拾肆
蘭丸は河辺に寝転がって、ぼんやり考えていた。懐から鍵を取り出す。
輪っかに大きな鍵が幾つもついている。領主の城の、悲しい現実。あそこには未だに愛玩具となった気の毒な少年たちがいる。
助けに行こうか。それはあまりに危険なことだが、危険の場数なら踏んでいる。城内なら一部だが把握はしているし、侵入も不可能ではない。ただ、自分が殺した男は、領主の懐刀だったと言う。そのせいで、城の守りは固くなったかも知れない。
「はぁ…」
蘭丸はため息を漏らした。源太郎に相談してみようか。止められるのは分かっているけれど。
「一人で考えても仕方ない」
起き上がり、鍵を戻す。買ったばかりの包みを開けて団子を口に入れる。団子にたっぷり塗られた蜜が唇や舌にまとわりつく。蘭丸の脳裏に、団子屋で遭遇した女が過ぎる。綺麗な女だった。
(あの方は…源太郎様の…)
源太郎が、過去に相手がいたことくらい分かっている。それは悲しいことではない。ただ、あんな綺麗な女と愛し合っていた源太郎が、自分を相手に満足出来るのだろうか?
「遅いな…」
暖かい日差しと、川のせせらぎが、蘭丸を包み込む。目の前に繋がり合った蝶がゆらゆら飛んでいる。
番の雄と雌は、蘭丸の目の高さで暫く浮遊し、繋がったままゆっくりと空高く飛んでいった。
蝶を見失った蘭丸は、膝を抱えて顔を伏せた。
「こっちよ」
志津に案内され、旅館の一室に入る。
「いい部屋だなあ」
源太郎は呑気に言いながら、荷物を置いた。
「でしょう?でも、源太郎が来てくれて良かった。客取れなくて大変なんだ」
志津は窓枠に腰掛け、脚を組んだ。
「二人で一人分の値段でどう?」
「構わないだ。でも、お前、そんなんでいいだか?」
「うん。いいよ」
「お前、昔っから一人で抱え込むとこあっけど、無理してるんじゃないか?」
「何よ。無理したら悪い?じゃあ、あたしを買ってくれるの?そんなお金、あるの?あの子を裏切れるの?」
源太郎の眼差しに力が籠もる。
「…おらは、お蘭を裏切らない」
「やっぱりそう。あんたに見合った条件出してあげてるの!」
「でも、お前を連れて逃げることは出来る」
「え…?」
志津は早鐘を打つ豊満な胸に手をのせる。
以前、源太郎に想いを告げられた時のことを思い出した。こんな風に見つめられながら、照れもせずに、真っ直ぐな言葉で、打ち明けられた。あれからもう十年が経とうとしている。
「あんた、どんだけ無神経なの?三人で旅するなんて、あの子が許すはずないじゃない」
「お蘭ならきっと分かってくれる」
「あたしが嫌なの!」
志津は視線を逸らした。鼓動が源太郎に聞かれていやしないかと心配になる。
「そうか」
源太郎は傷付いた顔をした。その気はないのに人ばかり好くて、相変わらず鈍感なのだ。
「源太郎、あたし、源太郎が思ってる程不幸じゃないよ。ほんと。それに、売りなんてせいぜいあと五年が限界。その後はただの女中になれるわ」
「お志津…」
「そんな顔、しないで。それに、この仕事だっていいことあるのよ。忙しいけど百姓の時ほど貧しくないし、これ、お客さんに貰ったの。可愛いでしょ?」
志津が花の髪留めを指差した。
「有難う、お志津」
源太郎が少しだけ悲しさを残したまま笑った。
「早く、迎えに行ってあげな」
「お前、相変わらずいい奴だな」
そう言って、源太郎は部屋を出た。
志津の胸がちくりと痛む。
「そんなこと、ないわ」
だって、あれから八年も経ったのだから。
志津は源太郎の手荷物が残った部屋でぽつりと呟いた。
源太郎は駆け足で河原に辿り着いた。着替えに用いた橋の下まで降りると、蘭丸が大の字体制で寝ていた。
「また…風邪引くど」
源太郎はいつもの悪戯心で、蘭丸の体に被さって舌先で唇をつついた。微かに甘く、小さな唇の端から端をひと舐めし、僅かな隙間から口内へ忍び込ませる。歯をくぐり舌をなぞると甘みが増す。源太郎が唇を塞ぎきって吸い込むと、蘭丸が手足をばたつかせた。
「ふ、ぅんっ…」
源太郎は蘭丸の左手首を右手で掴み、左手で華奢な頤を拘束した。唾液をすすり上げ、薄目を開けると潤んだ瞳と視線がぶつかり合う。甘さがなくなるまで吸い上げてから、蘭丸の唇と左手首を解放した。
「はぁ、はぁ…」
蘭丸は顔を赤くさせ、空気を深く吸い込んだ。
「源太郎様、戻って来て下さったのですね」
「起きただか?危ないだよ、こんなとこで寝てたら。甘い蜜を吸われちまう」
「蜜?」
「ああ。おらは誘われた蝶だ」
らしくない言葉に蘭丸は笑った。その後少し視線を泳がせてから、やや切なげに源太郎を見詰めた。
「どうした?」
「あ、いえ…」
蘭丸は飛んでいった番の蝶を思い出していた。源太郎が蝶で、自分が蜜を吸われる花ならば、置き去りにされてしまう。蘭丸は源太郎の肩に腕を回し、身を寄せた。
「ほんと、どうしただ?」
源太郎は蘭丸の背中を抱え、起き上がる。対面して抱き寄せる体制になった。
「いつもは、外では嫌がるのに」
「いえ、源太郎様が戻って来て下さったのが、嬉しくて」
「当たり前だ。そうだ、今夜の宿が決まったで。団子屋の向かいの宿だ」
「え…?」
「お志津に頼まれただ。客足が悪いから、泊まって欲しいって。料金は安くしてくれるみてえだし、飯も風呂もあるし、ゆっくり寝れるだよ」
源太郎の手荷物がなくなっていることに気付き、蘭丸は曖昧な表情をした。
「嫌か?」
「そんなことは…。あの、志津殿は…、とてもお美しい方ですね」
「そうか?お蘭の方が綺麗だよ」
源太郎は蘭丸の髪に手を伸ばし、指で梳く。
「失礼です、女性を、男の私などと較べるなど」
「綺麗に男も女もないだ」
源太郎は服の上から蘭丸の痩せた体をなぞる。
「ですが、体つきもふくよかで…、源太郎様!」
源太郎の掌が蘭丸の中心の辺りを撫でる。
蘭丸は恥ずかしさで何も言えなくなる。嫉妬心を悟られてしまったかも知れない。
「おらは、お蘭のこの体が好きだよ。おら、お蘭以外いらない」
源太郎は、いつでも蘭丸の欲しい言葉を沢山くれる。だからなのか、蘭丸は以前よりずっと貪欲になった。少し前までは、主君を独占することや、まして関係を持った女に嫉妬するなど、考えられないことだった。だが、源太郎はその気持ちを受け止めてくれた。
蘭丸は添えられた大きな手に自身を擦り寄せた。
「い、いかん、先におらが起ってしまう」
源太郎は肩を抱き寄せ、蘭丸と立ち上がり、蘭丸の体に纏わる草を払い落とした。
「宿に着いたら、続きをしよう」
蘭丸はこくりと頷く。
荷物を取ろうと屈むと、蘭丸が声を荒げた。
「ああ…!」
「どうした?」
源太郎がのぞき込むと、開封し、放置されたままの団子に、蟻が群がっていた。
まだ源太郎の分のみたらし団子と、草団子が二人分手付かずだった。
「申し訳ありません、源太郎様」
源太郎が優しく微笑む。
「構わないだ。お蘭の舌で、味わった。残りはあいつ等に分けてやる」
悄然とした蘭丸の手を引いて、源太郎は歩き出した。
日が高く、二人の影が伸びる。蘭丸は源太郎に寄り添った。
「楽しそうだな」
「嬉しいんです」
ひとつになった影を一瞥し、微笑みながら源太郎の歩調を合わせた。
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