弐拾
明るくなる直前、籠を持った志津が欠伸をしながら階段を降りると、袴姿の蘭丸が玄関の上がりかまちに座っていた。
「あら?」
志津がきょとんとしていると、蘭丸が立ち上がって志津の手から籠を取った。
「私がご一緒します」
「え、何で?」
「源太郎様を危険に晒すことは許しません」
「危険て…、だから源太郎と行くんじゃない。言っちゃ悪いけど、あなたじゃ役に立ちゃしないわ。荷物も重たくなるし、第一いざって時危ないわよ」
志津は蘭丸の細い肩や手首を見ながら言った。
「その危険な場所に、源太郎様を連れ出そうと言うのですか!?」
「えっ?ええ……」
志津は蘭丸の剣幕に驚いた。
「お百姓の源太郎様に、山賊の相手をさせるのですか!?」
「大丈夫よ、源太郎、逞しいし」
「源太郎様の体が大きいのは、百姓仕事で磨かれたからです。誰かと戦ったからではありません」
「何よ、失礼ね。源太郎は頼りないって訳?だからって何であんたが出てくるのよ、あんた、あたしを守れるの?」
志津がまくし立てると、蘭丸は志津の目を見ながら頷いた。
「源太郎様はお強い、そして優しい方です。源太郎様をお守りすることが、私の使命。志津殿は、源太郎様にとって大切な方。志津殿も私がお守り致します」
そう言うと、蘭丸は籠を背負った。
蘭丸の目と声があまりに真っ直ぐで、志津は言葉を失った。鼓動が飛び上がり、上がりかまちで草鞋を結ぶ華奢な後ろ姿を見詰めた。本当に、この少年は自分を守ってくれるのだろうか。
「あんた、何者なの?」
「何者、と言う程の人間ではありません」
蘭丸は立ち上がって戸を引いた。表に出ると朝日が蘭丸を照らした。
志津は縛り上げた髪に隠れた蘭丸のうなじに赤いしるしがあることに気付いた。
「昨夜も、源太郎に抱かれたの?」
「…関係ありません」
「肌艶も良いみたいだし?」
「触らないで下さい!」
蘭丸の頬に触れようと手を伸ばすと、蘭丸が後ずさる。志津は傷付いた顔をしながら、一言ごめんと告げて歩き出した。
志津の行いを考えれば当然の態度だが、人の好い蘭丸は申し訳ない気持ちになった。これがこの女の手管なのかも知れないと言う考えも頭になかった。
「あの…」
蘭丸の声で、志津は足を止め、振り返る。
「指、大丈夫ですか?」
蘭丸は布に巻かれた志津の人差し指に視線を送った。
「痛いわよ、とっても」
「……」
「ま、自業自得よね。いいのよ、あんたがこうして生きてるんだから」
「……感謝、しています」
志津が身を挺してくれなかったら、源太郎の腕の中には戻れなかった。
「ん…。まあさ、あたしが言えたことじゃないけど、簡単に命を投げ出すのは滑稽だわ。生きていれば、いいことだってあるし」
「そうですね」
蘭丸は悲しそうに笑った。
「志津殿は、源太郎様と似ている」
「何処が?」
「物の価値の見定めや、生き様や、あと、仕草が」
「そうかしら?」
「はい、同じ時間を過ごされた、それが分かります」
「そうね…、でも、そんなものは何の意味もないのよ」
「無意味、であると?」
「うん。だって、あたしは今、源太郎を愛していないし、源太郎はあんたを選んだでしょう?だから、そんなに妬くことないよ」
「…嘘」
「嘘じゃないよ」
「何故、あのようなことをなさったのですか?私が、どれだけ…」
「分からなくていいし、分かる必要もないよ。きっと、そんなあんただから、源太郎は好きなんだから」
志津は魅惑的に微笑んだ。蘭丸は、そんな志津から目を逸らしながら、源太郎が自分を鈍いと言いながら笑っていたのを思い出していた。
「…綺麗で、まっさらで羨ましいよ。でも、それじゃあ生きていけないよ」
「私の、何を美しいと思うのですか?」
「うーん、そうね…。肌、髪、瞳、唇、それから、声も」
「志津殿だって、お美しいですよ。そして、お強い」
「ふふ」
志津は無邪気に笑った。その表情は同年の少女のようで、蘭丸は不思議な気持ちになった。
山まであと少しの時、蘭丸が再び口を開いた。
「もう一つ、聞いても宜しいですか?」
「ん?」
「何故、源太郎様と、離れてしまったのですか?」
蘭丸は、真摯に志津を見詰めた。恋する女の目だ、と志津は思った。
「大人の都合でね、身を売らなきゃならなくなって…。一緒に逃げることも出来たわ。でも、巻き込みたくなかった。だから、捨てたの」
「……そうだったんですか」
蘭丸はまた黙った。沈黙が続き、凪いでいた風が二人の間をすり抜ける。何も語らず、二人はまた歩き出した。
勾配が急な山道を歩く頃、空は明るく日差しも暖くなっていた。志津は蘭丸が背負っていた籠を手に持った。
「蘭ちゃんは其処で休んでいて」
志津が大木の木陰を指差し、蘭丸を促した。蘭丸はどっしりとした幹に背中を預ける。
志津は道端の植物を物色し始めた。日が当たるこの場で育った薬草は、他のよりも栄養が豊富で、葉も瑞々しい。
じっくり、一刻半程かけて、選び抜いた植物は 籠一杯になった。
志津が蘭丸の元に戻ると、蘭丸は眠っていた。
「やっぱり、源太郎が寝かさなかったのね」
思わず口付けたくなるような愛らしい寝顔を、志津はただ、見詰めた。すると、蘭丸が目を開ける。
「志津殿、後ろ!」
蘭丸が叫んだとほぼ同時に、後ろから誰かに拘束された。大きな手で肩と腰を両腕ごと掴まれ、籠を落としてしまう。
「な、何!?」
見回すと、二人は四人の男たちに囲まれていた。
蘭丸がそっと懐に手を入れると、志津を拘束した男に咎められる。男は鉈を志津の首にあてがった。
「動いたら、殺す」
「お前も立て!」
蘭丸は背後の男に手首を掴まれた。志津は隙を見計らう蘭丸に目配せをする。
「ここはおれたちの土地だ!通行料を払え」
「金は持ち合わせてないんだ。体で払うわ」
「志津殿!」
志津の言葉に、蘭丸が声を荒げる。
「随分、物分かりがいいんだな」
「あたしを好きにしていいよ。ただ、あの子は許してあげて。まだ、子供でっ…」
志津の首筋に刃先が触れ、僅かに血が出た。
「志津殿!」
「いいか、嬢ちゃん、従わなかったら、姉ちゃんの命はねえ」
男は蘭丸に向かって言うと、志津の帯を切り落とし、着物を乱暴に開いた。白く豊かな胸が露わになる。
「貴様…!」
蘭丸の怒りは頂点に達した。しかし、刃先は常に志津に向けられ、手の出しようがない。体を震わす蘭丸の体を、背後の男が服の上から撫でた。
「よ、よせ!」
「子供ってのは本当みたいだな」
女だと疑っていない男は、平らな体を幼いせいだと思っていた。
「止めろ!」
蘭丸はそのおぞましさに体を必死にうねらすが、大男二人には適わず、頬を強く打たれた。服の中の侵入を許してしまい、二人がかりで上衣を剥がされる。
「お前…!」
男たちは、蘭丸の無駄肉のない肢体を見て唖然とした。蘭丸は咄嗟に、志津を見てみる。二人の男からの強姦の真っ最中だった。刃物は放り出されている。今だ、と蘭丸は背後の男の足を踏み、手を離された瞬間、前の男の股間を膝で蹴り上げた。強烈な痛みに失神し、倒れる男の間をくぐり抜け、落ちている鉈を拾う。志津の脚を持ち上げ、事に及ぼうとする男と、感触を楽しむ男の首を一振りで斬った。
志津の視界に、鮮血の飛沫が見えた。そして、眼前に虚ろな顔の男が倒れ込む。
「いやああああ!」
志津は、目の前の惨劇に、意識を失いそうになる。蘭丸が鉈を翳し、既に痛みを与えた男たちに向かおうとした瞬間、志津が足にしがみついて止めた。
「止めて、殺さないで!」
「この状況下に、何を言っているんです!?」
「何も、殺すことないじゃない!こんなの、ちょっと我慢すれば…」
幼い頃から、人の怪我や病気を治してきた父を見ていた志津は、殺生を赦せなかった。それがどんな人間であろうと。
「我慢…?」
瞬間、矢が勢い良く蘭丸の左胸を貫いた。蘭丸はふらりと倒れた。
足を踏まれた男が、弓を構えていた。
「蘭ちゃん!」
「あがっ…」
蘭丸は血を吐いた。近距離で射抜かれ、肩甲骨から斜めに矢が左胸から飛び出していた。心臓を傷付けたかも知れない。志津の頭は真っ白になった。
「よくも仲間を…」
男は蘭丸の体を蹴り飛ばした。細身な体は抵抗もなく、地面に転がった。男は血でべたべたになった鉈を拾った。
「止めて、お願い!」
志津は涙を流しながら男にしがみついた。男の足に、柔らかい感触が当たる。
「そうだな、あの世に送るのは、楽しんでからでいい」
ちらりと蘭丸を見ると、微動だにしていなかった。男は足に絡みつく志津を地面に押し付ける。
「動くなよ?動いたら、あいつに止めを刺す」
豊満な胸を乱暴に揉みしだき、間に顔を埋める。志津は抵抗を全くする気配がない。
男は適度な肉付きの志津の脚を持ち上げ、開いた。中心に顔を埋める。執拗に、特に上部の出っ張りを舐め回すと、じっとりと濡れだした。
「雌豚、淫売」
毎晩男に抱かれている志津は、どんな心境でも、体は反応してしまう。男は顔を離すと、潤った其処に指を埋め込んで乱暴に掻き回した。
「あ、ああ…!」
志津が痛みに耐えていると、男は立ち上がり、自分の下帯を外そうとした。
「ぐへっ…」
男は表情を固めたまま、志津の体に倒れ込んだ。背後には蘭丸が立っている。
「申し訳ありません、ですが、志津殿を守る約束を、果たしたかった…」
「ごめんなさい、あたし…」
蘭丸がふらりと倒れると、志津が受け止めた。
「油断した、私が悪いんです、どうか、泣かないで下さい」
蘭丸が苦し紛れに笑った。柔らかい輪郭に志津の涙が落ちる。
「あたしのこと、嫌いなのに…、そんなになってまで助けないでよ…」
「あなたを嫌いになれたら…。私は、嫉妬してただけです。源太郎様が、どんな形であれ、大切に…、ぐうっ」
蘭丸は、血を吐き、息を荒くした。
「ああ…!蘭ちゃん、あたしの体に、しがみついて」
志津は蘭丸を抱き寄せる。蘭丸は力弱く、志津の背中に腕をまわした。
「痛いけど、我慢してね。あたしに掴まってていいから」
志津は、矢を掴んで、力一杯引き抜く。
「く、あぁ…っ」
蘭丸は志津の背中に爪を立てた。
「あと、ちょっとだからね」
「あうっ…!」
矢を抜くと血が溢れ、蘭丸は気を失った。志津は蘭丸の着物を開いた。
「心臓は無事だわ…」
志津は、籠から薬草を選別して口に含んで噛み砕いた。苦い薬草で風穴を塞ぎ、死体から剥ぎ取った服で結びつけた。
(あなたは死なせない、絶対…!)
志津は、止まらない涙をごしごし手で拭い、辺りを見渡した。亡骸がニ体、気を失った男が二人。この二人が目覚めたら、追い掛け、自分達を殺すかも知れない。
志津は、赤黒い鉈を拾い上げて一身に振り下ろした。
赤に染まった自分の手に目もくれず、蘭丸を背負って山を下る。
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