妄想、愉悦。


伍拾参


  


 手を借りながら唐八の小袖と袴に身を包んだ。唐八との体格に大差はなく、少しゆとりがあるものの、問題なく着付けられた。
 青竹で作られた水筒を肩に下げて、見つけた源太郎の為に大きな浴衣と草履を握り飯と一緒に風呂敷へ詰めて、唐八と共に養生所を出る。

「蘭ちゃん、これを」

 見送りに来た志津に、小さな陶の容器を手渡された。

「父の形見の軟膏なの。だいたいの傷に効くし、分厚く塗れば止血も出来るわ」

「有難う御座います」

「くれぐれも、気をつけてね」

「はい」

 蘭丸は安心させようと、笑った。そして、身を翻して走り出す。

「乱太郎君、荷物は僕が…、え?」

 蘭丸の俊足に戸惑い、唐八は言葉途中に後を追い、声を上げた。

「乱太郎君!探すって、何処へ行くの!?」

「農場です!」

「どうして!?」

「私達は、源太郎様の足取りを何一つ知りません!菊之助に手を下される前、源太郎様は其処にいました!きっと、手掛かりがあるはず!」

「そ、そう。あの、其処まで走るの!?」

「はい!」

「ま、待って!」

「はい?」

 蘭丸は立ち止まる。唐八は、ぜー、と息をつきながら、よろけながら歩み寄る。

「唐八殿、具合が悪いのですか?」

 蘭丸は、下げていた水筒を外し、蓋を開けて唐八に差し出した。

「違、運動不足で…」

「ごめんなさい、私…」

「いいんだ。足、速いね……」

「……」

 唐八が水を一口飲んで、蓋をして紐を蘭丸の肩に掛けた。

「唐八殿、私、一刻も早く、向かいたいのです」

「うん…、こちらこそ、ごめん…」

「いいえ。唐八殿は、ゆっくり、歩いていらして下さい」

「そうする…。でも、無理しないでね?」

「はい。では後ほど」

 蘭丸はまた駆け出す。凄い。不思議なくらい力が漲る。何処までも走れる気がする。本当に、信長が蘭丸に力を与えてくれたのだ。

(源太郎様…)

 速度を落とすことなく走り続けていると、蘭丸は源太郎が通っていた農場に辿り着いた。
 広がる田畑の緑色と赤茶色。源太郎がいたらしき野菜畑を見つけた。初めに目の合った百姓の所へ駆け寄る。

「お忙しいところを失礼致します。お尋ねしたいのですが、孫六殿と言う若い男性を探しております」

「孫六なら、あいつだ。おぅーい!孫六!」

 大声で呼ばれて、孫六と思われる百姓が、作業を中断し、農具を持ったまま駆け寄ってくる。

「おめえに用があるみてえだ」

 蘭丸はぺこりと会釈をする。よく話に聞いていた、源太郎と仕事場で一番仲が良かった孫六と言う男性は、源太郎とどことなく似た空気を持っていた。

「孫六殿ですね?私は、先日までここでお世話になっていた、げんと言う百姓の…」

「ああ、弟か。話には聞いてる」

 蘭丸は頷いた。孫六は泥だらけの手で蘭丸の手を引き、休憩所に使われるらしい井戸端に向かう。

「気の毒なことになったな。あいつ、働き者で、気のいい奴だった」

 孫六は俯いた。

「それが、あのご遺体は、兄のものではありませんでした」

「え?」

「よく似た別人でした。わざと兄に見えるように、同じ髪にして、兄の服を着せて」

「本当か?」

「はい。ですから孫六殿、お願いがあります。私、兄を探し出したいのです。ご助力、いただけますか?」

「……ご助力ったって」

「お話を聞かせてくだされば十分です。兄は、ここを去る直前まで、何をしていましたか?」

 孫六は思い出しながら視線を泳がせた。

「女と喋ってた」

「女?」

「ああ。お前さんと同じか、少し上くらいの若い綺麗な女だ。髪が赤くて、やたら色白の」

 その女と思われる人物は、間違いなく菊之助のことだ。蘭丸は息を飲む。

「どういった話を?」

「仕事を持ちかけられたって」

「どんな仕事かご存知ですか?」

「あいつ、雨が上がった日、急に金欲しいって言い出して。長にも他に仕事ないかって話持ちかけてたんだ。そりゃあ必死に」

「……」

 蘭丸が、二人でいたいと泣いたせいだ。その行動が、源太郎を追い立ててしまった。

「おい、大丈夫か?」

 孫六の声に、蘭丸は我に返る。

「すみません。で、その仕事、と言うのは…?」

「あの山の天辺に、天馨寺って寺があるんだ。こっからは見えねえ、裏側だな。その寺がな、こないだの雨で、祠が土砂に巻き込まれたってんで、修繕する者を募ってるって話だった。ただ、あの辺はもともと山賊は出るし、こないだの雨で足場もかなり悪くなってた。だから、その分報酬はたんまり貰えるって」

「その話を、その女が?」

「ああ。げんは、迷ってた。命あっての金だから。でも、結局、仕事終わり、その女が迎えに来て、山ん方行って…」

 思い返す。その日、菊之助は泥に汚れて、暗くなってから帰って来た。そして、源太郎は泊まり込みで暫く帰って来ないと言った。

「すまね、俺が、しっかり止めておけば…、あんなことには…」

「いえ、孫六殿のせいではございません」

 蘭丸は、手拭きを差し出した。孫六は俯いたまま手を上げ制して、肩に掛けていた手拭いで顔を拭く。

「孫六殿、その祠、山の何処にあるかご存知ですか?」

「そんな遠くない。行くのか?」

 蘭丸は頷いた。

「なら、案内する。危ねえし」

「いえ、道筋を教えていただければ大丈夫です」

「駄目だ、お前みたいのが一人で行ったら」

「大丈夫です。一人では行きませんから」

 蘭丸は孫六を安心させる為に嘘をついた。納得したのか孫六は、地面に地図を書き始めた。道順も単純で覚えやすく、距離はないものの、祠がある箇所は急で、足場も悪いらしいことを孫六は念を押した。

「有難うございます。あの、農具を貸していただけますか?」

「ああ、いいけど」

 孫六は自分が使う農具を出して、蘭丸に選ばせてくれた。蘭丸は一番柄の長い鎌を選んだ。

「それだけでいいのか?土、掘るならこっちのがやりやすいが」

「いえ。これだけで大丈夫です。あと、もう一つお願いが」

「何だ?」

「もうすぐ、私のと似た服を着た、若い男性が此処に来ます。その方に言付けをお願いしたいのです」

「何て言えばいいんだ?」

「私は…いえ、蘭は山へ向かいます。なるべく早く戻りますが、皆様がご帰宅される夕刻までに戻らなければ、養生所にお帰りください。食料も水もありますから、心配しないで下さい、と」

「分かった」

「有難うございます、孫六殿。後ほど、必ずお礼に伺いますから」

 蘭丸は、ぺこりと頭を下げて孫六に見送られながら農場を後にした。養生所から来た道を一瞥する。唐八はまだ来ていない。

(申し訳ありません、唐八殿)

 心の中で唐八に謝りながら、瞼を閉じる。鮮やかに信長の笑顔が蘇った。

(けれど、蘭は大丈夫。源太郎様も…)

 しっかり目を開けて、蘭丸は走り出す。唐八が追いつけないように、唐八に見つからないうちに、なるべく早く、目的地まで駆け続けた。





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