妄想、愉悦。


拾参


  


 はあ、と、蘭丸は息を潜めて吐き出す。日中ずっと休んでいたこともあり、夜中に目覚めてしまった。

(信長様…)

 信長は明日まで帰らない。それまでの時間がとてつもなく長く感じる。蘭丸は布団から出て、背後で寝ている長興を起こさぬように部屋を出た。夜風でも浴びて、庭の景色でも眺めていよう。きっと、朝はすぐに訪れる。
 階段を下り、廊下を進むと、静けさを遮る声が戸の隙間から明かりと共に漏れていた。

「…?」

 聞き覚えのある声色に、蘭丸は何も考えずに戸の隙間を覗いた。本当に、何も考えていなかった。

「ああっ…!」

 甘い声、そして、大きな背中、背中に絡み付く細い腕。

(信長様…と、長興様…?)

 蘭丸はその場でへたりこんでしまった。覗きなんていけないこと。早くこの場から離れなければならないのに、体が動かない。蘭丸は俯いて、せめて視界に入らぬように廊下の板目を見詰めた。

「あ、あ、あっ…!」

 床の軋みや、呼吸音にあわせて長興の喘ぎが響く。
 いつの間にか信長は帰ってきていた。そして、寝入るまで蘭丸の隣にいた長興を別室で抱いていた。
 以前も、こんな風に二人の情事に遭遇したことがある。その当時、蘭丸はまだ新人の小姓で、信長への想いを自覚しておらず、訳も分からず傷付き動揺した。
 あの頃から四年以上経ったのに、ちっとも変わっていない。気持ちがざわざわして、胸がきゅっと痛む。開いた袂から覗く自分の太腿の包帯を見詰めた。今更、信長に与えられた噛み跡が疼き、泣きたい気持ちになる。

「みつろ、う…」

(光郎?)

 予想もしなかった言葉に顔を上げる。長興の愛おしさを込めた喘ぎで、その相手が信長でなかったことに気付いた。
 光郎は、信長と背格好がとても似ていた。光郎の大きな手が長興の細い足首を掴み、持ち上げて足の間にもう片方の手を埋める。ぬぷ、と粘りを帯びた音と共に、長興は体をしならせている。

「ああ…」

 光郎は足の間から光る指を出し、今度は自らの一物を握り、長興の体の中に押し入れる動作をしている。ぐぽ、と音を立てながら、長興の最奥にたどり着くと、光郎は激しく腰を揺すった。

「あっ、ああ…!」

 長興の圧し殺した声よりも、粘膜の擦れあいが激しい。その猥雑な音だけで様子が分かってしまうくらいに。

「長興様…」

 余裕のない光郎の声に、長興は優しく返す。

「光郎、次はお前が…」

 長興は光郎の体を倒し、腰を真っ直ぐにして、光郎の腰に跨がった体制で、ぬぷぬぷと音を立てながら、体を上下に揺さぶる。

「……」

 あまりの淫靡さに、蘭丸は息を飲む。蕩けた目と喘ぎを絶え間なく刻む赤い唇。白い肌は汗ばみ、黒髪が貼り付いていた。光郎の大きな手に支えられた細い腰、柔らかな丸みを帯びた尻からは、ぐちゅぐちゅと水音が絶え間ない。
 こんな長興は知らない。けれど、綺麗だ。摩擦を繰り返す毎にぐぷ、ぐぷ、と、更に音が激しくなる。
 無意識に膝や腿に力を込めていて、ずきりと傷が疼いた。いつの間にか情交を直視していたことに気付き、蘭丸は二人に見つからぬよう、静かに廊下を進む。淫らな音は打ち消されることなく暫く続いていた。この激しさでは、自分達以外にも、耳にしている者がいるのかも知れない。

 風は吹いておらず、火照った体に湿気が貼り付く。庭は狭いが草木は良く手入れをされていて、月夜を浴びていた。しかし、目の前の景色が変わっても、芽生えてしまった欲求が大きく脳内を占めている。信長に似た後ろ姿。あんな風に、大きな体でこの身を包んで欲しい。

(信長様…)

 煩悩を振り払いたくて、蘭丸は井戸水を汲んで、頭から被る。まだ熱い。まだ冷めない。早く、下げてしまいたい。そして、あの姿を頭から消してしまわなければ。

「は、くしゅっ…」

 何回目かの水を汲み終えたところでくしゃみが出た。冷えたのだろうか。頭の中はまだ切り替わっていないが、肌はすっかり冷えていた。蘭丸は浴衣を脱ぎ、搾って体を拭いた。皺だらけの浴衣を着て、屋内へ戻る。長興の部屋からはまだ明かりと音が漏れていて、気付かれないように忍び足で前を通過した。
 寝室に戻り、戸をそっと閉めて、小さく息をつく。床の間のつづらの中には替えの浴衣が入っている。蘭丸はもう一度濡れた浴衣を脱いで、髪を拭いた。自分が眠っていた隣の布団は膨らんでいた。目覚めた時の背後の気配は気のせいではなかった。髪を擦りながら覗き込む。頭まですっぽり被り、髷の先端だけがはみ出ていた。

「…信長様…」

「どうした」

 殆ど呟きに近い声を拾い、信長は返事をした。蘭丸はどきりと心臓が跳ね上がる気持ちだった。

「め、目覚めていらしたのですか?」

「否…お蘭の声で覚めた」

「それは、失礼致しました」

 蘭丸は向かいの布団に腰を下ろし、頭を下げた。

「何故、此方に…」

 顔を上げると、布団から目だけを覗かせて信長が蘭丸を見詰めていた。

「長興が光郎を迎えに来てな、入れ代わった」

「お迎え出来ず、申し訳ありませんでした」

「良い。信長も疲れた」

 信長が疲労を口にするのは珍しい。普段とは異なる朧な眼差しは、眠気だけのせいではなさそうだ。蘭丸は、信長の顔に手を伸ばす。熱い肌だった。

「少し、体温が高いようですね」

「お蘭の手は冷たいな。心地良い」

 蘭丸の添えた手に、信長は頬を押し当てた。そして、熱のせいで潤んだ目を開いてじっと見つめる。また違った艶に戸惑ってしまう。

「何故、裸なのだ?」

「えっ!?あ、暑くて、水浴びを…」

「先は気持ち良さそうに眠っておったが」

「昼間に眠っていたものですから、目覚めてしまいまして」

 長興の情交を覗き見て興奮しただなんて知られたくはない。しかし、取り繕う言い訳が出来なかった。

「どうした?」

「…蘭のことよりも、お具合は大丈夫ですか?頭痛や悪寒は?」

「ない。暑いくらいだ」

「では、汗を拭きましょうか」

 首に触れる。信長は気持ち良いらしく、目を閉じた。はあ、と吐息が漏れ、蘭丸は固まってしまう。

「信長様…」

「何だ」

「今、蘭の肌は冷えているので…」

「ああ」

「信長様の、体の火照りを取ることが出来るかも知れません」

 信長は笑って、布団を捲って蘭丸を迎える。蘭丸は入り込もうとするも、布団を掛け直した。

「入らぬのか?」

「いえ、包帯が濡れているので、肌に当たっては不快かと」

 蘭丸は包帯の結び目をほどいて、手に巻き取りながら外していく。信長によって与えられた傷は殆ど塞がっていたが、空気に晒されてぴりっと疼いた。
 蘭丸は本当の裸になり、躊躇わずに信長の隣に滑り込んだ。信長の開いた襟から手を入れ、強く抱きしめた。やはり、素肌が熱い。熱を吸い取る為に頬や唇を押し当てた。信長の腕が背に回り、引き寄せられる。

「あ…」

 信長が蘭丸の肩の傷に唇を押し当てた。熱く、柔らかい。そのまま、首筋に戻ってから腕や手を取り、傷に唇を合わせていく。

「信長様、これ以上は…」

「ん?」

「蘭の肌が、熱くなってしまいます故…、ひゃっ」

 信長の舌が腫れて敏感な乳首に触れた。一気に快楽に引き寄せられる。

「先から物欲しげな顔をしておるぞ」

 乳首に熱い吐息が当たり、背筋が震える。信長はいつもそうだ。蘭丸の欲求を己の魅力で強引に引き出し、理性の糸をぷつりと切らせる。

「欲しいです、けれど、今は駄目…。信長様の体温を少しでも下げて、お休みして頂きたい」

 信長は無言で、代わりに潤んだ目で見つめてきた。蘭丸は瞼に唇を当てた。湿った睫をしている。唇を離しても、信長は瞼を開かなかった。次第に呼吸も深くなってくる。
 本当に信長は疲れていたようで、すぐに寝入ってしまった。こんな状態でも、蘭丸の欲求を引き出し、支配してしまおうとする意地悪な人だ。けれど、この人の穏やかな寝顔は、本来の欲求とは全然別物だけれど、蘭丸をとても満たしてくれた。共に眠ってしまえば夢で会える気がする。けれど、この顔をいつまでも見つめていたかった。





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