妄想、愉悦。


参拾陸


  


 受け取った最初の感覚は頭の鈍い痛み。その後、苦しさを感じて息を吸う。

「…ん…」

 呼吸の後に何かで口を塞がれた。柔らかいものが口内に入り込んで、歯をこじ開けられる。顎を掴まれて、拒むことが出来ずになすがままになってしまった。

(源太郎様?)

 接吻されているのは分かった。蘭丸は重たい瞼をゆっくり開く。近すぎて顔が見えない。
 舌の運びが源太郎のそれとは違う。一旦顔が離れて、角度を変えてまた唇が塞がれた。その時、刹那に視界を過ぎったのは、源太郎の優しい形の目ではなかった。少し鋭い、深い目。蘭丸は、この目に見覚えがあった。

(信長様…?)

 長い睫が触れ合いそうになりながら、ますます口付けは深くなった。
 何故信長がいるのだろう。夢か、幻か。
 唇が離れ、蘭丸は薄目で見慣れたくすんだ天井を見た。これは現実なのだろうか。そんなことをぼんやり思っていると、肌に舌が這い、ぴくりと跳ねてしまう。けれどそれ以上に瞼が重くて、意識がゆっくり剥がれていった。

「あ」

 弱い箇所をそっと噛まれて、声が漏れてしまった。小鳥の囀りのような吸引音が静かな部屋に響く。
 舐られながら、ざらついた掌で肌を撫でられ、力の入らない足を開かれた。心地良い快楽が眠気を呼び、されるがままの蘭丸は再び意識を落とした。

「痛っ…!」

 すぐさま意識を拾い上げられ、蘭丸は目を開けた。体を組み敷かれ、後孔を無理矢理こじ開けるように熱いものが押しつけられている。
 一気に現実に戻り、状況に驚愕する。夢でも幻でもないならこの人は誰なのだろう。

「力を抜け、入らない」

 低い声。その冷たさに、背筋が凍った。

「お前は…!」

 残酷に微笑んでいるこの顔には見覚えがある。菊之助の部屋で見た男だった。眠りこけていたとは言え、信長と見間違えてしまった。蘭丸が動揺していると、男は腰を進めた。

「うぁっ」

 蘭丸は痛みに腰を引く。逃れようと体をずらすと、男は剥き出しの胸に指を突き立てた。

「ああー!」

 蘭丸の悲鳴が部屋中に響き、男は掌で口を塞いだ。それでも蘭丸は抵抗を止めずにいると、男は更に閉じかかった傷口に爪先をうずめた。痛みで声はくぐもり、涙が溢れてくる。

「いいか?痛いのが嫌なら大人しくしていろ。すぐに終わる」

 蘭丸の声が掠れ、小さくなると、男は肩を押さえつけ、脚を持ち上げ、未だ昂っている自身を小さな蕾に添えた。
 新たな痛みにまた蘭丸は眉間に皺を寄せた。

「力抜けよ」

 億劫そうに言った時、慌ただしい足音が聞こえた。はっと顔を上げると、ぴしゃりと廊下に繋がる障子が外れそうな勢いで開いた。
 開いたのは悲鳴を聞き、駆けつけた唐八だった。

「あんた…、一体何してるんですか!?」

 唐八は男を突き飛ばして、蘭丸を庇うように二人の間に入った。

「誘ったのはそっちだ」

「嘘だ!お前は無理矢理私を…」

 唐八に体を支えられながら蘭丸は言い返した。男は鼻で笑う。

「舐めてやったら喜んでたじゃねえか、淫乱」

 蘭丸の頬がかっと赤く染まった。悔しくて恥ずかしくて濡れた唇を噛んで震えていると、隣の唐八が言葉を返した。

「早く出て行って下さい、人を呼びますよ!」

 男は菊之助の部屋から自分の着物を持って沃さと出て行った。

「大丈夫かい?」

 唐八が声をかけると、蘭丸は表情を崩さないようにして頷いた。

「あの人、少し前に養生所に通っていた人だ。一体何故…」

 唐八はどうやら隣の部屋で行われていたことには気付いていないようだった。
 いつも綺麗な菊之助の部屋は無造作に乱れた布団が敷きっぱなしにされていた。それを見て、蘭丸はとてもいたたまれない気持ちになった。

「分かりません。目が覚めたら、あのように組み敷かれていて、それで…」

 体の震えが止まらない。唐八が来なければ、あのまま陵辱されていたに違いない。

「血が…!」

 蘭丸は自分の体を見下ろした。包帯も貼り薬も全てはぎ取られ、痛々しい傷口が開いて血が滴っていた。それだけではなく、下帯までも解かれ、体の至る箇所が唾液で濡れていた。

「これで止血して、今、道具を持ってくるよ」

「唐八殿、先に体を拭きたいです。沢山舐められて…」

「分かった。すぐに拭いてあげるから」

 唐八はすぐに蒸した手拭いと包帯と薬草を持って来た。
 手早く体を拭き、傷の手当てをしてくれた。

「傷も浅いから、縫い直さなくても大丈夫だね」

「何から何まで、申し訳ありません」

 蘭丸はどうにか涙を堪えながら答えた。体の震えは止まっても、恐怖や羞恥や自己嫌悪が押し寄せ、少しでも緩めたら泣いてしまいそうだった。

「気にしないで、これが仕事なんだから」

 唐八の優しい笑顔を見ていたら、また感情がこみ上げてきた。

「怖かったんだね。もう大丈夫だよ」

 唐八は蘭丸を寝るように促した。仰向けになると、目尻の濡れた箇所を唐八は指先でそっとなぞる。

「唐八殿、どうかこのことは誰にも仰らないで下さい」

 蘭丸が懇願すると、唐八は困った顔をした。

「そうはいかないよ。僕達はね、君の兄さんから、君を預かっているんだ。こんなことがあったのも、僕らの責任だ」

「唐八殿のせいではありません、私はこの通り無事です。…兄上にも、菊殿にも心配かけたくないのです」

「でもね、今日大丈夫だとしても、これから何もないって保証はない。今は君達しかいないけど、他の誰かを預かった時、何かあったらどうするの?」

 唐八の言い分は尤もだった。自分が同じ立場なら、同じことを言うだろう。それは分かる。

「私は、兄上には沢山迷惑を掛けて、傷付けてしまって…」

 言葉が途切れると、唐八は仕方無さそうにため息をついた。

「分かった。げんさんには言わないでおくよ」

「本当ですか?」

「だから、安心してお休み」

 唐八は蘭丸の肩まで布団を掛けて、額の髪を撫でてくれた。
 働き者の唐八の手は少々荒れているが、器用そうな細長い美しい指をしている。
 優しい手。傷を癒やし、病人を介抱し、源太郎と同じ、清らかな温もりがある。あの男の掌の体温とは全く違う。

(源太郎様…)

 早く、源太郎に会いたい。この穢らわしい感触を拭い払ってしまいたい。
 蘭丸はゆっくり目を閉じた。一雫目尻から涙が落ちる。唐八はそれを拭って、寝息を確認して部屋を出た。





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