弐
翌朝、先に起きたのは源太郎だった。朝早い百姓仕事の前に、蘭丸に朝食を作ってやるためだ。
朝食を部屋に持って行くと、蘭丸は既に起きていた。布団を丁寧に畳み、乱れた着物はきっちり帯で収め、正座をしている。
「おお、よくなっただか。粥を作ったんだが、食うわんか?」
源太郎は粥をよそい、漬け物の小鉢と匙ののったお盆を蘭丸の目の前に置いた。
蘭丸は無言でそれを見つめる。弁当の握り飯を作りながら、源太郎は思い返した。
(口がきけねぇんじゃろか?嫌、そんな訳ねいか、喘がされていたし…)
源太郎はまずいと思い、思い返すのを止めた。
蘭丸は差し出された温かい朝食を見つめ、涙を嗚咽と共に零した。
「ど、どうした?どっか痛いだか?それとも、粥は嫌いか?」
蘭丸は泣きながら激しく首を横に振った。
「いえ、このように優しくされたのが、久しくて…。有り難く、頂きます」
蘭丸は手を合わせてから、食事に手をつけた。育ちの良さが伺える。静かに、ゆくっくりと粥を啜る。
「美味しい…」
「よかっただ。おら、もう行くだ。土鍋に粥が残ってるから、腹減ったら食え」
ちゃんとした喋り声を初めて聞いた。変声期を終えていない、幼い少年の声は、蘭丸の危うい魅力を引き立てる。
「源太郎…様?」
「え!?」
源太郎は今迄そんな風に呼ばれたことがない。
「どうして、こんなに親切にしてくださるのですか?私が、妹君に似ているから?」
「そうかもな」
「私は、どう恩返ししたら…」
「その話は後だ。夕刻前には帰っから、いなくなるなよ?」
「承知致しました」
蘭丸は笑った。笑顔はやはり妹に似ていた。
百姓たちの話題は、田子作が監禁していた蘭丸が脱走したことだった。田子作は血眼になって探しているらしい。栄二は言った。
「どうだったか?昨日のお小姓は」
「普通に寝て飯食っただ」
「快復したら会わせてくれな。ひひ…」
栄二の卑しい笑い方に源太郎は顔をしかめる。
「田子作と仲良い奴は、探すのに付き合わされてるだ。つっでも、火事場泥棒仲間だがな。見つけたらまた寄って集って輪姦されっど」
「輪姦!?何てひでぇこと……」
蘭丸の泣き顔が脳裏に過ぎり、怒りと不安が込み上げる。
「おらんちを漁ったりせんだろうか…」
「どうだかな」
「おら、心配だから見て来るだ」
「おい!まだ仕事が…」
栄二の声も聞かず、源太郎は道具を放り出し、走り出してしまった。
途中、源太郎は田子作と遭遇してしまう。汗だくで帰路を走る源太郎を、田子作と仲間たちは呼び止めた。
「源太郎、血相かえてどうしただ」
「ちっと忘れ物…、急いでるだ、じゃあな!」
「源太郎!」
「何だ?」
「女、知らねえか?痩せてて背が高い、若い、綺麗な女だ」
「しししししらん、おおら、いい、急いでるだ」
源太郎は逃げるようにその場を去った。
その姿は明らかに狼狽していた。
「…怪しいだなついてくぞ」
田子作は仲間を連れて後を追う。
「大丈夫だか」
蘭丸は、庭で甲斐甲斐しく洗った衣服を干していた。その姿はまるで幼妻だった。
「良かっただー」
「こんなに汗をかいて、どうなさいましたか?」
蘭丸は袖で源太郎の額の汗を拭う。
「お前を攫って閉じ込めてた奴が、血眼んなって、探しているだ。おらんちも危ねえかも知れねえ…」
「あ…」
蘭丸が見たのは、源太郎を追ってきた、自分を辱めた憎き男たちだった。
「源太郎、矢っ張りお前だったか。そいつを返すだ!」
「駄目だ!」
「源太郎様…」
源太郎は庇うように蘭丸の前に出る。蘭丸は、心配そうに源太郎を見つめる。
「良くたらし込んだだな、源太郎。おらのもとでも、そいつを抱かせてやる。だから返すだ」
「ふざけるな」
「てめえら、やっちまえ!」
百姓仕事で磨かれた、逞しい男たちに囲まれる。
蘭丸は物干し竿を持ち、膝でへし折る。自分の背丈程になった竿を刀のように構えた。
「やめろ、源太郎様から離れろ!」
「そんな竿でどうしよってんだ、嬢ちゃん?」
「蘭が成敗致します!でやあっ」
蘭丸は次々と屈強な男たちを華麗なる剣術で倒してゆく。腹を打たれた田子作は泡を吹き、白目を剥いている。
「源太郎様、お怪我は…」
「ああ、大丈夫だ、それよりおめぇ、つええだな」
「蘭を助けたばかりに、このような…、申し訳ございません」
「お前のせいじゃねえ。悪いのは、あいつ等だ」
蘭丸が、倒れた男たちを見つめた。竿を握ったまま立ち上がる。自分を辱め、傷つけ、物のように扱った穢らわしい男たち。
「蘭が二度と悪いことが出来ないようにとどめを」
「それはいげねぇ!」
「何故です?あの者たちは、自分より弱い者を傷付ける人間です。また、何をやるか…」
「田子作は病気のおっかあと小せえ弟を養ってる、あいつだって子供はまだ小せえ、あいつは一人息子だ。殺しちまったら、家族が路頭に迷い、悲しむ。だから駄目だ!」
「源太郎…様」
「こいつらは、強いと分かったお前には二度と手を出さねえ。だから」
「蘭は、この者たちを許すことなど、出来ません。いけないでしょうか?」
蘭丸の瞳から涙が零れ落ちる。源太郎は蘭丸を抱き寄せた。
「いけなくねぇ。いや、仕方ねえよ。だが、殺しちゃいけねえだ。おら、役に立てるかわかんねえけど、お前の、蘭の傷が癒えるのを手伝うから…」
「源太郎様…、うわああああ」
蘭丸は源太郎の胸に泣き崩れた。
「蘭…」
源太郎は蘭丸を抱きしめた。
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