― 真綿で優しく包みたい ―

煉獄さんだってたまには気分が沈む

 桜はとうに散って紫陽花も最盛期を過ぎ一雨ごとに本格的な夏の兆しを見せ始める季節。
 肌にじとりと纏わりつく汗を拭い空を見上げれば浮かぶ雲は鉛色を濃くしていて、もう半刻もすれば陽が落ちるこの時間は雨が降ることが多い。

「今日も降りそう」

 まばらに家が建つ道沿いで独り言を呟いていると温い風に乗ってきたのは涼を知らせる風鈴の音。
 そんな季節の移ろいを耳で感じていたら今度は鼻がくすぐられて土や草木の湿る匂いがすると思った瞬間、一気に降り始めた雨に慌てて走り出した。
 確かこの長い道を抜けて曲がれば商店が比較的並ぶ場所に出るはず。どこか雨宿りと、任務もない今日はできればそのまま泊まれる宿があればいいな。
 強く降る雨で霞む視界のまま走っていると“滅”の一文字を背負う――私と同じ隊服に身を包む人影が見えた。

「……煉獄さん?」

 多少の距離はあるけど後ろに私がいるのに気付かない煉獄さんは一歩踏み出して止まり、また一歩踏み出して止まる。
 空を見上げて雨を顔に受ける煉獄さんの表情まではここからでは見えず、炎柱の象徴たる羽織は雨に濡れるのを嫌ったのか片方の腕に雑に丸めて抱えていた。
 私に気付かないままの煉獄さんの表情が見えるくらいまで近付いてそれから……自分でも驚く弱さで彼の袖をそっと掴む。

「っ、ナマエか! こんなところで奇遇だな!」
「そう、ですね……。煉獄さんはなんでこんなところで濡れ鼠になっているんですか?」
「ああっ! 暑かったからな。雨で涼を取っていたんだ」

 ――嘘だ。
 だって、近付いてようやく表情が見えたとき煉獄さんは雨で何かを隠しているみたいだった。
 目を閉じて口を固く引き結んで、眉間までは見えなかったけどきっと皺を寄せていたはずなのに、笑顔で真実を隠す煉獄さんにいても立ってもいられなくなる。

「それで風邪でも引いたらどうするんですか」
「そんなやわな体はしていないぞ」
「万が一もあります。その様子からすると今日は任務入っていないですね?」
「今朝方一つ任務を終えてから次の任務の伝令は来ていない」
「じゃあ早く休める所に行きますよ!」
「……」

 煉獄さんの手を取って勝手に引っ張り歩き始める私。
 ここまで濡れてしまえば歩いても走っても同じだ。
 振りほどくこともなく黙って手を引かれる煉獄さんを連れて暫く歩くと記憶通り商店の並ぶ場所にたどり着いた。
 突然の雨も相まって道行く人がまばらの中、煉獄さんの手を掴んだまま前を進み目的の店を見つける。

「ナマエ、今俺は腹は減っていない。それにこの状態で店に入るのは……」
「……」

 煉獄さんの主張は聞こえないふり。
 ちらりと店の出で立ちを確認して宿ではなく蕎麦屋の号を掲げた暖簾をくぐった。

「お? いらっしゃい。夕立にやられて随分濡れちまってるな。何か拭くもん持ってくるから好きな席に座っててくれ」

 店の中は幸いといえばいいのか客はおらず、客席で新聞を読んでいた店のご主人だけ。支度をするべく席を立ち厨に入っていこうとするご主人を慌てて呼び止める。

「待ってくださいご主人!」
「うおっ!? そんなでっけー声出してどうした?」
「っ、ぅ……その……」

 こんなことしたことないけど。話でしか聞いたことないけど。ここがそうなのかも分からないけど……。
 今から言う言葉も、煉獄さん自身に関することも知らない、分からないからやらないなんてことはしたくない。

「ご主人! に、に……二階は空いていますか!?」

 煉獄さんの手を握ったまま大きく声を張る私にご主人が目を見開いた。私の半歩後ろにいる煉獄さんも目を見開いているのが手の握り加減で伝わってくる。

「あ、ああ……。最近そういったのはなかったからあまり手入れしてないが……」
「問題ありません。服がある程度乾くまででいいのでお借りしてもいいですか!? 蕎麦は戻ったら食べます!」

 私の必死な形相と声に気圧されたご主人だけどすぐにどういうことか得心してくれたみたい。
 手際の良い案内で店の奥に通じる戸を開け階段を登った先の二階は一部屋だけで、襖を開けようと手を伸ばしたところでご主人の声が階下から響いた。

「おーい、兄ちゃんの方! ちょいと一度こっちに来てくれ!」
「……先に入っていてくれ」
「あ――」

 私と蕎麦屋のご主人のやり取りをずっと黙って聞いていた煉獄さんは小さく声を出すと同時に繋いでいた手を離し一階へ降りていってしまう。
 ご主人の声に大きく肩を跳ねさせてしまった私は反応が少し遅れて、一階へ降りていく煉獄さんの表情は見ることができなかった。
 逸る心臓を落ち着かせて煉獄さんに言われた通り先に一人部屋に入ると落ち着かせた心臓がまた早鐘を打つ。


 ――蕎麦屋の二階は男女の秘密の逢瀬に使われる。


 降り続く雨に湿気る心を振り払うように部屋全体を照らす行燈に火を灯し、部屋の隅に畳まれている布団を視界に入れないでいると煉獄さんが部屋に入ってきた。

「店主がないよりましだと、拭くものと簡易な浴衣を借してくれた」
「ありがとうございます」
「……」
「どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
「じゃあ風邪を引く前に早く着替えましょう」

 拭くものと浴衣を受け取り煉獄さんに背を向けて隊服の釦を外していると後ろから彼も着替え始める音が聞こえてくる。
 衣ずれの音に意識が向いてしまい、服が濡れているせいもあって着替えに時間がかかってしまった。

「煉獄さん、着替え終わりましたか?」
「ああ」
「振り向いても大丈夫ですか?」
「問題ない」

 帯も締め、襟元も整っているのを確かめてから振り返ると煉獄さんは感情の分かりづらい表情のまま何も言わず佇んでいる。
 今ここで私が日和るわけにはいかない。肺いっぱいに空気を吸い込み気合いを入れた。

「よし、隊服を脱いだね! 鬼殺隊炎柱は休憩! これからは煉獄杏寿郎として接するよ!」
「む……」

 隊服を着ている間は鬼殺隊の剣士同士。
 だけどその隊服を脱いだ瞬間、私と煉獄さんは恋仲の関係になる。
 これは恋仲の関係になった時、お互い律するためにと決めたことだった。
 柱相手に勝手に手を取ったり蕎麦屋の二階に連れてくるなんてしたことはまあ許容範囲だと自分の中で線引を甘くする。

「ほら、髪の毛もちゃんと拭く!」
「うぉっ……」

 押し黙ったままの煉獄さんに説明するべきだとは思うけどそれをせずに捲し立てながらコトを進め、あらかた乾いたのを確認して布を空いている衣紋掛けに雑に引っ掛けた。

「多少はましになったかな。じゃあ次、おいで!」
「ナマエ? どうしたんだいきなり」
「いつも煉獄さんがしてくれるでしょ。今日は私がやろうと思って」

 私が落ち込んだりしているとよくおいでと言って包んでくれる煉獄さんを真似て正座で太ももを叩く私。
 煉獄さんは惑いながら逡巡したあと、私に背を向けるように控えめに頭を乗せてくる。その往生際の悪さに膝枕されている煉獄さんの顔を掴んで天井を向くように動かし覗き込むと彼は観念して仰向けになった。

「任務お疲れさま」
「ああ……」

 膝に頭を乗せる煉獄さんの前髪を避けて額をあらわにすると彼は自分の腕で顔を覆ってしまったからその腕を撫でながら言葉を待つ。

「一つ聞きたいのだが、ナマエはこの場所のことを……」
「噂で聞いたことあるだけ。秘密の逢瀬に使われる場所だって。ここに誰がいたとか、何をしていたとかは本人たち以外は誰も知らない場所だって。だから――」
「……」
「煉獄さんがこの部屋でどんなことをしても何を言っても、知ってるのは私だけ」
「なるほどな」
「まあ……、私にも話したくなければそのまま寝ちゃっていいよ」

 相変わらず自分の顔を覆う腕の隙間から見える固く閉ざされた煉獄さんの口元に今日はここまでかなと小さく息をつく。
 彼自身が決めたなら隠したままでもいい。真綿のような柔らかさなんてない私の太ももだけど少しでも安らいでそのまま寝てしまえばいい。
 撫でる手をゆっくりして、やがて完全に止まると煉獄さんの口が動いた。

「この時期は……」
「ん?」
「この時期は風鈴の音が昔を思い出させるんだ」
「むかし?」
「……床に伏せる母上の部屋には季節問わずいつも風鈴があったんだ」
「そうなんだ」
「……」

 それからまた少しの沈黙のあと、私の膝の上で顔を隠している腕に力が入る。撫でる行為を再開して時折あやすように叩くと私の手をゆるりと掴んだ。

「千寿郎がようやく一人で歩けるようになった頃か。千寿郎と一緒に母上に呼ばれて言葉を交わしたあと抱き締められてな。その時……母上の温かさと風鈴の音に無性に涙が溢れた」
「うん……」
「抱き締められたのはあれが最期だったと、雨が降り止まない日に誰もいない母上の部屋で一人佇んでいた自分を思い出すんだ」
「そっか」

 ずっと一人で心に仕舞っていたものを吐き出すには相当な勇気が必要だったはず。現に私の手を掴む煉獄さんの力はいつもより強い。

「……うん、よし!」

 煉獄さんの背中に腕を入れて彼の体を起こす。
 なにごとだと驚く顔をする煉獄さんの体を私の方に向けて正面から抱き寄せた。

「じゃあ今度は私がこうやって抱き締めてあげる」
「む?」
「私がいつだって――っていうわけにはいかないけど煉獄さんのこと隠してあげる。だからさ……」

 自分の胸に煉獄さんの顔が埋まるほどキツく抱き締めると、いつもより低く感じる彼の体温に私が泣きそうになる。
 煉獄さんと私の体が離れないようにしながらそのまま後ろに倒れ込んだ。

「だから……泣くのを……一人で雨で隠さないで」
「やはり見られていたか」
「当たり前でしょ」
「ナマエにはこういった格好の悪い俺は見せたくなかったんだがな」
「我慢して後悔しても遅いんだから」
「……そうだな」

 私の浴衣の裾を掴み徐々に背中に回ってきた煉獄さんの腕に、私は果たして彼の気持ちに寄り添えることができているのだろうかという杞憂が少しだけ晴れる。
 胸に埋まる煉獄さんの顔を覗き込もうとすると見られたくないのか背中に回る腕に力が入った。

「雨が止まないな」
「煉獄さんがそれだけ泣きたかったってことだね」
「今は何も言い返せんな」
「苦しくない?」
「大丈夫だ。心地いい……」

 夕立だからすぐに止むと思っていた雨は存外長引いて、寝転び抱き締め合うだけで何も言葉を発しなくなった部屋は雨の音が静かに響いている。
 湿った髪を梳いて、膝枕していたときと同じように撫でていたら雨の音もいい子守唄になったのか煉獄さんから寝息が聞こえてきた。
 雨と昔の感傷に冷えていた身体もゆっくりと熱を取り戻しているみたい。

「煉獄さんの涙の代わりに……できればもう少しだけ降っていてね」

 溶け合い始めた体温に私も目を閉じた。

 * * *

 ――カタン

 部屋の外から聞こえた物音に目を開く。
 思いのほか眠りが深くなってしまったけどそんなに時間は経っていないはず。
 物音のした方を見ようと身を捩ると煉獄さんはすでに起きていた。

「すっかり寝入ってしまったな」
「だね」

 二人して起き上がり、襖を開けると床には握り飯と蕎麦屋のご主人からの書き置きがあった。

『客も来ねえし店じまいだから俺は家に帰る。あんたらはそのまま泊まってよし。明朝、必ずうちの自慢の蕎麦をたらふく食べること』

「ふむ、好意に甘えるとするか」
「店の食材が尽きるくらい食べよう」
「任せろ!」

 いつもの調子に戻りつつある煉獄さんの様子にほっとして二人でありがたく握り飯を食べる。
 止む気配のない雨音を聞きながら煉獄さんは部屋の隅に畳んであった布団を一組敷いて、丁寧に枕を二つ並べた。

「布団もう一組あるよ。一緒に寝るの?」
「よもやもう忘れたのか? ナマエから言ったんだろう。隠してくれると」
「今日はもう泣かなさそうなのに……」

 笑いながら布団に入り手招きする煉獄さんに、特段断る理由もない私は部屋全体を照らす行燈から枕元だけを照らす小さい行燈に火を付け替えて同じ布団に入る。

「そういえばさっき店の主人から浴衣と一緒に渡されたものがあるんだ」
「そうなの?」
「ナマエがあまりにも鬼気迫る表情だったからこれでほぐせと言われてしまった」
「ん? なに……、っ!?」

 煉獄さんが口で答えずにどこからか出してきたものを目を凝らして見ると、それはまさにそういった……つまり閨事の手助けをしてくれる包み。
 目の前に出された思いがけないものの少し向こう、行燈で仄かに照らされる煉獄さんが布団の中にある私の手に指を絡めてきた。

「俺とナマエの、二人だけの秘密の時間を共有しよう」
「助平」
「ナマエの前で我慢する必要はないからな。ナマエが教えてくれたんだ」
「……」

 私の無言を肯定と受け取った煉獄さんは私の髪を耳にかけて逢瀬の合図とする。

 夜も更け私たちが眠りにつく頃、雨の音はもう聞こえなかった。

2023/06/20:Twitter初出
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