やうやう積もるは恋う色:5
今まで恋人がいなかった訳ではない。それなりに想いを寄せられたり、恋人としてそういった経験もしてきた。
他者と比べることではないが、どの人も然程長くは続かなかったように思う。
今になって考えれば一人の人間として向き合えていなかったのかもしれない。教師として生徒の悩みを聞きながらそう思い至ることが度々あった。
彼女とともに書を習い、彼女と母上の作る料理を食べ、彼女の家の近くのコンビニに送るのがルーチンとなった頃。
三週連続で土曜に学校の部活動の大会の引率として借り出され、学校に戻ってそのまま小テストや資料の作成をしていれば夜はとっぷりと更けていく。家に帰り着いたときにはもう彼女はおらず、約一ヶ月の間書道教室はおろか彼女の顔を見れていない。
かろうじて日曜に教室に足を運び彼女の書を見ているくらいだ。
書を見ながら彼女の事をもっと知りたいと思う。それが一個人としてなのか、異性としてなのかが分からない。
その根源たる理由が俺には未だ見えないままだった。
* * *
「兄上、おかえりなさい。お仕事お疲れさまです」
「ただいま、千寿郎もおかえり!」
「はい、ただいまです」
土曜の夜、居間で一人遅い夕食を食べていると千寿郎が彼女を送り終えて帰ってきた。時計を見れば彼女を送って戻ってくるにしては随分早い時間に首を傾げる。今日は早めに帰ったのだろうか?
「彼女を送ってきた割には時間が早くないか?」
「自転車だったので」
「自転車?」
「はい、帰りに俺が一人になるのは心配ということでせめて自転車でということになったんです」
彼女は俺の代わりに千寿郎に送らせることを渋っていたから、女性一人の夜道を歩く危険を知ってもらった。
その時のやり取りを思い出すと、彼女の名前を呼んだあの時の顔が鮮やかに脳裏に浮かんできて頭を抱える。
「兄上!? どうしました!?」
「んん、いや、大丈夫だ。すまない」
あの日——改めて互いに名前を呼び合うようになってから彼女は俺への警戒心が少し弱まった。壁に追いやるようなことをしたのだから逆に警戒が強まってもおかしくないのにと心配になるほどに。
あれから幾度か送る機会があり、少しずつではあるが互いの理解を深め始める。彼女の仕事の内容や理不尽さ。それでも仕事内容はやり甲斐があるから頑張れると笑っていた。俺の学校であった出来事を話せば、表情をコロコロと転がし感情を表に出す様は文字で見た印象のように柔和な性格だと伺い知れる。
時たま母上の話を出せばその柔和さに輪を掛けて喜色を浮かべる笑顔は見ていて心地良い。
そろそろ彼女の文字だけではなく声が聞きたい。
俺は残り少なくなってきている彼女の作った夕食を名残惜しく思いながら食べた。
「兄上、おかえりなさい。お仕事お疲れさまです」
「ただいま、千寿郎もおかえり!」
「はい、ただいまです」
土曜の夜、居間で一人遅い夕食を食べていると千寿郎が彼女を送り終えて帰ってきた。時計を見れば彼女を送って戻ってくるにしては随分早い時間に首を傾げる。今日は早めに帰ったのだろうか?
「彼女を送ってきた割には時間が早くないか?」
「自転車だったので」
「自転車?」
「はい、帰りに俺が一人になるのは心配ということでせめて自転車でということになったんです」
彼女は俺の代わりに千寿郎に送らせることを渋っていたから、女性一人の夜道を歩く危険を知ってもらった。
その時のやり取りを思い出すと、彼女の名前を呼んだあの時の顔が鮮やかに脳裏に浮かんできて頭を抱える。
「兄上!? どうしました!?」
「んん、いや、大丈夫だ。すまない」
あの日——改めて互いに名前を呼び合うようになってから彼女は俺への警戒心が少し弱まった。壁に追いやるようなことをしたのだから逆に警戒が強まってもおかしくないのにと心配になるほどに。
あれから幾度か送る機会があり、少しずつではあるが互いの理解を深め始める。彼女の仕事の内容や理不尽さ。それでも仕事内容はやり甲斐があるから頑張れると笑っていた。俺の学校であった出来事を話せば、表情をコロコロと転がし感情を表に出す様は文字で見た印象のように柔和な性格だと伺い知れる。
時たま母上の話を出せばその柔和さに輪を掛けて喜色を浮かべる笑顔は見ていて心地良い。
そろそろ彼女の文字だけではなく声が聞きたい。
俺は残り少なくなってきている彼女の作った夕食を名残惜しく思いながら食べた。
* * *
「買う物はあらかた揃っただろうか?」
「ああ、そうだな。大丈夫そうだ」
週も後半に入る木曜日の昼休み。週末に控えた剣道部の試合に必要な備品を発注するのを忘れたと職員室で同僚の冨岡と剣道部員の会話が聞こえる。
放課後特に予定の入っていなかった俺は冨岡の買い出しに付き合うことにし、二人で街中へ出てきた。
「煉獄、すまないが私用のものを買ってきてもいいか?」
「構わん! 俺はここで荷物を持って待っていよう」
店に入っていく冨岡を見届けた後、通行の邪魔にならないようにと車道寄りの端へ移動する。
明日が終われば土曜日だ。千寿郎や母上から彼女の話は聞くがやはり自分の五感で彼女を感じたい。何とはなしに車の往来を眺めていると道路の向こう側、喫茶店から出てくる男女二人が視界に入った。
「あれは——」
彼女だ。土曜に家に来るときとは違い、シャツにジャケットを羽織り踵の高い靴を履いている姿を見るに今は仕事中なのだろう。
店の前で二人は何やら話し込んでいるが、彼女は背をこちらに向けているのでその表情が伺いしれない。
何とかこっちを向かないかと凝視していると、彼女は男性に向けて折り目正しくお辞儀をし始めた。幾度かそれを繰り返した後に男性が彼女の前から去るとやっと表情が——。
見送る際は笑顔だったのに相手と一定の距離が出来た一瞬に表情が陰る。
彼女は仕事中あんな表情をするのか。話を聞いていた限りでは大変だがやり甲斐があると言っていた。遠くからでは仔細まで読み取ることが出来ないが諦念か、泣き出すのではないかと思う程に心配になる。
それでもまた次の瞬間には憂いの表情などなかったようにしっかりと背筋を伸ばし前を向いて歩き出し始めた。
やはり聞くのと実際に見るのとでは違う。また一つ、彼女のことを知れたと同時にあんな顔をする原因は何なのか。
少しでも話を聞いてやれることが出来ないか。彼女の声を聞きたい。
冨岡に一度声を掛けて——。
「あー! 獄セーン!!」
「君たちは……宇髄の同好会の子たちか!」
「同好会じゃなくてサークルね、サークル」
うちの学園の制服を着ているが学園指定とは違う着方をしている女子生徒が二人、俺の前でピタリと止まる。
この子たちは確か宇髄を顧問とするギャル同好会なるものに属する生徒だ。
「先生ココで何してんの?」
「冨岡の剣道部の買い出しの手伝いに来ている」
「ホントだ! 店の中にトミセンいるじゃん。何買ってんの?」
「家のトイレの電球が切れたと言っていた!」
「部活の買い物じゃないじゃん!」
「あの子にメッセージ送る? 近くにいるかな?」
「今日塾って言ってなかった?」
店内に冨岡がいると分かると店の入口の邪魔にならないところから覗き込み何やら相談をしている。
「あの子とは?」
「何でもなーい」
彼女たちは笑いながら電話を取り出すと、店内に居る冨岡に向け始めたので慌てて手で覆った。
「盗撮は許可できないな!」
「盗撮じゃないよ、トミセン気付いてるし」
彼女たちの言うように店内の冨岡を見ればこちらの様子に気が付いているが何か言ってくる気配もない。
「それでもちゃんと許可を取ってからが望ましい」
「獄セン真面目が過ぎるってー」
身なりは派手だが笑いながらも素直に従う彼女たちにうむ、と頷く。
「トミセン出てくるまで待とうーっと」
店の前から離れ、俺がさっきまで居た車道寄りに移動する彼女たち。俺もそれに合わせて移動し会話に参加する。
「君たちの言う“あの子”に冨岡の写真を送るのか?」
「頑張ってるあの子に送るんだー。本人はなかなか認めないけど写真とかってやっぱり嬉しいじゃん?」
「嬉しいものなのか?」
「あと、何処そこに居たよーとか知れると嬉しい」
「分かる。自分も行こうかなとか思っちゃうんだよね。ワンチャン会えたら話すきっかけできるし」
誰が誰を好きになるかは個人の自由だし、俺がとやかく言うものでもないから“あの子”についての言及はこれ以上しないでおこう。それよりも俺は別に聞きたい事があった。
「好いた相手の事を知りたいと思うのか君たちは」
「うちらだけに限らず好きなら知りたいと思うっしょ」
「割とガチに情報集めるよね」
「好きだからより深く知りたい、ということか?」
「より深くとかなんか堅苦しくない? 好きとかもっと単純にいこーよ」
「単純に?」
「そそ、考えたってしょうがないし……ってか獄セン恋愛相談したいの?」
「マジで!? いいよいいよ! 聞く聞く!」
顎に手を当て考え込むと、彼女たちの嗅覚が働いたのか前のめりに聞いてくるから手を前にして断る。
「大丈夫だ! 間に合っている!」
「えー残念」
「いつでも聞くよー」
あっさりと引く彼女たちは電話をいじりながらまた別の話題へ移っていく。彼女たちも次から次へと表情を変え見ていて微笑ましいとは思うが、俺が知りたいと思っている彼女のように心地良いとまではいかない。これはやはりそういうことなのだろうか?
「お前たち制服を正せ」
彼女たちの会話を聞きながら別なことを考えていると、買い物を終えた冨岡は店から出てくるなり開口一番いつも学校で言っている言葉を放った。
「トミセンここ学校じゃないし」
「家に帰るまでが学校だ」
「遠足かよ」
彼女たちは今何が起きても楽しい年頃なのだろう。どの場所に居ても態度の変わらない冨岡がおかしいらしく彼女たちの笑いは絶えない。慣れたものなのか冨岡に物怖じせずに口答えをしながら電話のカメラをこちらに向けた。
「写真撮るよー」
「はーい、先生たち二人とも笑ってー」
「……」
許可を取れと言ったはずなのだが報告という形に変わってしまっている。それも今を楽しく生きる彼女たちならではだと思えば可愛いものだ。
「よし、冨岡! 笑え!」
物言わない冨岡の肩に腕を回せば笑う表情どころか焦った顔をした。それはそれで珍しいから彼女たちの言う“あの子”も冨岡の新しい一面を知れていいだろう。“あの子”がその写真を見て笑ってくれればいい。
「俺のカメラでも撮ってくれ!」
「獄セン自分の写真撮ってどうすんの?」
「何となく面白そうだからだ!」
彼女たちは手慣れた操作でまた一枚写真を撮る。
彼女にもいつでもこうやって笑っていて欲しい。
漠然とそう思い、道路の向こう側を見たが彼女はもう居なかった。
「買う物はあらかた揃っただろうか?」
「ああ、そうだな。大丈夫そうだ」
週も後半に入る木曜日の昼休み。週末に控えた剣道部の試合に必要な備品を発注するのを忘れたと職員室で同僚の冨岡と剣道部員の会話が聞こえる。
放課後特に予定の入っていなかった俺は冨岡の買い出しに付き合うことにし、二人で街中へ出てきた。
「煉獄、すまないが私用のものを買ってきてもいいか?」
「構わん! 俺はここで荷物を持って待っていよう」
店に入っていく冨岡を見届けた後、通行の邪魔にならないようにと車道寄りの端へ移動する。
明日が終われば土曜日だ。千寿郎や母上から彼女の話は聞くがやはり自分の五感で彼女を感じたい。何とはなしに車の往来を眺めていると道路の向こう側、喫茶店から出てくる男女二人が視界に入った。
「あれは——」
彼女だ。土曜に家に来るときとは違い、シャツにジャケットを羽織り踵の高い靴を履いている姿を見るに今は仕事中なのだろう。
店の前で二人は何やら話し込んでいるが、彼女は背をこちらに向けているのでその表情が伺いしれない。
何とかこっちを向かないかと凝視していると、彼女は男性に向けて折り目正しくお辞儀をし始めた。幾度かそれを繰り返した後に男性が彼女の前から去るとやっと表情が——。
見送る際は笑顔だったのに相手と一定の距離が出来た一瞬に表情が陰る。
彼女は仕事中あんな表情をするのか。話を聞いていた限りでは大変だがやり甲斐があると言っていた。遠くからでは仔細まで読み取ることが出来ないが諦念か、泣き出すのではないかと思う程に心配になる。
それでもまた次の瞬間には憂いの表情などなかったようにしっかりと背筋を伸ばし前を向いて歩き出し始めた。
やはり聞くのと実際に見るのとでは違う。また一つ、彼女のことを知れたと同時にあんな顔をする原因は何なのか。
少しでも話を聞いてやれることが出来ないか。彼女の声を聞きたい。
冨岡に一度声を掛けて——。
「あー! 獄セーン!!」
「君たちは……宇髄の同好会の子たちか!」
「同好会じゃなくてサークルね、サークル」
うちの学園の制服を着ているが学園指定とは違う着方をしている女子生徒が二人、俺の前でピタリと止まる。
この子たちは確か宇髄を顧問とするギャル同好会なるものに属する生徒だ。
「先生ココで何してんの?」
「冨岡の剣道部の買い出しの手伝いに来ている」
「ホントだ! 店の中にトミセンいるじゃん。何買ってんの?」
「家のトイレの電球が切れたと言っていた!」
「部活の買い物じゃないじゃん!」
「あの子にメッセージ送る? 近くにいるかな?」
「今日塾って言ってなかった?」
店内に冨岡がいると分かると店の入口の邪魔にならないところから覗き込み何やら相談をしている。
「あの子とは?」
「何でもなーい」
彼女たちは笑いながら電話を取り出すと、店内に居る冨岡に向け始めたので慌てて手で覆った。
「盗撮は許可できないな!」
「盗撮じゃないよ、トミセン気付いてるし」
彼女たちの言うように店内の冨岡を見ればこちらの様子に気が付いているが何か言ってくる気配もない。
「それでもちゃんと許可を取ってからが望ましい」
「獄セン真面目が過ぎるってー」
身なりは派手だが笑いながらも素直に従う彼女たちにうむ、と頷く。
「トミセン出てくるまで待とうーっと」
店の前から離れ、俺がさっきまで居た車道寄りに移動する彼女たち。俺もそれに合わせて移動し会話に参加する。
「君たちの言う“あの子”に冨岡の写真を送るのか?」
「頑張ってるあの子に送るんだー。本人はなかなか認めないけど写真とかってやっぱり嬉しいじゃん?」
「嬉しいものなのか?」
「あと、何処そこに居たよーとか知れると嬉しい」
「分かる。自分も行こうかなとか思っちゃうんだよね。ワンチャン会えたら話すきっかけできるし」
誰が誰を好きになるかは個人の自由だし、俺がとやかく言うものでもないから“あの子”についての言及はこれ以上しないでおこう。それよりも俺は別に聞きたい事があった。
「好いた相手の事を知りたいと思うのか君たちは」
「うちらだけに限らず好きなら知りたいと思うっしょ」
「割とガチに情報集めるよね」
「好きだからより深く知りたい、ということか?」
「より深くとかなんか堅苦しくない? 好きとかもっと単純にいこーよ」
「単純に?」
「そそ、考えたってしょうがないし……ってか獄セン恋愛相談したいの?」
「マジで!? いいよいいよ! 聞く聞く!」
顎に手を当て考え込むと、彼女たちの嗅覚が働いたのか前のめりに聞いてくるから手を前にして断る。
「大丈夫だ! 間に合っている!」
「えー残念」
「いつでも聞くよー」
あっさりと引く彼女たちは電話をいじりながらまた別の話題へ移っていく。彼女たちも次から次へと表情を変え見ていて微笑ましいとは思うが、俺が知りたいと思っている彼女のように心地良いとまではいかない。これはやはりそういうことなのだろうか?
「お前たち制服を正せ」
彼女たちの会話を聞きながら別なことを考えていると、買い物を終えた冨岡は店から出てくるなり開口一番いつも学校で言っている言葉を放った。
「トミセンここ学校じゃないし」
「家に帰るまでが学校だ」
「遠足かよ」
彼女たちは今何が起きても楽しい年頃なのだろう。どの場所に居ても態度の変わらない冨岡がおかしいらしく彼女たちの笑いは絶えない。慣れたものなのか冨岡に物怖じせずに口答えをしながら電話のカメラをこちらに向けた。
「写真撮るよー」
「はーい、先生たち二人とも笑ってー」
「……」
許可を取れと言ったはずなのだが報告という形に変わってしまっている。それも今を楽しく生きる彼女たちならではだと思えば可愛いものだ。
「よし、冨岡! 笑え!」
物言わない冨岡の肩に腕を回せば笑う表情どころか焦った顔をした。それはそれで珍しいから彼女たちの言う“あの子”も冨岡の新しい一面を知れていいだろう。“あの子”がその写真を見て笑ってくれればいい。
「俺のカメラでも撮ってくれ!」
「獄セン自分の写真撮ってどうすんの?」
「何となく面白そうだからだ!」
彼女たちは手慣れた操作でまた一枚写真を撮る。
彼女にもいつでもこうやって笑っていて欲しい。
漠然とそう思い、道路の向こう側を見たが彼女はもう居なかった。
* * *
「お久しぶりです」
「久しぶりだな。息災か?」
見るだけなら一昨日機会を得たが話すのは約一ヶ月ぶりだ。先日は気付かなかったが彼女は髪を少し切っていて幼くなった印象を受ける。
「あれ? 杏寿郎さん髪の毛切りました?」
「む? 午前中に行ってきたんだが何処かおかしいだろうか?」
「朱の面積が少ないなって思いまして。さっぱりして男前度上がりましたね」
「君は……」
——誰にでもそうなのか?
言いかけた言葉を寸前で止めた。何の権利があって彼女の言動を責めているとも取られかねないことが言えようか。
「どうしました?」
「……君も髪を切ったのだな」
「そうなんですよ、でもちょっと失敗して前髪が短くなりすぎちゃって」
幼く見えたのはそのためか。引っ張ったところで伸びるはずもないのに、前髪を下へと鞣 すように撫でつけている様は先日街中で見掛けた彼女とかけ離れている。
その髪に触れたい——俺は伸ばしかけた腕に自制をかけるように腕組みをした。
「っ、視界が開けて良いことだ! さあ! 書道教室へ行こう!」
彼女は何か言いたげな顔をしているがそれを振り切り書道教室の表門へ足を向ける。彼女も特に追求することなく俺の後に付いてきた。
「お久しぶりです」
「久しぶりだな。息災か?」
見るだけなら一昨日機会を得たが話すのは約一ヶ月ぶりだ。先日は気付かなかったが彼女は髪を少し切っていて幼くなった印象を受ける。
「あれ? 杏寿郎さん髪の毛切りました?」
「む? 午前中に行ってきたんだが何処かおかしいだろうか?」
「朱の面積が少ないなって思いまして。さっぱりして男前度上がりましたね」
「君は……」
——誰にでもそうなのか?
言いかけた言葉を寸前で止めた。何の権利があって彼女の言動を責めているとも取られかねないことが言えようか。
「どうしました?」
「……君も髪を切ったのだな」
「そうなんですよ、でもちょっと失敗して前髪が短くなりすぎちゃって」
幼く見えたのはそのためか。引っ張ったところで伸びるはずもないのに、前髪を下へと
その髪に触れたい——俺は伸ばしかけた腕に自制をかけるように腕組みをした。
「っ、視界が開けて良いことだ! さあ! 書道教室へ行こう!」
彼女は何か言いたげな顔をしているがそれを振り切り書道教室の表門へ足を向ける。彼女も特に追求することなく俺の後に付いてきた。
* * *
五人揃った夕食後、父上が美味い地酒があるから飲んでいけと彼女を誘う。
「今日は杏寿郎が送るだろうから多少飲んでも問題ないだろう」とは父上の談。彼女は恐縮しながらも酒を飲み、いつもより長く家に留まった。
久し振りに二人並んで歩く夜道、彼女の足取りは酒もあるのか随分軽い。
「今日いただいたお酒は美味しかったですねー」
「酒は普通に飲めるのだな」
「そうですね、お酒って大人の醍醐味ですよね」
微妙に噛み合わない返答を寄越してくる彼女に苦笑してしまう。酒は飲めるがそこまで強くないというところか。
夜風を楽しみながら歩く彼女と逢えなかった日を埋めるように色々な話をする。俺は主に学校の話を、彼女は書道教室だったり千寿郎に送ってもらったときの出来事だったり。
そんな話をしていたらあっという間にコンビニに辿り着き、今日はここまでかと別れ難さを感じていると、彼女の挙動が少しおかしいことに気付いた。
「どうした? 気持ち悪いのか?」
「え? あ、いやそうじゃなくて……」
彼女は一度下を向いたあとゆっくりと顔を上げて俺を見るが、絡んだ視線は直ぐに逸らされ、横を向いた彼女の顔の赤さに息を飲む。彼女の顔が赤いのは酒のせいだけではないはずだ。
「杏寿郎さん、今日はまだ時間……ありますか?」
「ある、が……」
「ここのコンビニ、カフェコーナーがあるので時間が大丈夫ならそこでもう少し喋りませんか?」
こうして誘いを受けるのは初めてで、俺もまだ話したいと思っていたから彼女の提案に気が高揚するのが分かる。
「もちろんだ、もっと話そう」
気の高揚とは真逆に自分でもらしくないと分かるほどに声が凪いだ。
五人揃った夕食後、父上が美味い地酒があるから飲んでいけと彼女を誘う。
「今日は杏寿郎が送るだろうから多少飲んでも問題ないだろう」とは父上の談。彼女は恐縮しながらも酒を飲み、いつもより長く家に留まった。
久し振りに二人並んで歩く夜道、彼女の足取りは酒もあるのか随分軽い。
「今日いただいたお酒は美味しかったですねー」
「酒は普通に飲めるのだな」
「そうですね、お酒って大人の醍醐味ですよね」
微妙に噛み合わない返答を寄越してくる彼女に苦笑してしまう。酒は飲めるがそこまで強くないというところか。
夜風を楽しみながら歩く彼女と逢えなかった日を埋めるように色々な話をする。俺は主に学校の話を、彼女は書道教室だったり千寿郎に送ってもらったときの出来事だったり。
そんな話をしていたらあっという間にコンビニに辿り着き、今日はここまでかと別れ難さを感じていると、彼女の挙動が少しおかしいことに気付いた。
「どうした? 気持ち悪いのか?」
「え? あ、いやそうじゃなくて……」
彼女は一度下を向いたあとゆっくりと顔を上げて俺を見るが、絡んだ視線は直ぐに逸らされ、横を向いた彼女の顔の赤さに息を飲む。彼女の顔が赤いのは酒のせいだけではないはずだ。
「杏寿郎さん、今日はまだ時間……ありますか?」
「ある、が……」
「ここのコンビニ、カフェコーナーがあるので時間が大丈夫ならそこでもう少し喋りませんか?」
こうして誘いを受けるのは初めてで、俺もまだ話したいと思っていたから彼女の提案に気が高揚するのが分かる。
「もちろんだ、もっと話そう」
気の高揚とは真逆に自分でもらしくないと分かるほどに声が凪いだ。
* * *
レジでコーヒーを買ってカフェコーナーに入ると、客は他に高校生ぐらいのグループが一組いるだけだった。学園の生徒であれば早く帰れと促すところだが見覚えがないのでどうやら違う。
カウンターになっているところに二人並んで腰を落ち着かせると、彼女は俺のコーヒーの横に見覚えのあるものを置いた。
「杏寿郎さん、どうぞ」
「?」
「暫く忙しくてお疲れの杏寿郎さんに飴をあげます! 疲れたときには糖分摂取がオススメですよ」
初めて会った日の俺を真似したのか立場を逆転させた彼女が差し出してくれたのは俺があげたのと同じ飴。
「甘いけどこの袋見ると気分転換しようって気になるんです」
あの日の事がきっかけでこの飴を買うようになったと言う彼女。彼女は母上を通して俺を見ているのだろうけど、俺のことを気にかけてくれる心遣いは素直に嬉しいの一言に尽きる。
「ありがたくいただこう。と、そういえば一昨日街中で君を見たぞ」
「え!? 何処でですか?」
買ったブラックコーヒーと真逆の甘さを口の中で堪能しつつ、先日見たことと場所を伝えれば、彼女は呻きながら顔を押さえた。
「仕事しているところを見られるのは恥ずかしいですね。その時私ものすごい顔していませんでしたか?」
「眉間の皺が凄かった!」
「やっぱり!」
泣き出しそうだった——とは言えずに有り体の言葉で濁したのは正解だったようだ。
「声を掛けてくれてもよかったのに」
「他の先生の買い出しの付き合いで居たんだ。声を掛けようと思ったんだが下校中の生徒たちも来てしまってな」
「先生姿の杏寿郎さんを見るチャンスだったんですね」
残念だ、と言いながら彼女はその時の思い出したのか少し覇気がなくなる。
「……杏寿郎さんは行き詰まったときはどうしていますか?」
「俺か? ふむ……」
行き詰まったとき自分はどうしていただろうか。言われると自分の中で消化していることばかりだなと思う。
最近、といっても数ヶ月前だが自分の教師に向いていないのではという行き詰まりは、奇しくも気分転換で訪れた書道教室の一つの書によって解消された。解消と言うには大げさかもしれないが、そこから自分自身を見つめ直すことが出来たのは事実だ。彼女の書を見ていたことに関しては伝えたが、自分を見つめ直すきっかけになったことは特に伝えていない。伝えていないから当たり前だが書いた当の本人がそれを知らないのだから不思議なものだ。
自分と向き合うことが増えて生徒たちともちゃんと話せるようになった気がする。
「杏寿郎さーん? 答えづらかったら無理しなくていいですよ?」
「む!? すまない。そうだな、特にこれといっては……」
俺が中々答えないので悩んでいると思ったらしく、気を使わせてしまったようだ。
「杏寿郎さんって意外と言葉を飲み込みますよね」
「そうだろうか?」
「さっきの書道教室の前のときとか。あ、あと千くんの名前を呼んだときのこととか」
彼女の指摘することはどれも覚えがあって特に反論も出来ない。
「相手のことを思いやってくれてるんだなって分かるんですけど、何か変なこと言っちゃったんじゃないかって心配になるんです」
「そんなことはない!」
被せ気味に言った言葉に彼女は驚いて一度目を見開くがすぐに柔く笑った。
「千くんと喋ってて、杏寿郎さん全部自分で解決しちゃいそうだなって」
「そうだな。そういう事が多かったし俺にはそれが当たり前だったな」
「長男だからですか?」
長男だから? それもあるが少し違う。人よりも強い精神や肉体を持って産まれた自負はある。だから自ずと人に頼られることも多くなり、それに比例するように人に頼ることは減っていった。それを苦とも思わなかったしこれからも思うことはないだろう。
「杏寿郎さんは千くんにとっては自慢のお兄ちゃんで、瑠火さんや槇寿郎さんにとっては息子で頼もしい長男で」
彼女は喋らない俺に気にすることなく言葉を続けていくからそのまま耳を傾ける。
「杏寿郎さんは今やその先を大切にするって言っていましたけど立ち止まったときに投げられる人いるのかなって気になったんです」
「それは……」
居るとも居ないとも言えない。誰かに弱音を吐くようなことはしてこなかった。弱みを見せるのを厭 っているわけではない。その必要がなかった……いや、その術を俺は知らないだけなのか?
彼女は字に限らず言葉でも俺に自問自答させていく。
「杏寿郎さんは私にとっては学校の先生でもないし同僚やお兄ちゃんでもない。なんの肩書も持たない人。あえてつけるなら書道教室の先生の息子さんくらい」
「つまり君は……」
彼女の言いたいことがいまいち見えず、催促するように促してしまった。
「私は……、ただの煉獄杏寿郎さんが知りたいです」
「……よもや」
これは告白なのだろうか? ただ一人の人間として俺のことを知りたいと真っ直ぐに言う彼女に喉が乾いていく。“好き”だなどという言葉ではなく、存分に伝わってくる想いは好意と受け取って良いのだろうか?
「いやあの! 告白っぽい感じになっているんですけど違うんです! 杏寿郎さんの書道しているときの綺麗な姿勢とか、帰り道で話す内容に私色々学んだり助けられたりしているんです。だから……」
彼女は顔を赤くしながらしどろもどろで説明を捲したてていく。
そうか。告白ではないのか……。それを残念がる自分が居て、彼女への気持ちが色付き形を成していく。
「杏寿郎さんは気付いていないかもしれないですけど、本当にたくさん助けてもらっているんです。だから、私も杏寿郎さんの息抜きの一助ができればと思って……」
「愚痴かもしれないぞ?」
「むしろ愚痴の方を聞きたいくらいです。気にせず色々話してくれると嬉しいな」
一気に話して照れている彼女に心が穏やかになる。
「それに! 杏寿郎さんに優しくすれば瑠火さんも喜んでくれますし!」
そうやって俺の視線から逃れるように言う彼女が愛しいと思った。
きっかけがどうであれ俺に興味を持ってくれて、知ろうとしてくれて、気に掛けてくれるようになった彼女。
最初の警戒だらけのときとは全然違う。
自分に意識が向いてくれているのかと思うと嬉しくなる。もっとその笑顔を、声を、その先の全てを独り占めしたくなる。
レジでコーヒーを買ってカフェコーナーに入ると、客は他に高校生ぐらいのグループが一組いるだけだった。学園の生徒であれば早く帰れと促すところだが見覚えがないのでどうやら違う。
カウンターになっているところに二人並んで腰を落ち着かせると、彼女は俺のコーヒーの横に見覚えのあるものを置いた。
「杏寿郎さん、どうぞ」
「?」
「暫く忙しくてお疲れの杏寿郎さんに飴をあげます! 疲れたときには糖分摂取がオススメですよ」
初めて会った日の俺を真似したのか立場を逆転させた彼女が差し出してくれたのは俺があげたのと同じ飴。
「甘いけどこの袋見ると気分転換しようって気になるんです」
あの日の事がきっかけでこの飴を買うようになったと言う彼女。彼女は母上を通して俺を見ているのだろうけど、俺のことを気にかけてくれる心遣いは素直に嬉しいの一言に尽きる。
「ありがたくいただこう。と、そういえば一昨日街中で君を見たぞ」
「え!? 何処でですか?」
買ったブラックコーヒーと真逆の甘さを口の中で堪能しつつ、先日見たことと場所を伝えれば、彼女は呻きながら顔を押さえた。
「仕事しているところを見られるのは恥ずかしいですね。その時私ものすごい顔していませんでしたか?」
「眉間の皺が凄かった!」
「やっぱり!」
泣き出しそうだった——とは言えずに有り体の言葉で濁したのは正解だったようだ。
「声を掛けてくれてもよかったのに」
「他の先生の買い出しの付き合いで居たんだ。声を掛けようと思ったんだが下校中の生徒たちも来てしまってな」
「先生姿の杏寿郎さんを見るチャンスだったんですね」
残念だ、と言いながら彼女はその時の思い出したのか少し覇気がなくなる。
「……杏寿郎さんは行き詰まったときはどうしていますか?」
「俺か? ふむ……」
行き詰まったとき自分はどうしていただろうか。言われると自分の中で消化していることばかりだなと思う。
最近、といっても数ヶ月前だが自分の教師に向いていないのではという行き詰まりは、奇しくも気分転換で訪れた書道教室の一つの書によって解消された。解消と言うには大げさかもしれないが、そこから自分自身を見つめ直すことが出来たのは事実だ。彼女の書を見ていたことに関しては伝えたが、自分を見つめ直すきっかけになったことは特に伝えていない。伝えていないから当たり前だが書いた当の本人がそれを知らないのだから不思議なものだ。
自分と向き合うことが増えて生徒たちともちゃんと話せるようになった気がする。
「杏寿郎さーん? 答えづらかったら無理しなくていいですよ?」
「む!? すまない。そうだな、特にこれといっては……」
俺が中々答えないので悩んでいると思ったらしく、気を使わせてしまったようだ。
「杏寿郎さんって意外と言葉を飲み込みますよね」
「そうだろうか?」
「さっきの書道教室の前のときとか。あ、あと千くんの名前を呼んだときのこととか」
彼女の指摘することはどれも覚えがあって特に反論も出来ない。
「相手のことを思いやってくれてるんだなって分かるんですけど、何か変なこと言っちゃったんじゃないかって心配になるんです」
「そんなことはない!」
被せ気味に言った言葉に彼女は驚いて一度目を見開くがすぐに柔く笑った。
「千くんと喋ってて、杏寿郎さん全部自分で解決しちゃいそうだなって」
「そうだな。そういう事が多かったし俺にはそれが当たり前だったな」
「長男だからですか?」
長男だから? それもあるが少し違う。人よりも強い精神や肉体を持って産まれた自負はある。だから自ずと人に頼られることも多くなり、それに比例するように人に頼ることは減っていった。それを苦とも思わなかったしこれからも思うことはないだろう。
「杏寿郎さんは千くんにとっては自慢のお兄ちゃんで、瑠火さんや槇寿郎さんにとっては息子で頼もしい長男で」
彼女は喋らない俺に気にすることなく言葉を続けていくからそのまま耳を傾ける。
「杏寿郎さんは今やその先を大切にするって言っていましたけど立ち止まったときに投げられる人いるのかなって気になったんです」
「それは……」
居るとも居ないとも言えない。誰かに弱音を吐くようなことはしてこなかった。弱みを見せるのを
彼女は字に限らず言葉でも俺に自問自答させていく。
「杏寿郎さんは私にとっては学校の先生でもないし同僚やお兄ちゃんでもない。なんの肩書も持たない人。あえてつけるなら書道教室の先生の息子さんくらい」
「つまり君は……」
彼女の言いたいことがいまいち見えず、催促するように促してしまった。
「私は……、ただの煉獄杏寿郎さんが知りたいです」
「……よもや」
これは告白なのだろうか? ただ一人の人間として俺のことを知りたいと真っ直ぐに言う彼女に喉が乾いていく。“好き”だなどという言葉ではなく、存分に伝わってくる想いは好意と受け取って良いのだろうか?
「いやあの! 告白っぽい感じになっているんですけど違うんです! 杏寿郎さんの書道しているときの綺麗な姿勢とか、帰り道で話す内容に私色々学んだり助けられたりしているんです。だから……」
彼女は顔を赤くしながらしどろもどろで説明を捲したてていく。
そうか。告白ではないのか……。それを残念がる自分が居て、彼女への気持ちが色付き形を成していく。
「杏寿郎さんは気付いていないかもしれないですけど、本当にたくさん助けてもらっているんです。だから、私も杏寿郎さんの息抜きの一助ができればと思って……」
「愚痴かもしれないぞ?」
「むしろ愚痴の方を聞きたいくらいです。気にせず色々話してくれると嬉しいな」
一気に話して照れている彼女に心が穏やかになる。
「それに! 杏寿郎さんに優しくすれば瑠火さんも喜んでくれますし!」
そうやって俺の視線から逃れるように言う彼女が愛しいと思った。
きっかけがどうであれ俺に興味を持ってくれて、知ろうとしてくれて、気に掛けてくれるようになった彼女。
最初の警戒だらけのときとは全然違う。
自分に意識が向いてくれているのかと思うと嬉しくなる。もっとその笑顔を、声を、その先の全てを独り占めしたくなる。
* * *
コーヒーを飲み終えて彼女と別れ、家への帰路を辿っていると数分もしない内に連絡先を交換したばかりの彼女からメッセージが届いた。無事に家に着いたという内容に本当にあのコンビニから近いのだとようやく知る。
木曜の放課後に会った女子生徒たちは好きな人のことなら知りたいと言っていたが、俺はそれと同じくらい彼女に知ってもらいたい。自分のことを。
結局知りたいと思うことに明確な理由付けはできなかったが煉獄家の長男として在るべき姿勢など関係なく、理屈じゃなくて本能で彼女が欲しい。
ああ、なるほど。これは確かに頭で考えてどうこうできることでないな。
——この気持ちをきっと世間では恋と呼ぶのだろう。
コーヒーを飲み終えて彼女と別れ、家への帰路を辿っていると数分もしない内に連絡先を交換したばかりの彼女からメッセージが届いた。無事に家に着いたという内容に本当にあのコンビニから近いのだとようやく知る。
木曜の放課後に会った女子生徒たちは好きな人のことなら知りたいと言っていたが、俺はそれと同じくらい彼女に知ってもらいたい。自分のことを。
結局知りたいと思うことに明確な理由付けはできなかったが煉獄家の長男として在るべき姿勢など関係なく、理屈じゃなくて本能で彼女が欲しい。
ああ、なるほど。これは確かに頭で考えてどうこうできることでないな。
——この気持ちをきっと世間では恋と呼ぶのだろう。