#16
学生の頃は長期休暇なんて遊ぶ相手がいなかったり遊ぶ資金がないと退屈なくらいだったのにそれも今は昔。年末年始の一週間の休みがこんなにありがたいなんて社会人になって初めて知った。
仕事納めのあと煉獄家にお邪魔した次の日――、つまり今日はもう何もしないと決めている。
杏寿郎さんに少なくとも昼までは抜け殻だと伝えると笑いながら今日はそれぞれゆっくり過ごそうって言われてしまった。
もう足が攣るなんて二度としたくないと、クリスマス翌日の出来事を思い返しながらストレッチをしていたらスマホにメッセージが届いているのに気付く。
今日は杏寿郎さんからの連絡はないはずだよね?
なんだろうとタップすると親からで、杏寿郎さんからじゃないことに内心がっかりしている自分に苦笑いしてしまう。
杏寿郎さんと私の実家に行くのは正月休み中は難しいねと話して、一月のどこか土日のタイミングで行くことにするのを親に連絡していたんだっけ。
それに対する返信が来ていたから無難な返事をしてからまたストレッチを再開した。
ぐっと伸びると凝りが少しほぐれたような感覚に満足感を覚えつつ今日は何をしようかなって考える。何もしないと決めたけどせっかくの自由時間、ゆっくり買い物したい。でもどこにも出たくない。
大掃除は明日やるし……。
一向にやる気が出なくて枕に頭を再度埋めて昨日の夕飯美味しかったなと思った瞬間、自分でも驚く速さでキッチンに移動して冷蔵庫を開けた。
「家で瑠火さんのご飯食べられるの最高ー」
昨日おすそ分けしてもらったおかずがあるのを思い出した途端にお腹が空腹を訴えるのも仕方がない。
ニコニコしながらタッパーのままレンジに入れて、時間は――。指がスタートボタンを押そうとしたとき、さっきの機敏さとは逆に動きが止まった。
瑠火さんが作ってくれたおかずを面倒だからとタッパーのまま温めるのは失礼では? 不敬罪が適用されてもおかしくないと慌てて皿に開ける。
あ、冷たくても美味しそう。一口食べたい衝動を抑えて今度こそレンジのスイッチを力強く押した。
お皿に盛り付けたおかずの写真を撮ってアプリで加工。加工なんてしなくても美味しいのは間違いないけど少しでも映えたものを見てもらいたい。
彩りが多少誇張された写真を瑠火さんに送信したらすぐに返事が来る。
《写真ありがとうございます。先程杏寿郎からも同じように写真が送られてきました》
「わ……」
思わず声が出てしまった。杏寿郎さんと同じことしてるのが仲良しみたいで恥ずかしい。
世間的に見れば仲良しなんだろうけどうまい表現が見つからなくて一人でどんな顔をしていいか分からなくなる。
とりあえず冷めないうちにご飯食べよう。
「……いただきます」
一人で食べるご飯なんて慣れているばすなのにここ数日楽しい時間を過ごしすぎたから少しだけ、ほんの少しだけ味気なく感じてしまった。
ちょっとだけ寂しさを感じてしまったけど本当に何もしない一日を過ごした翌日、今日はしっかり動かないと。
もうすぐこの部屋ともお別れになるはずだから水回りを徹底的に綺麗にしていたら時間は昼をだいぶ過ぎている。
綺麗になったばかりのキッチンで軽く昼食を作って腹ごなしをしたら今度はリビングと寝室の掃除。
部屋に私以外の人――杏寿郎さんが来るようになってから掃除をする頻度が上がった。
杏寿郎さんの着替えや私物を置くスペースは部屋の片隅、収納ボックス一つ分くらいだけどもうすぐお互いの荷物が半々になるのかなんて考えるたびに頬が緩むのを叩いて直したりと忙しい。
水回りの掃除よりも早く終わってごみ袋をまとめ終わったタイミングで杏寿郎さんから連絡が来た。
《今日は会えるだろうか?》
昨日はお互い連絡もしないまま過ごしたし私も会いたい。掃除が終わったらどこかご飯食べに行くのいいかもなんて考えている間にまたスマホが震える。
《ナマエの家に泊まりたい》
クリスマスを境に杏寿郎さんの素直さが増えたのはやっぱり気のせいじゃないよね。
いつもなら“いいだろうか?”とか伺いから始まるのに希望をストレートに言ってくるから一人変な声が出てしまった。昨日から独り言というか変声率が高いから二人でいるときは注意しないと。
誰も見ていないのに咳払いをして杏寿郎さんに返信メッセージを送る。
《お泊まりOKです!部屋の大掃除が終わったら買い物に行こうと思っているので外で待ち合わせしましょう》
年越しそばをどうするかはまだ決めていないけど小さな鏡餅は買いたい。
準備する日を間違えるなと昔から親に口酸っぱく言われているから今日しか買うチャンスがないのだ。
杏寿郎さんが泊まることも問題はないし必要なことを返信するとあっという間に待ち合わせ場所やら時間が決まった。
「お待たせしました!」
「俺も今さっき来たしたいして待っていない」
「あ、杏寿郎さんマフラー新しくしたんですね」
鏡餅以外に特に買う物はないけど、なんとなく少しだけ遠出したかったから今日行く事にしたのは近くのスーパーではなく二人で割りとよく出かけるショッピングモール。
最寄りの駅で待ち合わせをして先に来ていた杏寿郎さんとデートの待ち合わせの常套のやり取りをしながら気付いた違いを口にする。
ワインレッドよりもトーンを落とした深い赤は落ち着いた大人の男性の色味なのに、慣れないのか性格なのか大味な巻き方は杏寿郎さんらしさを感じてしまってニコニコしてしまった。
新年に向けて新調したのかな。年明けの初売りで何か服を買おうと思っていたけどやっぱり今日なにか買いたくなってくる。折角外出したんだし鏡餅だけ買うのも味気ないよね。
一人うんうんと買い物をする理由付けをしていると杏寿郎さんがじっと私を見ていた。
「どうしました?」
「今日は寒いな!」
「そうですね。雪の予報は出ていないけどそろそろ降りそうですよねー」
「その格好は寒くないか?」
「え? いや、中も重ね着してますしそんなには……」
「……」
「えっと、寒く見えますか?」
「全く見えない!」
「ええっ!?」
厚手のコートに大判のマフラーも巻いているし見た目も問題ないと思って聞いてみたら寒そうには見えないってどういうこと?
はははなんて乾いた笑いで何かを誤魔化す杏寿郎さんを怪しんで見ていたら手を取られ目的のショッピングモールへ歩き始める。
「帰りは少し遠回りになるがかまどベーカリーに行かないか? 今日の夕食はパンにしてゆっくり過ごそう」
どうやら寒さの話はもう終わったらしい。
疑問は残るけど今日はずっと一緒にいるしあとで聞くタイミングを作ればいいか。
話題を蒸し返して微妙な雰囲気になるのも嫌だから杏寿郎さんの提案に乗っちゃおう。
「いいですね。この前言ってたパンの味比べしましょう、って今日お店やっていますかね?」
「どうだろうな? とりあえず買い物が終わったら行ってみよう」
チェーン店ならともかく個人店だし年末年始の休みに入っていてもおかしくない。お店のSNSもないから直接行ってみたほうが早い。
仮にお店をやっていても早仕舞いする可能性もあるな。
そんなことを杏寿郎さんと話しながら今日は最低限のものだけ買えば大丈夫だからモール内をブラブラするのもなしと話がまとまった。
「本当に他の店は見なくていいのか?」
「はい、今日の目的とそれ以上のものが買えたので満足です」
「好きなのがあってよかったな」
「はい、ここまで来てよかったです」
ショッピングモールで買ったのは結局鏡餅と、ついでに一人暮らし向けに作られた小さな正月飾り。玄関先ではなく室内用に飾る造りで、鏡餅だけだと味気ないと思っていたから好みのデザインに即決だった。
近くのスーパーじゃこういったインテリア重視のおしゃれなやつは多分売ってないからここまで出かけた意味はあったかも。
モール内を歩いているときに横目で見えた冬物の服は年末セールで安くなっていたけど数日我慢すればもう一声安くなりそうな気がする。その時までに残っていますようにと心の中で祈った。
時間にすれば多分一時間も居なかったんじゃないかというくらいの滞在時間でショッピングモールをあとにする私たち。
かまどベーカリーに向かう電車内は家族が多くて、みんな年末の買い物帰りかな。
ゆったりしたような、でも年の瀬でどことなく浮ついた雰囲気の中、窓の外で代わる代わる流れていく景色が止まり始めてかまどベーカリー最寄りの駅に到着する。
いつもは一人で行く店に杏寿郎さんと行くなんてちょっと不思議な気分。逆にお互い好きなパン屋なのになんで今まで一緒に行かなかったんだろう――ってところで気付いた。
「あ」
「む?」
「あの……もしかしたらパン屋さん、学校の生徒さんとかいるかもしれないですね?」
「そうだな、俺も買いに行くとたまに生徒に会うぞ」
「そうしたらあんまり二人で行かない方が……」
「なにか問題あるのか?」
「え? 問題? ない……ですね?」
「そうだ! 何も問題はない。大丈夫だ!」
杏寿郎さんは片手に買い物袋、もう片方の手で私の手を握り直すとしっかりした足取りで電車から降りる。
確かにそう聞かれると多少の気まずさはあるかもしれないけどやましい関係でもないし何も問題はない。
ないけど生徒さんたちと鉢合わせたらどうするんだろう?
前に杏寿郎さんのことを噂してた子たちもいたらとか思ったけどお互い顔の認識もしていないし大丈夫……なのかな? それにパン屋さんは駄目でさっき行ったショッピングモールは大丈夫なのかって話にもなる。
ショッピングモールは前に一度かまどくんたちに会っているし変に気を揉んでいるのは自分だけだ。大丈夫。杏寿郎さんもそう言ってくれた。自分に言い聞かせながら握られた手を強めに握り返した。
「ナマエは何も心配しなくていい」
改札を出て一瞬足を止めた杏寿郎さんが私に優しい顔を向けてくれて、その表情と言葉は私に安心をくれるからいつも胸の奥がギュッとなる。
「さすが杏寿郎さんですね」
「なにがだ?」
「あっという間に私から肩の力を抜けさせちゃうんですもん」
「逆にナマエは要らぬ考えをし過ぎだ」
「えー? そうですかね?」
「そうだとも」
多分今この場所が外じゃなくて家だったら杏寿郎さんは大きく手を広げて、私はその大きくあいた胸に全力で飛び込むんだろうな。そのまま床に転がって笑い合って何に悩んでいたかも分からなくさせてくれる。
その逆ってあまりしたことないけどチャンスがあれば私もそういうのを杏寿郎さんにしたいな。
杏寿郎さんが私に安心をくれるように彼の安心できる場所を作りたい。
一緒に暮らし始めるしきっとその日も近いはず。
「口が笑っているがどうした?」
「ふふ、私だけの秘密の企みです。その時を待っていてくださいね」
「なるほど、じゃあ俺はいつでもその企みに乗れる準備をしておこう」
「全力でお願いしますね」
「安心してくれ。俺はいつだって全力だ!」
そうだ。杏寿郎さんはいつだって全力だ。電車を降りるときに感じた不安なんてもうない。
大きく笑っていればいつの間にかたどり着いたかまどベーカリー。
“OPEN”と書かれたプレートの掛かった扉を開けて二人でかまどベーカリーに入る。
「いらっしゃいま……煉獄先生! あっ!」
店内にお客さんはまばらにいるもののみんな大人で杏寿郎さんの働く学校の生徒さんはいないみたい。
かまどくんは杏寿郎さんを見て大きく名前を呼んだあと隣にいる私にも気付くとことさら大きな声を出した。慌てて口を抑えながら周りのお客さんや私たちに会釈するかまどくんに笑いながら二人でパンを選び始める。
「杏寿郎さん、私そのキッシュ食べたいです」
「これか?」
「はい、妹さん――ねずこちゃんが考えたらしいんですけど中に入ってるコーンがシャキシャキして美味しいんですよ!」
「なるほど、じゃあ俺も一つ」
旬の時期を過ぎてしまったからもうさつまいもをメインにしたパンはあまり並んでいないけど、相変わらず美味しそうなパンはどれも食べてみたくていつも迷ってしまう。
さつまいもが少しでも使われているパンやお互い食べたいものをトレーに乗せていたら今日の夜どころか明日の朝食まで賄えそうなくらいになってきた。
自分の好きなパンをもう一つ追加しようか悩んでいる杏寿郎さんに笑いながら、私も他になにかあるかななんて別行動を始める。
「こんにちは、お久しぶりです」
どうやらお客さんの足が少し途絶えたのかかまどくんが話しかけてきた。
「かまどくん。あのとき、って覚えてるかな? 暫くご無沙汰してました」
「元気そうな姿が見れて良かったです。俺は煉獄先生を信じていました!」
「あのときはフォローしてくれてありがとう。お礼を全然言えてなくてごめんね。改めてありがとう。またこれからも通わせてもらうね」
杏寿郎さんの働く学校の生徒さんたちの他愛のない噂話。それは私の足をこの店から遠ざけ、杏寿郎さんから離れさせようとした。それでもかまどくんの真っ直ぐ言い切る「煉獄先生本人が言わない限りは信じない」は私の心を励ましてくれた。
「はい! お姉さんがまた来てくれたら禰豆子も喜ぶと思います」
「あはは、そういえば今日はねずこちゃんはいないんだね?」
「すみません、今買い出しに行っちゃっているんです」
「そっか、ねずこちゃんにもよろし――」
「竈門!」
いつの間にか私の後ろにいた杏寿郎さんが大きな声でかまどくんの名前を呼ぶ。
まばらとはいえ私たちの他にもお客さんがいる店内、何事だとみんな見てくる中でかまどくんも杏寿郎さんに負けじと大きく息を吸って返事をした。
「はい!」
「この人は俺の彼女だ!」
「はい! 知っています!」
「そして俺は彼女以外と結婚しない!」
「おめでとうございます! 結婚式の引菓子はぜひかまどベーカリーにご用命を!」
「ありがとう! その時はよろしく頼む!」
……大きな声で何を聞かされているんだろう。
かまどくんはちゃっかり自分の商売をしているし噛み合っているのか分からない会話は当人同士では成立しているらしい。
杏寿郎さんも満足そうに頷くと何事もなかったように会計を始めて、私はその展開についていけずに眺めているだけだった。
「今年はご贔屓にしていただいてありがとうございました。来年もかまどベーカリーをよろしくお願いします!」
かまどくんのキラキラした笑顔に見送られて店を出て、暫く歩いたところでようやく頭が回り始める。
「杏寿郎さん……」
「どうした?」
「どうしたは私のセリフですよ。なんで急にかまどくんとあんな会話始めたんですか?」
「うーむ?」
「そうやってなんのことだ? みたいに誤魔化そうとしても駄目です」
そう何度も杏寿郎さんがなにかを隠そうとしているのを流すほど私は優しくない。
「竈門にもちゃんと牽制――……。いや、改めて伝えないとと思ってな。ナマエが俺の彼女だと」
「かまどくんのことまだ気にしていたんですね……」
「言っておくが宇髄もだ!」
そっちもか。でも宇髄さんとは本当にただの世間話だし会話の内容は杏寿郎さんのことなのに。
「竈門の店にいた客の中に学園の保護者もいたしな。外堀を埋めるのは攻城戦の常套手段だろう?」
「私城じゃないんですけど?」
自分で嫉妬深いって言ってたしまだ引きずっていたなんて思わなかった。
だけど引きずっていると言ってもそれでいじけるような性格じゃない。ただ、知らない間に攻城戦を始められていたなんて内心ちょっと驚いた。
それを開き直ったのか隠さずに堂々と言う杏寿郎さんに、私はもうとっくに白旗上げて陥落している。
「私は杏寿郎さんに振られない限りは誰かに目移りすることはないので信じてください」
「俺は手放す気はない」
「そうしたら攻城戦をせずとも無血開城ですよ」
「まあ……考えておこう」
これ絶対また同じような出来事がある気がする。そう思わせるには十分に含みを持った杏寿郎さんの返事に止めても無駄かなと考えるをそこで止めた。
だって杏寿郎さんがそうやって率先してやってくれるなら私も牽制できるし……なんて自分勝手な考えが頭の片隅にチラついたから。
そんな損得を考えるようなことはできる限りしたくない。
「そういえば無血開城の流れで気になったんですけど杏寿郎さん歴史の先生ですよね」
「そうだが?」
「歴史といえば一度は話題になる関ケ原の東軍・西軍派を聞いたことないなって」
「確かに」
「杏寿郎さんはどっち派とかあるんですか?」
「俺か? そうだな――」
私から誤魔化さないでと始めた話だけど少しずつ別な話題に逸らしながら“牽制”の言葉を頭から追い出す。
というか、普通に歴史の先生の歴史話が面白くてあれは? これは? なんて子どもみたいに杏寿郎さんに質問攻めをしながら二人の影を繋げて家に帰った。
2023/09/18:初出