やうやう積もるは恋う色:7

 杏寿郎さんはあれからまた土曜日でも家に居たり居なかったり。会えなくても平日にメッセージが送られてくるようになって、杏寿郎さんの普段を知ることが増える。
 ただちょっと困ったのが送られてくるメッセージに添付されてくる学校の他の先生や瑠火さんの写真に一人変な声を出すことが多くなった。ついでに言うと最初に見たトミオカ先生はやっぱりイケメンだ。

 土曜日に煉獄家で食卓を囲むようになってから季節が一つ過ぎて、毎週土曜日、今日は何を作るのかなとか、瑠火さんやみんなと食卓を囲むのもそうだけど帰りに杏寿郎さんに送って貰える事も心待ちにしている自分がいた。
 今週は杏寿郎さんいるのかなって思っているタイミングでスマホが鳴る。送り主は杏寿郎さん。
《今週の土曜日は家に居る》
 今週も仕事が山盛りだったけど土曜日に逢えると思えば何とか乗り切れた。

* * *

「無理していないだろうか?」
「習い事ですか?」
「元気がないように見えてな。仕事とか無理していないだろうか?」
「……大丈夫ですよ」
「そうか……」
 久しぶりに会えた土曜の帰り道。
 杏寿郎さんの言葉にお互い少し歯切れが悪くなる。杏寿郎さんがどこまで踏み込むべきか距離を測りかねていること、それに気付いているのに何も言わない私。
 仕事は無理してないかと言われたけど正直分からない。私は私の物差しでしか仕事に対しての感想を言えないから。
 私よりもっと大変な人だっているし、多少の無理はしないと結局後々仕事のしわ寄せが来るのだ。いつやるかの問題なだけで大変さというか全体量は変わらない。
 仕事に関係なく頑張らなくてもいいというか、肩肘張らずに過ごせるようになってきた土曜日は毎週楽しみなんだ。
「毎週土曜日に書道して、煉獄家にお邪魔して瑠火さんと料理して、みんなで食卓囲んで……こうして杏寿郎さんに送ってもらって、いいリセットになっています」
「それなら良かった」
 いつものコンビニに辿り着く。帰りの道で話が盛り上がるとカフェコーナーでもう少し話をしたりするけど、今日は二人でコンビニに入ることもなくここでお別れ。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 “また来週”と言っていた別れ際の挨拶は“おやすみなさい”に変わって、ゆっくりと交わるように近付くこの距離感を今は大切にしたい。

* * *

《来月母上の誕生日があるのだが一緒に贈り物を選んでくれないか》
 仕事の昼休み中、簡潔に送られてきたメッセージの文面に凄い勢いで返信する。
《瑠火さんもうすぐ誕生日なんですね! 教えてくれてありがとうございます! 行きます! 一緒にプレゼント買いましょう!》
 まさか平日に瑠火さん情報が入手できるとは。今日運勢占い一位だったのかな。今週末の金曜は祝日だから出勤日も少ないしいいこと尽くめ。
《週末金曜の祝日は休みだろうか?》
《お休みです!》
《俺もだ!》
 お互い“!”マークばかりで、テンションの高さが容易に想像できて笑っているとまたメッセージが届く。
《半分嘘だった!》
 半分? どういうことか聞こうと思ったら更にメッセージが来る。
《午前中は学校に出てやることがあるので午後から出かけよう!》
 理由を言わずに午後から出かけようにしておけば“半分嘘だった”なんてバレないのに。隠し事をしないというか出来ない杏寿郎さんにスマホを見ながらまた笑ってしまう。
《午前中は私も寝ていたいので午後からだと助かります!》
《寝るのは大事だ! 学校を出るときまた連絡する!》
 要点だけの簡潔なやり取りはテンポよく進んで、一〇分もしない内に金曜の予定が決まった。
 俄然今週の仕事のやる気が出てきて、よしと意気込んだ瞬間、ちょっと待てよと脳内会議が始まる。
 杏寿郎さんと土曜日以外に会うの初めてじゃない? あれ? もしかしてこれは俗に言うデート?
 ちょっと待って洋服! 最近そういうの買っていない。でも私が勝手にそう思ってるだけで、杏寿郎さんはいつものノリかもしれない。でも周りから見たら男女二人だし……。
 頭の中でいやしかし、いやしかし、の堂々巡りが繰り広げられて途中で考えるのを止めた。私が一方的にデートだって思ったっていいじゃないか。頑張っておめかしして可愛いって思われればラッキーぐらいの感覚で行こう。
 今週はもう買い物に行く時間なんてない。家に帰ったらクローゼットを開けて杏寿郎さんの横に立っても問題ない服を探そう。週末は何が何でも休日出勤なんてしない。
 大事な事だけ頭の中でまとめて私は目の前の仕事に集中した。

* * *

《一時間後くらいにいつものコンビニに着くが大丈夫だろうか?》
 祝日の金曜日。いつもなら午前中、下手したら午後になっても寝ている筈なのに朝からバッチリ起きている。何なら仕事の日よりも早く目が覚めたくらいだ。杏寿郎さんには“午前中寝ていたい”なんてメッセージ送ったけど寝てる場合じゃない。
《おはようございます! 了解です。そのくらいの時間になったらコンビニに行きます》
 もう今からでも行けるくらいに準備は整っている。土曜日に煉獄家に行くときよりも少し濃い目のメイク。髪の毛も緩くセットした。昨日の夜はネイルなんかしちゃって。家にあった派手過ぎず地味過ぎない服を選んだつもりだけど大丈夫かな。
 毎週土曜は遊びに行くわけではないから、いつもパーカーにスキニーとか機動力重視の服装ばかりで久しぶりに履く私服のスカートの丈を姿見越しに気にして……って私は中学生か! 時計を確認したら杏寿郎さんから連絡が来てまだ二〇分も経っていない。時間の流れ遅くない?
 駄目だ。この部屋に居ても落ち着かない。コンビニ併設のカフェコーナーで時間を潰そう。私はさっと鞄を肩にかけて玄関に向かう。パンプスを履こうして伸ばした手を途中で軌道修正させてスニーカーを取った。
 瑠火さんへのプレゼント選びは絶対に悩む。あれもこれもと見て回ってしまうかもしれないから足の疲れないものにしよう。
 スカートにスニーカーで色気がなくなったけれど、元気な感じが杏寿郎さんに合ってていいんじゃないか? そうポジティブに考えてコンビニに向かった。

* * *

 逸る足でコンビニに行くと、駐車場にはどこかで見たことあるような車が止まっている。普段車なんて止まらないコンビニだから珍しいと思ったけど祝日だしそういう事もあるか。大して気にも止めずにコンビニに入り、コーヒーを注文してカフェコーナーの入口で足を止めた。
 私に背を向けて座っているけど、後ろから見てもすぐに気付く赤い毛先を混ぜた鮮黄色の髪。チャームポイントのハーフアップが揺れている。
「杏寿郎さん?」
「む?」
「着くの早くないですか?」
 杏寿郎さんの手元にあるカップは中身が半分以上なくなっていて早いというか……。
「もしかしてメッセージくれた時点でもう居ました?」
 そう指摘すると杏寿郎さんの目が分かりやすく泳ぐ。
「気が急いて連絡もせずに来てしまってな」
「着いたって言ってくれれば直ぐに来たのに」
「まだ準備が整っていなかったら焦らせるのも悪いと思って……」
 言い訳をするようにもごもごしている杏寿郎さんが珍しい。
「ふふ、私も同じです。落ち着かなくて早めに来ちゃいました」
 照れ臭さを隠すように笑えば杏寿郎さんも笑う。ああ、やっぱり私、この笑顔本当に好きだな。
「午前中は学校だって言っていましたもんね。杏寿郎さんのネクタイ姿生で見るの初めてです!」
「前も似たような事を言っていなかったか?」
「あはは、言いました。たまに送ってくれる写真で何度か見ていましたけどやっぱり似合ってて格好良いですね。煉獄先生の授業受けたくなります」
 予定よりも早く逢えたことに気を取られていたけど杏寿郎さんの格好を改めて見る。
 ピシッと糊の効いたワイシャツに濃い朱のネクタイを締めてスラックスを履いている姿は、仕事の出来る男感が隠すことなくだだ漏れだ。学校の生徒男女問わず慕われていそう。
 初めて着流し姿を見たときも思ったけど、いちいちカッコいいから困るんだよなと考えながらコーヒーをテーブルに置いて私も座ろうとしたら、杏寿郎さんがこっちをじっと見ている。
「え? 何か付いていますか?」
 家を出る前に確認したけど来る途中でどこか乱れたかな?
「うむ! おめかしが可愛いな!」
「なっ!」
 可愛いと思われればラッキーなんて思っていたけど面と向かって言われるのは予想していなかったから変な声が出た。一気に顔が赤くなるのが分かる。
 カフェコーナーに誰も居ないのが不幸中の幸いだけど店員さんがチラチラ見てる気がする。
「っ、すまない。時間より早いが行こうか」
 私の様子に杏寿郎さんも気付いたのか、咳払いをして席を立つと店員さんの好奇の視線を受けながら二人足早にコンビニを出た。
 未だ口を付けていないコーヒーを手に外に出れば、杏寿郎さんは駐車場に止まっている車に向かい「どうぞ」と流れるような仕草で助手席のドアを開ける。
「これ杏寿郎さんの車だったんですか!?」
「普段俺はあまり乗らないから俺のというよりは家のだな」
 どこかで見たことあると思ったのは煉獄家にあったからか。
 エスコートされるままに助手席に座ると杏寿郎さんも回り込んで運転席に座った。静かに走り出した大きめのSUVは天井も高くてゆったりしている。
「家族共用なんですね」
「大型連休とかは家族揃ってこの車で温泉に行ったりするぞ」
「へー、いいですね。楽しそう」
「次の大型連休は君も一緒に行こう。母上も喜ぶ」
 家族水入らずに私が入るわけにはいかなくて、とんでもないって言おうとしたのに「母上も喜ぶ」の言葉にぐってなった。瑠火さんと旅行とか行きたい。女二人でのんびり温泉浸かりたい。あわよくば背中の流し合いっことかしたい。
「……機会があれば」
 コーヒーを啜りながら小さく言えば杏寿郎さんは楽しそうに笑った。

 車内は私が前に好きだと言ったアーティストの曲が流れている。狭い空間で二人だと緊張するかと身構えたけど、私の好きなアーティストのプレイリストを準備してくれたり、いつものように話を振ってくれるから肩の力が抜けてきた。
「今日は千くん残念でしたね」
「何の話だ?」
「今日のお出かけ千くんも誘ったんですけど部活があるって言われたんですよ」
「……そうか」
 二人で出かけるなんて緊張するから千寿郎くんも誘ってしまおうなんて下心はあっけなく破れた。おかげで更にオシャレしなくてはと気合いが入ったんだけども。
 窓の外は祝日だからかカップルに家族連れ、学生の友達同士だったりみんな楽しそうで、見ている私も楽しくなる。
「あ、そういえばどこで瑠火さんのプレゼント買うんですか?」
「ちょっと足を伸ばして和雑貨など小間物屋が立ち並ぶ場所に行こうと思っている」
「そんな所あるんですね」
「学校の同僚情報だから俺も詳しくは知らないんだけどな」
「杏寿郎さんも初なんですね。沢山見て回りましょう!」
「校外学習でもするか!」
「今日は勉強する気分ではないので煉獄先生とじゃなくて杏寿郎さんとのお出かけを楽しみたいでーす」
「俺もだ!」
 さっきカフェコーナーで言った“煉獄先生の授業”発言に合わせてきた言葉に笑いながら首を振ると杏寿郎さんも笑った。
「これがあるから先生っぽくなってしまうのか?」
 信号待ちのタイミングで杏寿郎さんがおもむろにネクタイに手をかけ、結び目を緩めながらボタンを外すと隠れ気味だった喉仏が存在を主張してくる。結んでいたものが完全に外れ、シュッと音を出しながら片方を引っ張りネクタイを取る仕草に目が釘付けになってしまった。
「そんなに見られると緊張するな!」
「っ! ごめんなさい不躾に!」
 信号が変わるからちょっと持っていてくれと外されたばかりのネクタイを慌てて受け取る。
「君が望むならいつでも見せるが?」
「いえ……、心臓持たなさそうなので遠慮しておきます」
「お? この曲は最近ラジオでよく聴くぞ」
 ドキドキして息が苦しくなる私に気付く気配のない杏寿郎さんは走り出した車内で曲に合わせて歌いだした。車内にたちこめていた色気は一瞬にしてなくなってほっとしながら、ちょっと残念だと思う自分もいる。でもそんな残念さはすぐにどこかへいってしまった。
 音を外すと照れ笑いする杏寿郎さんが可愛くて私も釣られて笑う。たまに私も一緒に歌ったり、今ハモった! とかはしゃいでいたら目的地なんてあっという間に着いてしまった。

* * *

 杏寿郎さんが連れてきてくれた場所は小江戸の雰囲気を売りにしている小さな観光地。石畳とそれらしさを出すように立ち並んでいる店は木造をイメージさせる構えをしている。
「石畳は本物なんですね!」
 ちょっとボコボコしている足元にスニーカーで良かったと家を出る直前の私の判断を褒めたい。
「人が結構居るな!」
 杏寿郎さんはメインストリートの入り口に立って遠くを見るように呟くと私の手を取った。握った手を持ち上げて笑う杏寿郎さんと反対に私は赤くなる。
はぐれないように」
 そうだよね、人が多いから逸れないようにだよね。杏寿郎さん先生だから引率的なノリだよね、ってそんな事あるか! 相変わらず人の話を聞かずに私の前を歩き出す杏寿郎さんの、ふわりふわり見え隠れする耳が赤いのは髪の毛の色が反射しているわけじゃない。
「逸れないように……離さないでくださいね」
 握られた手を握り返すと返事をするように強めに握られた。

* * *

 目につく店に入っては色々見てを繰り返している。
「瑠火さんって平日も和装なんですか?」
「そうだな。外出するときは洋服を着ることもあるが出かける用事のない日は基本着物だ」
「身に付けるものがいいんですかね。でも消耗品の方が使ってくれそうだなー。ちなみに杏寿郎さんは今までどんな物を贈っていたんですか?」
「花以外だな」
「お花贈ったことないんですか?」
「母の日などには贈るが誕生日に花は贈らないんだ」
「何か理由が?」
「母上の誕生日に花を贈るのは父上の役目でな」
 何その素敵エピソード。もっと聞きたい。
「毎年薔薇を一本ずつ増やして贈っている」
「薔薇って確か本数に意味があるんですよね?」
「らしいな。俺が産まれる前から贈っているらしいから今年が何本とかは知らないんだ」
「貰った薔薇飾っていないんですか?」
「二人の寝室に飾っているので俺たち兄弟は不可侵領域だ」
「えー、なんですかそのラブラブ夫婦。分かってはいましたけど槇寿郎さんって瑠火さんにゾッコンですよね」
「ん?」
「え?」
「“ぞっこん”とは何だ?」
「え? 使いませんか? “ゾッコン”」
「ないな!」
 即答しなくてもいいのに。私は“ゾッコン”の意味を教えるよりも瑠火さんと槇寿郎さんのエピソードを聞きたい。欲を言えば瑠火さんの話をもっと聞きたい。
 杏寿郎さんの質問に「心底とかそういう感じですよ」なんて答えて次の店は、と足を進めたらつんのめった。繋がれた手によって転ぶことは免れたけど、そもそもつんのめったのは繋がれている手の先の人が立ち止まったまま動かなかったからだ。
「どうしたんですか?」
「ここだ……」
「え?」
 杏寿郎さんの視線の先には“さつま芋専門店”の看板。看板から視線を杏寿郎さんに戻せば目をキラキラ輝かせていて、なんなら涎でも垂れてきそうな勢いだ。
「伊黒……同僚にここのさつま芋専門店が美味いと聞いてな」
「もしかしてこのお店が目的でここに来たんですか!?」
「っいや、違う! 寄れればいいなとは思ったがメインではない!」
 違わない。絶対にこのお店があるからここに来ようとしたんだ。無言でじとっと見ていると、杏寿郎さんは頭を垂れて母親に叱られる前の子どもみたいになった。
「申し訳ない。この店に来たかった……」
「時間もまだありますしここでお茶しましょうか」
 隠さなくてもいいのに。そう言えば一気に笑顔になる杏寿郎さん。ここまで感情がストレートだと本当に私より大人なのかと分からなくなる。
 いざ行かん! 足取り軽くショーケースを覗き込めば並んでいる美味しそうなスイーツに二人して釘付けになった。
「悩みますね!」
「右に同じくっ!」
「やっぱり定番のスイートポテト……、でもシェイクも捨てがたい」
「この焼き芋ペーストの入ったサンドイッチも食べごたえがありそうだ!」
 むむむ、と悩んでいると杏寿郎さんがすくりと背を伸ばしレジカウンターへ私を引っ張り進む。
「杏寿郎さん、私まだ決まっていな——」
「全部二つずつください」
「え?」
 私もレジの店員さんもビックリしている。それはそうだ。全部二つずつってどういう事?
「今なら全部食べられる気がする!」
「いやいや、無理ですよ。さっきお昼ごはん食べたばかりですよね?」
「芋は別腹だ」
 何をスイーツ女子みたいな事を言っているんだと止めようとしたのに、良い事を言ったと親指を立てる杏寿郎さんに頭が痛くなった。
「全部一つずつにしてください。シェイクとアイスの乗ったやつだけ今食べるので、他は持ち帰り用に包んでもらっていいですか?」
 ウキウキしている杏寿郎さんを制して店員さんに伝えると、杏寿郎さんはどういう事だと顔をしている。
「これだけ今食べましょう。次に食べたいものは帰る前にどこかのベンチで、それでも残ってしまったのは家で食べましょう」
「分かった! ありがとう!」
 こんな無邪気に笑われたらなんだかんだ許してしまう。というか、この清々しいまでのさつま芋愛は一体どこから来ているんだろう?
 今食べると言ったスイーツをトレイに載せて席に着き、二人でしっかり手を合わせて「いただきます」と言って食べ始める。
 私は小さいスイートポテトがトッピングされたさつま芋シェイク。杏寿郎さんは焼き芋にバニラアイスの乗ったスイーツのさつま芋づくし。フォークですんなり切れるほど柔らかく蒸かされたさつま芋は見ているだけも美味しい。そこにバニラが溶けだしているから美味しさは約束されている。杏寿郎さんは口を大きく開けてパクリと入れた瞬間、目を大きく開いた。
「わっしょい!」
 杏寿郎さんの幸せそうな笑顔に忘れていた。この台詞。店内に響き渡る彼のさつま芋をリスペクトする掛け声。
「……杏寿郎さん、掛け声は後で車でかけましょうか」
「む、うむ。すまない」
 杏寿郎さんと二人で近くのお客さんにすみませんと謝ると彼はまたさつま芋にフォークを入れる。口に入れる前からニコニコしてるから可愛くて笑ってしまう。
「美味しくて良かったですね」
「うむ! 君も食べてみるといい」
 杏寿郎さんは言いながら自分用に大きく切った芋を半分の大きさにして差し出してきた。私に向けられたのはフォークに刺さった芋とアンバランスに乗ったバニラアイス。
 これはあれだ。あーん、ってやつだ。
 ほら、とフォークを一度揺らされるとバニラアイスがポタリと下に垂れていく。
「早くしないと全部垂れてしまうぞ」
「うっ」
 自分の好物を食べさせようとしてくれる杏寿郎さんの好意を無下にできない。恥ずかしいとか言っていられなくて、ゆっくり口を開ければニコリと笑われていい子だと表情だけで言われる。熱いさつま芋とアイスが口の中に入ってきてゆっくりとフォークが抜かれた。フォークから離れたくないと芋が私の口の中から出ていこうとするから慌てて追いかける。それでもちょっと口から逃げ出したアイスが私の唇を伝って下に垂れてしまった。
「んっ」
 指の腹でアイスをぬぐって、おしぼりでしっかりときながら口の中のさつま芋を堪能する。
「ん〜〜、甘くて美味しいですね!」
「っ、そうだな。うまい! うまい!」
 杏寿郎さんは周りに影響のない声量まで落とした掛け声を発したかと思えば勢い良く残りを食べ始めた。心なしか顔が赤いけどどうしたんだろう?
「顔赤いけど大丈夫ですか? お水貰います?」
「いや、心配ない! 大丈夫だ」
 杏寿郎さんはちゃんと味わっているのか怪しいスピードで完食した。

 ご馳走さま、と二人で手を合わせてトレイを下げてからお店を出て瑠火さんのプレゼント選びを再開する。
 なかなかこれ! というのが見つからないまま次に入ったお店は上品な和服の小間物屋さんで、可愛いというよりも綺麗な小物が所狭しと並んでいた。
「帯留め……うーん、こういう時どういうのがいいか分かりませんね」
「君が贈るなら何でも喜んでくれる」
「そうかもしれないですけどそうじゃないんですよ」
「む?」
 たもとクリップ、帯ひも、帯留め……。シンプルだけどそれぞれにアクセントが効いていて瑠火さんに似合いそうなのがありそう。
「あ、これ可愛い」
 そうやって手に取ったのは七宝焼で作られた帯留め。
「この花はなんだろう?」
「どれだ?」
 後ろから手元を覗き込んできた杏寿郎さんに見えるようにするとふむと頷いた。
「桔梗だな」
 七宝焼の桔梗は輝いていて傾けるたびに中の金箔がキラキラと光る。
「桔梗の花言葉は“永遠の愛”“変わらぬ愛”“気品”などだ」
 他にもどんな形があるのかなって商品棚を見ようと思ったら杏寿郎さんの花言葉の解説に手が止まる。“気品”とか瑠火さんの為にある言葉でしょう。これはもう決まりだ。
「杏寿郎さん花言葉に詳しいんですか?」
「全く知らん!」
 即答で答える杏寿郎さんに失礼だけどそうだよね、って思ってしまう。
「桔梗だけはな、知っているんだ」
「それって何か理由があるんですか?」
「……追い追い話そう」
 何となく躱されちゃったかな。でも追い追いって事はいつか話してくれるよね。ちょっと寂しいけど、今はまだその時じゃないんだろうなと自分を納得させてレジに向かった。

* * *

「俺が出そう」
「え、いやいいですよ」
「二人からの贈り物にしよう。君が選んでくれて俺が支払う。ここは俺の顔を立ててくれ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
 せめて半分、とも思ったけど“顔を立ててくれ”なんて言われたらそれ以上何も言えなくなる。
「包んでもらうのに多少かかるだろうから外で待っていてくれるか?」
「はーい」
 言われた通りに外に出て待ちながら往来する人を眺めると、車の中でも見た景色と同じように此処もカップルや家族でみんな楽しそう。
 あ、あの人可愛い。ピンクから黄緑に綺麗なグラデーションの長い髪を可愛く結んでる女の子。背も高くてモデルさんみたい。
 少し周りを見ながら歩いているのは目当ての店というよりも誰かを探しているみたい。そんな女の子の様子を見ていたら杏寿郎さんが店から出てきた。

「待たせてすまない」
「いいえ、こちらこそお会計ありがとうございます」
「いいんだ、俺も選ぶセンスがないから助かった」
 綺麗に包装されたプレゼントを受け取って鞄にしまうと杏寿郎さんはまた自然に手を繋いでくる。
「それともう一つあって……」
 言いながら片手で何かを出そうとガサガサしていると後ろから名前を呼ばれた。私の名前ではなくて——。
「煉獄さん!」
「む?」
 もう一度同じ名前が呼ばれて二人で振り向けばさっき見ていた可愛い人がこっちに向かって手を振っている。
「やっぱり! さっき“わっしょい”って声が聞こえて煉獄さんもここにいるんだって分かりました」
 両目の下に泣きぼくろがちょこんと乗っている女の子は誰がどう見ても可愛いの一言に尽きる。そして女性ならたぶん一度は憧れるナイスバディ。
「甘露寺か、久しいな」
「はい! 煉獄さんもお元気ですかって話は聞いているので知っています」
「この通り元気だ!」
 杏寿郎さんの知り合いなんだと思って見ていたら彼女の肩に掛かっているトートバッグの柄に意識を持っていかれた。今出てきた小間物屋さんで見た花——大きな桔梗の柄。
「その鞄は未だ健在なんだな」
「もちろん! 初めてのプレゼントですから」
 照れながらも嬉しそうに笑う顔は女の私でも見惚れてしまう。
「それは幸甚! 贈った者冥利に尽きる言葉だ!」
 二人の会話をそのまま聞いていると頭の中で色々繋がってきた。杏寿郎さんはこの柄のものを彼女にあげたから花の意味を知っていたんだ。
 あれ? つまりこの人杏寿郎さんの彼女? 久しぶりって言っていたから元?
 彼女は今でもそれを大切にしていて杏寿郎さんも満更ではない様子。さっき周りを見ながら歩いていたのはきっと杏寿郎さんを探していたってことだよね。それに彼女の杏寿郎さんを見る目がとてもキラキラしている。
「こんにちは」
「ああ、紹介しよ……」
 彼女の興味が杏寿郎さんから私に移り、手元に視線が向いた気がしたから慌てて繋いでいる手を離した。
「こんにちは! 私は煉獄さんのお母さんの書道教室に通っている者です。今日は日頃お世話になっている煉獄さんのお母さんに贈り物をしたくて煉獄さんに付き合ってもらいました」
 杏寿郎さんの声に被せるよう捲し立てていく。彼女——カンロジさんに私と杏寿郎さんの間柄を誤解させないようにしなければ。あくまで私は瑠火さんの知り合いであることを強調する私を二人ともポカンとして見ているけれど気にせず一歩下がって次の言葉を探す。
「えーと、すみません。私お手洗いに行ってきます」
「あ、おい」
「私にお構いなく! 二人でゆっくりしてください」
 杏寿郎さんの静止の声も聞こえない振りをして私はその場から去った。

* * *

 ちょっとした広場になっている休憩スペースを見つけてベンチに腰を下ろす。あからさまな態度で取ってしまったと深くため息をついた。
 彼女がいるとか、想っている相手が別にいる可能性の方が高いのに私ってば何を浮かれていたんだろう。私に優しく構ってくれるから勘違いしちゃってたな。恥ずかしさで穴があったら入りたい。

 どれくらいで戻ろう? というか、復縁とかに話が進むなら私は電車で帰った方がいいか。あんな可愛い子に復縁迫られて断らない人なんていないだろう。
 今日の目的は果たしたし、この後一緒に過ごす相手が私でなければならない理由がない。自分勝手にそこまで考えて胸が苦しくなる。
 とりあえずヘコむのは家でやろう。“先に帰ります”ってメッセージも送らなくちゃ。
 駅までの道を調べようと、地図アプリを見ていたら視界に誰かの足が入ってきた。
「……探したぞ」
「あ、れ? カンロジさんは? もう話はいいんですか?」
「泣きそうな顔をして走り去る君を放っておくわけないだろう」
 私そんな顔してたかな。バレバレの逃げ方だったしカンロジさんに失礼なことしちゃったと顔を押さえていると私の横に座る。
「急に他人行儀になるから驚いて反応が遅れてしまった」
「すみません、カンロジさんに誤解を与えちゃいけないと思いまして」
「なんの誤解だろうか?」
「カンロジさんとお付き合いしていたんですよ、ね?」
 進行形か過去形か分からなくてもごつきながらの言い方になってしまった。
「俺と甘露寺が付き合っていた?」
「だって、あの桔梗柄のトートバッグを贈ったんじゃないんですか?」
 桔梗柄? と言われた事を反芻すると合点がいったみたい。
「彼女——甘露寺はうちの学園の卒業生だ。彼女に恋情を抱いたことも抱かれたことも一度たりとない。それに彼女は今れっきとした婚約者がいる」
「そう、なんですか」
「……甘露寺の持っていた鞄はな、その婚約者が初めて甘露寺に贈ったものだ。何を贈るか悩んでいた時に桔梗の花言葉の事を婚約者に教えたんだ」
 そっか。カンロジさんは想い人だったとか元カノとかではないのか。
「ちなみにうちの化学教師がその相手だ」
「え! 先生と元生徒!?」
 少女マンガとかで一度は憧れるシチュエーションにテンションが上がるけどそういう事があるって事は……。
「煉獄先生も学校でモテるんじゃないですか? 女子生徒にチョコとか沢山もらっていそう」
「学校という限られた空間ではあるから憧れと混同する生徒もいなくはないな」
 その言い方からするとやっぱり告白とかされているんだろうな。最近の高校生はみんな綺麗だし。自分から聞いたのに何だかモヤモヤしてしまう。生徒だけとは限らないし女性の先生からもモテそう。
「俺は……」
「?」
 言葉を途中で切られて顔を上げると、眉を少し下げた目が私を見ていた。
「生徒は気になるがそれはあくまで教師としてだ。俺個人としては今は生徒よりも勘違いして俺の手を振りほどく女性が気になって仕方がない」
「っ、」
 繋いで初めて知った体温の高い大きな手が私の手を掴もうか彷徨いあぐねている。
「君が良ければ……もう一度繋いでもいいだろうか?」
「あの、私から離してしまったんですけど。もう一度繋いで下さいって私からもお願いしていいですか?」
 質問に質問で返すという失礼な事をしていることは重々分かっている。そんな私に気にする事ないとでも言うように笑うと手を掬いあげてくれた。
「もちろんだ!」
 何でこんなに優しいんだろう。さっきと変わらない温かい手に泣きそうになるのを堪えて、握られた手を取り立ち上がる。
「ありがとうございます」
 震え気味の声はきっと気付かれている。それでも気付かない振りをして私の手を包んでくれる温かさに想いが溢れそうになった。

* * *

 やり直しをするようにまだ見ていない店に行ったり、散策をしたりして一帯をぐるっと回る。広場に戻ってベンチに並んで座ると、杏寿郎さんはウキウキしながら持ち帰り用に包んでもらったさつま芋専門店のお菓子を出した。私の手にはカリッと揚げられた芋スティック。時間が経ってカリッと感は失われてしまったけれどそれでも美味しそう。杏寿郎さんの手にはサンドイッチが握られている。
「そういえば今日仕事だったのに沢山歩いて疲れませんでしたか?」
「ん? 問題ない。同じような店に見えても売っているものが全然違うのは見ていて楽しいな」
 杏寿郎さんも杏寿郎さんなりに楽しんでくれていたようで良かった。それでも体力は随分使ったのかサンドイッチはペロリと平らげてしまっている。
「もうちょっとお腹に入りそうですね」
「言っただろう? 芋は別腹だ」
 そんなわけないのに真面目に言う杏寿郎さんが可愛い。
「芋スティック思った以上に量が多いので手伝ってください」
 紙製のカップに入っている芋スティックを取って杏寿郎さんの口元に持っていくとピシリと固まった。
「これは……恥ずかしいのだが」
「さっき私もやりましたよ?」
 ぐっと杏寿郎さんが息を飲んだのが分かる。さっきの意趣返しじゃないけどちょっとした悪戯心が働いただけだ。食べないならそのまま自分の口に入れちゃえばいいし。
 杏寿郎さんは分かりやすく目を左右に泳がせている。いじめすぎたかな? 出した手を引っ込めようとしたら手を掴まれて、杏寿郎さんは私の持っている芋スティックを食べ始めた。
 ゆっくり食べ進めながらちらりと上目遣いで私を見る杏寿郎さんに全身が沸騰しそうになる。何でここでそんな色気を出してくるの? 金縛りにあったように今度は私がピシリと動けなくなった。多分時間にしたら数秒程度かもしれないけれど、私には早く終わってくれという時間。杏寿郎さんの口から出る舌が私の指に少し触れて思わず引っ込めてしまった。
「お、美味しかったですか?」
「ん、うまい!」
 食べていた時の色気なんてなかったようにお芋大好き純粋杏寿郎さんに拍子抜けする。さっきのは幻だった? 混乱していると杏寿郎さんは私の手元から芋スティックを抜いて自分で食べ始めた。
「流石に“煉獄さん”と呼ばれた時は結構キツかった!」
「勝手に勘違いして本当にすみませんでした」
 それはもう謝るしかない。またしても穴があったら入りたくなる。
「また、呼んでくれるか?」
「え?」
「俺の名前を君の口から聞きたい。あのときからまだ呼んでもらえていないんだ」
 名前を呼ぶことにこんなに緊張するなんて思わなかったな。一度唾を飲み込んでからゆっくりと口を開く。
「……杏寿郎、さん」
「うむ! さっきのは他人行儀になった君への仕置きだ!」
 呼べば嬉しそうに笑ってくれる顔に私も嬉しくなったのは一瞬だった。杏寿郎さんが可愛いなんてとんでもない。往きの車の中でのネクタイを外す仕草といい、今の芋スティックを食べる様といい、狡猾に色気を隠すとんでもない大人だ。
 うかつに悪戯を仕掛けるのは止めようと心に誓った。

* * *

 今煉獄家に行ったら勢い余ってプレゼントを渡してしまいそうになるからと、帰りは煉獄家に寄ることなく真っ直ぐ私の家に向かう。
 コンビニに行く用事はないので初めて私の住んでいるマンションを教えた。車から降りる前にさつま芋専門店で買ったお菓子をいくつか貰おうと二人で分けていると、たまに手が触れてその度に心臓が激しく脈打つからこの短時間で寿命はだいぶ縮まったと思う。
「今日は沢山ありがとうございました。楽しかったです」
「俺の方こそ楽しかった。また行こう」
「さつま芋専門店のリピーターですね!」
「……」
「ん?」
「さつま芋専門店じゃなくてもいい。君とまた二人で出かけたい」
「ぜ、ひ……お願いします」
 私今日だけで寿命がどれだけ縮まったんだろう。

 車から降りて見送ろうとその場に立っているけれど車がなかなか動かない。どうしたんだろうと見ていたら窓が静かに開く。
「これを渡し忘れるところだった!」
 車の窓越しに渡されたのは瑠火さんの誕生日プレゼントを買った店のロゴが入っている袋。瑠火さんへのプレゼントはしっかり私の鞄の中に入っているはずだ。
「俺から君へだ。貰ってくれると嬉しい! おやすみ!」
 杏寿郎さんは言いたい事だけ言うと、窓も閉めずに車を発進してしまうからあっという間に見えなくなってしまった。

* * *

 服を着替えるのも全部後回しにして部屋に戻るなり最後に貰った袋を手に取る。おやすみなさいって言えなかったな。いつ買ったんだろう? 会計しているとき? 何が入っているのかな——。色んな思いが頭の中で回っていてドキドキしながら袋を開ける。
「嘘……」
 袋から今日瑠火さんに買ったのと同じ桔梗の七宝焼が出てきた。違うのは用途。今、私のてのひらに乗っているのは帯留めじゃなくてバッグチャームになっている。
 瑠火さんへのプレゼントで桔梗にした決め手は花言葉だ。しかも教えてくれたのは杏寿郎さん本人。それを私にくれた真意が見えなくて、どうやって受け止めていいのか迷ってしまう。
 手を繋いでとか名前で呼んでくれとか。ダメ押しにこんなもの貰っちゃったら今まで以上に期待しちゃうけどいいのかな。

 桔梗の七宝焼を一度ギュッと抱き締めてから急いでバッグチャームを鞄につけて写真を撮る。
《素敵なプレゼントありがとうございます! おやすみなさい》
 伝えたいことや聞きたいことは沢山あったけど、うまくまとまらなくてそれだけをメッセージで送るのが精一杯だった。

* * *

 杏寿郎さんと出かけてから二週間後の土曜日。瑠火さんの誕生日は平日で過ぎてしまったけれど、土曜日にケーキを食べようという話になって、夕食の片付けが終わった今も私は煉獄家の居間で座っている。
 テーブルの上には真っ白い誕生日ケーキにお酒やジュースがある。
「「「「お誕生日おめでとうございます」」」」
 瑠火さん以外の四人でおめでとうと言えば瑠火さんは照れたように笑う。
 あ、私今日死んでもいいかもしれない。こんな顔見れたらもう悔いはない。離れたところで槇寿郎さんはもう死んでいた。

「そういえば杏寿郎さんって台所にはあまり来ないんですね」
 お腹が空いたと言ってしょっちゅう台所に食べ物を探しに来そうなイメージなのにお皿を下げたり飲み物を取りに来るときぐらいしか台所に現れない。
 ずっと疑問に思っていたことをケーキを食べながら聞いてみると千寿郎くんが答えてくれる。
「兄上はキッチン周りに近付く事を禁止されているので」
「なにそれ?」
「どうやら俺は台所仕事が壊滅的に向いていないようでな。母上から接近禁止令が出されたんだ」
 杏寿郎さんの言葉にそんな事あるの? と瑠火さんを見たら静かに頷いた。本当なんだ……。
 接近禁止を言い渡されるぐらい向いていないってどういうことなんだろう。気になるけど痛い目に合いそうだからできれば体験はしたくない。
「それで千くんがいつも瑠火さんの台所仕事のお手伝いしてるんだ?」
「そうですね、部活や試験期間中以外はなるべく手伝うようにしています」
「偉い! 私も千くんみたいな弟欲しいよー」
「なっ!」
 千寿郎くんの頭を撫でながら言うと私の発言に千寿郎くんではなく杏寿郎さんが反応した。
「どうしました?」
「……いや」
 口元を押さえているからケーキが気管にでも入っちゃったのかな。おしぼりを取って杏寿郎さんに渡そうとした私の腕は次の千寿郎くんの言葉によって止まる。
「兄上と結婚すれば俺は義弟おとうとになりますね」
「なっ!!」
 今度は私が驚く番だった。なんの気無しに言った言葉はつまりはそういう事かとさっきの杏寿郎さんの反応を思い返す。顔を赤くしたまま杏寿郎さんをチラリとみればバッチリ目が合って余計に顔が赤くなった。
「あはは……」
「ははは……」
 中身のない愛想笑いを二人しながら、取り敢えず宙ぶらりんになっているおしぼりを杏寿郎さんに渡す。
 確かにこの煉獄家にお嫁に入ったら絶対楽しいだろうなと思う。ひだまりのようにぽかぽかと温かいこの家はとても居心地が良い。優しく慈悲深い瑠火さんに、口数は少ないけど家族を大事に想っている槇寿郎さん。その二人の愛情を受けて育った杏寿郎さんや千寿郎くんは絶対に奥さんになる人を愛情深く大切にするいい旦那さんになるのは想像に容易い。容易いけども!
 私が一方的に杏寿郎さんを慕っているだけで結婚って双方の合意があってのものだし、そもそも付き合ってなんかいない。
 この前出かけた時に色々あったけれど別に決定的な言葉があったわけじゃないし、お付き合いしている関係ではない。ぐるぐる回る頭の中の考えていたら瑠火さんがふふ、と笑った。
「娘が居たらきっとこんな感じなのでしょうね」
 む・す・め! 瑠火さんが望むなら今すぐにでも養子縁組を組みたい。明日役所に行けば手続き可能なんだろうか。
 杏寿郎さんとの事はそれはそれ。そういったこと関係なく瑠火さんの娘になるにはどうしたらいいんだろう。私は真剣に考えた。

* * *

 ある程度ケーキを食べるのも進んで、私も程よくお酒が入ってほろ酔いで。今日の目的を忘れてしまう前に、と鞄から包みを出して瑠火さんに渡した。
「瑠火さん、私と杏寿郎さんからプレゼントです。当日に渡せなくてごめんなさい」
 槇寿郎さんと千寿郎くんは誕生日当日にもう渡していたらしいので杏寿郎さんだけ当日に渡せていない。
「こうして貰えるだけで幸せです。ありがとうございます」
 はあ、瑠火さんの優しさがお酒の入った胃に染みて瑠火さんの笑顔を見る度に酔いが回っていく気がする。
 瑠火さんが包みを開けていくのをワクワクしながら見ていると、杏寿郎さんが私の隣に座った。杏寿郎さんも瑠火さんが開ける様子をワクワクして見ている。
「これは……桔梗ですね」
 “桔梗”の言葉に槇寿郎さんが反応した気がしたけど今の私は瑠火さんに夢中だ。
「瑠火さんいつも着物を召しているので和装小物を贈りたかったんです。モチーフの桔梗は杏寿郎さんに花言葉を教えてもらって、それを聞いた時にもう即決でした!」
「この桔梗どこかで……」
 瑠火さんが思い出そうとしているのを見て私は自分の鞄を引っ張り出した。
「私の鞄にもバッグチャームで付いているんです。瑠火さんとお揃いで杏寿郎さんがくれました」
 えへへ、と素面の自分が見たらドン引く笑いをするくらいに酔っ払っているみたいだ。瑠火さんへの説明にやたら熱が入る。
「杏寿郎が……そうですか。素敵な贈り物をありがとうございます」
 瑠火さんは嬉しそうに笑ってくれてこれは大成功かな、と杏寿郎さんを見上げたら笑って頷いてくれた。

* * *

 私がだいぶ酔っていると判断されて今日の帰りは車になり、運転はお酒を呑んでいなかった瑠火さんになった。和服で運転席に乗り込む瑠火さんが格好良くて私がプレゼントを貰った気分になってしまう。
「今日の主役なのに申し訳ないです」
「いいんですよ。素敵なものをいただいたお礼をさせてください」
 一駅しか離れていないから車で移動なんてしたらあっという間に家に着いてしまった。もっと色々喋りたかったけどしょうがない。
「送ってくれてありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ今日はありがとうございます。貴女たちに貰った桔梗、大事にしますね」
「はい、また来週お願いします。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 車が見えなくなるまで私はジャンプしながら手を振り続けた。

* * *

「杏寿郎……」
「はい!」
「桔梗をあの子に贈った意図が伝わっていないんじゃないか?」
「そのようです! 母上とお揃いで止まっていました」
「心は決まっているのか?」
「はい!」
「それならいい」
「ありがとうございます」
 私が瑠火さんに送られている間に槇寿郎さんと杏寿郎さんでそんな会話がされていたなんて私は知る由もない。