― その手に触れたくて ―

kmtwebオンリー【うたかたにて3】参加お題

 夜が来るのが怖かった。だって鬼が出るから。
 早く朝になればいいのにっていつも思いながら刀を振るっていた。

 でもそれも今は昔、暗く長かった夜が明けて鬼の元凶は居なくなった。沢山の犠牲を伴って。
 これからはもう安心して夜眠れる――そう思っていたのに夜が来るのが怖いのは変わらなかった。
 だって本当はまだ鬼が出るんじゃないかと思ってしまうから。

 何年も鬼殺隊として夜の闇を眼を閉じることなく駆け抜けていた習性は簡単になくなるものじゃない。
 寝ていても風が葉を揺らす音、家の外のどこかで犬が、赤子が、酔っ払いが声を立てれば体を起こし枕元に手を伸ばす。もうそこに日輪刀はないのに。

 今日もそう。耳が反応して考えるより早く上半身だけ起こす。
 目を閉じ耳に神経を集中させ音の出処を反芻していると同じ音が響いた。

「家鳴り……」

 音の原因が分かると両手で顔を覆いながら大きく息を吐き自分を落ち着かせる。
 大丈夫。もう安全だから。もう鬼は出ない。
 夜起きるたびに自分に言い聞かせる言葉を心の中で唱えて布団を被り直しても一度覚醒した意識はそう簡単に眠気に負けてくれない。
 水でも飲むか、いっそのこと庭に出て外の空気を吸って……そこまで考えてまたため息を吐いた。
 あまり移動を大きくすると隣で寝ている彼――杏寿郎さんを起こしてしまう。このまま時間をやり過ごすため一度寝返りをうつと隣で寝ていたはずの杏寿郎さんはしっかりと目を開けて私を見ていた。

「ごめん、起こしちゃった?」
「まだ慣れないか?」
「……なにが?」

 私の質問に答えず別の問いかけをしてくる杏寿郎さん。
 眠れない、というか起きてしまった理由を悟られないように平静を装いつつ返事をする。
 そんな私に杏寿郎さんは目を伏せ口角を上げると布団から出て外出に使う長めの羽織を纏った。

「ナマエ、夜の散歩でも行こうか」
「え? こんな時間に?」
「こんな時間だから、だ。夜の街を見て回って平和な世の中を実感しにいこう」
「……」

 私が起きた理由はどうやら杏寿郎さんにはお見通しらしい。
 観念して理由をちゃんと話そうとしたらそれより先に杏寿郎さんは息を吐きながら笑った。

「俺も似たようなものだ。君だけじゃない」
「そうなの?」
「ああ、だから謝ることは何もない」
「そうなんだ。うん、ありがとう。でも外に出るなら着替えとか……」
「少し行儀が悪いがこんな時間だ。誰も見ていない」

 杏寿郎さんは色違いで拵えた私の羽織を衣紋掛けから外すとほら、と差し出してくる。
 確かに膝下まで丈のある羽織は前を閉めてしまえば中が夜着とは相当凝視しない限り気づかれないだろう。
 誰に会う予定でもないと杏寿郎さんの言葉に従い簡単に支度を終え、月明かりだけで照らされている部屋をぐるりと見回す。

「ナマエ」

 静かに、だけど悪ふざけでも無視することを許されない圧を感じる呼び方に無言で振り向くと月の逆光で表情はよく分からない。

「必要ない」
「――っ」

 こんな時間に外に出るなら日輪刀を――。そう口にしようとする前に制されてしまった。
 さっきから私の考えが杏寿郎さんに見透かされている。
 私はその言葉に何も返せず、杏寿郎さんもそれ以上何も言うことなく、二人手ぶらのまま家を出た。

* * *

 外へ出ると冷たい風が頬を撫でる。隣の杏寿郎さんは日に日に冷えていく空気に体温を奪われないよう腕組みしながらその手を羽織の両袖に隠していた。
 夜の街はやはり静かで昼は賑やかな商店も鳴りを潜め、どの家も明かりが消えている。
 かろうじて明るいのは道を照らすガス灯と、広めの道の端にある夜鳴きそばの屋台くらい。
 おいしそうな出汁の匂いは酷く心をそそられるけど、それらを横目に家を出るときと変わらずお互い何も言わず通り過ぎた。

 鬼はおろか泥棒の一人さえいなさそうな街中は平和そのものに感じる。
 家の屋根より目線を上げて見る空はガス灯に負けじと月や星も輝いていて、吐く息の白が空気に吸い込まれていくのを見て足を止めた。

「……この季節、この時間帯は結構好きなの」
「そうなのか?」
「冷えた空気が頭を冷やしてくれるから考えがまとまりやすい」
「なるほどな」

 私に合わせて杏寿郎さんも足を止め、同じように空を見上げる。
 二人の白い息が出たと思えばすぐに消えていくのを儚いとは思わない。
 むしろ生きているからこそ……。

「考えはまとまったか?」
「うん、そうだね。平和になったなって実感できた気がする」
「それはなによりだ」

 自分の目で見て、感じてようやく少し肩の力が抜ける。
 空気を寒いと感じ、白い息や眩く輝く星が見えて風の音も犬の鳴き声も、平和だからこそしっかりと自分の耳に届くんだ。
 杏寿郎さんに言った言葉に嘘はない。だけどもう一つの本音は隠したまま。
 また歩きだそうとすると杏寿郎さんは袖に隠していた手を私に差し出してきた。

「どうしたの?」
「今更だが夜道は危ないからな」
「鬼はもう出ないのに?」
「ははは」

 夜更けの静かさに相反する快活な笑い声が響いて、杏寿郎さんは距離を縮めると首を傾げる私の手を取りゆっくり指を絡める。

「鬼が出る出ない以前に女人がこんな夜更けに一人歩いていたら危険だろう」

 今日は何もかも私の考えが見通されいるみたい。
 家を出たときからずっと思っていたこと。
 袖に隠されているその手に触れたいという想いが指と一緒に掬われた。

「実を言えばこうする機会をずっと伺っていた」

 照れくささを隠さず言いながら更に絡む指は私の冷えた肌に血を巡らせ始め、されるがままだった指を自分からも絡めれば杏寿郎さんは満足そうに微笑んでくれる。

 ――生きてる。ここで、こうして。

 家に向かって歩きだすけど歩調はさっきよりもゆっくりだ。

「今度は財布を持って出よう」
「なんで?」
「夜鳴きそばがうまそうだった」
「あはは、いいね。もう少し寒くなったらおでんでもいいかも」
「夜更かしが癖になってしまいそうだな!」

 大丈夫。触れる温かいこの命が隣にあればもう夜は怖くない。
 今日は――これからは夜更かしする日以外はぐっすり眠れる。

 絡む指に力を入れて、私は杏寿郎さんの身体に自分の身を寄せた。

2023/11/04:Twitter初出
2023/12/03:サイト用に修正