やうやう積もるは恋う色:2

 毎週土曜日の16:00〜17:30、私は煉獄書道教室に通う。
 先週初めて瑠火さんのお子さんに会って帰り際の飴のやり取りを思い出すと行きづらかったけれど、家に帰って不覚にも口の中で広がる甘い飴に泣いてしまうという事は黙っておこう。
 なんであの日泣いちゃったんだろうなんて思いながら書道教室の門をくぐるとそこには彼——瑠火さんの息子さんが居た。
「おはよう!」
「……おはようございます」
「俺も今来た所なんだ」
「あれ? このおうちに住んでいないんですか?」
 この書道教室の後ろに見える大きなお屋敷に住んでいないのかな? 教師だって言っていたし学校から近いところで一人暮らしも十分考えられる。
「いや、この家に住んではいるのだが今はこの書道教室の一生徒だからな。表から入るのが礼儀だろう」
 家の裏から入る方が楽なのに自分を一生徒として線引きをしていて、この人凄く根が真っ直ぐで全然曲がっていないと思った。他の生徒は私しかいないし、私より先に教室に入っちゃえばバレないのに。
「立派、ですね」
 その真っ直ぐさが酷く眩しくて気圧された私はそれだけしか言葉に出来ない。二人一緒に教室に入ると彼は前回と同じように斜め前に座る。彼は先週と変わらず背筋を伸ばし筆を動かす手に迷いがない。どうしたらそんなに真っ直ぐでいられるんだろう。私は彼を見ながら書道中もずっとそればかり考えてしまった。

* * *

「今日もお疲れさまでした」
「はい、今日もありがとうございました」
 瑠火さんにお礼を言って片付けをしていれば彼も終わりの挨拶をして片付けを始める。瑠火さんは一度奥の屋敷に戻ってしまい、しんとした教室内で片付けの音だけが響く。
 彼は帰りもやっぱり教室の表から帰るのかな。どういう行動を取るんだろうなんて片付けの合間に見ているとこっちに振り向いた彼と目が合った。
「時間は夕方だが外は暗い。駅まで送っていこう」
 会って二日目なのに帰り道を一緒に歩くとか何の話をすればいいかも分からない。瑠火さんならまだしも彼と親睦を深めようとか思わないし必要ない。
 彼の言葉に反応が遅れたのを慌てて取り繕う。
「ここから家まで一駅だしいつも散歩がてら歩いて帰っているんですよ。人通りもそれなりにある道だし大丈夫です」
「学校の回覧で来たのだが最近変な格好をした者が目撃されている」
 やんわりと断ったつもりなのにどうやら彼には通じていないらしい。
「そうなんですね、じゃあ周りには十分気を付けて帰りますね」
「何かあってからでは遅い」
「私に限ってそんな、何もないですよ」
「その油断が危ない」
「問題ありません」
 全然引かない彼に段々と腹が立ってきた。教師故の正義感だか何だか知らないけどそれを誰にでも振りかざさないでほしい。
 迷惑です——。そう言おうとしたら奥から戻ってきた瑠火さんの静かに通る声が私たちの押し問答を止める。
「杏寿郎、あまり彼女を困らせるんじゃありません」
 瑠火さんに言われてやっと自分の意見の押し付けに気付いたのかぐっと口を閉じた彼。瑠火さんはそんな彼を見ながら私に声を掛けてきた。
「杏寿郎が失礼しました。今日、夕食を作り過ぎてしまったのですが折角ですし一緒にどうでしょうか?」
 瑠火さんの申し出はとても嬉しい。だけどそれって目の前の彼も一緒だという事になる。
 “瑠火さんの手料理”と“彼とも食卓を囲む”という事を天秤に掛けて悩んでいれば手を掴まれた。
「それがいい! 母上と千寿郎が作る料理は美味いぞ!」
 この人学習能力ないの? まだ返事をしていないのに食事をするのが決まったかのように私を連れ出そうとする。
「ちょ、ちょっと! まだ返事していないです!」
「杏寿郎」
「む? 申し訳ない、気が急いた」
 私の言葉と瑠火さんの制する言葉が同時に発せられると、掴まれた腕を離されたので彼と少し距離を取る。近くにいるとまた勝手に話が進められそう。
「貴女の都合もありますが……いかがしましょう?」
「ご相伴させてください!」
 瑠火さんが小首を傾げながら聞いてくる仕草が可愛い過ぎて、私は心の中で天秤に掛けていた事などすっ飛んで元気よく返事をした。

「こちらからどうぞ」
 そう言われて瑠火さんが案内する先は書道教室から直接家に繋がる道。確かにそこからの方が近いけど、と考えて首を振る。
「いえ、この教室を出るまで私はここの生徒なので表から訪問させてください」
 多分午前中までの私だったら言葉に甘えてそのまま行っていたと思う。だけどそれをしなかったのは書道教室の前で会った彼の言葉があったから。
 あくまで私はここの一生徒なのだ。そこの線引きは確かに大事だと思った。親しき仲にも礼儀あり、って言うほど親しくなれてはいないけれど礼を欠かすことはしたくない。
 瑠火さんは私の言葉に頷くと目を細めて笑ってくれる。ん〜、今日も四〇〇億点笑顔ありがとうございます!
「では俺が案内しよう!」
 瑠火さんの笑顔で忘れていた。そうだ、この場に私と瑠火さん以外にもう一人居るんだ。できれば別々に行きたいけどそれは無理だと思い至って素直に彼と教室を出てから煉獄家の表玄関に向かう。

「兄上、おかえりなさいませ」
「ただいま。紹介しよう、弟の千寿郎だ」
 玄関に入ると彼とよく似た少年が私たちを出迎えてくれた。
 千寿郎と名の呼ばれた少年は私ににこりと笑いかけると丁寧にお辞儀をしてくる。
「初めまして、煉獄家次男の千寿郎と申します。母から話は伺っています」
「は、初めまして。煉獄書道教室に通う者です。この度はお誘いいただいたとはいえ突然の訪問すみません」
 少年とは思えない丁寧さに恐縮して自分の語彙力を総動員させて挨拶を返した。
「ご丁寧にありがとうございます。支度ももう終わりますのでお上がりください」
 兄の彼は片付けをしてくると言って自室に向かったので弟さんの後に付いていく。立派な日本家屋の外見に相応しく、板張りの床に部屋の扉は障子か襖。広めの庭は綺麗に手入れをされていてここは料亭かな? なんか、とんでもなく格式の高い家に来てしまったのではないかと今更緊張してきた。
 居間に通されると兄弟によく似た威厳のある男性が座っている。
 百人が百人間違えることはない、この家の大黒柱で瑠火さんの旦那さまだ。
「父上、もういらしていたんですね」
 やっぱり。この方が瑠火さんの旦那さん——つまり瑠火さんのハートをキャッチした徳の高い人!
 心の中で手を合わせて拝んでいると弟さんは居間に入らず台所に向かおうとしている。
「俺は配膳の準備がありますので一度失礼します」
「私も何か手伝います」
「お客人なので中で座ってお待ちください」
 弟さんはそう言うとせわしく台所へ行ってしまった。
 居間に初対面の人と残されるいたたまれなさに取り敢えず話すきっかけをと思い、立ったまま挨拶をする。
「初めまして! 本日は突然お邪魔してしまいすみません! お招きいただきありがとうございます!」
 仕事でもこんなに緊張しないくらいに緊張して声が震えてしまった。きっと顔も赤い。この人に嫌われたら瑠火さんにも嫌われる。緊張して涙目になったりするたちではないのだけど目が潤んできた。
 パタパタと後ろから足音がして誰かがこちらに来ているのが分かって私が急いで顔を上げると旦那さんは私を見て驚き慌てている。
「え? あ? ……え?」
 きっと離れた場所から見ても分かるくらい目が赤いんだ。一度洗面所を借りてリセットさせなければと思ったらこちらに向かっていた人物が到着してしまった。
「どうしたのですか? ゆっくり座っ、て……槇寿郎さん?」
「待ってくれ! 俺は何もしていないし言っていない!」
 瑠火さんの声がとても低い。聞いたことがないくらいに地を這う声音に私の背筋も震えた。瑠火さんは私を守るように前に立ってくれて、そんな優しさにトキメクけれど今はそれよりもこの誤解を解かなければ。瑠火さんの背中に縋るように手をおいて勘違いだと主張する。
「瑠火さん違うんです! 私が勝手に挨拶で緊張してしまっただけなので!」
「……本当ですか?」
「本当です! 瑠火さんの旦那さまだから粗相が出来ないと思って緊張度合いが振り切れてしまっただけです!」
「……すみません。少し怖がらせてしまいましたね。槇寿郎さんも私の勘違いですみません」
「いや、うん……大、、丈、夫……ダイジョウブ……」
 旦那さんは私よりダメージを受けていて私以上に涙を浮かべている。旦那さん私のせいでごめんなさい。私も瑠火さんにあんな声で凄まれたら生きていけない。
「洗面所に一度行きましょう。こちらです」
 瑠火さんに連れられて洗面所へ行って、道は覚えたから大丈夫ですとお礼を言いながら伝えると瑠火さんはまた台所だと思われる方へ向かって行った。

 目元を少し冷やして深呼吸を一つ。居間に戻るとそこには旦那さんの他に息子さんたちが居て、兄の方は旦那さん同様着流し姿でくつろいでいる。

 カ ッ コ ヨ 。

 心の中でそれしか出てこなくて見惚れてしまった。
 私が戻ってきた事に最初に気付いてくれた彼は自身の隣の空いている座布団をポンポンと叩いて着席を促してくる。なるべく近くに座りたくなかったけど仕方ない。瑠火さんの旦那さんに挨拶した程ではない緊張感を持ちつつ素直に彼の隣に座った。
 弟くんはテーブルの上の配膳を着々と整えて、後はお吸い物を出すだけらしい。それを横目で見ながら私は居間に戻るときに考えていたことをやるなら今だと背筋を伸ばして旦那さんに頭を下げた。
「あの! 先程はみっともないところとあらぬ誤解を掛けさせてしまい本当にすみませんでした!」
「……いや、こちらこそ客人に何も声を掛けずにすまなかった」
「俺も千寿郎も我が家に妙齢の女性を連れて来ることがないからな。父上もどう対応していいのか分からなかったのだろう!」
「杏寿郎……」
「兄上……」
 旦那さんは怒ることもなく私に返事をしてくれてほっとする。先程の私の失態と瑠火さんの勘違いが兄弟にも伝わっているみたいで、彼は笑ってフォローを入れているけどそのフォローの下手さにその場のみんなが苦笑いしてしまう。

 それにしても……。見目だけで言えば弟くんもだけど兄の方なんて彼女なんて作ろうと思えばいくらでも作れそうなのに。家にそういった人を連れてきたことがないとか意外。それとも両親が居ない間に連れてきたりしてたのかな?
 と、そこまで考えて頭を振った。私が彼の女性遍歴を考えてどうするんだ。別に私には何の関係もない。
 丁度瑠火さんがお吸い物を持ってきたので私の邪な考えはそこで終わった。

* * *

「美味しい」
 出された料理は野菜のかき揚げや根菜の煮物とザ・和食でどれも美味しい。最近こういった家庭の手作り料理から縁遠かったからお腹だけじゃなくて心も満たされていく。
 そして何より美味しいのがお吸い物だ。コンビニ弁当ばっかりの濃い味に慣れてしまった私に薄味だけどしっかり存在感を主張する出汁。どこの料理評論家だよと自分にツッコミを入れながらまた一口飲んで感嘆のため息を漏らす。
「口に合いましたか?」
 合いましたどころの騒ぎではなくがっつり胃袋掴まれました。
 この料理を口に合わないなんて言う人はこの世に存在しないし、何ならこの出汁の取り方を教えてもらえれば誰の胃袋でも掴めてしまう。
 これがそのまま口から出ていて瑠火さん始め一家揃って目を丸くしている。
「……大変美味しくございました」
 なんて変な日本語で取り繕っても後の祭り。今すぐおいとまして自分の部屋の隅で丸くなりたい。
「良かった」
 私の自分でも引くような言動に瑠火さんは微笑んでそれだけ言ってくれる。
「あの、この出汁の味はどうやって出しているんですか?」
 自分でも作れるようになりたいなんて思ったのは事実だし、興味本位で聞いてみる。
「至って普通に作っているのですが……」
 自分の実家でもこんなほっこりする吸い物が出た事はない。せめてコツでも聞けないかと思っていたら意外な提案が出された。
「一緒に作ってみますか?」
「え?」
「来週、書道教室の後などどうでしょうか?」
「ん?」
「その後また一緒に食事をしましょう」
「ちょ?」
 瑠火さんもなかなか話を勝手に進めるタイプなのかな? そうなると彼の話を勝手に進めるのも完全に親譲りなのか。そう分析をしていると瑠火さんは小首を傾げた。
「いかがでしょうか?」
「是非お願いします」
 デジャブ……。つい数時間前も瑠火さんに小首を傾げられて考えるより先に是の言葉が出ている。
「ふふ、楽しみですね」
 瑠火さんはそう言って楽しそうに微笑んでくれたから、私は自分の判断は間違っていないと確信した。断じて仕事の癖で二つ返事をしたわけではない。

* * *

「遅くまで引き止めてしまい申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそおいしいご飯ご馳走さまでした」
 ご飯もいただき少しお喋りをしていれば振り子時計が音を鳴らして夜も更け始めたと告げてきた。
 そろそろ帰ろうと腰を上げれば彼も同時に立ち上がって部屋から出て行く。よし、彼が戻ってくる前にさっさと帰ろう。また送る送らないの押し問答はしたくない。
「今日はお邪魔しました。来週からよろしくお願いします」
 失礼にあたらないギリギリのラインで挨拶をして早足に玄関に向かった私はそこで肩を落とした。玄関に居るのだ。彼が。
「すまない、着替えと上着を取りに一度自室に戻った」
 そのまま自室で休んでてくれていいのにとは思っても口にはしない。そこらへんの常識は持ち合わせているつもりだ。
「夕方と違い人通りも少ないので頼みましたよ、杏寿郎」
「承知しました」
 あれ、今度は瑠火さんそっち側なの? どうにか断る方法をと考えて、最終的に瑠火さんに助けてもらおうと思っていたのにアテが外れてしまった。
「じゃあ、駅まで……」
「食後の運動がてら一駅歩こう! 行ってまいります」
 駅までの提案は取り付く島もなく却下され、彼はさっさと玄関から出て行ってしまう。
「また来週、お待ちしていますね」
 玄関先で瑠火さんが笑顔で見送ってくれた事だけを心の拠り所に私も玄関を出た。

* * *

「そういえば君の最寄り駅はどこかまだ聞いていなかったな」
 彼の半歩後ろを歩いていると話題が振られて答えればすぐに分かってくれる。彼にとってここらへんは地元だし隣の駅だし分かるのも当然か。
「ああ、あの駅前のロータリーが大きいところか。その駅なら確かに散歩にはいい距離だ」
 彼は嫌な顔ひとつせず、本当に散歩が嬉しいという足取りで進んでいく。
「君はここに住んで長いのか?」
「社会人になると同時に越してきたので一年半ぐらいですね」
「近隣はもう散策し尽くしたのだろうか?」
「初めのうちは色々散策したんですけど最近は全然……」
 彼は会話が途切れない程度に話題を振ってきては少しずつ話を広げてくれる。流石学校の先生。生徒からの情報も相まって沿線沿いの美味しいケーキ屋だったり日用品がお得に買える店だったりを教えてくれる。
 いくつかの店は今度行ってみよう、なんて考えつつふと先週の事を思い出した。
「そういえば先週の飴はいつの間にか鞄に入っていたんですけど……」
「受け取ってくれる気配がなさそうだったから予めもう一つ準備して先に入れておいた!」
 ……え? あの時渡そうとしてた飴じゃないの?
「手品とか得意なんですか?」
「手品は全く出来ないが動きの速さには自信がある!」
 動きが速いって、足の速さを自慢する小学生みたいだな。そんな少年みたいに堂々と言う彼が可愛くて笑ってしまう。
「あの飴、とても甘かったけど美味しかったです。ありがとうございます」
 経緯はどうであれ貰ったもののお礼はしなければ。まあ、こんな帰り際になってしまったことは仕方ないということにしよう。
「うむっ!」
 ちょっと照れくさくて彼の顔を見れなかったけれど元気な声に驚いて思わず顔を向ければそこには満面の笑顔。
 褒められて喜ぶ子どものような笑顔が夜の暗い中でも分かるくらい眩しくて、私の心臓が少しだけ……跳ねた。

* * *

「本当にここでいいのだろうか?」
「はい、この角曲がれば直ぐですしその前にこのコンビニに寄りたいので」
「……分かった。俺はこれで帰ろう。何かあったら——むっ!」
 私の住んでいるマンションに続く道の一つ前の角にあるコンビニ。店の前の青白い光の下で話していれば彼はポケットを漁りながら焦り出した。
「どうしました?」
「何かあれば連絡を、と思ったのだが電話を忘れてしまった」
 目に見えて肩を落とす彼は本当に高校教師なのかなというぐらいに動作が大きい。逆に高校教師だからこそ動作が大きいのか。でもその身振り手振りは高校教師と言うよりも、幼稚園や小学校の先生と言った方がしっくりくる。きっと学校でもこうやって元気に教えているんだろうな。学校の教壇に立つ彼を想像したら面白くてちょっと笑ってしまう。
「ふふ、何もないとは思いますけど家に着いたら瑠火さんに連絡しますね」
「よもや……」
「送ってもらってありがとうございました」
「……君と喋れて楽しかった。また来週」
「はい、また来週」
 彼が完全に見えなくなるのを確認してからコンビニに入る。コンビニに寄らなくてはいけないわけではなかったけど彼に家の前までというのは憚られた。
 人となりを知らないのに家を教える程私は軽くはないぞ。
 さて、明日の朝食でも買おうかなとふらふらとコンビニの中を歩き始めた。

* * *

「ただいま戻りました」
 数十分前に歩いた道を逆に戻り家に帰る。手洗いうがいをしてから居間に顔を出せば父上と母上が一献をしていたので、一杯だけ預かる事にして自分のグラスを取りに行き、また居間に戻る。
 父上は早々に酔ってしまったのか母上の腰に巻き付いて半分夢見心地になってしまっていた。昔からもう何度と見ている光景なので気にせずに腰を据えると母上がお酌をしてくれる。
「先程彼女から無事に家に着きましたと連絡が来ましたよ」
 おかえりなさいと労いの言葉をかけられ乾杯をした後に、無事に家に着いたとの報告を聞いて胸を撫で下ろす。最後——家の前まで送り届けられないことが心残りだったが何事もなく家に着いたのなら良かった。
「家まで送らなかったのでしょうか?」
「彼女の家の近くのコンビニまででした」
「そうですか……」
 母上は楽しそうに少し笑ってから静かに酒を嗜んでいる。
「彼女は書の通りの印象でしたか?」
「まだ俺には心を開いてもらえていないようです! 家を教えてもらうにはまだ信が足りません」
 会って二回目だから当たり前だが彼女の態度は完全に俺を警戒している。それはそうだ。彼女にとって俺は書道教室の先生の息子なのだから。逆にフランクに来られても誰にでもそうなのかとそれはそれで心配になる。先週初めて会った時や今日もそうだが、母上に全幅の信頼を寄せて笑う彼女の笑顔がどうにか俺にも向かないかと画策してしまう。
 彼女は今日は柔らかい文字を書いていたからもしかしたらという期待がどこかにあった。そんな邪な気持ちが漏れていたから彼女は警戒していたのかもしれない。
 帰り際に少しだけ俺に向けられた彼女の笑顔は年甲斐もなく心を昂揚させる。ただ、これがどういう感情から来ているのか決めるにはまだ時間が必要だ。
「信を置かれるように精進しなさい」
「はい」
 母上はそれだけ言うとそれ以上彼女の事は話題に出すことはなく土曜の夜は更けていった。