#8

 家に帰ってスマホを見ると着信とメッセージ受信の知らせが沢山来ていた。
 帰り道はスマホを見ることなく帰ってきちゃったからな。誰だろうと確認すると着信もメッセージ送信者も全部杏寿郎さんだった。
 え? 何これ? どうしたの?
《今から会えないだろうか?》
《出かけているならそこに行く》
《休みで寝ていたらすまない》
《そちらの家に向かうので気付いたら連絡をくれ》
 数分〜数十分おきに来ていたメッセージに一度も気付かなかった自分も大概だけど、杏寿郎さんどうしたんだろう。
 うちに来るってメッセージは三十分くらい前で、最後の着信は五分前。これはもういつものコンビニに居るのでは?
 会いたいけど今は会いたくない。言わなくていいことまで言ってしまいそう。
 どうしようと考えても仕方がなくて、着信履歴から杏寿郎さんの番号をタップする。
「もしもし?」
『――』
「あれ? もしもーし?」
『もしもし! 何度も連絡してしまってすまない』
「いえ、私こそ全然気付いていなくてすみません」
『今家にいるのだろうか?』
「はい、今買い物から帰ってきました」
『帰ってきて早々申し訳ないが今から行ってもいいだろうか?』
「えーと、はい。大丈夫です。今コンビニですか?」
 部屋を見回して汚れてないことを確認して返事をする。
『ああ、何か買っていくのはあるか?』
「いや、買うものはないです。待ってますね」
 短いやり取りをして通話が終わると五分もしないうちに家のインターホンが鳴る。
 玄関を開けると外の風と一緒に入ってくる杏寿郎さん以外の甘い香りに、かまどベーカリーで聞いた女子高生の会話がフラッシュバックした。
「いらっ、しゃ……い」
「……あがってもいいだろうか?」
「片付けてないけど大丈夫ですか?」
「問題ない!」
 いつもどおりに笑う杏寿郎さんと反対に自分の顔が強張るのが分かる。
 笑え、笑え。仕事で培った笑顔を貼り付けて杏寿郎さんを部屋に通そうとすると、私の前で立ち止まった。
「……泣いたのか?」
「え?」
「目が少し赤い」
 親指で優しく目尻を掬う杏寿郎さんに首を振る。
「あ、これは冷たい風が目に染みちゃって。もう冬ですね!」
「……」
「お茶淹れるので座っててください」
「……ああ」

 お茶を淹れて部屋に行けば、杏寿郎さんはついていないテレビを眺めていた。
「なんか部屋にいますか?」
「む?」
「なんだかぼーっとしていたので。疲れてます?」
「いや、大丈夫だ」
 杏寿郎さんはお茶を一口飲んでコップの中を見つめていて、やっぱり様子がおかしい。
「なあ……」
「はい?」
「俺に言うことはないだろうか!?」
「言うこと、ですか?」
 突然いつもの調子で言い始める杏寿郎さんに面食らったけれど、言いたいことはたくさんある。
 瑠火さんの入院を黙っていたこと、ウズイさんと会ったこと、かまどベーカリーに杏寿郎さんの好きそうなパンが沢山あったってこと……会いたかったから今会えて嬉しいってこと。
 それなのに、杏寿郎さんの纏う香りに頭が別な思考で埋め尽くされていく。
 私はその匂いを知っている。
 この前瑠火さんのお見舞いに行ったときに会った人からも同じ匂いがした。
 香りが移ってしまうほど、昼間一緒に居たのかな。その後私に会うとか杏寿郎さんってばプレイボーイじゃん、なんて思考が現実逃避し始める。
 信じてるけど、信じられる言葉が今は欲しい。
「杏寿郎さんが気を遣ってくれるの凄く嬉しいです。私のこと考えてくれているんだって分かるんです」
「……」
「でも寂しかったです。瑠火さんのこと教えてくれなかったのも! お見合いのこととかも!」
 責めたいんじゃないのに口にし始めたら止まらない言葉に気が昂ぶっていく。
 違う。私が言いたいことはこれじゃない。
 膝の上で手をギュッと握って必死に頭の中を整理する。
「私は……もっと巻き込んでほしいんです」
「それ、は……」
「杏寿郎さんの人生にもっと巻き込んでくださいよ。貴方と私の将来に関わることなら尚更私を蚊帳の外にしないでください……」
「――すまない」
 ポツリと落ちた言葉と反対に私の顔があがる。
 あ、やらかした。直感でそう思った。
 杏寿郎さん困ってる。
 私の言葉にどう返そうか悩んでいるのが表情から分かった。

「すみません急に……」
「いや……」

 ――ッピ、ピピピピ

 どちらも次の言葉を切り出せないでいると、スマホのデフォルト着信音が二人の沈黙を破るように鳴り響く。
「電話……出ないんですか?」
「後ででいい」
 数回鳴って止んだ電話は、数秒もしないうちにまた呼び出し音を鳴らした。
 杏寿郎さんは着信元の名前を見て、出ようかどうか考えあぐねていたから背中を押す。
「緊急かもしれないので出てください」
「っ、すまない。もしもし、煉獄だ――」
 電話の邪魔をしては悪いと立ち上がって、温くなってしまったお茶を淹れ直すためキッチンで湯沸かし器にスイッチを入れた。

 これはもしかして悪い予想が当たってしまう流れかな。
 やっぱりかまどベーカリーで聞こえた話は本当だったんだ。
 そうだよね、昼前にお見合い相手さんと会ってたんだもんね。

 杏寿郎さんがお見合い結婚――。
 杏寿郎さんの家立派だし、昔からの名家って言われても驚かない。
 許嫁は流石に時代錯誤となるかもしれないけど、見合いの引き合いがあるのも頷ける。
 瑠火さんのお見舞いに行ったとき、お見合い相手さん「週末に杏寿郎さんとまた来る」って言ってたし。
 家を継ぐならきちんとしたお家柄の人と――その土俵にすらあがれない現実を突きつけられる。
 一人でクリスマスプレゼントとか買いに行っちゃって、なんて滑稽なんだろう。

 直ぐに湧いたお湯でお茶を淹れ直して戻ると、杏寿郎さんも電話が終わったところだった。
「……美術室が爆発したらしい」
「は?」
 とてつもなく物騒な単語が聞こえて、素っ頓狂な声が出る。
「よくあることなんだ」
「えっ!? よくあるんですか?」
 いやいや、そんな美術室たまったもんじゃない。
 美術室ってことはこの前会ったうずいさんの担当だよね? うずいさん何してんの!?
「早く行ったほうがいいんじゃないですか?」
「む、しかし……」
「よくあることだから大丈夫で放っておいちゃ駄目ですよ! 今回はヤバいかもしれないじゃないですか!」
 床に置かれている杏寿郎さんのマフラーとコートを手に取ると、主張してくる甘い匂いに泣きそうになるのを堪えて渡す。今は我慢しろ自分。
「っ、終わり次第連絡する!」
 慌ただしく出ていく杏寿郎さんを、私はまた笑顔を貼り付けて見送った。

 テーブルで冷めたお茶を飲みながら、かまどベーカリーで買ったパンを食べていると杏寿郎さんからメッセージが届く。
《日を跨ぎそうだ。すまないが今日はそちらに行けそうにない》
《気にしないでください》
《近い内に電話などではなくちゃんと会って話したい》
《今の仕事が終わるまで次の休みが見えないのでまた連絡します》
《分かった。待っている》
 最後にスタンプを送って会話を終わらせると、甘かったパンの味がしょっぱくなった。
 好きだけじゃどうにもならないこともある。それは仕事や趣味に限った話じゃない。
 いつだって真っ直ぐに、正直に隠さず私に接してくれた杏寿郎さんを信じようと決めたのに――。
「でも心折れちゃうな……」
 好きだから頑張りたいけど、さっきの杏寿郎さんの困惑した表情はやっぱり好きなだけじゃどうにもならないかもしれない。
《おやすみ》
 暫く経って届いた杏寿郎さんのメッセージにまたじわりと視界が滲む。
 部屋に残る彼ではない別な人の残り香は、私の頑張りたい気持ちを呆気なく砕いた。

* * *

 どんなに心が折れたって世界が終わるわけではないし、朝も来るし仕事がなくなるわけでもない。
 というか、こんな私事で仕事に支障をきたしたくない。
 今は仕事が忙しくて良かった。杏寿郎さんとのことを考えなくて済む。
 精力的に仕事をこなして、終電で家に帰れば糸が切れたように眠って、それを繰り返して私は仕事に傾倒していった。

「当日に現地搬入と設営ですか?」
 仕事の進捗確認を兼ねたランチミーティングでチームリーダーが報告してきた。
「そう、もうスケジュールギリギリ。24日中に展示物できあがるから、25日朝イチで現場入ってそのまま展示の設営指示」
「えー、クリスマスじゃないですかぁ」
「元々25日が納期だっただろ。俺だって家族サービスしなきゃならないんだ。早く終われば早く帰れる! だから当日は総出で行くぞ」
 今回の案件に関わっているみんなが「おー」なんてやる気ゼロの声を出している。
 みんな交代で休みを取っているけど、全力投球で仕事をこなしているからそれ以外の時間は生気がない。
「分かった。俺がちょっと早いけど皆にクリスマスプレゼントをやる。聞いて俺を敬え。今回のこの案件のチーム全員、26日は休みです!」
「は?」
 26日って平日だし、年末進行で休むどころじゃなくない?
「俺が本部長に直談判した。これだけ土日を犠牲にして納期対応してんだ。納品した次の日は休み! 他の仕事の調整も終えています!」
 チームリーダーがドヤ顔で言う前でみんなポカンとしている。
 どうせ缶コーヒーとか、当日の昼はホテルだ! とかそんなもんだろうと思っていた。
「やったーーーー」
「リーダーナイス!!!」
 みんながそれぞれに喜びリーダーを敬っている。
 26日は休み。確定している休みが分かるとそこに向けてもうひと踏ん張りだって気合が入る。
「あ」
 そういえば忘れていた。クリスマスにホテルの部屋取っていたんだ。
 杏寿郎さんを誘って泊まろうなんて考えていたのをすっかり忘れていた。
 確かキャンセル不可だったような気がする。
 結局杏寿郎さんにそのこと伝えられていないし、あのときの私本当に浮かれていたな。
「どうした? デートだから行けませんはマジで勘弁してね」
「私デートで仕事休んだことないですよね?」
 そんなことしたことないと主張すればチームリーダーが苦笑した。
「だって最近のお前仕事の鬼っていうか、追い込まれ感ヤバいんだもん」
 周りのみんながうんうんと頷いているので驚く。
「え……そんなにヤバかったですか?」
「仕事以外眼中にないって感じ。だから彼氏と喧嘩したのか、クリスマスは何が何でも彼氏と過ごすっていう執念なのかどっちかなーなんて感じで見てた」
「あー、気を遣わせちゃっていたらすみません。気をつけます」
「いや、別にいいよ。仕事に支障出てないし。キャパギリだけどオーバーまではいってなさそうだし」
「はあ」
「で? 実際のとこどっちなの?」
 見ていないようで遠くから気にかけてくれるチームリーダーはとても頼りになるなんて思ったのも一瞬、興味津々に聞いてくるから目を細めた。
「セクハラ質問なので無視しまーす」
「これセクハラになんの!?」
 今回のチームはリーダー含めみんな歳が近いこともあって、こういったことも気軽に聞けたり言えたりする。
 それがもう少しで終わりだと思うとちょっと寂しく……もないな。早く納品して肩の荷を下ろしたい。
 ホテルは後で確認して、キャンセル出来ないなら一人大きなベッドで大の字で寝ればいいや。
 仕事を頑張った自分へのご褒美と思えば少しは気持ちが楽になった。

* * *

 相手がそう望むのなら、俺はその意思を尊重したいと思う。どうすればその望みが叶うか最善を尽くすだけだ。
 今までもそうだったし、これからもその心持ちは変わらないだろう。
 ナマエが仕事が好きなのは知っているし、応援してやりたい。
 たまに将来の話をすれば、はにかみながら答えてくれるナマエに俺は胡座をかいていたのかもしれない。

 巻き込んでくれと懇願してきたナマエに自分の言葉が出なかった。
 俺の事情でナマエに無理をさせたくないという思いと同時に、こんなにも求めてもらえるのかという喜びが俺を包む。
「――すまない」
 まずは謝罪を。それからなんと言えばいいのか、何から言葉にしていこうかと考えあぐねていたら俺とは反対にナマエの顔が泣きそうになっていた。
 どうしたんだと聞こうとすると、やっと会えた時間を邪魔する電話が鳴り、無音にしておけばナマエにも気付かれず無視できていたのにと心の中で毒づく。
 後で折り返せばいいと無視していれば直ぐにまた鳴り出すから着信元だけ確認すれば、“冨岡義勇”と表示された滅多に電話をしてこない名前に、学校で緊急のことでもあったのかと電話に出るのを悩んでいたらナマエに出ろと言われてしまった。

『煉獄か?』
「そうだ、どうした?」
『爆発した』
「……宇髄か」

 端的に伝えてくる冨岡の言葉に一瞬なんのことか分からなかったが直ぐに理解する。
 昨日に引き続き今日も学校に行っている宇髄が、忙しさの鬱憤でも溜まって美術室でまた何かを爆発させたのだろう。
 冨岡から出来る限りの情報を聞き出し、またかけ直すと言い電話を切るとナマエがお茶を淹れ直して戻ってきた。
「……美術室が爆発したらしい」
「は?」
「よくあることなんだ」
「えっ!? よくあるんですか?」
 俺としては割と日常的なことだったから感覚が麻痺しているが、ナマエの驚きの声は最もだ。
「早く行ったほうがいいんじゃないですか?」
「む、しかし……」
 美術室の状況は気になるが、冨岡の様子からして不死川や伊黒にも連絡しているはず。
「よくあることだから大丈夫で放っておいちゃ駄目ですよ! 今回はヤバいかもしれないじゃないですか!」
 俺としては此処に残って話がしたかったのだが、ナマエは俺の荷物を持つと渡してきた。
 背中を押されながら玄関に行き、一旦学校へ行くことにする。
「終わり次第連絡する!」
 いつもどおりなら直ぐに終わるだろう。
 そう軽く考えて学校に急いで行けばいつもより爆発範囲が広い。
 宇髄を怒ろうとすれば、駆けつけた悲鳴嶼先生に説教をされている最中だった。
 吹き飛んだ壁の破片が校庭に満遍なく散っていて、明日生徒が登校するまでに片付けなければならない。
 これは……今日はナマエの家にもう一度行くのは難しそうだ。
 待たせるのも悪いとメッセージを送ればすぐに返事が来た。
 会う約束をしたいのに突き放すような返事がくる。いや、そう思っているのは俺だけでナマエにそんなつもりはないのかもしれない。
 文字だけだと相手の感情が読みづらい。
 気軽に文字を送れるのはいいが、受け手の気持ち一つで冷たくも温かくもなる。
 折角今日会えたというのに心からの笑顔を見れなかったし、部屋を出る前のナマエの取り繕った笑う表情が頭から離れなかった。

* * *

 あれからナマエからの連絡が一向に来ない。
 待っているといった手前、俺から連絡すれば催促しているようだし、狭量な男だと思われてしまうと考えると、ナマエの名前が表示された画面を消すしかできなかった。

 世間はクリスマスの催事告知を日に日に強めていて、今年はナマエとどう過ごそうか考えていた数週間前が嘘みたいだ。
 電灯が切れそうなのか、明滅を繰り返すマンションの廊下を抜けて自分の部屋の鍵を開ける。
 ナマエが最後にこの部屋に来たのはいつだったか。
 ナマエの気配が薄れていく部屋は、暖房を入れているのに全然暖かくならない。
「――寒い」
 女々しい情けないと思っても、口から出た言葉は寂しく転がるだけだった。

* * *

「煉獄先生ぇー結婚するって本当ですかー」
「む? ……なんだその話は?」
 いくら気落ちしても朝はやってくる。
 公私を混ぜるなどありえないと学校ではいつもどおりに振る舞い、ようやく今日で二学期が終わるクリスマス。突然振られた生徒の言葉に動揺してしまった。
「えー、だって土曜日にコンビニ行っても先生彼女といないし、見合い結婚するから別れたって聞いたよー」
「とんでもない噂が立っているものだな!」
「クリスマスだし本当の情報をプレゼントにくださいよー」
 本当にとんでもない。
 ナマエに会えていなくて、もしかしたらなどと考えてしまう今の俺には正直厳しい話題だ。
 俺はこんなにも弱かったのだろうかと思っていると、肩にのしかかる腕が視界に入った。
「派手に面白そーな話してんな?」
「あ、うずてーん」
「ちゃんと宇髄先生って呼ばねえと成績下げるぞ。予鈴鳴ったから早く教室に行けお前ら」
「二学期の通知表もう貰ったし!」
「あとHRだけだしー」
 手を軽く振って生徒たちを各々の教室に向かわせると、宇髄は回した腕に力を込めて絞めてきた。
「んで? 結婚すんの? 俺なーんも聞いてないんだけど? 天子ちゃん寂しい♡」
 最後の巫山戯た言葉に腕を払いながら歴史資料室に向かう。
 ナマエの仕事の納期が確か今日だと言っていたから、今日こそ会えるかもしれない。
 雑務を一気に片付けて、いつでもナマエに会いに行ける状態にしたい。
「宇髄、何故ついてくる?」
「俺もクリプレ欲しいなーって」
「君に渡すプレゼントなど何もないな!」
 歴史資料室に宇髄もそのまま入ってくると、部屋の真中にあるソファに腰掛けた。
「なー煉獄、マジなところどうなのよ?」
「プレゼントなら君の彼女に貰えばいいだろう」
「バレバレの誤魔化し方すんなよ。結婚だよけっこーん」
「確かに見合いはしたが結婚はしない。あと俺は……彼女と……」
「あ? 歯切れ悪いな」
「……振られるかもしれない」
「は? マジかよ!? かもってなんだよ?」
「先日美術室が爆発したときに彼女の家に居たのだが、それから避けられている……気がする」
「あー、あん時か。お前オンナモンの香水の匂いしてたもんな」
「は?」
「あ?」
「彼女はあの日香水は付けていなかったが?」
「いやいや、隣に立っていれば分かる程度に匂いしたぞ」
 変だ。確かにナマエはあの日香水をしていなかった。部屋の匂い……いや、それも考えにくい。滞在時間なんて30分にも満たない。
「んじゃ学校に来る途中に移っただけか?」
 学校に向かう電車でも匂いがつくほど香水の強い人には遭遇しなかったが、と思い返したとき一つの出来事を思い出した。
 マフラーだ。マフラーに見合い相手の香水の匂いがついていて、好みの匂いではなかったから返された後一度巻いたが直ぐに外したことを思い出す。
「お、心当たりあり? お前もしかして俺みたいに彼女複数いる系?」
「彼女はナマエだけだ!」
 宇髄が言うほどならナマエもその匂いを感じていたのか?
 あの曇った表情はそれか――いや、それだけでそんな避けるようなナマエではない。
 見えそうで見えない原因にもどかしくなる。
「どっちみちあの日は全面的に俺のせいだな。わりい」
「いや、宇髄のせいではない。きっかけはそれだったかもしれないが遅かれ早かれそうなっていたのかもしれん。俺は彼女の気持ちに何一つ応えてやれていない」
 きっとあの日、ナマエの懇願に何も応えることのしない男に愛想が尽きたのだろう。
「それは彼女がそう言ったの?」
「いや、言ってない……が聞く機会を逸してしまった」
 今更刻が戻るわけでもあるまいし、過ぎてしまったことは考えても仕方がない。
「……なあお前さ、彼女に見合いの件とかお袋さんのこととか、結婚だとかの話とかしてたの?」
「見合いのことは話したが、母上のことや――その先のことは全部終わってからしようと思っていたんだ」
「ふーん、なんで?」
「彼女が仕事に集中したほうがいいだろうと、余計な話で気を逸らしたくなかった」
「心配かけたくないですってか。彼女可哀想ー」
「……どういうことだ宇髄」
「要は面倒くさがったか、彼女のこと信用してないと一緒――っ!」
 ――ガタン。
 座っている宇髄の胸元を掴むと、急に重心の変わったソファが大きい音の後にミシリと鳴った。
「俺が彼女のことを――ナマエを信用していないわけないだろ」
 怒りで額に、腕に筋が浮かぶのが分かる。宇髄を睨めば、宇髄も俺から目を逸らすことなく睨み返してきた。
「生徒の中であんだけお前の彼女のことや見合い話が知れ渡っててよ、噂話の大好きな思春期たちがどこで話してるかもしれねえ。同じ生活圏にいる彼女の耳に入ってないとか脳天気なこと思うのお前? 人生を左右するような話を“余計な話”って言ってる時点で煉獄、お前自身がビビってたんじゃねえの?」
「なっ、」
「派手に頭に花が咲きすぎだろ」
 俺の腕を振り払うと宇髄は伸びた胸元を整えながら尚も続けてくる。
「生徒の噂どおり見合い相手と結婚するって思われてるんじゃねえの? 本人が何も言わねえ上に濁してくるからじゃあ何を信じろって話だよばーか」
 生徒たちの話をナマエが何かの拍子で聞いて、そして別な女性の匂いをつけていた俺。
 さらに待っててくれと言うだけで、それ以上何も言わないことにナマエが落胆したのか?
「なあ煉獄。お前の言い訳は無用みたいな男気っつーの? 凄えと思うけどよ。それで相手が誤解してたら意味なくね?」
 俺の言葉が足りないばかりにナマエを落胆ではなく不安にさせていたのか?
 ナマエに俺はなんと言っていたのかを思い返す。
「“自分を巻き込め”と言ったのはそういうことなのか?」
「あ? そんなこと言ったの? 彼女のがよっぽど覚悟決めてんじゃん。派手に好きだぜ、強い女」
「ナマエは駄目だ!」
「うるせーな。分かってるよ。お前の彼女に負けないほどの彼女が俺にはいるからな」
 全部説明をしてもナマエがもう見切りをつけていたら? ナマエが俺との別れを望んでいたら俺はそれを受け入れられるのか?
「ふはっ」
 ナマエに今すぐ会って全てを話したい気持ちと、拒絶されたらという気持ちが堂々巡りを始めると宇髄の笑う声が聞こえた。
「即断即決の煉獄センセーが珍しいなって思ってよ。俺様がまたいーことを教えてやる」
 また以前のように避妊具がどうのなどと言う話は聞くつもりはないが、宇髄は両手の人差し指を俺に向けてくる。
「彼女が大切ならお前の我儘を押し通してでも手離すな」
 その言葉にそもそもを思い出した。
 そうだ。俺はナマエと結婚したいんだ。だから見合いも断った。
「そうだな。俺らしくなかったな!」
「お、やっと派手にいい顔になったな」
「宇髄! 助言感謝する! 俺は今日はもう帰る! 一刻も早くナマエに会いに行く」
「おーおー。ガンバレガンバレ」
 歴史資料室の鍵を宇髄の手に乗せる。
「なのでこの部屋の片付けと戸締まりは頼んだ!」
「は?」
「人に人差し指をさすのは感心しない! ではまた来年! 良い年を!」
 生徒も誰もいない廊下を走りながら、宇髄の「マジかよ……」という言葉は聞かないことにした。