妄想、愉悦。


拾参


  


「ああ、またやっちまった…」

 志津は雇い主に叩かれた頭をさすりながら、深い溜め息を漏らした。
 足元には小銭が散らばっている。拾って、表へ飛び出した。

「志津ちゃん、今度は何しちゃったんだい?」

 向かいの団子屋のおばさんが、志津の好きなみたらし団子を差し出した。

「ありがとう。あとよもぎとずんだと豆大福もちょうだい。お茶は昆布茶ね」

「はいはい」

 おばさんが奥へ入ると、志津は長い脚を放り出して、外の長椅子に腰掛ける。脚を組むと、膝から下が剥き出しになった。

「おあがり」

 おばさんが団子ののったお盆置いて、その隣に腰掛けた。盆には湯飲みが二つのっている。

「今日はちょっと食べ過ぎじゃないの?」

「いいの、どうせ朝食だし。美味しい物食べていないとやってらんないわ」

 みたらし団子を頬張る。おばさんがお茶を啜った。

「朝食って…寝坊?」

「そう。でもね、昨夜は明け方まで、お客の相手してたんだよ。なのに酷いよね、殴るなんてさ」

 志津は脚を組み替えた。道行く若い男が美脚を物欲しそうに見て行く。男と目が合うと、志津は片目を瞑った。男は顔を赤くして、そそくさと通り過ぎてしまう。

「あーあ。捕まると思ったんだけどなあ」

「志津ちゃん、いいじゃないの。あの男、多分金持ってないよ」

 おばさんが志津の肩をぽんとたたいた。

「ほんと、嫌になっちゃうよ。朝早く起きて、働いて、夜遅くまで男の相手して…。楽しみって言ったら、ここのお団子くらいだわ」

 志津が目をやると、おばさんはこちらを悲しそうに見ている。志津は笑顔を作った。

「でも、仕方ないよね。親の借金肩代わりしてもらったんだしさ。それに、親方も案外あれでいい人だし。あたしなんてまだ全然いい方だよ。こうしておばさんにも優しくしてもらってるしさ。ん、おいし」

 志津は団子をまた一つ口に入れた。

「おばさん、お客さんじゃないの?」

 看板の前の品書きを、二人組が見ている。おばさんをそちらへ促し、志津は組んでいた足をまた放り出した。

「まずい、また悪い癖が出た」

 周りには聞こえないくらいの声で呟いた。人のいいこのおばさんには、あまり心配をかけたくない。志津は豆大福を食べた。
 志津は数年前に、宿屋の亭主に買われ、女中として働いている。夜になれば男の相手もする。
 休みなく毎日働かされるが、体調を悪くすれば休ませてくれるし、僅かだが小遣いばかりの給料もくれる。主人は厳しいが、決して悪人ではない。それに、客だって、外れはあるが、嫌な客ばかりではない。向かいのだんご屋のみたらし団子は絶品だし、おばさんは志津を可愛がってくれる。
 分かっている。自分より、不幸な娼婦がいることなど。人として扱われず、ただ欲望を満たす為だけに利用され、使い物にならなければあっさり捨てられる気の毒な女たち。そんな女が世に大勢いることなど、志津はよく知っていた。
 ただ、自分だって辛いのだ。自分がした訳でもない借金の為に、こき使われ、好きでもない男に抱かれる毎日が。だが、身請けの話しでもない限り、一生ここからは出られない。
 志津の美貌なら身請けの話など幾らでもあったが、格安の売春宿に来るような男が提示する金額など、たかが知れている。結局は夢なのだ。

「夢ばっか見てたって、しょうがないけどね」

 志津は茶を飲み干して、空を見上げた。抜けるような青さだ。志津は小銭を置いて、立ち上がる。

「おばちゃん、お勘定、置いとくねー…」

 椅子に置き損ねた小銭が、道に散らばる。団子屋のおばさんから団子の包みを受け取る二人組を見た瞬間、志津の鼓動は高鳴った。手前にいる男が、足元に転がった小銭を拾い、手渡そうとした時だった。

「源太郎…!?」

 志津は、小銭を拾った源太郎に抱き付いた。源太郎は、持っていた弁当の包みを落としてしまう。

「お、おめえ、お志津か!?」

 源太郎は体から志津を離す。志津の目は涙をためていた。

「そうだよ、あんた、立派になったんだね。遠目じゃちっとも気付かなかった」

 志津はもう一度源太郎に抱き付き、肩口に顔を埋めた。

「お志津、離れるだ。誤解される…」

 懐かしい田舎の訛り。源太郎は志津をそっと体から離した。

「誤解って…」

 涙を拭い、顔を上げると、綺麗な顔と目があう。

「あなた、りんちゃんね!綺麗になったわねぇ。それに、背も伸びちゃって…」

 志津が懐かしそうに微笑む。源太郎が落とした包みを拾い、小銭を手渡した。

「おりんは三年前に死んだだ」

「え!?じゃ、じゃあその子は…」

「今、一緒にいるお蘭」

「初めまして」

 蘭丸は丁寧に頭を下げる。

「そうなの…」

 喜びも束の間、志津は肩を落とす。

「源太郎、ちょっと、話があるの」

 志津は源太郎の腕を取る。少年の頃より、逞しくなっていた。

「でも、おら…」

「良いでしょ、八年ぶりの再会なんだから」

 源太郎は蘭丸の顔を見詰める。蘭丸はにこりと微笑んで、自分が持っていた弁当の包みを志津に渡す。

「八年振りでは、積もる話もございましょう。良ければ、お二人で召し上がって下さい」

 蘭丸はぺこりと再度頭を下げる。

「ありがとう。すぐ、済むわ」

 志津が素っ気なく言い放つ。蘭丸は源太郎の耳に手を当て、顔を近付ける。

「橋の下で待ってますから」

 そう囁いて、顔を離す。聞こえなかったが、志津には恋仲である証のように見えてならなかった。あからさまに顔をしかめる。

「それじゃあ」

 蘭丸は会釈をして去っていった。

「可愛いわね」

 蘭丸が見えなくなってから、志津はぼそっと言った。

「それに随分若いし、育ちも良さそう。ね、何処で捕まえたの?」

 源太郎は蘭丸が走って行った方向をまだ見ている。

「聞きなさいよ!」

「あ、何か言ったか?」

「そこ、座りましょ。ね、出会ったきっかけは?」

「色々あって、おらんちで引き取ることんなって…」

 二人は並んで腰掛ける。源太郎は包みを開け、握り飯にかぶりついた。

「ふうん…。ね、今何やってるの?随分身なりが立派になったじゃない」

「別に、旅人?」

「へぇ、何でまた?」

「色々あって…」

 源太郎はもう一つ握り飯を頬張る。昔、こんな風に、源太郎が何かを食べるところを見ているのが好きだった。志津は二人の間のぎこちない空気が悲しくなる。

「蘭ちゃんがそんなに気になるの?」

「いや、ただ、一緒に飯を食うって約束しただ」

 志津は包みを源太郎に投げた。受け取った源太郎は叱責する。

「食いもん粗末にすんな」

「もう、良いわよ!二人で食べれば!!」

「なして、怒るだ?」

「だって、八年振りの再会なのに、あたしのこと、心配じゃないの?」

 源太郎はむっとする。拗ねる表情は以前と変わらない。

「だって、八年前に、おらたちは終わっただ」

 志津は表情を曇らせる。俯いてから涙を零した。

「仕方なかったのよ、だって、源太郎を、巻き込みたくなかったの」

「何があっただ」

 源太郎が指で涙を拭う。志津は源太郎の腕にしがみついた。

「あたし、あんた以外いないの…」




 源太郎と志津は幼なじみだった。親同士も仲がよく、交流があり、毎日一緒にいた。十になった頃、異性として意識するようになる。
 互いの気持ちを知ったのは十二、初めて結ばれたのは十四の頃だった。
 あの頃は、互いが全てだった。時間を空けて会えば体を重ね、会えない時は想い合う。
 そんな毎日を過ごして、縁組みを意識した年の頃に、志津は去った。

『あたし、お嫁に行くの。すごくお金持ちな人よ。幸せになれるわ。さよなら』

 前触れもなしにそう言われて。源太郎の、悲しい記憶が蘇る。




「ほんとは、結婚なんかじゃなく身売りだったのよ」

「……!」

 源太郎の表情が暗くなった。

「なして、身売りなんて…、おら、お前が幸せになるって、信じてた。だから…」

「借金よ」

「そげん…」

 二人の間に沈黙が続く。志津は俯いたまま泣き続けた。

「ごめんな」

 源太郎が志津の頭を撫でた。

「おらが、不甲斐ねえばっかりに…」

「源太郎が、悪いわけじゃない。あたしたちには、どうしようもないことだったのよ」

「だけど、お前だって悪くない。おら、暫く、お前のこと恨んだだ。お前のこと、ちっとも分かってなかっただよ」

 顔を上げると、源太郎が悲しげに志津を見つめていた。志津は、源太郎に抱き付く。

「源太郎…、源太郎!」

 源太郎が志津を抱き返す。

「おら、お前に何が出来る?」

「…聞いてくれるの?」

「ああ」

 志津は涙を拭って立ち上がる。

「源太郎、こっち来て!」

 志津は、源太郎を引っ張り、向かいの宿へ連れ込んだ。



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