妄想、愉悦。


参拾玖


  


 障子の向こうの先から雨戸が開き、朝日が差し込む。源太郎は目を開けた。腕の中の蘭丸の寝顔を確認する。静かな寝息と穏やかな表情に安堵した。そっと腕を抜き取り、枕に頭を預けて布団から出た。

 井戸水を汲んで手と顔を洗い、台所へ向かう。既に、唐八は朝餉の準備をしていた。

「お早う」

「お早うございます。よく眠れましたか?」

 調理台の洗ったままの野菜を手に取る。

「ああ。これ、皮剥いていいだか?」

「ええ。有難う御座います」

 源太郎は根菜の皮をするする剥いた。

「げんさんは手際が良くて上手だから、とても助かっています」

「おら、これぐらいしか出来ねえし」

 しばし無言のまま手を動かす。切った野菜をぐらぐらと煮立つ鍋に移した。
 ここへ来てから、もう半月が過ぎた。
 自分が出ている間、蘭丸はどんな風に過ごしているのだろうか。色々あったとは言え、ここのところ寂しさや不安ばかり吐露するようになったが、昨夜あんなに心を乱したのは、何かきっと理由がある。二人でいたいと泣いていた蘭丸の姿が胸に重たくのしかかる。叶えられるだろうか。
 それに唐八も先生も快く置いてくれてはいるが、何時までも厄介になる訳にはいかない。

「金が欲しい」

「え?」

「金が欲しい、当面の旅の資金が欲しいだよ。なあ、何かあてはないだか?」

「こんなしがない町医者の僕にあると思いますか?」

「……」

「げんさん、急ぐことないじゃないですか。乱太郎君が回復してから、ゆっくり考えれば」

「有難う。でも…」

 唐八の気遣いは嬉しいが、蘭丸の涙を思い出すと、言葉が紡げなくなる。
 火を仰ぐ為の扇を渡され、源太郎は無言で受け取り、薪をくべて火を調節する。

「ちょっと火、強すぎますよ」

「え、あ!?」

 源太郎は慌てて火かき棒を挿して掻き回した。焼けた薪が転がり、源太郎の足を焼いた。

「げんさん!」

 唐八はすぐさま水を掛け、源太郎を座敷に促した。

「こっちへ来て下さい」

「あ、つ…!」

 唐八に腕を引っ張られ、火傷した足が追い付かず、もつれて転んでしまった。

「げんさん、大丈夫ですか!?菊之助、菊之助、来てくれー!」

「大丈夫だ、おら、立てるよ」

「無理しないで下さい」

 源太郎は片足で立ち上がり、火傷の足を庇いながら座敷へ進んだ。

「どうしたの!?」

 唐八の声を聞きつけて、菊之助はすぐにやって来た。

「げんさんが怪我したんだ」

「分かった」

 菊之助はひょいと源太郎を抱え上げた。唐突な出来事に、源太郎は目を丸くする。

「お菊、おら歩けるだよ」

「何言ってるの。足、真っ赤じゃない」

 菊之助の体は、肉付きが良くも骨格は華奢なため、当然源太郎より小柄で、背も大分低い。そんな者に抱き上げられるのも抵抗があるのだが、たおやかな外見と相反した腕力に、源太郎は固まってしまった。蘭丸にも軽々と背負われたことがある。菊之助も蘭丸のように鍛えているのだろうか。
 診察部屋まで運ばれると、診察用の寝台におろされた。ふいに菊之助の二の腕を掴んでみる。細くもないが特別太い訳でもなく、柔らかい肌に指が沈み込んだ。

「もう、手当ての邪魔しないでよ」

 菊之助は腕を振り払った。唐八が持ってきた冷水を張った桶に足を入れて傷をじっくり視診している。

「大きい水膨れが出来てるね。潰しちゃ駄目だよ?」

「ああ」

「暫くこのままでいてね」

「そげん、ゆっくりしてらんねえよ」

「駄目だよ。しっかり手当てしないと、化膿でもしたらどうするの?」

 水が温くなると氷を追加して、盥に入れた。四半刻程経ち、菊之助は源太郎の足が冷え切ったのを見計らって桶から出して、手拭いで優しく足を包んだ。その足をしゃがんだ自分の腿の上に載せ、小さな葉を手で揉んでから患部に当てる。

「手慣れてるな」

「まあね」

 くるくる包帯を巻く。

「お菊は医者だったか?」

「簡単な手当てしか出来ないよ。此処で世話になるならこれくらい出来ないとね。包帯、少しきつく巻いておくよ」

 包帯を結んで源太郎の足に草履を履かせる。

「肌の回復を妨げるから、こっちの足は使わないようにして。おれの肩、貸すよ」

「ああ。有難う」

「うん。あ、朝ご飯、食べよう」

 いつものように、三人でいつもより遅めの食卓を囲んだ。唐八が一人で作った朝餉を源太郎はいそいそと食べる。

「げんさん、そんなに慌てて食べたら体に毒ですよ。ゆっくり食べて、今日は休んで下さい」

「そうだよ、ゆっくり食べなきゃ」

「大丈夫、大した怪我じゃねえし…」

 源太郎は水で食事を流し込んで茶碗を片付けた。

「もう行くの?」

「ああ」

 源太郎は立ち上がる。足が痛んで、体重をかけられない。

「ほら、痛いんでしょう?肩貸すから、部屋に戻ろう?」

 菊之助は源太郎の肩を担いだ。思いの外強い力でひっぱられる。

「いいだよ、お菊」

「良くない。そんな足で働いて、悪化させる方がよっぽど迷惑だよ」

「菊之助、そんな言い方はないだろう?」

 菊之助の物言いに、唐八が口を挟んだ。菊之助は激しい口調で返した。

「言わなきゃ分かんないんだよ、それに、今日はどうせ雨だ」

「え…?」

 今日も朝日が眩しく、青空が広がっていた。

「百姓なのに空も読めないの?降るよ、もうすぐね」

 源太郎は半ば強引に、蘭丸の眠る部屋に連れ返された。一刻も経たない頃、菊之助の予言通りに雨が降り始めた。








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