#5
――仕事が忙しい。
忙しくなる案件を引き受けた自覚はあるから仕方ないと割り切れるが、土日に休めないのは結構痛い。
土日働いた分、平日に振替で休めるのがせめてもの救いだけど、書道教室はおろか瑠火さんにも会えていないし、なにより杏寿郎さんと連絡を取れていない。
仕事にゆとりが段々となくなって、最初こそメッセージのやり取りや電話をしていたけれど、最近はメッセージが来ても読むのが遅れて、次の日の朝にごめんなさいとだけメッセージを送ることが増える。
最後に杏寿郎さんに会ったとき、街はハロウィンの飾り付けもまばらだったのに、今はクリスマスの飾り付けに変わり始めていた。
* * *
土日出勤の振替で休みになった火曜日、お昼ごはんを外で食べるついでに資料になるようなデザイン書とかあるといいなあなんて駅前の大きめの本屋に足を運ぶ。
「あー、とど……かっ」
良さげな本を見つけたのに背伸びしても届かず、伸ばした脇腹が攣りそう。
駄目だ、店員さんを呼ぼう。そう思って背伸びを止めたら横から大きな影が私を覆った。
「どれだ? これか?」
大きな影は私の欲しかった本をひょいと手に取り私の目の前に差し出してくる。
「コレです。ありがとうございま、す」
渡された手は大きくて、そりゃ背も高いんだろうなあと見上げてみれば本当に背が高い。
そしてなんか、見たことある。話したこともある気がする。彼から度々聞く名前。
「あんた、煉獄のー」
どうやら向こうも私を認識してくれているらしい。
「ウズイさん」
「そーそー。どうも、煉獄の同僚の宇髄天元です」
「今学校の時間じゃないんですか?」
確か美術の先生だったっけ? 平日の昼になんで教師が街の本屋にいるんだろう?
「今日は午前しか担当授業がなかったからこうして派手に街を散策してたの」
学校の先生って結構自由なんだって思ったけど、多分そんなことするのはこの人だけな気もする。
杏寿郎さんだったらきっと小テストだったり次の授業の資料とか作っていそう。
そんな私の考えはウズイさんには筒抜けだったみたいだ。
「別にサボっているわけじゃないぜ。俺は美術のセンセーだからこうして本屋にデザイン書を見に来たわけだし」
「なるほど。だからここに居たんですね」
「そういうあんたは仕事中って感じじゃなさそうだな」
「私今日休日出勤の振替で休みなんです」
「ああ、今忙しいんだっけか」
「年末に向けてみんな忙しいので私だけじゃないですよ」
杏寿郎さんから聞いたのかな。まあ喋られて困る話でもないしと思って、他の本を探しつつ立ち話を始める。
「なあなあ、煉獄と最近会ってねーの?」
「私が今土日仕事なもので。平日は会う時間ないですし」
「ふーん、まあ学校も年末に向けて忙しいし、家バタついてっからなあ」
「進路のこともあるし先生も大変ですよね」
年末関係なく杏寿郎さんはいつも忙しそうだけど、家がバタついているってなんだろう。
お見合いの件なのか気になるけどそれはこの人からではなく、杏寿郎さんから聞きたいから合いの手の返事だけに留めた。
「まああんたも忙しいだろうけど、俺と本屋で会ったっつって軽い気持ちで連絡してみればいいさ。あいつも喜ぶ」
ウズイさんは何冊か本を見繕うと「じゃあな」って言って颯爽と去っていく。
本当にデザイン書探しに来てたんだなんて失礼なことを考えながら、私も他にも買うものを探して本屋を後にした。
本屋を出てさてどうしようかな、って考える。せっかくの平日休み、家で過ごすのは勿体ない。
瑠火さんから前にメッセージで平日でもいいからお茶しましょうって言われていたから連絡してみよう。
その時の話題だけだったとしても、瑠火さんはそう思っていなければそもそも言わないから誘ってみてもいいはずだと連絡したあと、私は病院に急いだ。
土日出勤の振替で休みになった火曜日、お昼ごはんを外で食べるついでに資料になるようなデザイン書とかあるといいなあなんて駅前の大きめの本屋に足を運ぶ。
「あー、とど……かっ」
良さげな本を見つけたのに背伸びしても届かず、伸ばした脇腹が攣りそう。
駄目だ、店員さんを呼ぼう。そう思って背伸びを止めたら横から大きな影が私を覆った。
「どれだ? これか?」
大きな影は私の欲しかった本をひょいと手に取り私の目の前に差し出してくる。
「コレです。ありがとうございま、す」
渡された手は大きくて、そりゃ背も高いんだろうなあと見上げてみれば本当に背が高い。
そしてなんか、見たことある。話したこともある気がする。彼から度々聞く名前。
「あんた、煉獄のー」
どうやら向こうも私を認識してくれているらしい。
「ウズイさん」
「そーそー。どうも、煉獄の同僚の宇髄天元です」
「今学校の時間じゃないんですか?」
確か美術の先生だったっけ? 平日の昼になんで教師が街の本屋にいるんだろう?
「今日は午前しか担当授業がなかったからこうして派手に街を散策してたの」
学校の先生って結構自由なんだって思ったけど、多分そんなことするのはこの人だけな気もする。
杏寿郎さんだったらきっと小テストだったり次の授業の資料とか作っていそう。
そんな私の考えはウズイさんには筒抜けだったみたいだ。
「別にサボっているわけじゃないぜ。俺は美術のセンセーだからこうして本屋にデザイン書を見に来たわけだし」
「なるほど。だからここに居たんですね」
「そういうあんたは仕事中って感じじゃなさそうだな」
「私今日休日出勤の振替で休みなんです」
「ああ、今忙しいんだっけか」
「年末に向けてみんな忙しいので私だけじゃないですよ」
杏寿郎さんから聞いたのかな。まあ喋られて困る話でもないしと思って、他の本を探しつつ立ち話を始める。
「なあなあ、煉獄と最近会ってねーの?」
「私が今土日仕事なもので。平日は会う時間ないですし」
「ふーん、まあ学校も年末に向けて忙しいし、家バタついてっからなあ」
「進路のこともあるし先生も大変ですよね」
年末関係なく杏寿郎さんはいつも忙しそうだけど、家がバタついているってなんだろう。
お見合いの件なのか気になるけどそれはこの人からではなく、杏寿郎さんから聞きたいから合いの手の返事だけに留めた。
「まああんたも忙しいだろうけど、俺と本屋で会ったっつって軽い気持ちで連絡してみればいいさ。あいつも喜ぶ」
ウズイさんは何冊か本を見繕うと「じゃあな」って言って颯爽と去っていく。
本当にデザイン書探しに来てたんだなんて失礼なことを考えながら、私も他にも買うものを探して本屋を後にした。
本屋を出てさてどうしようかな、って考える。せっかくの平日休み、家で過ごすのは勿体ない。
瑠火さんから前にメッセージで平日でもいいからお茶しましょうって言われていたから連絡してみよう。
その時の話題だけだったとしても、瑠火さんはそう思っていなければそもそも言わないから誘ってみてもいいはずだと連絡したあと、私は病院に急いだ。
* * *
「るるるる瑠火さんっ!!!」
「静かに」
瑠火さんにお茶しませんかとメッセージを送ったら入院中だと言われたのが一時間くらい前。
「すみませんっ! あの、御身体の具合は? 起き上がってて大丈夫なんですか?」
瑠火さんの病室は大部屋ではなく個室で、病気が重いのか煉獄家――槇寿郎さんの独断なのかが分からない。
泣きそうになるのを堪えて病室に入れば、椅子に座りなさいと冷静に返される。
瑠火さんの血色の良い顔に安心したけど少し痩せた?
「瑠火さんが入院しているなんて全然知りませんでした……」
「最近目眩の頻度が上がっていたのでただの検査入院ですよ」
「入院するほどの検査だってことですよ!」
「黙っていてすみません、杏寿郎に連絡を止められまして」
「え……」
杏寿郎さん、私が瑠火さんのこと大好きなの知ってて教えるのを止めてたの?
取り乱すから? いや、知った瞬間道路に飛び出す勢いでタクシー止めたけど。
「貴女の仕事の支障になりかねないと判断したのでしょう。私もそれで良かったと思います」
「瑠火さん……」
私が仕事仕事言っているばかりに周りに気を使わせてしまった。
「すみま「謝るんじゃありません」……はい」
「貴女は貴女の為すべきことを責任持ってやっているだけです。ねぎらい、いたわりこそすれ責める道理は何処にもありませよ」
「はい、ありがとうございます」
瑠火さんは私の申し訳なさからくる謝罪の言葉をピシャリと止めると、厳しくも優しい言葉をくれる。
「日々の仕事お疲れさまです。今日はお休みなんですよね。時間があるなら最近のナマエさんの様子を教えてくれませんか? 何もすることのない病院は退屈なんです」
その言葉に私は最近あったことや、杏寿郎さんとのやり取りも交えつつ話をすれば瑠火さんは柔らかい笑顔で聞いてくれた。
瑠火さんの笑顔の前ではふんわりと優しく温かい気持ちになっていく感覚。
ああ、杏寿郎さんが前言っていた「母上みたい」発言はここから来るのかな。
母親みたいじゃなくて、安心できるという意味なら嬉しい。
久しぶりに瑠火さんに会えた嬉しさも相まって話し込んでいると、病室の扉がノックされ一拍おいて開いた。
「失礼します。瑠火さんこんにちは。……すみません、来客中でしたか」
「いえ、大丈夫ですよ。どうしたのですか?」
「大叔母さまから届けるように頼まれました」
上品な着物を着た年若そうな女性は瑠火さんに封筒を渡す。
大叔母様と言っていたし、親族の方かな。
椅子から立ち上がり、一歩下がって二人のやり取りが終わったタイミングを見計らって挨拶をした。
「こんにちは。私、瑠火さんの書道教室に通っている者です」
「そうなのですね、はじめまして。私は瑠火さんの息子さん――杏寿郎さんと婚約予定の者です」
「っ! こ、んやく」
“婚約”の二文字に息が詰まる。そうか、この人が前美術館で見た――杏寿郎さんのお見合い相手。
「……その話は終わっているはずですが?」
「すみません、まだ正式ではないと言われていたので」
瑠火さんはベッドから状況を正すようにしたけれど、目の前の人は結婚する気満々みたい。
お見合いして気が合ったのかな。
そうだよね。杏寿郎さんと結婚したら絶対大事に幸せにしてくれそうだもん。
「お話中のところ失礼しました。今日は帰ります。瑠火さん、また週末に杏寿郎さんと伺いますね」
私が二の句を告げられずにいると、お見合い相手さんは丁寧にお辞儀をして病室を出ていった。
帰るべきは私だったんじゃないか?
病室には私と瑠火さん、そして彼女の付けていた香水の甘い香りだけが残っている。
「彼女が失礼しました」
「いえ、大丈夫です。私こそ固まっちゃってすみません」
あはは、と乾いた笑いをしても瑠火さんがそれを良しとするわけではない。
お見合い相手さんが来たときに立ち上がったままだった私に「座ってください」と促す瑠火さんに素直に従う。
「杏寿郎から見合いの話は聞いていますか?」
「はい、この前見合いをしたとだけ聞きました。その後のことは特に何も……」
「これは息子の名誉を守るための親バカと思って聞いてください」
「……」
「あちらの方にも話は終わったと言いましたが、既に杏寿郎から断りの連絡をしています。なので彼女は婚約者にはなりませんよ」
「そう、なんですね」
前に電話したときは「待っててくれ」と言われたけど、いざ目の前に相手が現れると動揺してしまう。
「大丈夫です! どんな結果になっても私は瑠火さんの書道教室辞めませんから!」
杏寿郎さんとのことではなく瑠火さんとのことを言う私。
考えたくないけど、もし恋人なら破局の可能性もある。
でも瑠火さんと私は先生と生徒だからこの関係は杏寿郎さんとのこととは別の話だ。
「それは……。ええ、是非辞めないでください」
勢いよくいう私に一瞬目を開いた瑠火さんはさっきよりも柔らかく笑った。
あの後またお喋りを始めてしまい、気付けば夕方のいい時間になっている。
検査入院とだけあって、結果に問題がなければ来週には退院できるらしい。
コンコンとまたノックする音と同時に病室の扉が開いて、今度はよく知っている人が入ってきた。
「瑠火、調子はどうだ? ん? 君も来ていたのか」
「槇寿郎さん、お仕事お疲れさまです。体調は良好ですよ」
「槇寿郎さん、お久しぶりです。お邪魔しています」
「久しぶりだな。ここのことは杏寿郎から聞いたのか?」
槇寿郎さんに私の席を譲るとありがとうと言って腰を落ち着かせる。
「いえ、今日私の仕事が休みだったので、瑠火さんに会おうと思って連絡したら入院しているって聞いて……。心臓が止まるかと思いました」
「はは、すまない。杏寿郎から口止めされていてな」
瑠火さんと同じように槇寿郎さんも杏寿郎さんから口止めされていたみたい。
私に心配させまいとする気遣いは嬉しいけど……やっぱり寂しいな。
いけない、折角の気遣いに寂しいとか言ったら贅沢だ。
そんな考えを振り払うように私はコートと荷物を抱える。
「瑠火さんと久しぶりに会えたのが嬉しくて長居しちゃってすみません。帰ります」
「出口まで見送ろう」
「いえ! 大丈夫です。槇寿郎さんは瑠火さんの傍に居てください!」
「あ、ああ」
槇寿郎さんの元気の源である瑠火さんに病院で会える時間は限られている。それを私が短くしていいわけがない。
だからわざわざ見送らなくていいと思って強めに言ったら、槇寿郎さんは気圧されたみたいだった。
「今日は来てくれてありがとうございます。ナマエさんと喋れて病院で退屈せずにすみました」
「また時間が合えば来ますね」
笑顔で送り出してくれる瑠火さんと槇寿郎さんに挨拶して帰りの電車に乗る。
瑠火さんの入院のこと、今日じゃなくてもっと早く知りたかったな。
外はすっかり暗くてポツポツと灯されている住宅の明かりを見ながら、今日会った杏寿郎さんのお見合い相手のことを考えた。
瑠火さんが入院しているのも知っていたし、“また来る”って言っていたな……杏寿郎さんと。
あの言い方だとお見合い以降も会っているってことだし、断ったって言っていたけど。
“待っててくれ”と言われて、彼はその約束を違えるような人じゃないのは知っているけど、待った先に私の望みじゃない言葉が来ることだってありえるよね。
バッグの奥底に仕舞われているお守りを手だけでなぞりながら、大丈夫だと自分に言い聞かせる。
あとで……元気があれば電話してみよう。
休みだし夕食は作ろうかと思ったけど今日はもう無理。
作る気になれなくて以前から行っていみたいと思っていた「かまどベーカリー」に足を運んだ。
時間的に仕事帰りの人たちで賑わう店内、杏寿郎さんの言う通りサツマイモ系のパンが多くてどれも美味しそうな見た目をしている。
杏寿郎さんはどれが好きかな? 「どれも好きだ!」って言って全種類買いそう。
そうしたら部屋でプチ試食会とかするのも楽しいかもしれない。
「こんばんは!」
何を買おうか迷っていると、この前ショッピングモールで会ったかまどくんがエプロンを着けていた。どうやら出来たてのパンの補充に来たみたい。
「かまどくん! こんばんは! 買いにきたよ」
「ありがとうございます!」
「どれも美味しそうで迷うね。今日のオススメとかあったりするのかな?」
「この胡桃とサツマイモのパンが今日からの新作でオススメですよ!」
トレイに乗ったパンは焼きたてで、甘くいい香りを存分に放っている。
「形がなんだかサツマイモみたいだね」
率直な感想を言うとかまどくんは物凄く嬉しそうな顔をした。
「そうなんです! サツマイモをたくさん入れているので形もそれっぽくすればって六太――えっと俺の一番下の弟の一言がきっかけで!」
「ふふ、見た目から美味しそうって大事だよね。じゃあコレ一ついただきます」
「はい、他のも当店自慢なのでゆっくり見てください」
トングでパンを一つ取ると、かまどくんは忙しくまた店の裏へと戻っていく。
学校の後で店の手伝いして偉いなあ。
精力的に働くかまどくんを見て自分も頑張ろうって思えたけど、杏寿郎さんに《ウズイさんに会いましたよ》の報告する元気まではやっぱり出なかった。
「るるるる瑠火さんっ!!!」
「静かに」
瑠火さんにお茶しませんかとメッセージを送ったら入院中だと言われたのが一時間くらい前。
「すみませんっ! あの、御身体の具合は? 起き上がってて大丈夫なんですか?」
瑠火さんの病室は大部屋ではなく個室で、病気が重いのか煉獄家――槇寿郎さんの独断なのかが分からない。
泣きそうになるのを堪えて病室に入れば、椅子に座りなさいと冷静に返される。
瑠火さんの血色の良い顔に安心したけど少し痩せた?
「瑠火さんが入院しているなんて全然知りませんでした……」
「最近目眩の頻度が上がっていたのでただの検査入院ですよ」
「入院するほどの検査だってことですよ!」
「黙っていてすみません、杏寿郎に連絡を止められまして」
「え……」
杏寿郎さん、私が瑠火さんのこと大好きなの知ってて教えるのを止めてたの?
取り乱すから? いや、知った瞬間道路に飛び出す勢いでタクシー止めたけど。
「貴女の仕事の支障になりかねないと判断したのでしょう。私もそれで良かったと思います」
「瑠火さん……」
私が仕事仕事言っているばかりに周りに気を使わせてしまった。
「すみま「謝るんじゃありません」……はい」
「貴女は貴女の為すべきことを責任持ってやっているだけです。ねぎらい、いたわりこそすれ責める道理は何処にもありませよ」
「はい、ありがとうございます」
瑠火さんは私の申し訳なさからくる謝罪の言葉をピシャリと止めると、厳しくも優しい言葉をくれる。
「日々の仕事お疲れさまです。今日はお休みなんですよね。時間があるなら最近のナマエさんの様子を教えてくれませんか? 何もすることのない病院は退屈なんです」
その言葉に私は最近あったことや、杏寿郎さんとのやり取りも交えつつ話をすれば瑠火さんは柔らかい笑顔で聞いてくれた。
瑠火さんの笑顔の前ではふんわりと優しく温かい気持ちになっていく感覚。
ああ、杏寿郎さんが前言っていた「母上みたい」発言はここから来るのかな。
母親みたいじゃなくて、安心できるという意味なら嬉しい。
久しぶりに瑠火さんに会えた嬉しさも相まって話し込んでいると、病室の扉がノックされ一拍おいて開いた。
「失礼します。瑠火さんこんにちは。……すみません、来客中でしたか」
「いえ、大丈夫ですよ。どうしたのですか?」
「大叔母さまから届けるように頼まれました」
上品な着物を着た年若そうな女性は瑠火さんに封筒を渡す。
大叔母様と言っていたし、親族の方かな。
椅子から立ち上がり、一歩下がって二人のやり取りが終わったタイミングを見計らって挨拶をした。
「こんにちは。私、瑠火さんの書道教室に通っている者です」
「そうなのですね、はじめまして。私は瑠火さんの息子さん――杏寿郎さんと婚約予定の者です」
「っ! こ、んやく」
“婚約”の二文字に息が詰まる。そうか、この人が前美術館で見た――杏寿郎さんのお見合い相手。
「……その話は終わっているはずですが?」
「すみません、まだ正式ではないと言われていたので」
瑠火さんはベッドから状況を正すようにしたけれど、目の前の人は結婚する気満々みたい。
お見合いして気が合ったのかな。
そうだよね。杏寿郎さんと結婚したら絶対大事に幸せにしてくれそうだもん。
「お話中のところ失礼しました。今日は帰ります。瑠火さん、また週末に杏寿郎さんと伺いますね」
私が二の句を告げられずにいると、お見合い相手さんは丁寧にお辞儀をして病室を出ていった。
帰るべきは私だったんじゃないか?
病室には私と瑠火さん、そして彼女の付けていた香水の甘い香りだけが残っている。
「彼女が失礼しました」
「いえ、大丈夫です。私こそ固まっちゃってすみません」
あはは、と乾いた笑いをしても瑠火さんがそれを良しとするわけではない。
お見合い相手さんが来たときに立ち上がったままだった私に「座ってください」と促す瑠火さんに素直に従う。
「杏寿郎から見合いの話は聞いていますか?」
「はい、この前見合いをしたとだけ聞きました。その後のことは特に何も……」
「これは息子の名誉を守るための親バカと思って聞いてください」
「……」
「あちらの方にも話は終わったと言いましたが、既に杏寿郎から断りの連絡をしています。なので彼女は婚約者にはなりませんよ」
「そう、なんですね」
前に電話したときは「待っててくれ」と言われたけど、いざ目の前に相手が現れると動揺してしまう。
「大丈夫です! どんな結果になっても私は瑠火さんの書道教室辞めませんから!」
杏寿郎さんとのことではなく瑠火さんとのことを言う私。
考えたくないけど、もし恋人なら破局の可能性もある。
でも瑠火さんと私は先生と生徒だからこの関係は杏寿郎さんとのこととは別の話だ。
「それは……。ええ、是非辞めないでください」
勢いよくいう私に一瞬目を開いた瑠火さんはさっきよりも柔らかく笑った。
あの後またお喋りを始めてしまい、気付けば夕方のいい時間になっている。
検査入院とだけあって、結果に問題がなければ来週には退院できるらしい。
コンコンとまたノックする音と同時に病室の扉が開いて、今度はよく知っている人が入ってきた。
「瑠火、調子はどうだ? ん? 君も来ていたのか」
「槇寿郎さん、お仕事お疲れさまです。体調は良好ですよ」
「槇寿郎さん、お久しぶりです。お邪魔しています」
「久しぶりだな。ここのことは杏寿郎から聞いたのか?」
槇寿郎さんに私の席を譲るとありがとうと言って腰を落ち着かせる。
「いえ、今日私の仕事が休みだったので、瑠火さんに会おうと思って連絡したら入院しているって聞いて……。心臓が止まるかと思いました」
「はは、すまない。杏寿郎から口止めされていてな」
瑠火さんと同じように槇寿郎さんも杏寿郎さんから口止めされていたみたい。
私に心配させまいとする気遣いは嬉しいけど……やっぱり寂しいな。
いけない、折角の気遣いに寂しいとか言ったら贅沢だ。
そんな考えを振り払うように私はコートと荷物を抱える。
「瑠火さんと久しぶりに会えたのが嬉しくて長居しちゃってすみません。帰ります」
「出口まで見送ろう」
「いえ! 大丈夫です。槇寿郎さんは瑠火さんの傍に居てください!」
「あ、ああ」
槇寿郎さんの元気の源である瑠火さんに病院で会える時間は限られている。それを私が短くしていいわけがない。
だからわざわざ見送らなくていいと思って強めに言ったら、槇寿郎さんは気圧されたみたいだった。
「今日は来てくれてありがとうございます。ナマエさんと喋れて病院で退屈せずにすみました」
「また時間が合えば来ますね」
笑顔で送り出してくれる瑠火さんと槇寿郎さんに挨拶して帰りの電車に乗る。
瑠火さんの入院のこと、今日じゃなくてもっと早く知りたかったな。
外はすっかり暗くてポツポツと灯されている住宅の明かりを見ながら、今日会った杏寿郎さんのお見合い相手のことを考えた。
瑠火さんが入院しているのも知っていたし、“また来る”って言っていたな……杏寿郎さんと。
あの言い方だとお見合い以降も会っているってことだし、断ったって言っていたけど。
“待っててくれ”と言われて、彼はその約束を違えるような人じゃないのは知っているけど、待った先に私の望みじゃない言葉が来ることだってありえるよね。
バッグの奥底に仕舞われているお守りを手だけでなぞりながら、大丈夫だと自分に言い聞かせる。
あとで……元気があれば電話してみよう。
休みだし夕食は作ろうかと思ったけど今日はもう無理。
作る気になれなくて以前から行っていみたいと思っていた「かまどベーカリー」に足を運んだ。
時間的に仕事帰りの人たちで賑わう店内、杏寿郎さんの言う通りサツマイモ系のパンが多くてどれも美味しそうな見た目をしている。
杏寿郎さんはどれが好きかな? 「どれも好きだ!」って言って全種類買いそう。
そうしたら部屋でプチ試食会とかするのも楽しいかもしれない。
「こんばんは!」
何を買おうか迷っていると、この前ショッピングモールで会ったかまどくんがエプロンを着けていた。どうやら出来たてのパンの補充に来たみたい。
「かまどくん! こんばんは! 買いにきたよ」
「ありがとうございます!」
「どれも美味しそうで迷うね。今日のオススメとかあったりするのかな?」
「この胡桃とサツマイモのパンが今日からの新作でオススメですよ!」
トレイに乗ったパンは焼きたてで、甘くいい香りを存分に放っている。
「形がなんだかサツマイモみたいだね」
率直な感想を言うとかまどくんは物凄く嬉しそうな顔をした。
「そうなんです! サツマイモをたくさん入れているので形もそれっぽくすればって六太――えっと俺の一番下の弟の一言がきっかけで!」
「ふふ、見た目から美味しそうって大事だよね。じゃあコレ一ついただきます」
「はい、他のも当店自慢なのでゆっくり見てください」
トングでパンを一つ取ると、かまどくんは忙しくまた店の裏へと戻っていく。
学校の後で店の手伝いして偉いなあ。
精力的に働くかまどくんを見て自分も頑張ろうって思えたけど、杏寿郎さんに《ウズイさんに会いましたよ》の報告する元気まではやっぱり出なかった。