妄想、愉悦。


弐拾伍


  


「うむ、この状態であれば、すぐに糸も抜ける」

 老人の医師は言った。触診の後、志津が拵えた薬を塗り、包帯を巻かれる。

「あと、いかほどで治るでしょうか」

「そうだな、長いこと飲まず食わずだったからのう、これからの経過しだいだが、十日は見た方がいい。左手はここから上に上げるな?」

「十日…」

 あと十日留まらなければならないのかと思うと辟易する。此処にはあの魅惑的な少年がいるのだ。

「それより腕だ。腫れも酷いし半月はかかるかのう」

 右腕に関節を曲げれぬよう板を添えて、包帯を括られる。

「半月も…?」

「お若いですから、栄養をちゃんととって安静にしていればじき良くなりますよ」

 蘭丸に着物を着せながら、唐八が気楽に言った。

「そうだ。昼食は出るから、残さず食べなさい」

「有難うございます。頂きます」

 診察が終わり、二人は廊下に繋がる障子を閉めて出て行った。





 一人になった蘭丸は、借り物の歴史書を読んでいた。幼い頃散々習ったが、何もしないよりは時間を潰せた。次第に飽きて、本を置いて横たわる。
 ここ数日、本当に色々なことがありすぎた。
 始まりは高熱によって信長の夢幻に縛られ、傷付いた源太郎に折檻されたことだった。その後のことは思い出したくないことばかりだ。蘭丸は源太郎の寝間着の浴衣を抱き締めた。今は源太郎だけのことを考えていようと瞼を閉じた。薄い障子から差し込む暖かい陽射しが心地いい。太陽と源太郎の匂いに寄り添った。
 その時、誰かが障子を開けた。

「あの、昼食、持ってきたよ」

 現れたのは盆を持った菊之助だった。蘭丸はすぐさま身を起こす。

「うっ」

「大丈夫!?」

 左肩に力を入れてしまい、蘭丸は体を強ばらせた。菊之助は盆を置き、蘭丸を支えながら起こしてやる。

「これじゃ食べられないね」

 菊之助は茶碗と匙を持って、匙で粥を掬い、蘭丸の口元に近付けた。

「一人で食べられます」

「だって、左は上がらないし、右は曲げられないでしょう?」

 そう言いながら、菊之助は傷付いた顔をした。長い睫が影を落とす。

「乱太郎さん…、おれのこと嫌い?」

「私は、嫌う程、貴方を知っておりません」

 蘭丸は、この言葉に偽りはあるのかと自問しながら、言葉を探す菊之助を眺めた。
 いくらか面長で繊細な輪郭や、流れる瞳、高く通った鼻、赤く厚みのある唇。その整った顔立ちもさることながら、肩にかかる褐色がかった艶ややかな髪や、不思議な程白い肌は美しさをより際立たせた。体つきは程良くふくよかで、蘭丸にはない柔らかさを持っている。

「…そんなに円らな目で見ないでよ」

 菊之助は照れ臭そうに言う。

「おれの顔に何かついてる?」

「い、いえ…」

 蘭丸は視線をずらした。薄い生地から、畳んだむっちりとした脚が僅かに透けている。蘭丸は、源太郎に絡みつく脚を思い出していた。

「おれは菊之助。年は、十と六。何日か前から、此処で世話になってる」

「私は…」

「知ってるよ。乱太郎さんでしょ?年はおれより一つ上だっけ。源太郎さんとは兄弟ってことになってるんだよね。ねえ、食べて。乱太郎さんのお世話をするの、おれの役目なんだ。ほら、この野菜、源太郎さんが穫ってきたんだよ」

 まだ匙と茶碗は口元にある。蘭丸は根負けして、匙の粥を啜った。

「美味しい?」

 粥には細かく刻まれた野菜が混ぜ込まれ、優しい味がした。

「はい」

「良かった。はい、どうぞ」

「あつ…!」

 湯気が立つ粥が蘭丸の唇に当たった。蘭丸は顔を背けた。

「ごめん、大丈夫!?」

「は、はい…」

「良く見せて、火傷してるかも知れない」

 菊之助は茶碗を置き、蘭丸の顔を両手で持って、綺麗な顔を近付けてきた。

「少しだけ、赤くなっちゃってる」

 菊之助は蘭丸の下唇を一舐めした。一瞬のことで、蘭丸は避けることも出来ずに、驚いて目を見開いた。

「今度はちゃんと冷ますから」

 菊之助はそんな蘭丸の様子を気にするでもなく、息を吹きかけ冷まし、蘭丸の口元に匙を寄せた。
 唇に舌で触れることなど、菊之助にとっては患部に薬を塗る手当てと同じことなのだろうか。蘭丸は微かな痛みと舌の感触を唇に残しながら、程良く温かい粥を口に含んだ。
 菊之助は、少しずつ粥を掬い、息を吹きかけ蘭丸の口へ運んだ。ゆっくりと丁寧に。

「ちゃんと食べたね。次は薬だよ」

 食事を終えると、菊之助は擂り鉢で薬草を擂って、水で溶いている。

「少し苦いけど、飲んで」

 作った水薬が入った茶碗を蘭丸の口に付けて、そっと傾ける。蘭丸は苦い液体を飲み込みながら横目で菊之助を見た。菊之助の眼差しは、直向きで蘭丸を案じているようだった。

「これ飲むと、眠くなるみたいだから、暫く休んでるといいよ」

 口の端を清潔な布で拭き取ってくれながら菊之助は言った。

「はい。有難う御座います」

 蘭丸は声に 何の感情も込めずに返した。菊之助は蘭丸をじっと見詰めた。その目は幾らか潤んでいるように見える。

「…まだ、何かご用ですか?」

「…違うよ、おれ、乱太郎さんに謝りたかったんだ」

「……」

 菊之助は眉間に皺を寄せた。

「げんさんは悪くない、誘ったのは、おれなんだ」

 蘭丸は何も答えない。そう、源太郎は悪くない。悪いのは、長い間眠り続けて、源太郎を悲しませた自分だ。

「お顔を上げて下さい、私は、源太郎様を信じております」

「う、うん、源太郎さんはね、乱太郎さんをとても、想っているよ。おれ、乱太郎さんの身代わりになろうと思った、だけど、駄目だったんだ、違うって…」

 菊之助はじんわり涙を浮かべた。すぐさま手の甲で擦り、拭う。

「ご、ごめん。それだけなんだ」

「何故、泣くのですか?」

「羨ましかったんだ、あんたたちの絆が…。おれにもいた、大事な人が。だけど…」

 蘭丸は無意識に冷たい指先で菊之助の涙を掬っていた。

「失ったのですか?」

 菊之助は頷いた。

「おれ、浅ましいから、すぐに欲しくなるんだ…」

 胸が締め付けられたように痛む。しかし、この痛みは傷や包帯のせいではない。

「浅ましいなど…、私、貴方の気持ち、分かります…。源太郎様は譲れません、ですが、この涙を拭っても良いですか?」

 蘭丸は菊之助の頬に触れ、帷子の裾で涙を払った。しかし、菊之助の涙は止まらない。

「失礼します…」

 蘭丸は菊之助の首に手を当て、そっと引き寄せた。

「乱太郎さん…」

 肩の痛みで腕に力が入らない。菊之助が自ら蘭丸の体にもたれてきた。蘭丸は腕を菊之助の背中にまわした。

「今だけは、私が貴方の涙を受け止めます」

「うっ…、あんたたち、ほんとに人が好いね…」

 憎まれ口を叩いても、温かい雫は蘭丸の腹部に滴り落ちた。涙の染みが広がる。
 信長を失い、窮地を救ってくれた源太郎は蘭丸の涙を受け止めてくれた。その時、痛い程分かった。人の体温が、どれほど癒しになるのか。

「ごめん、寝間着、汚しちゃったね」

 一頻り泣くと、菊之助が顔を上げた。蘭丸は首を横に振る。

「汚れなどではありません、これは、貴方が辛さに耐え抜いた証です」

「有難う、乱太郎さん」

「わっ」

 菊之助は前屈みで蘭丸に抱きつき、細腰に腕を巻き、顔を胸に擦りつけた。はだけた帷子から覗く素肌 に、菊之助の頬が密着する。蘭丸が固まっていると、菊之助が見上げた。

「こんなに愛らしくて、綺麗で、優しくて…。源太郎さんが羨ましい」

「私は優しくなど…、それに、貴方の方が綺麗ですよ」

 殆ど好みの問題だろうが、自分にない魅力を持った菊之助を蘭丸が羨む気持ちもあっての言葉だった。

「そう控え目なのが、可愛い」

 菊之助は蘭丸を解放し、あどけなく笑う。蘭丸は、曖昧に笑顔を返した。
 菊之助は、その豊かな表情一つで人々を魅了してしまうだろう。嫉妬心が薄れてゆくのに、菊之助の魅力を知る程、蘭丸は不安を募らせた。




 薬の作用で、蘭丸は眠っていた。

「はっ、あ、は…」

 苦しげな息遣いに蘭丸は目を覚ました。体に負担にならないよう、身を起こす。

「…菊殿?」

「っ…、はあ、はあ、はあっ」

 どんどん激しさが増している。まさか気管支でも患っているのだろうか。蘭丸は慌てて襖を開けた。

「どうなさいました!?」

 蘭丸は開けた襖をすぐさま閉めた。

「し、失礼仕りました!!!」

 蘭丸は走って部屋を飛び出した。廊下から出て、表まで直走る。

「あ痛っ」

 濡れ縁から滑って尻餅を付いた。まだ回復もしていないのに全力疾走したものだから、脚ががたがた震えている。鼓動は高鳴り、立ち上がる余力もない。蘭丸は、尻餅を着いた場でしゃがみ込んだ。一刻半は眠っていたらしく、既に日は落ち掛けている。
 蘭丸の頬がかあっと赤くなる。襖の向こうで、菊之助は自分を慰めていた。自分の後孔に指を埋め込み、一心不乱に弄っていた。蘭丸に気付いていたかは分からない。剥き出しの円やかな尻や、しなやかな脚、指に垂れた雫。その淫靡な姿を、一瞬にして目に焼き付けてしまった。
 蘭丸は、その姿を振り払おうと目を固く閉じる。しかし、視界を遮断すれば瞼の裏に強烈な痴態が浮かび上がってしまう。
 菊之助は泣いていた。体に与えられる快楽で、失った大切な人を反芻しているのだろうと思うと、切なくなった。

「お蘭!」

 悶々としていると、いつの間にやら源太郎が帰ってきた。源太郎は荷物を放り投げ、蘭丸を抱き上げる。

「源太郎様、お帰りなさいませ」

「服も泥だらけだ…、こげんとこで何してるだ」

「暖かかったので、日を浴びようとしたら、縁台から落ちてしまって…」

 蘭丸は咄嗟に嘘を吐いた。

「怪我、してないか」

「はい。少し腰を打っただけです」

「良かっただ」

 源太郎は微笑むと蘭丸を濡れ縁に座らせた。放った荷物を拾い、蘭丸の隣に腰掛け、優しく微笑んだ。

「源太郎様、蘭は、体を清めたい。共に湯浴みをしましよう?」

「駄目だ、傷が治るまでは…。おらが体を拭いてやる」

「頭が痒いので、髪も洗いたいです」

「もう寒いから駄目だ。明日の昼にでも、唐八か志津に頼んでおくだ。腹減っただ、飯にしよう」

「…蘭は、夕餉はいりません。寝てばかりで、お腹も減りませんし」

「どうしてだ?食べなきゃ、傷が早く治らないだ」

「……」

「おらが喰わしてやる」

 源太郎は籠から大根を取り出し、服で擦って頭の方をかじる。小さい欠片を蘭丸の口に入れた。蘭丸はしゃりしゃりと噛んで呑み込む。

「どうだ?」

「甘いです」

「だろ?おらが旨い飯作ってやるだ。だから、食べろ」

「はい」

「いい子だ」

 源太郎は蘭丸を抱き寄せる。この瞬間、この場には自分と源太郎しかいないと信じていた蘭丸は、首を伸ばして無精髭の生えた顎を噛んだ。源太郎が見下ろすと、蘭丸は唇に口付け、丁寧に口内を舐める。そして、舌を絡め、わざと音を立てて啄んだ。
 源太郎の下肢が膨らみ始めた頃に、唇を離す。上気した源太郎を見詰めながら、蘭丸は悪戯に微笑んだ。

「源太郎様、蘭に、源太郎様の熱を…」

「え、だけんど…」

「させて下さい」

 蘭丸の体を気遣うなら、ここは耐えるべきだ。だが、源太郎は自分に負けた。蘭丸を座らせたまま、自分は立ち、向かい合って下衣を下ろし、下帯を解いた。
 蘭丸は、久しく見た源太郎の大きな一物に、愛おしそうに視線を送ってから、舌を伸ばす。





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