― あなたしか見たくない ―
ソファで体育座りしながら指で丸い輪っかを作って片目で覗き込む。もちろん覗き込んでない方の目は閉じて。
そうすると私の視界は好きな人だけになる。
お風呂から上がってきたばかりの杏寿郎の肩にはタオルがかけられていてまだ完全に乾いてなさそう。あ、今小さくあくびした。
指の輪っかから見える狭い世界は杏寿郎の細かい仕草を溢さず拾ってくれるけどこれにも欠点がある。
彼が移動してしまうと追うのが大変なのだ。ほんのちょっと、本当に瞬きした一瞬に視界から消えてしまった杏寿郎。首だけ回して探してみたけど目的の人物が見つからない。
「うーん?」
キッチンに水を取りに行ったのかな? キッチンからこの部屋に来る場所に体ごと向けて凝視していたら首にかかる自分以外の髪の毛に全身が跳ねた。
「ぅわっ!? びっくりした……。いつの間に戻ってきたの?」
「ものすごい視線を感じたから少し謀ってみた」
「もしかしてキッチンにも行ってない?」
杏寿郎はにこりと笑って頷くと未だに片目で覗き込んでいる私の輪っかに片目を覗き込ませてくる。
「なにをそんなに熱心に覗き込んでいるんだ?」
杏寿郎の赤くて黄色い綺麗な瞳、羨ましいくらいに長いまつげが指に当たってくすぐったい。
「杏寿郎だけしか見たくないなーって思って」
ちょっとだけ頭を離して、片目を瞑ったまま今度は両手で望遠鏡でピントを合わせる真似をしてみた。顔を近付ければアナログで杏寿郎の倍率があがっていくなーなんて子どもみたいなことをしていたら杏寿郎は私のエアー望遠鏡を取り上げてしまう。
「両目で見たほうがよく見えるんじゃないのか?」
「言ったでしょ。杏寿郎だけしか見たくないって」
話を聞きながら隣に座った杏寿郎は私を一度立ち上がらせると、自分の膝の上に私を乗せ腰をがっちり掴んで体を寄せてきた。
「これなら片目にならずとも俺しか見えないだろう」
「ホントだ。これなら杏寿郎だけしか見れないね」
両目で見る世界は片目で見るよりも倍以上に杏寿郎の情報が入ってくる。
熱いのか薄っすら汗が見えて、肩にかかっていたタオルで軽く拭うと杏寿郎は気持ちよさげに目をトロリとさせた。
そんな杏寿郎の可愛い仕草を引き出してくれたタオルには申し訳ないけど邪魔だから床に落としちゃう。落ちていくタオルを見た杏寿郎の目が私に向いたタイミングで抱き着く。
「よもや、そんなにくっついたら今度は何も見えないんじゃないのか?」
「杏寿郎しか見えないよ。それに今全身で杏寿郎を感じてる」
「見るだけじゃ足りなくなったか!」
「うん。足りなくなっちゃった」
お風呂上がりの匂いと体温が心地良い。もっとと欲しがるように抱き着く腕を強くしたら杏寿郎の息遣いすらも耳に届き始めた。
「あー……。幸せ……」
「はは、それは何よりだ」
暖かい手が腰から背中に回って、自分の肩に杏寿郎の頭の重みを感じる。
――俺も幸せだ。
優しい声音で囁かれ、私は杏寿郎だけしかいない世界に閉じ込められた。
2024/02/13:Twitter初出
2024/05/24:サイト用にちょっと修正