伍拾壱
唐八は蘭丸と一緒に裏庭の真新しい墓を掘り起こしてた。遺体を見て蘭丸は芯の強い声で言った。源太郎ではないと。その時、いつの間にか近付いて来た菊之助が、蘭丸の首の後ろを叩いた。瞬時に蘭丸は濡れた土の上に倒れた。白い顔に泥が跳ねていた。
「なっ…!」
「動かないで」
菊之助の行いと、今まで見たことのない冷たい表情に気を取られ、唐八の体は容易く呆気なく自由を奪われてしまった。
「大人しくして。おれの力が強いの、唐八さんなら知ってるよね?」
後ろ手にされた手首を縄で結ばれる。菊之助は軽々と唐八の体を担いで、納屋へ向かい、体を冷たい床に下ろした。草履が片方脱げていた。
「暴れないで。唐八さんの足をへし折ることくらい、訳ないんだ」
「何してるんだ!」
菊之助は答えず、唐八の両足首をくっつけて縄で縛り付けた。足を拘束すると、今度は手首の縄を縛り直す。縄はきついが痛みは少なく、随分と手慣れた動作だった。
唐八の身動きを封じると、菊之助が納屋から出て行った。唐八は事態が飲み込めずに呆然としていた。感情表現豊かな菊之助が、あんな冷たい顔をするとは。
程なくして、菊之助は意識を失わせた先生を担いでやってきた。先生の体は布団の上から簀巻きにされていた。
「先生!」
「大丈夫、眠ってるだけだよ。勿論、唐八さんにしたみたいに乱暴には扱ってない。薬飲ませたから暫く起きないと思うけど」
菊之助は無表情のまま、丁寧な動作で先生の体を埃っぽい床に寝かせた。懐から出した手拭いで、先生の白髪頭の水滴を取る。
「菊之助、どうしてこんなことを、直ぐに縄を解くんだ」
「目的を果たすまで、それは出来ない」
「目的…?」
「うん」
菊之助は、唐八の髪も同じ様に拭き始めた。撫でるような柔らかな手付きだった。
「どんな目的だ、僕達に何の関係が…」
「ないよ。でも、利用させて貰うことにした。復讐のために」
「復讐って、僕らじゃないのなら、まさか…」
「そう。あの子だよ」
「乱太郎君か?二人は初対面じゃないのか?」
「会ったとか会ってないとかどうでもいいよ。あの子がおれの大切な人の仇なのは事実なんだから」
「仇…?」
「信じられないよね?あんなに大人しくてあんなに愚図な子が。でも、本当なんだ」
「…そのために此処へ来たのか?」
「うん」
唐八は菊之助との出会いを思い出した。どうしてあの不自然さと唐突さに疑いを持たなかったのだろうか。
「君は、何者なんだ?」
菊之助は答えず、間を空けてから話をすり替えて語り出した。
「こんなことをして、信じてもらえないと思うけど、唐八さんとおじさんのことは好きだった。短い間だったけど、一緒に働けて楽しかったよ」
菊之助は唐八が見慣れていた場違いな愛らしい笑みを浮かべた。そして、表情をすぐに曇らせた。
「唐八さんみたいな兄さんや先生みたいな爺ちゃんが家族だったらな…」
「僕も同じだ。菊之助みたいな弟がいたらって思ってた」
「有難う、嘘でも嬉しいよ」
「嘘じゃない」
「巻き込むことを申し訳なく思ってる」
「なら、止めるんだ。今ならまだ」
「もう遅いよ」
「遅くない。まだ、乱太郎君の意識を奪っただけだ。まだ雨の中にいるのか?早く、部屋へ連れ行って…」
「ううん、手遅れなんだ。おれ、源太郎さん殺しちゃったから」
菊之助は悲しい形の目のまま、口角だけを上げていた。はっきり聞こえたのに、耳を疑ってしまった。
「…え?」
「復讐の為に、源太郎さん殺しちゃったの」
「でも、乱太郎君が、あの遺体はげんさんじゃないって…」
「うん。あの体は源太郎さんじゃないよ。上手くいかなくて、失敗して、体、残せなかったんだ。だから代わりの死体用意したの。でもあの子、すぐに偽物だって見抜いて、源太郎さんが生きてるって信じちゃってるんだ。これじゃあ、復讐にならない」
「……」
言葉が返せない。菊之助は、命に対する敬意を持っているものだと信じていた。しかも、短い間とは言え、一緒に暮らしていた源太郎を殺したと言われても、頭も感情も追い付かない。
「だからね、もっと違う方法でどん底に突き落としてあげるんだ」
「きっ…」
名を呼ぼうとした。しかし、布を噛まされ塞がれた。結びながら、菊之助は話し続けた。
「多分、今度は果たせると思うんだ」
菊之助は向き直り唐八の前に顔を近付ける。唐八の胸に顔をうずめ、拘束した体を抱き締めた。
「おれのしたことは許されることじゃない。唐八さんも先生も、いっぱい心に傷を負うと思う。その代わり、もうあなたたちの前には現れないから」
「…っ!」
名を呼んだ。けれど、短い呻き声が漏れただけだった。
「さよなら、兄さん」
菊之助は立ち上がり、背を向けた。素早い動作に、表情を確認することが出来なかった。
「…ー!」
もう一度名を呼ぶ。しかし、菊之助は振り返らず、納屋から出て顔も見せず後ろ手で戸を閉めた。
唐八は肩で壁に体当たりした。幾ら繰り返しても、菊之助が戻って来ることはなかった。
壁の向こう側で、足音がする。唐八ははっと目を開けた。
夜を越え、雨は止み、閉められた戸や小窓の隙間から明かりが差し込んでいた。傍らでは先生が布団の中でまだ眠っている。
唐八は、近くの人間に存在を知らせる為に壁へ体当たりした。古びた小屋全体も、仕舞われた箱や農具も同時に大きく揺れた。
足音が近付いてくる。
「誰かいるの?」
訝しむような若い女の声。
「ー!」
唐八が呻くと、戸がゆっくり開き、ひょこ、と綺麗な顔が覗いた。
「唐八さん、先生も…!」
現れたのは、頻繁に此処へ訪れる志津だった。志津は、真っ先に唐八の口の布を外した。
「一体何が起こったの?先生は…」
「眠っているだけです。きつく結ばれていますから、そこの鎌で縄を切って下さい」
「ええ…」
志津は慎重に縄を切り落とした。手首と足音にはしっかり縄の痣が残っていた。感覚を取り戻す為に、指を開いて曲げてを繰り返して血を巡らせる。
「一体誰がこんなことを…」
「菊之助が」
唐八は縄を解き、先生の体を布団ごと抱えた。
「それじゃあ、あの死体は…」
「死体?」
志津は青白い顔で頷いた。まさか。唐八は小屋を飛び出した。
庭には無残な亡骸が五体散らばっていた。蘭丸の姿はなく、どれも大柄な若い男で、胸を裂かれたり、頭を割られたりしている。唐八は母屋に向かいながら確認した。全員、性器が根元から切り落とされている。
唐八は先生の体を縁側へ寝かせた。廊下には複数の足跡が奥へ続いていた。この奥はどうなっているのだろうか。志津は、唐八の後ろに付いていた。
「志津さん、先生を見ていて貰えますか?」
唐八の心境を察した志津は神妙な顔をして頷いた。
唐八は片方だけの草履を脱いで、足跡を辿った。この惨状。菊之助の復讐は果たされたのだ。
心臓が疼く。蘭丸の部屋の障子は壊され、中からは酷い匂いが充満していた。
唐八は意を決して部屋へ駆け込む。襖の向こうは赤く染まっている。無残な一体の亡骸。この男も、中心を根刮ぎ取られていた。そして、血の海に横たわる蘭丸。男との血色の違いで、命だけは無事のようだ。全裸で色んな体液に汚れた体。口や後孔に得体の知れないものを押し込まれ、手に握らされている。それは、切り落とされた男根だった。
「乱太郎君…!」
唐八は思わず声を張り上げた。その声で蘭丸は目を開く。喉近くを圧迫されていたため、意識を取り戻した途端にえずく。その拍子に、口から男根が抜け落ちた。禍々しい張型が、蘭丸の視界に入る。
「うあああああ!」
蘭丸は叫声を上げ、暴れた。きつく結ばれた縄がより食い込む。
「乱太郎君!」
唐八は抱きしめるようにして蘭丸を抑えつけた。
「大丈夫だから!乱太郎君…!」
蘭丸は、ぴたりと大人しくなって、腕の中で顔を上げた。虚ろだった瞳に唐八の顔が映る。
「唐八殿…?」
「うん、そうだよ。もう、大丈夫」
手の中のものごと結ばれた縄を取り、血色の悪いそれを蘭丸の手から抜く。蘭丸が隣を見ないように、頬に手を当てた。
「唐八殿…」
蘭丸の目に色が戻り、しだいに濡れだした。蘭丸は手が自由になると唐八に抱き付いた。背骨が軋むくらい、強い力だった。唐八は抱き返して蘭丸の体液で固まった髪を撫でる。
唐八は、こんな風に何度も患者に安らぎを与えられるように努めていた。けれど、こんな惨たらしい事態は初めてだ。冷静でいられる方がどうかしている。
蘭丸の腕の力の強張りが解けると、唐八は体をずらして自分の胸に蘭丸の顔を押し当てた。
「すぐ終わるからね」
唐八は蘭丸の足の間に手を伸ばす。蘭丸の咥え込んだ禍々しいものを握った。痛々しく、ぎちぎちに食い込んでいる。これ以上痛めつけないように静かに回す。
「ひっ…」
蘭丸が声を殺した悲鳴を上げる。ずるりと抜けると、中から体液が零れ、唐八の手にかかった。蘭丸に見せないように、胸に抱き寄せる。蘭丸は子供のように唐八の胸の中で泣いていた。
「もう大丈夫だからね」
唐八は蘭丸を抱え、自分の部屋へ連れて行った。汚れた体に浴衣を掛ける。
「今、風呂を焚いてくるよ」
蘭丸は唐八の縄の跡のついた手首に、赤黒く汚れた手を置いた。
「これも、菊……之助が?」
「え?うん…」
大人しかった蘭丸の表情が崩れ出した。再び目に涙を浮かべて泣き始める。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
「謝らないで、大したことないし、乱太郎君が悪い訳じゃ」
「違う、あの時、蘭が死んでいれば、唐八殿にご迷惑をかけることも、源太郎様が殺されることもなかったのに」
このたおやかな少年は、辱められ、汚され、見えかけた希望をまた失っていた。
あの時とは、胸の傷を受けて運ばれた時のことだろうか。それとも、それより前のことだろうか。
「乱太郎君、死んでいれば何て言っちゃ駄目だ。げんさんが、どれだけ君を大切にしていたか分かるでしょ?」
「……源太郎様……」
痩せた体が小刻みに震えていた。唐八は、また抱き寄せた。今度は、蘭丸は唐八にしがみついたりしなかった。腕の中で、嗚咽に混じって悲しい声が漏れていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
最早、蘭丸が何に対して謝っているのか分からなかった。まるで自分以外の総ての存在に詫びを入れ、自分自身を否定しているようだった。
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