妄想、愉悦。


伍拾玖


  


 養生所へ帰ってから、蘭丸は先生の手伝いをしていた。源太郎には出来ない帳簿や書類の整理を任された。源太郎は体と時間を持て余し、なんとなしに裏庭の雑草取りをしていた。
 裏庭では、数人の職人が出入りしていて、血で汚れた畳を運んできた。その畳を軒に立て掛け、屋内に戻ってしまう。見慣れた景色の中で、畳だけが浮いていた。蘭丸の目に入らないように、源太郎は畳を運ぼうと持ち上げた。

「げんさん!」

 何時の間にか、唐八が背後に立っていた。

「駄目じゃないですか。退屈だからって、安静にしていなければ…」

 言葉の途中で血の畳に気付き、唐八は顔色を変えた。

「すまね、勝手なことして」

「いいえ、僕の方こそ。門の外に、荷台がありますから」

 見たくも触りたくもないだろうが、唐八も汚れた畳を運び出した。

「有難うな」

「いいえ。あんな目立つ所に置くなんて、気が利きませんね」

 敷地の外の荷車に置いて、布を被せる。

「畳、外に運んでおきましたー!」

 工具を取りに来た若衆に向かって唐八が叫んだ。すれ違い様、若者はぺこりと会釈する。
 唐八は、東屋の日の当たる場所に源太郎を促した。並んで椅子に腰掛ける。

「草むしりしてくれたんですね、有難うございます」

「いや、大してなかったし」

「いえいえ。ここのところ雨でしていなかったから、増えていたでしょう」

「すぐ終わっただよ。菊之助が毎日してたからな」

「……」

 唐八は口を閉ざし、遠い目をしながら足元を見詰めた。
 菊之助と過ごした時間が多かった唐八は、まだ気持ちの整理がついていないだろう。まして、蘭丸に直接下した残虐な行為を目にした訳でもない。蘭丸の悲しい告白を聞いた源太郎でさえ、源太郎が知っている菊之助とは違う似通った誰かがしたことではないのかと、何処かで思いこんでいる。それくらい、菊之助はあどけなく無邪気で、残酷さからかけ離れた少年だった。

「唐八、自分を責めることだけは止めてくれ。唐八は優し過ぎるから」

「げんさんこそ。無理してませんか?」

「してねえだよ」

 源太郎は笑って見せる。

「げんさん、蘭丸君から聞きましたか?」

「うん」

「全部?」

「多分聞けたと思う」

「そうですか。蘭丸君、目、真っ赤で、でも、清々しい顔してましたよ。話してすっきりしたのかも知れませんね」

「そうかもな」

 半分はそう思う。でも、もう半分は違う。蘭丸が今笑えるのは、信長の存在のお陰だ。
 信長は、今でも蘭丸に力を与えてくれている。

「勝てねえな…」

「何がですか?」

 源太郎の思わず零れた独り言に、唐八が耳を傾けた。

「えっと、思い出?」

「これからもまた作れますよ。僕達はまだまだ若い。人の生は五十年と言うけれど、まだ半分も到達してないじゃないですか。五十どころじゃない、先生はもう七十間近ですけどまだまだ元気ですよ。この近所にだって、八十を越えた元気な人、珍しくないですよ。人生は気が遠くなる程長いんです」

「うん」

 源太郎は頷く。
 敗北宣言のような言葉が出てしまったが、源太郎は信長に嫉妬している訳ではなかった。信長は蘭丸の一部であり、源太郎の一部でもある。だから自分の前にも現れた。きっと今でも見守ってくれている。

「聞いてもいいですか?」

「ん?」

「菊之助は、どうして蘭丸君にあんな仕打ちをしたんですか?」

「何処から話したらいいか…」

「教えて下さい」

 唐八の鬼気迫った表情。こんなことに巻き込んでしまって、何も知らせない訳にはいけない。

「少し前にな、おら達、ある男に攫われただよ」

「ある男?」

「…鬼河原様に仕えていた忍びだ」

「鬼河原様?安馬田の殿様ですか?どうして、そんな男に?」

「おらとお蘭が出会う前からお蘭に目をつけてたみたいだ。その男、おらたちを攫って酷い仕打ちをしただ。心まで踏みにじられるくらいの。だが、お蘭が殺した。殺さなきゃ、どうにもならない状況だったから。おらたちは遠くへ行こうと逃げただ。住まいも知られてるし、追っ手が来ることがあるかも知れない。でも、まだ安馬田にいるうち、お蘭が怪我しちまって…」

「その怪我は?山賊に襲われたって聞きましたけど」

「それは間違いない。忍びとは関係ないだ。関係あるのは、菊之助だ。どんな関係だったかは知らねえけど…」

 言葉の途中で、源太郎は菊之助と体を重ねた夜を思い出した。
 寂しいと大粒の涙を流しながらすがりついてきた。源太郎は自分に負けて、応えてしまった。しかし、過ちに気付き拒むと今度は子供のように泣きわめいた。源太郎は泣き止むまで、その体を抱き寄せていた。
 今でも覚えている。泣き顔も、泣き声も、泣き疲れた後のあどけない寝顔も。
 今、はっきりと蘭丸の葛藤が見えた。

「…げんさん?」

 唐八が心配そうに源太郎の顔を覗き込む。

「菊之助はその忍びが総てだったんだな。きっと、そいつの為だけに生きて…」

「どうして菊之助はあなた達がここにいることを知ってたのでしょう」

「分からね。偶然ここへ来たのか、足取りを調べて来たのか」

「だとすれば、菊之助はまたあなた達を…」

「おらもそう思ったけど、多分来ないだよ。菊之助は、おらたちを殺す機会が幾らでもあったのに、そうはしなかった。もともと殺す気がなかったのか…」

 言いかけて思い出す。あのまま蘭丸が探しに来なければ、自分はあの小さな箱の中で確実に死んでいた。

「…でも、最後まで迷ってたのかもな」

 唐八が目を伏せた。唇を噛み締めて重々しく切り出す。

「菊之助がしたことは許されることじゃないけど、可哀相な子だったんですね」

「ああ。傷付いても、支え合う仲間もきっといない」

「……」

 俯く唐八の頭を撫でると、唐八は顔を上げて微かに口角を上げた。そしてまたすぐ真一文字に閉じる。

「菊之助、ここに来た時、お金、差し出したって言いましたっけ」

「うん。結構な額だって」

「此処に来る今まで、体を売って流れ歩いていたって言うんです。でも、そう生きていくのが嫌になった、何でも手伝うからここに置いて欲しいって。意味、分かります?」

「ああ」

「そうですか。その時、僕は意味が分からなかったんです。でも、先生は菊之助の意を汲んで雇うことにしたんです。人手不足ってのもあったんですけどね。実際よく働いてくれたし、役にも立ってくれたから、お金は返したんです。でも、結局置いていきました。急に用意することも出来ないし、部屋の修繕費に当てることにしました」

「そっか」

「菊之助は、こうなること予測してたから、あんなに渡したんですかね」

「分からねえ」

「……嫌かも知れないけど、残りはあなた達にお渡しします。旅の資金に当ててください」

「いや、それは…」

 唐八は源太郎が返事をする間を与えず、立ち上がった。

「じゃあ、僕は戻りますから、大人しくしてて下さいね」

「ああ…」

 唐八は屋内へ戻って行く。足取りに覇気がない。
 まだまだ、この気持ちに決着が付きそうにもない。菊之助の復讐は、本当はこれからなのかも知れない。

(でも、お蘭はおらが…)

 唇を引き締め、源太郎は空を仰いだ。




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