妄想、愉悦。


陸拾壱


  


 寝顔を眺めていたかったが、約束通りに唐八が起きるよりも早く蘭丸を起こして、共に朝食を作った。蘭丸は、目覚めてからは終始明るく、よく笑っていた。空元気ではないようで、源太郎はほっとする。
 時間になり、新しい仕事着と同じように真新しい気持ちで養生所を出ると、蘭丸が追い掛けて来た。

「源太郎様」

「ん?どした、わざわざ」

「お見送りと…」

 ほんのりと蘭丸の頬が赤い。思い出したが、こんな風に蘭丸に見送られるのは久し振りだった。源太郎は蘭丸の髪を撫で、かき上げて、晒された額に唇を落とした。蘭丸は瞼を開いた。潤んだ目で見上げられ、源太郎は思わず唇を奪った。蘭丸が源太郎の背に手を回す。しかし、源太郎は一瞬で接吻を切り上げてしまった。今そんなにしてしまったら、より求めて、仕事どころではなくなってしまう。
 蘭丸も察してすぐに踵を着地させたが、物足りなそうに頬の赤味を保ったまま唇を尖らせていた。

「お蘭」

「はい」

 蘭丸の「はい」の返事は、何かしら期待が込められている。源太郎は、抱いていた欲求を伝えるために切り出した。

「今日から、部屋が使えるって唐八が言うし、また二人きりになれるだよ」

「ああ、壁の塗装が、昨日終わったんでしたね」

「うん。だから……、今夜、お前を抱きたい」

「今夜は出来ないかも知れません」

 源太郎は後悔した。陵辱を受けてから、まだ数日しか経っていない。行為そのものに恐怖や嫌悪を抱いていたって不思議ではない。いくら蘭丸が唇を許して、求めてくらたからといって、軽率だった。

「すまね、おら…」

「違います。そう言ったことではなくて」

「え?」

 蘭丸の表情に全く悲壮感がない。寧ろ、嬉しそうに見える。

「今夜は…、あ!」

 言いかけて、何かを見つけた蘭丸の視線の先を見る。志津がやって来た。蘭丸は彼女の方へ駆け寄り、何やら話し始めた。楽しそうで、まるで若い女が二人談笑しているような光景を、源太郎は客観的に眺めてしまった。蘭丸がくるりと振り返り、明るく笑顔を見せる。

「源太郎様!」

 蘭丸が戻って来る。その後ろを志津がついて来た。

「孫六殿や、他の方々を呼んで、皆様にお礼をと思いまして。唐八殿と宴の計画を立てました」

 蘭丸が告げ、志津が付け足した。

「うちの宿でね」

「え?」

「急ですけれど、本日なら部屋が空いているそうなので、貸し切ることも出来ると」

「仕事が終わったら此処に寄らないで真っ直ぐうちの宿へ来てよ」

「ん、分かっただ。孫六と誰、呼べばいいだ?」

「源太郎様を送って下さった方々には全員来ていただきたいです。お名前は孫六殿しか分からないのですけれど…」

「じゃあ、孫六に聞いてみるだよ」

「けれど、源太郎様がお世話になっている方には全員来て頂きたいです」

「全員て、おらの班だけでも十五人はいるだよ」

「あら。五十人くらい集まると思ったんだけど?」

 志津が得意気に口を挟んだ。

「では、お仲間とご家族の方も呼んでみては?」

「いいわね、賑やかで!夜遅くなっても平気よ?泊まればいいんだもの」

「源太郎様、皆様に掛け合ってみて下さい。昼頃、人数を窺いに参りますから」

「分かっただ」

「じゃあ、宿に戻るわね。宴の準備しなきゃ」

「ご足労有難う御座いました。私も午後から手伝いに参ります」

 蘭丸はぺこりと頭を下げ、志津は手を振りながら帰って行った。蘭丸も笑顔で手を振り、志津を見送る。
 今夜は出来ないかも知れないとはそういったことだったのかと、源太郎はそっと胸をなで下ろした。

「楽しそうだな」

「ええ。蘭は、こういった行事が好きです。皆様が楽しむ姿が見られますから」

「そっか。おらも楽しみだ」

「はい」

「じゃあ、おらもう行くだよ」

 歩き出すと、蘭丸が源太郎の半歩後ろをついてくる。

「源太郎様」

 門を出る直前、名を呼ばれ、源太郎は振り返る。首の後ろを掴まれ、引き寄せられる。蘭丸の顔が近付き、鼻先を掠め、唇同士が触れ、甘く噛みつかれる。離れてゆく瞬間、欲情で潤んだ瞳に射抜かれた。源太郎は条件反射のように蘭丸の腰と頭を引き寄せ、夢中で吸った。

「…ん…」

 思いがけず熱く返されて、蘭丸のやりそこねた息継ぎが小さな喘ぎとして漏れた。このままもっと深く繋がりたい欲求をぎりぎり抑えて、源太郎は唇を離す。少しだけ腫れて濡れた唇を蘭丸は舐めた。蘭丸はまだ瞳を潤ませていたが、満足したように笑った。

「行ってらっしゃい」

「うん」

「では、またお昼に」

「じゃあな」

 源太郎は蘭丸に見守られながら、養生所を後にした。互いに顔が赤い。
 少し歩いて、にやついてしまう口を隠した。改めて蘭丸の愛おしさを実感してしまう。そして、あんなに楽しそうな姿は久し振りで、源太郎にとっても今夜の宴が特別なものだと思えるようになった。
 しかし。源太郎はふと足を止める。いくら安宿でも、そんな大掛かりな宴会をするには、それなりに金がかかる。金の出所は?

「…ああ」

 すぐに浮かんだ。恐らく、菊之助が置いて行った金だ。今夜の宴が唐八と立てた計画ならば、恐らく唐八と話し合って使い道を決めたのだろう。
 こんな金を遣うのは嫌だろうに、しかし、皆の為にならと決めたのは、いかにも蘭丸らしい選択だと思う。
 源太郎は、今夜の宴を絶対楽しもうと心に決めた。





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