妄想、愉悦。





  


 信長は三階で休んでいると光郎が教えてくれた。蘭丸は階段を昇りながら、歯の裏を舌でなぞった。何分もかけて歯を磨いたせいで、口の中の塩気がまだ抜けずにいる。
 三階に着くと、見張りの青年が蘭丸を見つけて小声で呼んだ。

「お館様がお待ちしております」

 待ってくれている。喜ばしいことなのに、感情がまだついていかない。蘭丸は青年に短く礼をして、部屋の戸を開く。
 信長は、敷かれた布団に倒れ込む形で眠っていた。寝息が深い。この様子だと、睡眠を摂るのも久しいのだろう。布団を掛けようか考えたが、触れて目を覚ましてしまったら申し訳ない。蘭丸は、傍らに静かに腰を下ろした。

(信長様…)

 信長は変わらず美しい。しかし、以前との明らかな変化に蘭丸は息を飲む。痩せて頬の彫りは深くなり、艶やかな黒髪の束にも白い筋が見える。しっかり眠ったら、目の下の隈は消えるだろうか。
 月日を重ねることは悲しいことではない。出会った日から変わらず若々しい信長が、少しだけ年齢に近付いていってるのを初めて目にした。今までの疲労と、家族や家臣を一遍に失ってしまった哀愁を表しているように見えた。
 涙が溢れる。蘭丸は信長が目覚めないように声を殺して泣いた。
 こんなに脆くて、汚れてしまった自分なんかが本当に支えになれるのだろうか。もう一度自分に問いかける。そして、滲んだ視界に信長を捉えた。寝返りを打って、仰向けになっている。蘭丸は、小さく鼻を啜り、目を擦って掛け布団に手を伸ばした。

(信長様…)

 穏やかな表情が愛おしくて、苦しくなって、また涙が出そうになった。布団を引き、信長の上に掛けようとすると、急に両手首を掴まれ、引き寄せられる。

「わっぷ!」

 信長の胸板に顔から突っ込み、鼻が潰れ、歯が当たった。ゆっくり顔を上げると、信長が不敵な、それでいて悪戯な子供のような笑みを蘭丸に向けていた。

「遅い」

 信長は短く告げて、蘭丸の頭を撫でた。大きな手が長い髪を滑っていく。

「風呂に入ったのだな?」

「はい、夜叉丸殿が入れて下さいました」

「そうか。信長はまだだ。お蘭が起きるまで待っていた故な」

「それは、申し訳御座いません」

「良い。お蘭も付き合え」

「わっ」

 蘭丸が返事をするより先に、信長が蘭丸を抱え上げた。

「信長様…、蘭は歩けます」

 信長は聞く耳を持たず、雑な動作で戸を開けた。見張りが一瞬驚いた顔をして、すぐに表情を戻した。

「風呂の準備は出来ておるな?」

「はい。ごゆるりと」

「うむ」

 そのままつかつかと廊下を進み、階段を降りてゆく。また少し進むと、蘭丸を下ろした。

(此処は…)

 蘭丸は目の前の戸を開く。信長の体を冷やさないように浴室の戸も開いた。間違いなく、半刻程前に夜叉丸と入った風呂だ。脱衣所も浴室の床も綺麗に磨かれ、浴槽の中を確かめると、湯も新しく焚き返されていた。

「どうした、お蘭」

 脱衣所から信長が声を掛ける。

「適温でした」

 蘭丸は返事をして、風呂の蓋を開けた。夜叉丸の計らいだろうか。相変わらず信長のことをよく理解している。また、蘭丸に対する彼なりの気遣いなのかも知れない。

「お蘭、早くせい」

「はい、只今」

 信長が服を脱ぎ捨てて浴室に足を踏み入れた。蘭丸は入れ違いに脱衣所に戻る。
 服を脱ごうか考える。どうしよう。先程洗ったばかりなのだから、裸になる必要はない。

「まだなのか」

「は、はい!」

 蘭丸は袖を捲り、裾をめくり上げ、縛って浴室に向かった。洗い場の椅子に腰掛けて、信長は頭から豪快に掛け湯をしている。

「お待たせ致し…」

 挨拶が途切れてしまった。信長のむき出しの背に、大きな火傷がある。

「早うせい」

 信長が、変わらぬ気安さで声を掛け、洗髪を待っている。

「もう、掛け湯は髪を解いてからなさらないと…」

 心臓が高鳴っているのを悟られないように、洗料を手に取り、信長の頭皮に揉み込んだ。信長は心地良さそうな表情で目を閉じている。

「落とします故、下を向いて下さい」

「うむ」

 信長の頭に湯を掛け、十分に洗料を落としてから、髪を頭上で結う。

「やはりお蘭の指が心地いい」

 信長のほめ言葉は、いつだって飛び上がるくらい喜んでしまうのに、今は曖昧な笑みでしか返せずにいる。蘭丸は、手拭いに洗料をもみ込みながら泡立てる。

「光栄です。お体、洗いますね」

 蘭丸は信長の広い背に手拭いを当てた。火傷にそっと触れる。水膨れもなく、もう乾いている。回復しているのに、その箇所は黒ずんで、皮膚そのものが引きつっている。

「の、信長様…!」

 蘭丸は、信長に後ろから抱き付いて、泣き叫んでしまった。感情の蓋が壊れ、溢れる。声を殺すことも忘れてしまうくらいに。

「お蘭、何故に、泣く?」

「ら、蘭の撒いた火のせいで、かようなっ…!」

「違うぞ、お蘭の火が信長を守ったのだ」

「け、けれど…」

「お蘭」

 信長が、肩に巻きついた蘭丸の腕にそっと手を当てる。

「汝は、信長の生よりも、この肌の、ほんの一部分の方が大事か?」

「違います…!」

 蘭丸は抱き付いたまま首を左右に振った。

「信長の火傷はそれ程醜いか?」

「いいえ…」

 蘭丸は首を振り続けた。

「醜いはず、ないです。これは、信長様の、生の証です」

 蘭丸は、意を決して信長の体から離れて、立ち上がり、深呼吸をした。帯を外し、浴衣を脱ぐ。吸い跡や、歯型、擦り傷。無数の陵辱の証を残したままの体で、信長の眼前に趣き、屈んだ。

「前を洗いますね」

 信長の目に、この体はどう映っているのだろう。蘭丸は視線を下げたまま、腕や脚、指先まで丁寧に擦り、泡で包んでゆく。

「次はお顔を」

「うむ」

 信長は目と唇を閉じる。蘭丸はもう一度真っ白い泡を立てて、信長の頬に当てた。すると、信長がぱちりと瞼を開いた。

「信長様、泡が目に入ると、しみてしまいます」

「お蘭が信長の目から逃げるのでな」

「…!」

 信長が蘭丸の顎を掴み、引き寄せた。

「何故だ?」

「信長様の目を確かめるのが怖いのです…。蘭は、臆病で…まだ…」

「なら、これで見えぬな」

 信長が瞼を閉じる。長い睫に雫の粒がいくつも飾られている。鼻先を一瞬掠めて、唇に温もりが灯る。優しい口付けに、また感情が零れていく。今までのものとは違う、温かいものだった。重ね合わせるだけの口付けを終えて、目を開くと、信長の瞳に自分の顔が映っていた。
 今まで抱いていた、恐怖心が消えてしまっていた。

「希望…」

 夜叉丸の言葉を思いだし、不意に口にする。昨晩、脅迫されて辱しめに堪えたのは、信長と言う希望があったからだ。どうして、こんなに分かりやすく、大切なことを忘れていたのだろう。今、一番大切な存在がすぐそばにあるのに。

「信長様は…、不肖の蘭を受け止めて下さいました。蘭も、信長様を…」

 受け止めたい。そして、支えたい。そう唇にのせようとした時、信長の瞳に鋭い光りが走る。信長が蘭丸の首筋に噛み付いてきた。皮膚に歯が食い込み、強く吸われる。

「痛…!」

 蘭丸が悲鳴を上げても、信長は顎の力を弱めることはなかった。蘭丸は痛みに歯を食いしばる。信長の唇が蘭丸の肌をなぞり、今度は鎖骨を噛んだ。骨が軋むくらいの強さで、先よりも痛い。蘭丸は目に涙を浮かべた。

「…!」

 信長の唇が薄い胸板へ移動した。その箇所には他の者が刻んだ吸い跡があった。信長は躊躇いもせず、其処へ強く歯を立てた。信長は、陵辱の跡を消して、蘭丸の肌の痕跡を自分のものに塗り替えようとしているのか。信長の唇が離れた時、肌には比較にならない濃さで吸い跡と歯型が残ってしまっている。
 すぐそばに、散々弄ばれた箇所がある。その器官が弱点と知ると、男たちは何度も何度も弄んで、強制的に快楽を促した。蘭丸が信長を見つめ、動向を待っていると、信長が確かめるように目を合わせた。蘭丸は、羞恥心でつい目を閉じてしまった。信長は、指先で小さな小さな突起を掠めた。

「硬くしておる」

 顔から火が出そうで、蘭丸は泡だらけの手で顔を隠した。信長が乳輪の箇所に噛み付く。

「あっあううう!」

 悲鳴が上がる。歯が当たり、痛みがあるのに吸われた乳首がざらついた舌で転がされ、痛み以上の刺激が蘭丸を支配していく。

「んん…」

 信長の口から離れると、淡い色付きの輪は真っ赤に腫れ上がり、吸い出された乳首は尖っていた。蘭丸は快楽に反応し始めた体を捩らせる。

「くう…!」

 もう片方を吸われる。痛いのに、信長の頭部を抱えるように手を添えていた。口から離れて、白い肌に鬱血した輪がくっきりと存在を主張する。蘭丸の腰の力は抜けていた。信長は、優しい動作で蘭丸の体を横たえた。

「信長様…」

 信長の頬に手を当てる。変わらず、濡れ睫が囲う瞳は力強く、美しい。

「どうか、蘭を…」

「それでこそ、よな…」

 信長の唇が降りてきて、静かに唇を重ね合わさる。そして、ゆっくりと体へ移動し、強く歯を当て、吸い付く。痛い。蘭丸が目を硬く閉じ、耐えていると、信長の指が腫れ上がった乳首を擽る。

「ん…」

 ずきずき痛む。これは、確実に傷になっている。けれど、欲求を抑えられない。もっとして下さい。言葉に出しかけそうになる。信長の手が蘭丸の脚に伸び、膝を開く。信長が蘭丸の内腿に噛み付く。その時、蘭丸の昴りが信長の頭部を掠めた。

「あっ!ううっ」

 甘い喘ぎはすぐに悲鳴に変わった。肌の柔らかい箇所はそれだけ、強く歯が食い込む。痛さに意識が捕らわれかけた時、信長が蘭丸自身を掴んだ。

「や、やだ…」

 漏れた羞恥の声に、自分自身で驚いてしまった。自分はたった数分前、辱めを受けたこの身の嫌悪感に支配されていたのに、今は信長でいっぱいになっている。肉体的な痛みは増しているのに、信長の手の中で自分自身を熱く腫らしていた。

「…!」

 信長が顔を上げる。唇から滴らせた蘭丸の血を、自らの舌で掬い取っていた。

「あっ」

 信長が強引に抱き起こし、蘭丸の体制を変えさせた。背を向け、しゃがんだ状態になる。
 見下ろすと、まだ中心は上を向き、乳輪は赤く腫れ、見たことがないくらい盛り上がり、乳首をぴんと尖らせていた。何て淫らなのだろう。

「おなごのようだな」

「え?」

 腿からの出血が、足の間の濡れた床に滴り落ちていた。

「しかし…」

「あう!」

 中心を大きな手で握られる。蘭丸の耳元で、信長はくくっと笑った。恥ずかしい。蘭丸は、見られている訳でもないのに顔を伏せてしまった。今度は、信長はうなじに歯を立てた。鋭い痛み。

「ん…!」

 信長は手を素早く上下させた。こんなに痛いのに、熱が促されている。

「あううっ…」

 移動し、後ろから肩を噛まれる、痛みと痕跡を残し、背に移動する。けれど、下腹部の熱はどんどん上がってくる。信長の手の動きが速い。

「ああ…っ、もう駄目!」

 熱が放たれた。信長の手が白く汚れ、力の抜けた蘭丸は信長の腕の中で崩れてしまった。体を仰向けに寝かされる。床に触れた背の噛み跡が痛い。

「くく…」

 信長は妖艶に笑い、手に付着した蘭丸の精を舐めた。

「信長様…」

 蘭丸は手を伸ばす。泡は落ち、手首には相変わらず縄の痕がある。蘭丸は自分自身が汚れていると思わなくなっていた。けれど、淫らだ。とても、とても。今は、とてつもなく欲している。

「まだだ」

 信長が蘭丸の手を取る。信長の鋭い眼光。

「まだ、終わらぬ」

 信長が蘭丸の指を口に含む。歯が食い込み、骨が軋む。本気を出せば折られてしまうかも知れない。けれど、それでもいい。信長を受け止めるのが本望なのだから。

(けれど…、その後は…)

 欲しい。そして、信長にも欲して欲しい。蘭丸は、何度も喘ぎと悲鳴を繰り返していた。





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