#6
忙しい――。
新米の枠から出たためか、昨年よりも教師として任されることが多くなった。
年末にかけて学校の怒涛のイベントに期末考査の準備、それが終わる前に来年の進路や来年度のことも考え始めなければならない。
ナマエとともに買った枕は未だ使われることなく部屋の片隅に置かれていて、見る度に小さくため息が漏れる。
専門科目の宇髄ですら休みである土曜日に学校に来て仕事をしていた。
「煉獄、昼飯買いに行こうぜ」
宇髄とともに近くのコンビニに行って昼食を選ぶべく弁当コーナーに真っ直ぐ進む。
「そういやお前彼女からなんか聞いた?」
おにぎりを選びつつ、甘味コーナーで新作のさつま芋プリンに手を伸ばしていた俺の手が止まった。
何故宇髄からナマエの名前が出る?
「……なんの話だ?」
「あ? 聞いてねえの?」
「聞いてないな! というよりも一ヶ月ほど会えていない!」
「……マジカヨ」
自分で言って改めて自覚した。かろうじてメッセージや短い時間の電話はするが、二人会う時間をまともに作れていない。
だから宇髄から発せられるナマエの話にさつま芋プリンを掴む手に力が入り、ピシリとプラスチックが悲鳴を上げた。
「あー、この前の火曜だったか? 午後の授業なかったから駅前の本屋に行ったらよ、お前の彼女が居たんだよ」
「そうだったのか! ナマエ――彼女は今土日に仕事が入っているからその分平日は休みなんだ!」
ナマエに関して知っている情報を喋る俺は、何を宇髄に張り合っているのだと自分で思う。
「聞いた聞いた。向こうにも聞いたけどお前ら平日会わねえの?」
「時間があれば電話などはするが会わないな」
「ふーん、寂しくねえの?」
「正直寂しい!」
「じゃあ会えばいいじゃねえか」
「お互い次の日の職務に影響が出るとマズイ。休息や睡眠を優先させている」
「まあ、お前らが二人で決めたことなら俺は何も言わねえけど」
大量の菓子をカゴに入れていく宇髄を横目に見ながら暫し考える。
平日会わないとしているのは取り決めにしたわけではなく、なんとなくそういう流れになっていた。
もし次の日に影響が出ないのなら会ってもいいのではないか?
俺がナマエに触れるのを我慢できるかが問題だが、会えるなら会いたい。
ナマエの仕事が一段落したら提案してみよう。
いや、それよりも同棲の話をするんだ。ナマエが引っ越すならそのときに合わせて……。
頭の中で順番を組み立てながら、俺はさつま芋プリンをもう一つ取ってからレジに向かった。
明くる日曜、母上の見舞いに行こうと父上、千寿郎とともに家を出るとき、電話がナマエからのメッセージを受信する。
《今日休みなんですけど会えますか?》
今日は休みだったのか。
会いたい……が母上の入院のことをナマエに伝えていない。
心苦しく思いながらも《すまない、今日は別な用事があって外出している》と返信すれば了解とスタンプが送られてくる。
見舞いが終わった後――夕方くらいからなら会えるかもしれない。
そう思って再度メッセージを送ろうと文字を打ちながら外に出ると、玄関の前で見合いをした彼女が家の呼び鈴を鳴らそうとしているところだった。
「おはようございます」
「お、はよう」
「大叔母さまから伺ったのですが、今日瑠火さんのところに行かれるんですよね? よければ私も一緒にと思いまして」
「見舞いに行くのは構わないが……」
何故君が行く必要があるんだ、と出かけた言葉を飲み込む。
「先日大叔母さまからの届け物を瑠火さんにしたときに、週末杏寿郎さんと来ますとお伝えしたので」
「そうか、だが俺は何も聞いていない」
「申し訳ありません。連絡先を知らなくて今日直接来てしまいました」
俺含め、父上も千寿郎もどうするべきか悩んでいる様子だ。いつもなら此処で母上が間に入ってくれることに甘えていたなと自分を律する。
母上の身を案じてくれている人に断る理由がどこにもない。
メッセージの入力途中だった電話を仕舞って息をつく。此処は長男たる俺がなんとかしなくては。
「分かった。それでは一緒に行こう」
そう言うと彼女はほっとした顔をした。
病院へは父上の運転する車で向かう。助手席に千寿郎、後部座席に俺と見合い相手が座っている。
家族以外の第三者がいるだけで、会話というものはこんなにもないものなのかと思うほど車内は静かだった。
もし隣に座っているのが見合い相手ではなく、ナマエだったらと考えたらそこまで重たくならない――むしろ賑やかになりそうだ。
それはナマエが家族に馴染んでいる証拠であるし、どんな会話をするだろうかと想像してみる。
酒を飲むのも好きだから父上とは新酒の情報や新しい飲み方の話をするだろう。
千寿郎には学校の様子を聞きながら、自身の学生時代の失敗談や面白かった出来事を話しそうだ。
母上とはそうだな、先日着物の柄の意味を聞いたりしていたから更に深堀りして聞きそうだ。電話のカメラを片手に隙あらば写真を撮りながら――。
ナマエの電話に母上の写真は一体どれくらいあるのだろうか。今度見せてもらおう。
「……っくしゅ」
今この場にいない彼女のことを一人考えに耽っていると、隣に座る見合い相手がくしゃみをした。
「寒いですか? 車内の温度を上げますね」
「申し訳ありません。ありがとうございます」
千寿郎が車内温度の設定を変えたのを確認して、俺は手元にあった自身のマフラーを手渡す。
「温度があがるまで少し時間がかかるだろう。これを巻いておくといい」
「え、いいのですか?」
「風邪を引いたりしたら大変だからな」
「それでは遠慮なく……ありがとうございます」
マフラーを巻く見合い相手にうむと頷いていたら、父上がルームミラー越しになんとも言えない目で俺を見ている。
「父上? どうしました?」
「……いや、なんでもない」
それっきり車内はまた特に会話が発生することもなく病院へ向かった。
母上の検査結果は問題なく、来週半ばにも退院できるのが確定となり父上はとても安心している様子。
俺も千寿郎も胸を撫で下ろし、車内で会話が殆どなかったなど嘘のように会話が弾んだ。
「退院の件を生徒さんに伝えたら喜びそうですね」
「そうですね、後ほど連絡をしようと思います」
見合い相手と母上の会話を聞きながら、書道教室は平日も小学生中心に開いているからその連絡だろうと思ったが次の言葉に耳を疑う。
「瑠火さんはお見舞いに来てくれる生徒さんまでいるなんてとても慕われているんですね」
「は……」
今、なんと言った?
母上の見舞いに来る生徒なんて一人しか心当たりがない。
なんでナマエが母上の入院のことを知っているのだと父上と千寿郎を見ると、千寿郎は驚いている。
「父上?」
「バカモン、俺と決めつけるな。瑠火と連絡を取った際に直接聞いたらしい」
ナマエには特段伝えないと話の流れで言った程度だから、母上にはそこまで強く口止めはしていなかった。
だが、ナマエが母上のことを知ったのに何故俺に連絡が来ない?
なんで教えてくれないんだと言ってくるかと思っていたのだが……。いや、それよりも――。
「君はそのナマエ――生徒と……何か話したのだろうか?」
「先にいらっしゃっていたので挨拶だけさせていただきました」
やはり邂逅したのか。母上がその場にいただろうから何事もないと信じたいが、ナマエからそのことについても連絡が来ないことに焦燥感が生まれる。
「杏寿郎」
なんでだと口を閉じ考えていると、名前を呼ばれハッとした。
「っ、どうしましたか? 母上」
「貴方は昨日も仕事だったのでしょう。母は大丈夫なので今日は先に帰りなさい」
母上の真っ直ぐな瞳が言外にナマエと話をしてこいと言っている。
仮に俺の気の所為で言葉通りの意味であったとしても、俺には有り難い言葉だった。
今は少しでも早くナマエと話をしたい。
「申し訳ありません母上。今日は言葉に甘えて先に帰ります」
上着を手に取って退室し、早歩きで病院の廊下を進む。
病院から出たらまずはナマエに連絡して、休みだと言っていたから家にいれば行けばいいし、出掛けているならその場所に行こう。
どの道順がナマエの家へ最短で行けるか考えながら病院を出ると、後ろから大きく名前を呼ばれた。
「杏寿郎さん!」
見合い相手が俺の後を追ってきたのか、息を切らしている。
「どうしたのだろうか?」
「少しお話がしたくて。どこかでお茶でもしませんか?」
「いや、俺はこれから行くところがあるのでこのまま失礼する」
「そうしたら、あの、連絡先を交換してもよろしいでしょうか?」
今は目の前の相手に構っている時間も惜しく感じるが、無下にもできない。
電話の画面をつけると朝、ナマエに送ろうとしていたメッセージの文章が中途半端に残っていた。
「杏寿郎さん?」
電話を見ているだけで何も行動を起こさない俺の名を呼ぶ見合い相手。
俺が名前で呼ばれたいのは目の前の人ではなくナマエだ。
ナマエの声で俺の名前を呼んでほしい。
「すまないが連絡先の交換はしない。ここで解散させてくれ。大叔母から聞いているか俺には判断がつかないのだが、今回の見合いは断っている。……俺には人生を共にしたい人がいる。その中で見合いをしたこと自体、不誠実だと今となっては反省している」
そもそもは家の面目もあるだろうと、俺の自分本位で自己中心な考えで進めてしまった見合い話。
目の前の人は何一つ悪くなく、一方的に振り回してしまったと頭を下げた。
「……瑠火さんのお見舞いに来ていた方ですか?」
「そうだ」
隠すことなどしない。ナマエと俺の関係に何も疚しいことなどない。
「やはりそうだったのですね」
「?」
「先日病室に伺った際、彼女が先にいらしていたのですが瑠火さんがとても優しい雰囲気を出していたんです」
ナマエが母上を好きなように、ナマエも彼女のことを好いている。娘にしたいと俺を焦らせる程に。
「身を引く――というよりは断られた者の言としてですが、そういった大切な方が居るなら異性に軽々しくマフラーなどを貸してはいけませんよ」
見合い相手はそう言うと、行きの車内で貸したマフラーを手渡してくる。
「すまない」
「善意だと分かっていても、まだ希望があるのかも思ってしまうので」
「……忠言痛み入る」
「大叔母さまはまだ諦めていないようなので頑張ってくださいね」
見合い相手はまた母上のいる病室に戻ると言うのでそのまま別れ、俺は駅に走った。
メッセージは電車で送ればいい。
とにかく今はナマエに会いたかった。