肆拾陸
「ね、また一緒に眠ってもいい?」
「構いませんよ」
風呂上がりの菊之助が枕を持って蘭丸の布団に入ってきた。温かい肌が密着する。
「有難う。今日は、断られるかと思った」
「何故ですか?」
「乱太郎さん、おれに対してどう接していいか迷ってることがしょっちゅうあるでしょう?いつか突き放されるんじゃないかなって気がしてた」
「突き放すだなんて」
「きっとしたくても出来ないよね。あなたは優しいから」
「私、菊殿を突き放したいと思ったこと、ありません」
「そう」
菊之助が密着し、蘭丸の腰を強く抱き締めた。
「乱太郎さんは、おれを友達と言ってくれたけど、違うよ。乱太郎さんはおれに同情してるだけ。おれは、その優しさに付け込んでいるだけ」
「同情だけでは……私、菊殿に自分を重ねてしまうことがあって」
「似てるって言ったよね、前」
「ええ。以前、大切な方を失ったと聞いた時…私もそうでしたから。あと、昨夜の籐四郎殿のお話も。私が源太郎様と出会った時、私は何もかも失っていました。源太郎様も、妹君を三年前に亡くされて、それから一人で暮らしていました。私達も菊殿と籐四郎殿のように孤独を埋め合っていました」
「そうなんだ…」
「はい。私の顔は、妹君と似ていたそうです。源太郎様は、私を妹君の代わりにしたりはしませんでした。けれど、孤独があったから、より強く求め合ったのだと思います」
「そうだね。でもさ、二人には確かな絆があるでしょう?他のものを投げうってまで互いを選ぶくらいに」
菊之助の言う通り、源太郎は蘭丸を選んでくれた。お陰で、源太郎は生まれてから慣れ親しんだ全てのものを手放すことになってしまった。住まいも、友も。
「おれと籐四郎は、そうなれなかったんだよ」
「……」
菊之助は蘭丸の腰の拘束を解いた。
「有難う。少しでも乱太郎さんの話が聞けて嬉しかったよ」
菊之助は枕に頭を預けて瞼を閉じた。
菊之助の闇は、蘭丸が思っている以上に深く、暗いのかも知れない。せめて籐四郎が生きているうちに、菊之助の満足する愛を与えてくれたなら、違う今があったのだろうか。
菊之助の寝息と合わせて体が微かに上下に動いている。ついニ刻と半前に眠っていた蘭丸は眠れずに、菊之助の寝顔を眺めていた。一昨日のようなあどけなさはなく、ただ綺麗な寝顔だった。あまり直視しているのも悪い気がして、視線を天井に戻した。
(源太郎様…)
明日には帰って来るだろうか。明日、仕事場を訪問したら迷惑だろうか。源太郎はともかく、菊之助は心配して外出するのを反対するかも知れない。
しばらく経ってもまだ眠気は訪れず、体制を変えたら菊之助を起こしてしまいそうで気が引けて、そっと布団から抜け出した。
縁側に出向くと、痩せた月が見える。髪を撫でる風が生暖かく湿っていた。きっと明日は雨が降る。雨ならば、源太郎は夕になる前に帰って来るかも知れない。
「……!」
今日、遺体が葬られたあの土の前で何かが蠢いていた。目を凝らすと、誰かがうずくまっていた。蘭丸はゆっくり近付く。
「唐八殿…」
唐八が声を殺してむせび泣いていた。風呂から上がって清潔だった体も寝間着も土で汚れている。
「唐八殿」
蘭丸はしゃがんで、唐八の肩に手を置いた。唐八は顔を上げた。濡れた目を大きく開いて蘭丸を見上げていた。
「そろそろお部屋に戻りましょう?」
「いや…」
唐八は握り締めていた大きな布を隠した。血と思われる大きな黒い汚れがこびり付いているのが見えた。
「すまないね、こんな所を見せてしまって」
唐八は立ち上がって、瞼を擦った。手が汚れていたせいで、目尻にまで土が付着した。
蘭丸は指先でそっと汚れと涙を拭き取った。手首を掴まれ、制される。
「唐八殿…?」
唐八の目尻から、再び雫が落ちていた。唐八は蘭丸の手首を解放し、じいっと強い眼差しを向けてから、逸らした。
「君の為に、何をしてあげるのが最善なのか僕には分からない」
やりきれない表情。唐八は思い詰めていた。どうして蘭丸に対してこんなことを言ってくるのだろう。こんなに良くしてくれているのに、何を悩んでいるのだろう。
唐八が後ろ手に隠していた布を蘭丸に渡した。見覚えがある、形、服。覚えのない、大部分を覆う黒い染みは固くなっていた。持つ手が震え、ゆっくり広げる。
「これは…」
蘭丸の発した声が震える。蘭丸は足元の土の山を見つめた。手向けられたばかりの新しい供え物がある。
「乱太郎君…」
肩を掴まれ、恐る恐る唐八を見上げた。今まで見たことないくらい悲しい面持ちで、口を開く。
「げんさんは、そこに眠っているんだ」
「……!」
蘭丸はうずくまって、土に指を埋めた。
「乱太郎君?」
「確かめなければ…」
「止めるんだ!」
唐八の手を振り払って、蘭丸は素手で土を掘り起こした。唐八に手首を掴まれる。
「離して下さい!」
「乱太郎君!」
唐八は蘭丸にしがみつく。
「こんなことをしても、げんさんは戻って来ない!」
唐八の言葉で、蘭丸は動けなくなってしまった。唐八は蘭丸の肩で泣いていた。熱い顔と嗚咽が脳を現実に引き戻してゆく。嫌だ、考えたくない。
「戻って来ます、源太郎様は、蘭を置いていったりしないって、約束して下さいました。だから、離して下さい」
唐八は離さない。ただ、嗚咽を漏らしながら、蘭丸の肩を濡らしていた。
「離して下さい、唐八殿…」
唐八の力強い腕を振り解けない。
「離して、唐八殿…、離して下さい…」
だって、そこにいるのは源太郎ではないのだから。そう言わなければ。
「離し…」
ぽたりと、目から雫が落ちて、頬を伝い、土に染み込んだ。
「離して!唐八殿!」
唐八の腕の力と震えが強くなる。後ろから抱き締めながら、まだ泣いていた。何故、そんなに泣いているのか。何故…。
「いや、離して!源太郎様あああ!」
がしりと、力強く肩を掴まれる。唐八の腕は体に巻き付いている。蘭丸は、その手が源太郎だと錯覚した。
「菊殿…」
顔を上げると、菊之助が悲しい顔で見下ろしていた。
「菊殿、唐八殿が、可笑しいことを仰るのです…」
声が震える。冗談なのだと笑おうとしても上手くいかない。
「源太郎様は、泊まり込みになると、菊殿が教えてくれたのに…、唐八殿、この中にいるって、言うんです、だから、蘭が」
菊之助は、顔を歪めて、しがみつく唐八ごと包むように蘭丸を抱き締めた。
「蘭が、確かめなきゃ…、だから、離して下さい」
「ごめんね、ごめんね、おれ、本当のこと言えなくて、唐八さんの友達だって誤魔化して」
菊之助の声も体も震えていた。誤魔化す?何を?
「お二人とも、離して下さい……、離して、お願いです、離して下さい!離して、お願いだから…」
二人は拘束するように蘭丸を抱き締めていた。懇願を聞き入れることなく、蘭丸の髪や肩を濡らし続けていた。
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