― ラッキーなんとかの大行進 ―

ハグの日ネタだったけど過ぎたのでラッキーハプニングを詰め込んだ

「煉獄、見て見て」
「なんだこれは?」
「駅の裏に新しくできたアイスクリーム屋さんあるじゃん? 今日からそこでバイト始めるんだけどね、そこで使うネームバッジ。可愛くない?」
「下の名前なんだな」
「親しみやすいように下の名前で呼び合うんだって。ダイナー風っていうのかな? アメリカレトロな感じで制服が可愛いから楽しみなんだー」
「なるほど。……よし! 俺もそのバイトするぞ」
「え? 煉獄もバイトの面接受けてたの?」
「これからだ!」
「は?」

 始業のチャイムが鳴って先生が来るまでのほんの短い時間、隣の席に座る煉獄に新しい始めるって言っただけだよね? なんで煉獄もバイト始める話になるの?
 そんな私の疑問は先生が教室に来て解決することが出来ず、授業が終わる頃にはすっかり忘れていた。

 あれから一週間、つまり私がバイトを始めて一週間。
 今日から入った人だから教えてあげてくれって店長に紹介された人物は煉獄だった。

* * *

「本当にこのバイト始めたんだね」
「言っただろう。俺もやると」
「今日からなら学校で教えてくれてもいいのに」
「驚くかと思ってな」
「ビックリしたよ」

 雑談をしながらホールでの仕事や雑務を一通り教え、休憩室に戻ってホールの子はローラースケートを履くのが決まりだよと最後に伝える。
 ローラースケートを一生懸命履く様子を見ながらどんな服もそつなく着こなすなーなんて思った。オレンジストライプのどちらかといえばポップな制服も性格にマッチしてよく似合ってる。いや、性格は関係ないか。
 まじまじと煉獄を観察していたらどうやら準備が終わったみたい。私もローラースケートを履いて準備しなくちゃと思った瞬間手が止まった。
 煉獄の滑り方がおかしい。どこに違和感があるんだろうと休憩室内を移動している煉獄を注意深く観察する。

「これはなかなか歩きづらいな」
「……え?」

 煉獄は休憩室の真ん中にあるテーブルをぐるりと歩いていた。ローラースケートで。見間違いかと思って二度見したけどやっぱり歩いている。
 なんで? ローラースケートって滑るものでしょ? 歩きづらいってそりゃそうだよ、滑るのが目的だもん。軽やかにホール内を移動するためのローラースケートだよ? なんで普通のスニーカーみたいに歩いてるの?それならスニーカーでよくない? いや、店の決まりだからスニーカー駄目じゃん。
 そんなことをぐるぐる考えている私の目の前を普通に歩いていく煉獄にジワジワと笑いが込み上げてきた。

「あはははは、ちょっと待って煉獄……笑わせな、いで」
「なんのことだ? 俺は真面目にやっているぞ」
「そうなんだけど……それは知ってるけど……あははははは」

 よほど大きな声で笑ってしまったのか店長が休憩室に顔を覗かせてくる。とりあえず一通り教え終わったことと私が大笑いしたコトの顛末を説明すると店長はふむふむと頷いた。

「うーん、まあ歩こうが滑ろうが仕事に支障はないだろうけど今日はオモテに出なくていいから煉獄くんが滑れるように教えてあげて」
「え!? 私がですか!?」
「なんか聞いたら同じ学校なんでしょ。友達を助けてあげなよ」

 今日はシフトいっぱいそれだけでいいよって言いながら店長は出ていってしまい私と煉獄、二人残された休憩室の沈黙が心苦しい。

「煉獄ごめん!」
「どうして謝るんだ?」
「私が大きな声で笑ったから……折角煉獄のバイト初日なのに裏で練習することになっちゃって……」
「謝るようなことじゃないな。それに俺は滑れないわけではないぞ?」
「そうなの? じゃあ滑ってみてよ」
「よし! 見ててくれ!」

 息巻く煉獄に、本人が言う通り滑れるならもう店長のミッションはクリアになるし、そうしたらすぐに仕事に戻れるかも。
 期待を込めて自信満々の煉獄が滑るのを見――……。

「歩いてるじゃん! それ滑ってるって言わないよ?」
「よもや!?」
「ええ? 無自覚!?」

 誰がどう見ても歩いている姿に突っ込まずにはいられない。駄目だ。滑っていないことを本人が自覚していない。店長に言われた以上これはもうやるしかない。
 履きかけのローラースケートを脱いで煉獄の前で手を差し出した。

「煉獄! はい! 手!」
「む?」
「掴まって。私が支えるから」
「いや、それは……」
「頑張って滑れるようになろう。折角バイト始めたんだし一緒にオモテで働こうよ」
「……むぅ」

 何か迷ったあと私の手に煉獄の手が乗る。
 あ、思ってたより煉獄の手って大きい。自分の予想より大きい手にギュッと握られたところがジリジリと熱を上げていく気がした。

「どうした?」
「あ、ごめん。よし、私が引っ張るから足を上げずにそのまま滑るんだよ。滑る感覚を覚えてね」
「よろしく頼む」

 足元を見ながら一歩ずつ後ろに下がって、休憩室の端で一度止まる。
 引っ張られる煉獄はバランスを崩すこともなく、どうだったか確認しようとずっと下を向いていた頭を上げて驚いた。
 私が足元を見るために下を向いていたように煉獄も下を向いていたから顔が近い。学校の勉強で分からないところを教えてもらうときだってこんな近くに顔は来ない。
 目力の強い煉獄にまっすぐ見下ろされて今何をしていたのか一瞬すっぽり抜けて、繋がる手の熱がさっきよりも上がるのを感じる。

「ど、どう? 滑る感覚覚えられた?」
「バランスを取るのはさほど難しくなさそうだな」
「今度は今の滑る感覚のまま煉獄が足を動かしてみようか」
「よし!」

 気を取り直してさっきと同じように煉獄の手を掴んで後ろに下がり始めると、やっぱり引っ張られるだけの時とは勝手が違うのか腰を引き気味にそろーっと足を滑らせるのが面白くてちょっとだけ可愛い。
 一歩、また一歩後ろに下がって壁際まで来たところで足を止めると煉獄からふぅ、と息が漏れた。

「煉獄ってなんでも出来ると思ってたのにそうでもないんだね」
「なんでだ?」
「だって定期考査も上位、運動もできるし友達から悪い噂とか全然聞かないし」
「はは、そんな完璧なわけないだろう」
「煉獄の新しい一面見れて楽しい。うーん、嬉しいかな?」
「……」
「どうしたの?」
「ところでこの店はみんなネームバッジに書かれている呼び方なんだろう」
「そだね。煉獄も付けてるからみんなに下の名前で呼ばれるね?」

 繋がった手の片方だけ離れて煉獄が私のネームバッジを指さす。煉獄にも私と同じ場所にネームバッジをつけていてちゃんと名前が書かれていた。
 この前学校で話したネームバッジが急に話題に出て首を傾げると煉獄も首を傾げる。

「では俺のことは名字ではなくこのネームバッジに書かれている名前で呼ぶべきでは?」
「え、えー……今? なんで急に」
「チャンスだと思ったんだ」
「うん?」
「まあそこは気にしなくていい。で、呼んでくれないのか?」
「なんか改めて言われると呼びづらくない?」
「ふむ、ならこうしよう! 君は反対側の壁に立っていてくれ。俺がそこまでちゃんと滑れたら名前で呼ぶというのはどうだ?」
「ご褒美的なこと?」
「そういうことだ」
「失敗したら?」
「出来るまでやる!」
「おぉ……」

 それって呼ばない選択肢ないじゃん。
 まあでもいっか。今日は滑れるようになる練習をしているわけだし、わざわざきっかけを作ってくれる煉獄はやっぱりいい人だ。というか、煉獄っていつもそうだ。こうやって人を自分のペースに乗せるのがうまい。

「もうやる? それとももう少し一緒に練習する?」
「大丈夫だ!」

 元気に返事をする煉獄から手を離して、10歩も歩けば辿り着く狭い休憩室の反対側の壁に立つ。
 その場で足踏みをしてちょっとだけよろけるのを見た時に助けに行きたくなるのを堪える。煉獄がいい人に見えたり可愛く見えたりなんか母性みたいのをくすぐってきたり情緒が忙しいな。

「行くぞ!」
「よし、来い!」

 煉獄に釣られて体育会系のノリで返す私。少しだけ足を開いて手を広げる私に煉獄は勢いよく滑り始めた。

「滑れてる! すご……って、え? 早っ!」
「うお!?」
「ぅわっ!?」

 目眼の前で転ぶ人がいたら避けるか支えるかの二択だろうけど残念ながら私の運動神経に避ける選択肢は準備されていない。
 衝撃に備えて目を瞑ると遅れて聞こえた大きな音。だけど音はしたのにどこも痛くない。痛みが一周して痛くないのかな……なんてことあるはずもなく。

「ん? ……れれれれ煉獄!?」
「すまない。思ったよりスピードが出てしまった」

 スピードのことはスタートした時点で分かったから別にいいんだけど。今この状態がよくない。
 壁際に立つ私にぶつからないように咄嗟に出た煉獄の手は壁を押さえている。私を挟んで。
 なんで成り行きで壁ドンされてるの私。

「あの、煉獄が大丈夫そうなら退いてもらえると……嬉しいなぁ、なんて……」
「む? すまない!」

 この状況をどうにかしたい私の言葉に煉獄もようやく気付いてくれた。壁から手を離す煉獄が後ろに下がる。
 下を向いてほっと胸を撫でおろそうとしたとき煉獄の足がおぼついていないのが見えて、視線を上にズラしていけば案の定後ろに傾いていく煉獄に咄嗟に手を伸ばした。

「煉獄!」

――ガシャン。
 さっきと同じ大きな音が休憩室に響く。

「いった……」

 一連の出来事に必死で私たちが最終的にどうなったのか分かっていない。とりあえずさっきよりは衝撃がある。でも怪我はしてないっぽい。
 うっすら目を開けた私は口が半開きで固まってしまう。
 だって転ばないように助けようとしたはずなのになんで私が尻餅をついている煉獄の上に乗っかっているのか意味が分からない。

「すまない。伸ばされた手を掴んで俺が引っ張ってしまった」
「ごごごごめん! 今退く――っわ!?」
「危ない!」

 どうしてこうなったのか教えてくれた煉獄から退こうとしたら今度は私がバランスを崩して手が宙を泳ぐ。そんな私の手を煉獄は強い力で引っ張るとそのまま抱き止めた。
 さっきの思ったより顔が近いなんて生ぬるいって言いたくなるほど物理的に近過ぎて頭がバグってくる。

「大丈夫か?」
「……死ぬ」
「む!?」

 同い年の異性に抱き締められるなんて彼氏いない歴=年齢の私には刺激が強い。明日から学校でどういう顔しておはようって言えばいいの?
 バイトが始まるまでただのクラスメイトで、隣の席なだけで、今日から一緒に働くバイト仲間になっただけで……特別意識してなかったのに。
 この短時間で煉獄がそういう対象になる私チョロすぎない?

「どうした!? どこを怪我した!?」
「あーごめん、大丈夫。煉獄のおかげでどこも怪我してない……ありがとう……」
「本当か?」

 今私の顔を覗き込むのをやめてほしい。顔が近いし赤くなるのがバレる。
 腕の拘束が弱まったタイミングで今度こそ転ばないように慎重に煉獄から離れた。テンパってる私は腕まくりをして力こぶを作りどこも怪我をしていないアピールをする。
 煉獄も立ち上がると少しよろけたけど何事もなかったように滑り出した。

「え、普通に滑ってる」
「どうやらコツを掴んだらしい!」

 覚えるの早すぎない? 休憩室の真ん中にあるテーブルをぐるりと一周して、私の前で1回転するとかいうファンサ紛いのことをしながらピタリと止まる煉獄は人の気も知らないでとても笑顔だ。

「さて! 怪我もないようだし褒美を貰おうか!」

 ネームバッジを外して私の目の前にずいっと出してくるけど煉獄の名前くらい知っている。同じクラスになって初めましてって挨拶したときに聞いたし。だけど――。

「今は無理!」
「なんでだ!?」
「なんでも! 明日! 明日から呼ぶから! ほら、滑れるようになったって早く店長に報告に行こう!」

 ほらほら、と煉獄の背中を押して休憩室から慌ただしく出る。
 これは事故だ。偶然抱き締められる形になっただけで他の意味なんてない。それをしっかり自分に言い聞かせるために今日一日時間がほしい。
 それなのに私はホールに出た煉獄のことをお客さんが途切れたタイミングとか隙あらば目で追ってしまっていた。
 折角滑れるようになったって店長に報告できたのにまだ転ぶ心配もあるからってなぜか特例でスニーカーでホール仕事をしているけど。
 持ち前の明るさでお客さんのウケがいいのも、周りに目を配ってさりげなくフォローしてる姿もいちいち私の中で煉獄の株を上げていく。
 さっきまではなんとも思っていなかった煉獄の手を掴んだとき、強めに握り返されたことを思い出すともう手遅れかもしれない。

* * *

 次の日、教室で顔を合わせた途端クラスメイトがいる中で元気いっぱいに名前呼びを強要されて、私も名前で呼ばれるという羞恥が待っているなんて今の私に考える余裕はなかった。

2023/08/12:Twitter・サイト初出