の存在の大きさと偉大さを改めて実感する。
「ところで兄上、母上の件はお伝えしたのでしょうか?」
「ん? 彼女にか? いや、伝えていない」
「え!?」
彼女が母上に懐いているのは誰もが知るところだから、俺が彼女に伝えていないことに千寿郎は何故だと全身で伝えてくる。
「彼女は今仕事が立て込んでいてな。集中している彼女に伝えて心配事を増やしたくないんだ」
「でも、後から知ったら怒るのではないでしょうか?」
「怒るだろうな。でもその矛先は俺だから問題ない」
心配をかけることと俺が怒られることを天秤にかけた結果、俺は彼女に伝えないことを選択した。
彼女は絶対に怒る。だがそれは母上ではなく口止めしていた俺に向かうはずだ。
それでいいと思った。彼女のどんな感情も全部受け止めたい。
「兄上、それとお見合いの件なのですが」
「ああ……」
考えたくはないが、考えなくてはならないことにため息が出そうになる。
母上のことがあり、大叔母の再度場を設けたいという申し出に保留を伝えると、見合い相手と大叔母と俺の三人で見舞いに行く段取りを組まされた。
大叔母の押しの強さというか、予定を押さえる早さには頭が下がる。
俺の心は決まっている。大叔母にも相手にも申し訳ないが、納得してくれるまで言い続けるしかない。
「お見合いの件も……伝えていないのでしょうか?」
仕事などで来られない日を除いて、彼女は毎週土曜にうちに来ているからか千寿郎もだいぶ彼女に懐いていた。
「最近会えていなくてな。電話にはなってしまったが見合いした件だけは伝えた」
伺うように聞いていくる千寿郎に、目線を合わせるためしゃがみ、頭を撫でながら言えば、目に見えてほっと息をつく。
「すべて話がまとまったら彼女に改めて話すつもりだ。弟にも心配かけて不甲斐ない」
「いえ! 俺は兄上を信じていますので。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
千寿郎が部屋に戻っていくのを見送って俺も客間へ向かった。
次の日、指定された場所で大叔母と見合い相手と待ち合わせて三人で母上の元へ行く。
母上の病室で近況などを軽く話して帰るとき、大叔母は用事があると言って早々に立ち去ってしまい、残された見合い相手を放っておくこともできず駅まで二人で歩いた。
「瑠火さんが思っていたより元気そうで安心しました」
「季節の変化で体調を崩すことがたまにあったから、今回はそれが顕著に出てしまったのだろう」
世間話などしながら駅について見合い相手と別れた後、思っていたより神経を使っていたようだと腕を大きく回して肩をほぐす。
彼女の声が聞きたくて、一度メッセージを送るが既読にならない。今は仕事中だろうか。
暫くしたら気付くかもしれないし、日が落ちるにはまだ早い時間。
彼女からの連絡を待ちながら、暫く外で時間を潰そうと家とは別方向へ行く電車に乗り込んだ。
目的もなく街を歩いていると、彼女に似合いそうなものを店先で見つける。
時期的にはまだ早いがクリスマスプレゼントに贈ろうと思って包んでもらい、店員の丁寧な見送りを受け店を出た。
洒落た紙袋に入った贈り物を見ながら苦笑う。
「似合いそうというより、俺の欲の結晶みたいだな」
これを受け取ってくれたときの彼女の反応を想像しながら電話を確認してみるも、返事はおろか既読にもなっておらず息を吐いた。
「今日は会うのは難しそうだな」
次に会えるのはいつになるんだ。
やはり早く彼女にともに暮らす話をしよう。
夜、寝る前に電話を再度確認したが、メッセージは既読になっていなかった。