― きみより優しくきみに触れる ―
朝というには遅く、でも昼というにはまだ時間がある休日。
今日、私を急かすものはなにもない。
寝室を出てブランチの準備をしていると隣で寝ていた杏寿郎がキッチンの入り口から顔だけ覗かせてきた。
「おはよ。ご飯できたら呼ぶから休んでていいよ」
「おはよう。なあ、これから卵使うのだろうか?」
「チャーハンにしようと思ってるから使うよー。なにかリクエストあった?」
他に作れるものはなんだろうなんて冷蔵庫の中身を思い出す。できれば簡単なのがいいななんて考えていたら杏寿郎は勢いよくキッチンに入ってきた。
「卵! 俺に割らせてくれ!」
「わっ!? ……ビックリした。卵割りたいの?」
「驚かせてすまない。昼はチャーハンで問題ない。俺が卵を割りたい!」
お母さんのお手伝いをする子どもみたいなノリで卵を割りたいなんて手を洗いながら言う杏寿郎。
二人並ぶと手狭になるキッチンは共同作業をしてる感じが強くなるから結構好き。
起きぬけから幸せな気分で私ってば幸せだ。
幸せの単語を重複させる程度にまだ覚醒しきっていない頭で卵を持つ杏寿郎を横目で見る。
卵を割るのをお願いするとほとんどと言っていいほど黄身が崩れるけど今日はかき混ぜちゃうし問題ない。
杏寿郎はよし、と大きな気合いの声と裏腹にそーっと卵を割ってボウルに入れた。
自分の手を止めてそのまま横目で見ていると杏寿郎の表情が誇らしげになって、ボウルに入った卵を私に見せてくる。
「どうだ?」
「凄いじゃん! 黄身が崩れてない! 卵割るのうまくなったね!」
「卵を割るコツをこの前学校で家庭科の先生に教わって練習したんだ」
「コツ? 練習?」
「見ててくれ」
嬉しそうに笑いながらまだ割っていない卵を手に取り、同じ動作を繰り返す杏寿郎は崩れていない黄身を見て満足そうに頷いた。
「練習の成果が出たんだね」
「だろう?」
「……混ぜるのがもったいなくなるね」
ボウルに入った卵を見て自分の作業を再開する。早くご飯作ろう。
なんだか自分でかき混ぜる気にはなれなくて杏寿郎に卵をかき混ぜてもらおうとしたら視界が埋まるほどの角度で杏寿郎が覗き込んでた。
「いつも黄身を崩していたからな。割れないようにするにはどうしたらいいと聞いたんだ」
黄身が崩れなかったのが相当嬉しいみたいで、次の言葉を催促する言い方と表情に私はちょーっとだけ口を尖らせる。
「……なんて言われたの?」
「恋人に触れるように優しく扱えとだけ言われた」
「っ!?」
「安心してくれ。ちなみに家庭科の先生は男性だ!」
コツを聞くだけならまだしも練習をしたんなら家庭科の先生はつきっきりだったのかなとか邪推をしてしまった私。
一生懸命気にしないふりしてたのに杏寿郎には全部お見通しだったみたい。
「……もう、そういうところだよ」
「む?」
にこにこしながら私の頬を撫でる大きな手はきっと卵を扱うより優しいはずだ。
だって、単純な私はさっきまでのモヤモヤなんてもうなくて、これだけで幸せな気持ちになっている。
自分たちの世界に入ってしまい放っておかれているボウルには割れてない黄身が二つ、寄り添うように浮かんでいた。
2023/06/05:Twitter初出
2023/06/22:サイト用に修正