参拾
ぶるりと生理的な身震いがした蘭丸は源太郎の腕の中で目覚めた。どうやら真夜中らしい。
布団から出ようとしても、下半身に力が入らない。腰は中々立とうとせず、何度も子種を精製した箇所は鈍い痛みが纏わりついた。源太郎と物置でまぐわった後の記憶がない。また自分が堕ちてしまったらしい。あの状況で、源太郎はどう対処したのだろうか。
「…ん、しょ…」
布団からもぞもぞ体を出して、はみ出した源太郎の腕を布団の中に戻す。
源太郎を起こすのは申し訳ない。蘭丸はどうにか壁に肩を寄せて立ち上がり、ふらつく体で部屋を出た。
思うように体が動かない。
(ひい、ふう、みい…)
源太郎と交わった回数を、上がらない左手で、指折りに数える。源太郎の激しさと、自分の多淫さに、つい赤面してしまった。
「どうしたの?」
物音もなく近付いた菊之助が背後から声をかけた。吃驚した蘭丸は、折った指を咄嗟に隠す。
「菊殿、起こしてしまいましたか?」
「ううん。月見酒、してた」
菊之助は濡れ縁の盆を指差した。
「菊殿、朝お早いのに…」
「酒がないと眠れないんだ。こんな日はさ」
「…こんな日?」
「うん、淋しい夜。乱太郎さんは?」
「私は、小用を…」
「ああ、不自由だから辛いよね。しと筒持ってくる」
「結構です。自分で出来ます」
「恥ずかしがらないで、病人なんだから」
「そんなこと申されましても…」
恥ずかしくない訳がない。蘭丸が困った顔をしていると、菊之助は蘭丸を抱き上げた。
「じゃあ、厠までお運びしますよ?」
「も、申し訳ありません…」
養生所の厠は離れにある。菊之助は蘭丸を外まで運び、草履を履かせてくれた。個室の厠で用を済ませると、菊之助は手拭きを手渡してくれる。
「何から何まで、申し訳ありません」
「いいよ。ねえ、お腹減らない?」
「あまり」
「そう。けど、ご飯食べる前に寝ちゃったし、夜の薬も飲んでないし、食べる?」
「いいえ」
「駄目だよ、食べなくちゃ。おれ、作ってくる」
「本当に大丈夫ですから」
「そう。じゃあ、薬だけ、作ってくる」
菊之助は蘭丸を縁側に運ぶと、台所へ行ってしまった。
出来ればあの薬は飲みたくない。飲んだらきっとまた、朝源太郎が目覚める前に寝付いてしまう。しかし、そう言った所で我儘としか捉えられないだろう。
菊之助がいつもの薬草汁を持ってきた。
「さあ、苦いけど、飲んで」
蘭丸は喉越しの悪い液体を飲み込んだ。
「何度飲んでも慣れません」
「良薬口に苦しだよ。乱太郎さん、ほんとに元気になったしね」
「これを飲むと、すぐに眠くなってしまって」
「一日の半分は寝てるもんね。怪我して何も出来ないんなら、寝てた方がいいさ」
「そうですね」
「さ、部屋へ戻ろう。運んであげる」
「いいえ。眠くなるまでは、菊殿の隣にいます」
「有難う」
菊之助が優しい目をして笑った。それを見ると、蘭丸は無性に悲しくなった。会話が止まり、菊之助は酒を口に運んだ。蘭丸はうつむき加減で言葉を繋ぐ。
「先はご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
「厠のこと?」
「いいえ。包帯、巻き直して頂いて」
「巻いたのは唐八さんだよ」
「ええ!?」
蘭丸は顔を赤くして更に俯いた。帷子や包帯には体液が付着してあった。それは隠せても、体には無数の口付けの痕が残っているのだ。
「きっと、私達の関係をお気付きに…」
「どうだかね。あの人、大分晩生みたいだから。そのものの意味すら知らないんじゃない?」
「…そうでしょうか?」
「気にすることないさ。別に、知られたってそんな困ることでもないし」
「…源太郎様が、唐八殿に叱られてしまいます」
「もう叱られてたよ」
「ああ…」
蘭丸は嘆き、首を真下に向けた。両手が自由ならば、その頭を抱えていたことだろう。菊之助はそんな蘭丸を見てくつくつと笑った。
「菊殿、もう、淋しくはないですか?」
「ううん、淋しい。まだ戻らないで」
「はい、傍におります」
「乱太郎さんは優しいね、おれ、あんなことしたのに」
「私こそ、菊殿には失礼なことを…」
「ふふ」
「何が可笑しいのですか?」
「いや、源太郎さんも大変だなって思ってさ。乱太郎さんみたいにお人好しだと、気が気じゃないだろうね」
「…あ」
蘭丸は前に言われた源太郎の言葉の意味をやっと理解した。
「言われたことがあります、源太郎様に。自分以外の者に付け込まれるな、と」
「ふぅん…、いいの?こんなとこで一緒にいて」
「はい。菊殿は、私にとっても大切な方ですから。私が此処にいたいから、そうしているだけです」
「大切…?」
「はい」
「でも乱太郎さんは傷が治ったら、此処からいなくなるでしょう?」
菊之助の声が湿り始めた。表情が曇り、美しい笑みを浮かべていた唇を噛みしめている。
「それは、そうですけど、離れていても、大切なことには変わりありません」
「でも、駄目なんだ、おれは、近くに温もりがないと、駄目なんだ!」
菊之助は声を張り上げながら、杯を乱暴に盆に置いた。手が当たり、酒の瓶が倒れた。
「菊殿…、酔っておられるのですか?もう、止めた方が…」
「酔ってなんかいない!」
菊之助は蘭丸の体を押し倒し、小さな胸に熱っぽい顔を押し付けた。
「痛…」
背の傷が床に押し当てられた。昼の時は掌で優しく庇ってくれていたのに。菊之助の感情の揺らぎが伝わった。
「助けてよ、おれ、淫乱で、どうしょうもないんだ…。こんなに求めているのに、あの人はもういない…」
「菊殿…」
泣いているのだろうか。蘭丸は出来る限りの力で菊之助の体を抱き締めた。熱い息や体温が包帯越しに伝わる。背中や胸の傷がずきずき痛む。
「菊殿…、どうかご自分をお責めにならないで下さい。貴方の大切な方が、悲しみます」
死にかけ、一時の逢瀬で、蘭丸は信長の想いの深さを知った。蘭丸は菊之助の前髪を撫でつけながら続ける。
「その方は、菊殿の幸せを誰よりも願っています。だって、菊殿はお綺麗で、お優しくて…、その方が誇らない筈はありません」
菊之助は微かな震えが止まると、蘭丸の胸に置いた手をぎゅっと握る。
「痛あ!」
蘭丸の傷を引っ掻くように、指先を包帯に埋めていた。菊之助はむくりと顔を上げる。涙で濡れた瞳や、乱れた前髪や襟元。背に月明かりを受けながら見下ろす菊之助は、恐ろしい程に美しかった。
「大切と言うなら、示してよ」
「え…?」
「分かってる癖に」
菊之助は帯を外し、着物を脱ぎ落とした。下帯も足袋もなく、生まれたままの姿になる。おのこにしては柔らかそうな、中性的な肢体が逆光でより艶やかに映った。
「やはり、菊殿はお美しい」
蘭丸は笑顔を向けた。
(大丈夫、覚悟は出来た)
菊之助は、同じ痛みを持つ、蘭丸の初めてで唯一の友だ。蘭丸は友情を守りたかった。その、覚悟。
蘭丸は、目を閉じて柔らかな唇に、そっと口付ける。菊之助が自ら口を開くと、蘭丸は角度を変えて啄んだ。
蘭丸の可憐な唇が、菊之助の艶やかな唇を包み、正確な律動で水音を奏でた。次第に、その音は二つに重なり、不規則に鳴る。二人は貪り合うように互いの唇を吸った。
「は、はあ…」
唇を離した時、蘭丸は息が上がっていた。菊之助はちっとも苦しそうじゃない。蘭丸は、自分の頼りなさについ笑ってしまった。
「菊殿…、ご覧の通り、私は、菊殿のように…その、上手くありません。こんな私で宜しいですか?」
蘭丸が菊之助を抱き寄せ、呼吸を整えていると、菊之助が抱き返し、可愛い声で返した。
「見せて…、乱太郎さんの、総てを…」
(源太郎様…、これが、蘭の選んだ友情です)
蘭丸は心の中で主の名を呼びながら、源太郎の言葉を反芻した。
(大切にします)
蘭丸は、菊之助に顔を近付け、頷いた。
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