妄想、愉悦。


肆拾参


  


 先に目覚めたのは蘭丸だった。身を寄せ合うような体制で眠っていた。源太郎と違う感触と匂いに戸惑い顔を上げると、あどけない寝顔が間近にあった。

(菊殿…)

 涙の跡は消え、安らかな表情に、蘭丸は安心した。
 起こさないように慎重に布団からから出て、音を立てないように障子を開く。雨戸の隙間に漏れる光りが明るく、空気がひんやりしていた。
 表へ出て井戸水を汲んで顔を洗っていると、唐八が眠たそうな面持ちでやって来た。

「お早うございます」

「お早う。随分早いね」

「昨夜は薬を飲まなかったので、目覚めが良いです」

 蘭丸が水の桶を差し出すと、唐八は顔を洗い、寝癖を濡らして撫でつけた。

「そうか。君も、そんな風に笑うんだね」

 唐八の言葉で、蘭丸はふと気付いた。今まで、ここの人達には、病人としての自分しか見せていなかった。

「これから朝食を作るのですか?」

「そうだよ」

「私がお手伝いしても宜しいですか?」

「いいよ、君は患者なんだから」

「右手は使えませんが、それ以外は大丈夫です。お役に立てないかも知れませんが、邪魔にならないよう努めます」

「いいんだよ、そんなに気にしなくて」

「あの…、毎日、ずっと寝ていたもので、退屈で…」

 気遣い故に、蘭丸の申し出を断られるのがもどかしく、蘭丸は本心を打ち明けた。唐八は爽やかな笑顔を向ける。

「なら、手伝って貰おうかな」

「はい!」

 唐八に付いて勝手口から入る。台所に足を踏み入れたのは初めてかも知れない。
 利き手が使えないため、こなせる作業は限られているが、蘭丸は仕事を与えられたことが嬉しかった。

 殆ど唐八が作った料理を皿に盛り付けていると、菊之助が慌ただしく勝手口を開けた。

「唐八さん…!」

 血相を変えていた菊之助は、蘭丸と目が合うと、大きく息を吐く。まだ寝巻き姿で、髪も襟も乱れていた。起き抜けのまま蘭丸を探し回ったようだ。

「もう、駄目じゃない。抜け出したりしたら。あなたは病人なんだよ?」

「私は大丈夫です。唐八殿に許可を頂きました」

「…そう」

 不満気に菊之助は素っ気なく背を向けてしまった。

「これ、持って行くから」

「有難うございます」

 菊之助は振り返らず、料理ののった膳を運んで行った。
 普段、食事の際は菊之助が喋って場の空気を明るくしていたが、今日は殆ど喋らず、無表情のまま朝餉を口に運んでいた。
 気に障ることをしてしまったのだろうか。もしかすると、菊之助の仕事を取ってしまったことを怒っているのかも知れない。蘭丸は、確かめる為に食事を終えると菊之助の足取りを追った。

「菊殿」

 井戸端でしゃがんで皿洗いを始めた菊之助に声をかける。

「何?」

 菊之助は振り返らない。

「皿洗いでしたら、私でも出来ます。菊殿は、養生所で唐八殿のお手伝いを…」

「いいよ。おれの仕事なんだから」

「けれど」

「いいの!」

 菊之助はすくっと立ち上がって、蘭丸に向き直る。

「乱太郎さんは患者だから、休んで養生するのが仕事なの!だけど、おれは身寄りがなくて縁もないのにここに置いて貰ってるの!働かなくちゃいけないんだ」

 一気にまくし立てる。

「されど、菊殿は毎日よく働いております。私が出来ることがあれば、負担を減らせるかと思います」

「迷惑だから、そう言うの」

「あっ」

 菊之助に勢い良く肩を押され、尻餅をついてしまった。
 菊之助は洗い途中の皿が入った盥を持って、屋内へ戻ってしまった。

「……」

 蘭丸はゆっくり立ち上がって、体に付いた芝を片手で払った。
 昨夜の菊之助と随分態度が違う。戸惑うものの、怒鳴る姿が子供のようで、あまり怒りや悲しみが湧いて来なかった。





 菊之助は昼食時も機嫌が悪く、結局、蘭丸は午後は何もせず、ぼんやりと縁側で佇んでいた。
 程なくして、仕事の合間を縫って志津がやって来た。蘭丸が寝ている時にも、よく顔を出しては独自の調合薬を持って来てくれることは聞いていたが、直接顔を合わせるのは目覚めた日以来だった。初めのうちは宿で貰う小遣い程度の小銭も持って来ていたようだが、それは源太郎が断ったらしい。
 志津は蘭丸の姿を見つけると、小走りでやって来て、蘭丸の隣に座った。

「良かった。随分、回復したのね。顔色もいいし」

「はい。皆様の…、志津殿のお陰です」

「そう。あ、これ」

 志津は両手一杯の包みを出し、蘭丸の膝に置いた。温かく、大きさの割に重たい。

「開けてみて」

 結び目をひらくと、中がばらけてころりと一粒落ちた。志津が拾い、蘭丸に手渡す。

「焼き栗…」

「そう。好き?」

「はい」

 蘭丸は頷いた。

「良かった」

 志津は嬉しそうに笑ってから、目を細めたまま蘭丸を見守る。

「志津殿、これを届けに来て下さったのですか?」

「まあね」

「志津殿、私のこの怪我は、私の不肖故に招いた結果です」

「あたしが山に連れて行ったからよ?」

「私が志津殿に付いて行っただけです。私が勝手に怪我をして、志津殿を守ることも出来ませんでした。志津殿が気に病むことではありません」

 蘭丸は栗を上手に半分だけ剥いて、皮の部分を持って志津に差し出す。

「どうぞ」

「有難う。でも、蘭ちゃんに買ってきたものだから」

「私も戴きます」

 蘭丸は栗を志津に手渡してから、膝の上の栗を一つ取って同じように剥き始めた。実を口に入れる。

「温かくて甘いです。さ、志津殿も」

 蘭丸に促されて、志津は栗を食べた。

「うん、美味しい」

「もう一ついかがですか?」

「ううん。もう、帰るわ」

 志津は立ち上がった。蘭丸も草履を足に嵌めて、志津へ続く。

「其処までお送り致します」

「いいのに」

 志津と並んで歩いていると、蘭丸を見詰めながら志津は言った。

「相変わらず細いね。食べてる?」

「昨日までは殆ど寝ていてあまり。今日は朝と昼に頂きました」

「そう。あたしね、蘭ちゃんが元気になるの、凄く嬉しい。でも、お別れが近くなると思うと、寂しい」

「志津殿…」

「此処まででいいよ」

 門から数歩のところで、志津は足を止めた。

「あたしもさ、ここに来てるのは、自分が勝手にしてることだから。蘭ちゃんに会いたいから来てるの」

 蘭丸はきょとんと目を見開く。志津は笑っていたが、不似合いな皺を眉間に作っていた。

「だから、来なくてもいいとか、そんな風に言わないでよ」

「…すみません、私、志津殿の気持ちも考えずに」

「いいよ、謝らなくて。こっちこそ、押しつけちゃって」

「いいえ。私も、志津殿が来てくださって嬉しいです。けれど、次からは何も持たずに、いらしてください」

「分かったわ」

「お気を付けて」

「じゃあね」

 志津は着物にも関わらず、走って行ってしまった。小さくなる後ろ姿を見守る。
 後ろ姿が見えなくなって、蘭丸が振り返ると、門の前に菊之助が立っていた。菊之助は駆け寄って、強引に蘭丸の手首を引っ張る。

「どこ行ってたの!?」

「志津殿の見送りを」

「外に出ちゃ駄目じゃない。まだ、病人なのに」

「すぐ其処ですよ?」

「もう、危機感ないなあ。室内にいた時にだって襲われたのに」

「…そうですね」

「まあ、それはおれのせいなんだけどさ。あんまり勝手に何処か行かないでよ。あなたは大事な大事な預かりものなんだから」

 引き連れられ、縁側に戻る。蘭丸は栗の包みを取った。

「菊殿、栗はお好きですか?まだ温かいですよ」

「栗?」

「どうぞ。先生と唐八殿の分もありますから、遠慮なさらず」

 蘭丸が栗を差し出すと、菊之助は濡れ縁に腰掛けた。

「おれ、下手なんだ。剥いてよ」

「はい」

 蘭丸は隣に座って、栗を器用に剥いた。さっきと同じように半分剥いた栗の皮の部分を持って差し出す。菊之助は栗の実を口で受け取った。指に唇が触れる。

「美味しい」

「良かった」

 蘭丸も栗を口に運ぶ。甘くてほくほくしている。

「……」

 菊之助が横目で見つめてくる。

「剥きますね」

「……」

 菊之助は何かを言いたげに、視線を泳がせていた。

「菊殿?」

「さっきはごめん。怒鳴ったり、突き飛ばしたりして」

「いえ。私こそ、菊殿の立場も考えずに」

 菊之助は首を左右に振った。

「違うよ。おれの立場とか、そんな話じゃないんだ。おれ、乱太郎さんが元気になった姿見ると、不安で…」

「元気になったら、お別れだから……?」

「うん」

「私も、菊殿と離れるのは寂しいです」

「なら、ずっと居てよ」

「それは出来ません」

「どうして?唐八さんも、二人のこと家族みたいに思ってるよ。居てくれたら、きっと喜ぶ」

「ごめんなさい…」

 蘭丸は菊之助の問いには答えられず、俯いた。菊之助の真っ直ぐな視線が痛い。

「ううん。おれこそ、ごめんね。」

 菊之助は素直に引き下がった。痛々しい作り笑顔を浮かべている。

「これ、唐八さん達の分?渡して来るよ」

「有難う御座います」

 菊之助は立ち上がり着物の裾を持ち上げ、そこに栗をのせた。残りの蘭丸の膝の上の栗を見つめ、呟いた。

「今日、帰って来れるかな?」

「え?」

「ううん。何でもない」

 菊之助は足早に去った。
 残りの栗は、ゆっくり蘭丸の膝上で熱を失っていった。





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