陸拾弐
昼、農場までやってきた蘭丸には確認して数えた上で三十五人と伝えたものの、出発前に仲間の家族が揃うと五十人以上集まってしまった。道すがら家族を拾っていく者もいて、結局宿に着く頃には当初の倍近い人数になっていた。宿の大きさを思い出し、貸し切りなのだから大丈夫だろうと、ぞろぞろと大人子供で連れ立ってそのまま宿へ向かう。門の前で待っていた蘭丸が駆け寄ってきた。
「源太郎様、皆様も、ようこそお越しくださいました」
「お蘭、人数が増えただ」
蘭丸は背伸びをしながら頭数を数え、踵を下ろして源太郎に向き直る。
「増えたのは二十名様程でしょうか?」
「いや、ちっこいのもいるからな…赤ん坊も入れたら、六十七人だ」
「なら大丈夫ですよ。料理も沢山用意しましたし、部屋も広げられますから。伝えて来ますね」
蘭丸は足早に宿へ戻ってしまった。足取りだけで蘭丸の張り切りが手に取るように分かる。大勢の人間の前で蘭丸が明るく振る舞うのは初めて見た。何だか温かい気持ちになって、皆を引き連れて後へ続いた。
玄関では志津が待っていた。
「源太郎、待ってたのよ」
「お志津、今夜は世話になるだ」
「いいのよ、お代は余分に頂戴してるし。でも良かったわ、人数が増えて。部屋が余るところだった」
「おらも、急に増えたのに助かっただ」
二人で話していると、背後の独り身の男らが志津を見ながらにやにやしていた。
「美人だな」
「今夜買うか。金、持ってっか?」
「さっきの包帯の娘っこも可愛かった」
「ありゃ、げんの連れだろ?」
耳に入って来る会話に苛ついてしまい、つい源太郎は口調を荒げてしまった。
「おい!今日は宴会に来たんだど!」
源太郎が二人を睨み付けると、志津が割って入る。
「止しなさいよ。これから楽しい時間が始まるのよ。空気を悪くしないの」
「だって、お志津…」
「良いのよ。ここを何処だと思ってるの?さっき言った通り、お金は沢山貰ってるの。ここの女の子を全員貸し出しても余っちゃうくらいにはね」
志津の言葉に、男らが「おおー!」と歓喜の雄叫びを上げた。つい一緒に声を張り上げて、女房に耳を摘まれてる者までいる。
「だから、あんたたちも元気だったら後で相手してあげる。さっきの包帯の子は臨時のお手伝いだから駄目だけど」
小さな子供もいるのに何を言っているのだろうか。源太郎が呆れていると、志津に背を押される。
「ほら、入った入った」
すぐに志津は後ろへ進み、残りの者を屋内に促していた。
中では従業員が大勢で出迎えてくれていた。広めの框で草履を脱ぎ、お絞りを手渡される。
源太郎は蘭丸で慣れていたが、手厚く丁重に扱われることに戸惑っている者が多かった。例に漏れずさっきの二人も。あれで本当に女を買えるのだろうか。
「こんな広い部屋もあっただな」
「まあね。もっと広くも出来るのよ。あそこの襖を外せば」
志津は得意気に言った。通された広間には、既に膳がきちんと人数分追加されていた。
「それより、さっきの何だ?」
「何って?」
「女を買うとか、貸すとかって話だ」
「そのこと?何か問題ある?」
「お蘭が多めに渡したのは、女を買わせる為じゃねえ」
「分かってるわよ。それでも良いじゃない。欲しい人がいれば相手をするだけのことよ。どのみち部屋は空けてあるんだから」
「でも、それは帰れなくなった奴の為だって」
今度は志津が呆れ顔で眉間に皺を寄せた。
「あのね、もう一度聞くけど、ここを何処だと思ってるの?少なからずそう言う期待してる人、いるじゃない」
「いたって、それとこれとは別だ。そんなことんなったら、お蘭だって嫌がると思う」
「まるで、女を買うのが悪いみたいな言い分ね…」
「すまね、そんなつもりはなかっただ」
「分かってるわよ、あんたのことだもの。でも、こっちだって仕事なの。ここを選んだからには尊重してよ。さあ、早く座って。源太郎の席はここよ」
志津は源太郎を座らせると、広間を出て行ってしまった。
酒宴の名目は、源太郎の快気祝いらしく、源太郎は奥の真ん中の席だった。料理が運ばれると、主催者の唐八が恥ずかしそうに挨拶をして、宴は始まる。皆、各々食べ、飲み、語り合い、賑やかで笑顔が溢れていた。毎日あくせく働き、助け合い絆を深めた仲間とこんな風に過ごすのは初めてだった。
酒が強くない源太郎は箸を進めながらちびりちびりと飲んでいた。明るい空気のせいか、苦手な味もやたらと美味しく感じた。
裏で手伝いをしているらしく、蘭丸の姿はなかった。
「源太郎、ちゃんと飲んでる?」
「うん」
志津が酒瓶を持って隣へ座った。源太郎の杯は空になっていて、気付いて手にする。
「酔いつぶれたっていいのよ。ここに泊まればいいんだもの」
「つぶれたら明日起きれなくなっちまうだよ」
白い液が小さな器になみなみと注がれた。源太郎は舐めるように少しだけ飲んだ。
「旨い」
「良かった」
源太郎はまた箸を手にして、料理を口に運んだ。
「それにしても、みんな楽しそうね。こんな宴会は久し振りだわ」
「毎日朝早くから、暗くなるまで働いてっからな。遊ぶ暇も金もねえし、こんなにもてなして貰ったら浮かれちまうだよ」
広間を眺めた。何時の間にか席が入れ替わり立ち替わり、所帯持ちとその妻、乳飲み子以外の子供とで、それぞれ別の集団になっていた。一番盛り上がっているのは独り身の男らの集まりで、女中を数名囲っている。小さな子供が同じ空間にいるのだから、さすがにきわどいことにはなっていないが。
「あ、蘭ちゃん」
蘭丸が何やら箱を持って広間に現れた。源太郎の所には来ず、子供たちの輪の中に入り込む。蘭丸が箱を開くと子供たちの無邪気な歓声が響いた。中身は蘭丸らの背で見えないが、どうやら遊び道具らしい。蘭丸は中から何かを出して子供たちに披露している。子供たちは目を輝かせ、蘭丸を中心に輪の密度が濃くなっていた。
蘭丸が子供好きなことを思い出した。少し前、思いがけず小さな子供と接したが、蘭丸は初対面にも関わらず上手く相手をしていたし、子供も蘭丸にすぐ懐いていた。しかも、今はあの時と状況が違う。わだかまりもなく伸び伸びと小さな子供たちと遊べて、蘭丸も嬉しいだろう。
源太郎が蘭丸を見つめながら微笑んでいると、隣の志津が言う。
「あの子、きっと蘭ちゃんが好きね」
蘭丸にべったりと小さな体を寄せている子供がいた。あの逆毛頭は孫六の長男の弥太郎だ。
「うーん…」
源太郎は弥太郎の立場で考えてみる。齢は確か六つ。そんな時に今の蘭丸が現れて、優しく微笑んで共に遊んでくれたら…。
「だろうな。おらでも惚れてると思う」
「何?あんた、酔ってるの?ねえ、じゃああたしはどう?」
「お志津か?おめえ、子供の相手は苦手だろ?」
「そんなことないわよ、よくりんちゃんとも遊んでたでしょ?」
「んー、どっちにしろ惚れないかもな。おらが六つの頃、おっかあが今のお前と同じくらいだったし」
「まー」
志津は拗ねたように頬を膨らませた。あどけない表情が懐かしくなる。
「どうしたの?」
「ん…。やっぱ、お志津はお志津だって思っただ」
「何それ?恋心がまた芽生えでもした?」
今度は冗談ぽく笑う。
「いや」
「即答なのね」
「おらたち、生い先を真剣に考えたこともあったけど、それよりも前は幼なじみだっただな。その頃に戻ったみたいだ」
「そうね。あたしも、今はあんたのことそんな風に思ってないもの」
志津は、子供たちに囲まれた蘭丸の方に一瞬顔を向けて、また源太郎に向き合う。
「よく思ったわ。あたしのお父ちゃんのことがなかったら、あたしはあんたんとこに嫁いで、今頃はあれくらいの子供が二、三人くらいいて、普通の幸せ手に入れてたんじゃないかって。でもね、最近は、そんな想像が具体的に出来なくなってるの」
「なして?考えが変わっただか?」
「うん。少し前までは、空想に逃げて、自分から捨てた癖に過去のあんたに縋って、惨めな自分を慰めてた。でもね、自分が本当にしたいこと、分かったの。それが見えてから、自分が惨めだなんて思わなくなった」
「したいこと、教えてくれるか?」
志津は少しだけ頬を染めた。しかし、眼差しはひたむきで、真剣だった。
「あたし、自分が作った薬で、誰かの助けになりたいの」
「もうなってるだよ?」
「もっと沢山の人って意味。養生所で働いてる唐八さんたちを見てたら、お父ちゃんのことを思い出したの。借金作って死んじゃって、恨んだこともあるけど、やっぱりお父ちゃんのこと、尊敬もしてるのよね」
「おらもだ。おらの家族、みんな体弱かったし、お志津のおっとうにはよく世話んなってた」
「そうね…」
志津は遠くを見つめた。あの頃のように、父の背中を見つめているのだろう。そして、思い出したように酒瓶を差し出す。
「ほら、飲んで」
殆ど減っていないのに志津はまた酒を注いだ。源太郎は溢れそうな甘く苦い中身を煽った。
「良かっただよ、お志津にまた会えて」
「本当に?」
「ああ」
「あたし、あんたたちに酷いことしたのに」
志津は目を潤ませ始めた。源太郎は志津の肩に腕を回して、引き寄せる。
「泣くなあ!飲め!」
源太郎は志津から酒瓶を奪い、代わりに杯を渡して、酒をなみなみと注いだ。
「仕事中なんだけど……、これだけだからね」
志津は中身を飲み干すと、杯を源太郎に返してまた瓶の中身を注ぐ。すると、源太郎の肩に腕を回して耳元に唇を寄せた。
「源太郎、さっきから、蘭ちゃんがちらちら見てる」
「へ?」
「あたしたちがひっついてるから気になるみたい。後で慰めてあげてね。部屋、用意しておいてあげるから」
源太郎は蘭丸を探した。もう子供の輪の中にはおらず、独り身の男たちの酌の相手をしていた。蘭丸も相手も笑っている。
「おらあん!何してるだ!」
広間に源太郎の声が響いた。視線が集中するが、源太郎は蘭丸の見開いたまるい目しか入らなかった。
「源太郎様」
蘭丸がすぐさま駆け寄る。志津は席を立ち、蘭丸と入れ替わるように独り身の若者たちの輪に入り、歓迎されていた。
「お志津ちゃん、こっちにも酌してよ」
「はいはい」
志津は手慣れた動作で手酌をしていた。
志津は、今夜あの中の誰かの相手をするのだろうか。正直、まだ複雑ではあるが、志津は源太郎が思うよりずっと強い人間だった。もう、志津の力強い芯を支えるのは源太郎ではない。源太郎が支えなければならないもの。
源太郎はまだ少し距離を保つ蘭丸の手を取り、強く引き寄せる。急なことで蘭丸は体制を崩してしまい、その体を抱き止めて、持ち上げて膝の上に載せた。
「源太郎様…!」
「何してただ!さっきまで子供たちと遊んでたのに」
「源太郎様を養生所へ運んで下さった方に挨拶していただけです」
「本当か?」
「何を疑ってらっしゃるんですか」
「お蘭を疑ってる訳ないだよ!ただ!お蘭に下心持ってる奴がいるんじゃないかって心配になった!」
「いる訳ないじゃないですか」
「いない訳ないだよ!」
「源太郎様、恩人でもあるお仲間に対して失礼ですよ。それから声を抑えて下さい。あと、離し…」
膝の上から逃れようとする蘭丸の体を拘束するように強く抱きしめた。
「離さない」
「離して下さいったら」
「離したら、お蘭が寂しがる」
「蘭は寂しがってなんかいま…」
「おらがお志津見てた時、寂しそうだった」
「それは…」
蘭丸は否定しきれず、続きを言えずにいた。
「でもなあ、お蘭!お志津はおらにとっては男だ!孫六や唐八みたいな大事な男の親友だ!だから、妬かなくて大丈夫だ!」
「志津殿に失礼ですし、蘭だって男です」
「分かってるだ!でもおらにとっての大事な女は、おのこのお蘭だけだ!」
蘭丸の動きが一瞬止まった。そして、体を拘束している源太郎の手を剥がそうと手を添える。
「わ、分かりましたから、分かりましたから、声を抑えて下さい、離して下さい」
蘭丸はまだ源太郎の腕から抜け出そうと暴れ始めた。源太郎は黙らせようとうなじに噛みついた。
「ひあっ」
蘭丸の体が強張り、源太郎は腕の中の蘭丸を横抱きするように体制を変えて、顔を覗き込んだ。顔が真っ赤だ。
「お蘭、そんなに嫌なんか?」
「嫌な訳……場をわきまえて下さい!皆様が見てます!」
「おら、お蘭しか見えねえもん」
逃れられないように蘭丸の肩や腰をがっちり掴む。
「先は…志津殿を見ていた癖に」
蘭丸が消え入りそうな声でぽつりと言った。そして、はっとして尖らせていた口を抑える。
「やっぱり妬いてただな?」
「え!?」
顔を寄せ合おうとすると蘭丸に手で遮られる。その手を退けようとすると、ぺしんと軽いもので頭をはたかれた。
「止めろ!蘭ちゃんが嫌がってるだろ!」
振り返ると、孫六の長男がいた。蘭丸はその隙に源太郎の膝から降りて、隣に座る。
「弥太郎君」
再度手を振り上げようとする弥太郎を蘭丸が引き寄せた。
「弥太郎君、私は嫌がってた訳じゃないんだ」
弥太郎は蘭丸を見上げながら蘭丸の膝に座った。蘭丸は弥太郎の腹に手を添えている。
「嫌じゃなかったのか?」
蘭丸は頷く。
「でも困ってたから助かった。有難う」
蘭丸がにこりと微笑むと、弥太郎は満面の笑みを返した。下の前歯が一本抜けている。
「手は痛くないか?」
蘭丸は源太郎をはたいた弥太郎の小さな手を取った。
「平気」
「良かった」
弥太郎はまたべったりと蘭丸にくっついていた。蘭丸も蘭丸で、弥太郎をしっかり抱き寄せている。弥太郎がたまらなく可愛いようだ。
客観的に見ると、年の離れた姉弟みたいだ。姉なんて言ったら蘭丸は怒るかも知れないが。
「おらもちいせえ時、お蘭と出会いたかっただな」
「え?」
源太郎の呟きに蘭丸が顔を上げ、源太郎を見つめた。
「そうやって、お蘭の膝の上に収まって、よしよしって撫でられたい」
「源太郎様…」
「ま、そんなちいせえとお蘭を抱いてやることが出来ねえけどな」
「な、何を仰っているのですか!」
蘭丸が一旦落ち着かせていたがまたすぐに顔を真っ赤に染め、俯く。源太郎が不意をついて蘭丸の肩を抱き、額に口づけると、顎に向かって小さな拳が飛んできた。それなりに痛い。
「源太郎様!?」
「大丈夫、大したことことないだ」
弥太郎は蘭丸の膝から降りて、立ち上がり、座ったままの蘭丸に向き直る。目線が弥太郎の方が上で、蘭丸はきょとんと見上げている。
「蘭ちゃん、おれ、すぐ大きくなる!あいつより大きくなる!」
「ああ。孫六殿は背が高いから、弥太郎君もきっと大きくなる」
蘭丸が弥太郎の頭を撫でようとすると、弥太郎は手を振り払った。
「大きくなったら、蘭ちゃんのこと抱いてやる!」
弥太郎の決意表明は部屋中に響き渡り、皆の時間が止まった。その後、爆笑。
「笑うなー!」
弥太郎は怒鳴り、蘭丸は呆れ、大人は皆笑っていた。源太郎も腹を抱えて笑った。どうしてこんなに楽しいのだろう。
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