やうやう積もるは恋う色:3
「こんにちはー、ごめんくださーい」
「こんにちは、いらっしゃいませ」
瑠火さんと料理をする事が決まってから最初の土曜日、私は書道教室ではなく煉獄家の門を叩くと出迎えてくれたのは次男くん。
「えーと……、千寿郎さんですよね?」
「はい、千寿郎です」
「良かった」
名前を間違えなかった事にホッとして「今日からよろしくお願いいたします」と挨拶すると、千寿郎くんはスリッパを出してくれた。
「俺は年下ですので敬語など使わないでください。それと、さん付けも慣れていないのでどうか好きに呼んでください」
「ちなみに高校生? 中学生?」
「中学です。兄上の務めているキメツ学園の中等部に通っています」
こんなしっかりしている中学生いる!? 私が中学生の時なんて反抗期真っ盛りで敬語のけの字も知らなかったよ。
兄と似てはいるけど下がり気味の眉からは親しみやすい印象を受けて、年下の従兄弟のノリで呼んでみることにした。
「千くん今日からお世話になります! よろしくね」
「え!?」
「え? ごめん! 馴れ馴れしくし過ぎた?」
「いえ、こちらこそすみません。“千くん”と呼ばれるとは思っていなかったので」
「千寿郎くんの方がいいかな?」
「いえ、最初のままお呼びください。仲が良い感じがして俺は嬉しいです」
瑠火さんとはまた違う四〇〇億点笑顔! 凄く癒やされる。
二人ホワホワしながら台所へ向かえば今度は瑠火さんが出迎えてくれた。
「私が出迎えられずすみません」
「とんでもないです! 今日からよろしくお願いいたします」
平日の間に瑠火さんと相談して書道教室の前に料理をする事になった。予め私は実家で料理の手伝いをほとんどしていないこと、得意料理は野菜炒めだと伝えている。
なので初心者の料理といえば! という事で第一回目の料理はカレーになった。
「前も言ったのですが、恥ずかしながら私料理は殆ど出来ないので鍛えてください」
改めてお願いをすると瑠火さんの顔から表情が消えて私の口から「ひぇ」と小さく音が出る。
「少しスパルタになるかもしれませんが貴女なら出来ますよ」
てっきり“特訓もしてこなかったのか!”“おととい来やがれ!”みたいに放り出されるかとドキドキしたけれど瑠火さんの口から出たのは正反対の言葉。
「書道の飲み込みも上達も早いですし大丈夫ですよ」
慈悲深い言葉に玉ねぎを切ってもいないのに涙が出そう。テーブルの上の玉ねぎはまだ茶色い皮さえ剥かれずに転がっているけど。
「頑張ります!」
私は腕まくりをして力こぶを作るようにむん、と気合いを入れると瑠火さんは笑って「その調子です」と私の気合いを後押ししてくれた。
「これであとは大丈夫でしょう」
カレールーを入れて弱火でかき混ぜながらとろみがついたのを確認してコンロの火を止める。
「カレーを作ること自体が何年ぶりかで楽しかったです」
「それは何よりです」
「煉獄家のカレーはジャガイモじゃなくてさつま芋なんですね」
「ええ、そうです」
含んだような笑い方をする瑠火さんになんだろうと思って首を傾げるけどそれを聞いている時間はなさそうだ。時計は書道教室が始まるまで一〇分を切っている。
私もだけど瑠火さんも準備があるから早く行かなくちゃ。
「ありがとうございました。この後の書道教室もよろしくお願いします」
「はい、後ほど」
玄関で瑠火さんに挨拶をして外に出ると門の所で彼が立っていた。
「母上の料理教室は終わったみたいだな」
「はい、この後書道教室もあるので。こんな所でどうしたんですか?」
「君を待っていた! 一緒に習い事に行こう!」
彼は相変わらず私の返事も聞かずに門を出ると教室の方へと進んで行く。
「こうやって目的を同じにした者同士で学び処に行くと思ったら楽しくてな」
ほんの数メートル一緒に歩くだけなのに、彼は本心からそう言っているのが分かるから憎めないなと思う。弟の千寿郎くんの方が年上に見えてしまう程だ。
「おはようございます!」
「おはようございます」
二人揃って書道教室に入ると瑠火さんは穏やかに笑って迎え入れてくれた。台所で見た割烹着も良かったけどやっぱり着物姿の瑠火さんも素敵だ。もう瑠火さんなら何着たって似合う。
洋服姿も見てみたいなあ。
料理にかける手間も書道をするために墨を磨る手間も理由が分かればそれにかける想いも変わる。丁寧に墨を磨り目を閉じて呼吸を整える。いい感じに集中できそう。
いざ参らん! と息巻いて私は筆に墨を含ませ文字を書き始めた。
何枚か書いた書の中から今日一番だと思う作品に自分の印である
うん、文字の良し悪しはともかく墨色が綺麗。いつもと変わらない墨の色だと言われるかもしれないけど今日の墨色は黒藍の艶を今までで一番出せている気がした。
「墨色が綺麗だな」
「ですよね!? 嬉しい、私もそう思ったんで、す……」
今まさに思っていたことを他の人から言われて嬉しくなる。ニコニコして声のした方に顔を向ければ予想以上に顔が近くにあってビックリした。彼も私が振り向くと思っていなかったみたいで驚きながら一歩体を引く。
「……」
「……」
なんか気まずい。次の言葉を探し合う私たちの無言を破ってくれたのは瑠火さんだった。
「そうですね。杏寿郎の言うように墨色が綺麗です」
「本当ですか!?」
やったー! 瑠火さんからもお墨付きを頂いた! 墨だけに! なんて引かれそうなギャグは心の中だけで叫ぶ。彼との間に流れた気まずさなんて忘れた私は顔が緩むのが止まらない。嬉しさが隠しきれなくて自分の手で頬の緩みを押さえていると、彼が嬉しそうにニコニコと私を見ていた。
「さあ、片付けをして今日は終わりにしましょう」
「そうだな。腹も減ったし早く夕食を食べよう。楽しみだ」
瑠火さんが手を数回叩くと彼は顔を戻していそいそと片付け始める。
なんだろう、そんなに変な顔してたかな。彼がニコニコしていた理由を聞くタイミングをなくしまったけどまあいいか、瑠火さんに褒められた方が大事だし。手際よく片付けをする彼に遅れないように私も急いで片付けを始めた。
先週と同じように彼と教室を出てからまた煉獄家の玄関に向かう。玄関を開けた途端に香るいい匂いは空腹感を増幅させた。
「今日はカレーか!」
彼は“ただいま”を言う前に今日の夕食のメニューを大きな声で言うから耳が少し痛い。
「兄上、おかえりなさい。そしていらっしゃいませ」
「さっきぶりだね。またまたお邪魔させていただきます」
千寿郎くんが出迎えてくれてさっきと同じようにスリッパを出してくれる。お礼を言いながら私と千寿郎くんは台所へ、彼は着替えるといって自室へ戻っていった。
居間で煉獄家四人+私が四角いテーブルを囲む。
テーブルの上には瑠火さんと作ったカレー、付け合わせのサラダや卵のスープが並んでいる。
先週はご相伴に預かる形で座っていたけど今日は違う。ここに並んでいる料理を瑠火さんと一緒に作ったんだ。いつもと味が違ったらどうしようと不安になってきた。
「今日は瑠火さんご指導の元お手伝いさせていただきました。瑠火さん直々のご指導なので問題ないとは思うのですが! 万一いつもと違う味がしたらそれは全て私の不徳の致す所なので!」
いつもと味が違くても瑠火さんのせいではない。先に言っておこうと口上を早口で捲したてたら笑われてしまった。
「ふは、君は真面目だな!」
「大丈夫ですよ。いつもより美味しく出来ています。さあ、食べましょう」
瑠火さんのその言葉を合図にみんなが手を合わせる。
「「「「「いただきます」」」」」
スプーンを手に取ってカレーに潜らせる。さつま芋入りカレーとか初めてかもしれない。どんな味か楽しみだな。
「わっしょい!!」
一口目を食べようと口を開いたら体が揺れた。地震じゃない。だって私以外普通に食事してる。
「わっしょい!」
また体が揺れた。何事!? っていうかこの掛け声何!? 声のした方を見れば彼がカレーを口に入れる度に掛け声を発している。頭の中の情報処理が追いつかず、食べるのを忘れてポカンと見ていたら千寿郎くんが話しかけてきてくれた。
「兄上はさつま芋が大好きなのでさつま芋を食べると言葉が出てしまうんです」
そんな事ある? と思いながらよくよく見ていたらカレーや付け合わせのサラダを食べているときは普通だ。
口に運ぶカレーにさつま芋が混ざっている時だけ掛け声が出ている。
「杏寿郎、お客人の前ですよ」
「んん、失礼しました」
瑠火さんがいなすと彼はその後静かに食べ始めたけど、さつま芋が口に入る度にニコニコしている。さつま芋本当に好きなんだな。なるほど、さっきの瑠火さんの笑みと煉獄家のカレーがさつま芋の理由を理解した。
「ふふふ、子どもみたい」
独り言のつもりだったのにしっかり声に出していて、隣に座っていた瑠火さんもつられて笑う。
「いつまでも子どもです」
いいな、瑠火さんの眼差しは母の眼差しで今もみんなに分け隔てなく愛を贈っている。みんなの幸せを感じながら今度こそカレーを口に入れた。
お皿が空になるのを見計らってお代わりするかと聞けば「よろしくお願いします!」と元気いっぱいに返される。
みんなどんどんお代わりしてくれてあっという間に鍋のカレーは底を突きた。自分の作った料理が笑顔で食べてもらえることが嬉しいと初めて思う。
作ったものは余すことなく食べ尽くされ、瑠火さんと台所で二人並んで洗い物をする。
「こんな風に食卓を囲むのいいですね。みんな残さず綺麗に食べてくれるから片付けも楽しいです」
素直に思ったことを口にすれば「平日も来て良いのですよ」なんて言ってくれた。
「来たいのはやまやまですが毎週土曜だけの楽しみにします」
とてもありがたい話だけど丁重に辞退する。毎日の仕事量が見えない私は何時に帰れるかも分からない。定時であがれそうなんて思ったのに帰り際に仕事が増えるなんてザラだから、ドタキャンしてしまう可能性が高い。折角作ってくれる料理を食べないなんてもったいないことはしたくない。
平日を思い出してちょっとテンションが下がっていくのを無理やり止めて蛇口から出る水も止める。
「洗い物完了しました!」
そんなネガティブなことを考えて折角の土曜日を台無しにするなんてもったいない。元気に片付け完了を報告して瑠火さんと居間に戻ると旦那さん以外の二人がくつろいでいた。
「片付けお疲れさまです」
千寿郎くんが労いながらお茶を淹れてくれたので座ってありがたくいただく。昼も思ったけど今時こんなできた中学生いる?
「ありがとうございます、千寿郎」
「千くんお茶ありがとうー」
千寿郎くんはにっこり笑ってから「どういたしまして」と言うと自分の部屋へと戻っていった。
「“千くん”?」
「え? ああ、千寿郎くんの事です。好きに呼んでくださいって言われたのでお言葉に甘えてそう呼び始めたんですが……」
「ふむ……」
千寿郎くんが去った後に彼が私の呼び方に対して難しい顔をし始めたけどどうしたのかな? 俺の弟をそんな軽く呼ぶんじゃないとかそういう感じ?
「すみません。気に入りませんか?」
「いや! そうではない! その、……いや、何でもない」
恐る恐る聞いてみるとはっと目を開いてもごもごと言いあぐねている様子に首を傾げる。言いたいことは直ぐに言う人だと思っていたけどそうでもないのかな?
「……あー、今日も送っていこう!」
服装が着流しじゃないからそんな予感はしていたけどやっぱりか。
確かに外は暗いし一人で歩くには無意識に早歩きになる時刻。きっと今日もなんだかんだ押し切られて送ってもらうことになるから有り難く送ってもらうことにしよう。
玄関まで見送りに来てくれた瑠火さんにお礼を言ってお辞儀をする。うーん、社会人になって良かったことと言えばこういったマナーが身についたことくらいか。
「また来週一緒に作りましょうね」
「はい! 是非!」
瑠火さんの楽しそうな顔に私も嬉しくなって勢い良く体を戻すと大きな声で返事をしてしまった。ちょっと恥ずかしかったけど瑠火さんの笑顔が見れたんだものしょうがない。
先週と同じ帰り道を二人で歩いていると彼は今日の書道教室の話を切り出してきた。
「君が今日書いた文字は墨色もさることながら威風堂々としていて見ていて気持ちが良かった」
「ありがとうございます」
褒められて悪い気はしないから素直にお礼を言うと彼は頷いた。
「伸びがいいと言えばいいのか……俺は母上ではないから書道や文字に関して全くの素人だが君の書く字は流線が綺麗だ」
「どう、も?」
「教室内に貼られている作品をな、実は毎週見ていた」
先週と今日だけで私の文字に論評がつくのかと思ったけど毎週教室内で貼り替えられる過去作が見られていたのか。自分の知らない所でそんな風に見られているとは思わなかったから驚いたのと何か言われるのかと少し構えてしまう。
「柔らかく感じる文字に柔和な人柄なんだろうと思ったんだが、先週見たときはあまりの雄々しさに流石に驚いた!」
あの日は仕事のストレスをそのままぶつけていたから我ながらひどい作品だったと反省する。
「毎週変わる字体を見ていてその字になった経緯を知りたいと思った。だから話してみたかったんだ。君の感情をそのまま表に出す様は見ていてとても好ましい」
“好ましい”と言ったのは字に対してなのに私が言われたんじゃないかと錯覚してしまう程、彼の目が真っ直ぐ私を射抜いた。彼だってそんなつもりで言ったわけではないけどうっかり勘違いしそうになる。
まだ会って三回なのに好きになるとか学生じゃないんだから。
その後はとりとめのない会話をしながらまたコンビニの前で別れる。彼が見えなくなるまでその場で“瑠火さんの息子だから”とか贔屓目なしに私は彼——杏寿郎さんの事を知りたいなんて思ってしまった。