妄想、愉悦。





  


 昨夜は殆ど眠れなかった。源太郎は空が明るくなったと同時に家を出、目的地へ向かった。

 田子作の住まいは仕事場に程近い集落にある。源太郎の住まいとは異なり、家屋が密集する地帯だった。近隣の者が共同で使う井戸で、子供が水を汲もうとしていた。子供は源太郎に気付くと、手を振った。

「源太ー」

「忠介」

 源太郎は手を振り返し、駆け寄る。忠介は田子作の年の離れた弟で、まだ働ける年齢ではないが、家の手伝いや、体の不自由な母と弟の世話を甲斐甲斐しくしている。

「お早う、源太。久し振りだな」

「そうだな。ちっと見ない間に大きくなっただな」

 忠介は嬉しそうに笑った。この様子だと、まだ変わりないようだ。

「今日は、どうしただ?遊んでくれるだか?」

 忠介は期待に瞳を輝かせた。

「いや、おら、仕事があるだよ。今度、雨降ったら遊びに来るだ」

「ほんとかっ?約束だぞ?」

「ああ、約束するだ」

「嬉しいだよ。最近、兄ちゃんは雨でも仕事行ってるから、つまんなかっただ」

「え?雨の日もか?」

 忠介は寂しそうに頷いた。源太郎はすぐに分かった。田子作は、あの少年のもとにいたのだろう。こんな小さな子を放っておいて。

「なあ、兄ちゃんはどうしてる?」

「兄ちゃんなら、仕事に行っただよ」

「もう?随分早いだな」

「うん。最近、ずうっとそうだ。朝は早いし、夜は遅い。でも、最近はずっとにこにこしてて、忙しいのに元気そうだ。それに、よく、んまいもの土産に持ってきてくれる」

 忠介は一気に語り、ぽんと手を叩いた。

「ちっと待ってな。今、源太にもやる」

「え?」

 忠介は家の方へ走って行った。源太郎は置き去りの桶に水を汲み、それを持って忠介の住まいへ向かう。ちょうど、忠介は包みを持って屋内から出てきたところだった。満面の笑みで源太郎に駆け寄る。兄に似ず、相変わらず無邪気で優しく愛くるしい。源太郎は桶を置いて忠介を抱き上げた。

「これ、源太にもやる」

「ん?」

 源太郎は片腕で小さな体を抱え、もう一方の手で包みを受け取った。小さな塊が数粒収まっている。

「何だ?」

「兄ちゃんの土産」

 忠介は源太郎の手から一粒取って、源太郎の口へ放った。舌に触れると甘く、噛むと簡単に砕けた。

「旨い」

「だろ?源太にやる」

「有難うな。でも、これは兄ちゃんが忠介にくれたもんだ。大切に食べな」

「ううん。源太にも食べて欲しい」

 忠介は包みには触れず、源太郎の肩にしがみついた。

「なあ、雨だったら、ほんとに来てるれよな?」

「さっき約束したでねえか。来るだよ」

「勘吉も喜ぶだ」

 勘吉は忠介の下の弟で、忠介と同じく源太郎になついていた。

「勘吉は?」

「寝てる。おっ母も」

「そっか。偉いだな、忠介は」

 源太郎は忠介の体を下ろした。菓子の包みを懐へしまう。

「有難うな、忠介。また雨の日にな」

「うん、待ってるだよ」

 手を振る忠介に見送られながら、源太郎はそのまま農場へ向かった。
 予想はしていたが、田子作は仕事には出向いておらず、あの少年を探し回っていると栄二が教えてくれた。




 昼になり、いつものように栄二や文太と昼食を取っていると、田子作が源太郎の前へやってきた。挨拶もなしに唐突に話題を振る。

「なあ、お前らも知ってるだな?」

「ああ、お前らが拐かしたお小姓のことだな?」

 栄二が答える。農場では殆どこの話題が広まっている為、知らない振りをするほうが不自然だった。

「人聞きの悪いこと言うな。おらは匿ってただけだ」

 田子作の物言いに、源太郎は表情に出そうになった。誤魔化す為に下を向いて弁当を食べ続ける。

「そりゃ悪かっただな。で、そのお小姓、逃げ出したんだべ?」

「いや、外から鍵が壊されててな、誰かが連れ出したんだと思う」

「そうなんか。それは心配だな」

「ああ。朝から探してるんだがな。おめえたち、知らねえか?見かけねえからすぐ分かると思う。細っこくて女みてえな顔してる」

「知らないだよ」

「おらも」

 文太もついでのように答える。田子作は屈んで源太郎の顔を覗き込んだ。

「源太郎、おめえは?」

 田子作は、明らかな疑いの目を向けていた。

「知らん」

「そっか」

 田子作は腰を真っ直ぐにした。源太郎を覆っていた影が消える。

「源太郎」

「何だ」

 源太郎は顔を上げず、食事を続けたまま返事をする。

「話がある。ちっと来てくれ」

「おい、源太郎は知らねえって言ってるだろうが」

 栄二が荒立った声で口を挟んだ。

「お小姓のこととは関係ない、個人的なことだ。来てくれるよな?」

 関係ないことはないだろうと源太郎は心の中で呟いた。最後の握り飯を口に押し込んで、源太郎は立ち上がる。

「分かっただ」

「ああ。じゃあ、源太郎借りるぞ」

 心配そうに見上げる二人に作り笑顔を送り、田子作の後をついていく。
 農場から歩くこと数分、山間の人気のないところで、田子作は立ち止まった。其処には農具が幾つか置いてある。

「悪いな。人に聞かれたくない話だし、此処に道具置いたままだったから、ついでに取りに来た」

 田子作は農具を手にし、感情がのっていない笑顔で振り返った。

「で、話って何だ?」

「おめえ、今朝、おらんち来たらしいだな?一体、何の用だったんだ?」

「別に、おめえんちの近くで用があっただけだ」

「用って?」

 そこまで考えていなかった。あの近辺で親しい間柄なのは田子作の弟くらいしかいない。

「お前に関係ない」

「ふん…。おらな、お前のこと、疑ってるだ」

「お小姓のことか?」

「お前にしちゃ察しがいいな。やっぱ、知ってるだな?いや…」

 田子作は源太郎に向かって農具を振り落とした。衝撃によろけて、空が見えた。仰向けに地面に体が叩きつけられると、田子作が馬乗りになり、源太郎の胸ぐらを掴んだ。

「おめえが連れ去ったんだろ」

「は?…いでっ」

 頭がずきずきと痛む。頭皮を切ったらしく、血が流れて、側頭部を伝い落ちる。

「しらばっくれると、この石頭今度こそ叩き割るぞ」

「違う!おらじゃない!」

「こいつ…」

 田子作の目が血走っている。田子作の中では答えは一つ。それ以外は聞き入れるつもりはないようだ。すると、何か気付いたように急に顔色を変え、卑しく笑った。

「源太郎、あいつを引き渡したら、お前にも抱かせてやるだよ?」

「お前、何言ってるだ?」

「一人占めはよぐねえ。もともと、あいつを火の中から救いだしたのはおらたちだ」

 目の前にいる男の言葉がすぐに理解出来なかった。救い出したという科白と、あの少年の哀れな姿が繋がらない。

「ぐあっ」

 田子作のうめき声に気付く。自分の拳が、田子作の顔面を突いていた。田子作は後ろに倒れ、源太郎は起き上がった。

「何すっだ!」

「何が救うだ!散々傷付けた癖に!」

「やっぱり、お前だっただな!あいつを何処へ隠した!」

 田子作は、農具を掴んで振り切った。源太郎は避けることが出来ず、鳩尾を強く打ち、蹲る。

「言え!」

 田子作が源太郎の襟を掴んで、強引に持ち上げた。源太郎はゆっくり呼吸を整えて、口を開く。

「信長が…連れて帰っただ」

 田子作が目を大きく見開いた。驚きを隠せず、その目の形のまま口角だけを上げた。

「そんな訳、あるか。なして、あいつの居場所」

「おらが教えた…。信長は、必死であの子を探してた」

 田子作の口角は、もう上がっていなかった。変わりに、目頭が鋭く持ち上がる。

「なしてそげんことするだ!あいつは、あいつはああああ!」

 つんざくような叫声を上げながら、田子作は源太郎の襟を掴み、揺すった。頭や視界がくらくらする。源太郎は手首を掴んで制した。

「止めろ、田子作!」

「あいつは、あいつは…」

 ぽつり、と言葉が零れていく。

「おらの、たった一つの拠り所だったのに…」

 田子作は泣いていた。

「拠り所…?」

「そうだ、お前が奪った!」

「拠り所じゃなくて、捌け口の間違いだろ?」

「同しことだ」

「全然違うだ!お前、どうかしてるぞ?だいたい、お前には大事な大事な家族がいるだろ?」

 田子作は俯いて押し黙る。そして、震える声で答えた。

「一人で身軽なお前にはわかんねえよ」

「確かに、一人で家族を背負っていくのは大変だが、忠介たちは、お前の支えにもなってるだろう?」

「負担だ…」

 水を汲む小さな忠介の姿が過る。

「そげんこと言うな!」

「煩い!おらが、家族を大事に出来たのも、拠り所があったからだ!やっと見付けたのに、あいつが居なきゃ、おら、おら…」

 源太郎の手から腕を抜き、田子作は頭を抱えた。

「嫌だよ、おら、どうしたら…」

「田子作…」

 田子作のあの少年に対する執念は凄まじいもので、源太郎は掛ける言葉が見付からなかった。我が子同然に育てた幼い弟よりも、会って間もない存在が大事なのか。しかも、拒まれていたにも関わらず。源太郎は理解出来ずにいたが、同時に憐れみの感情も生まれていた。

「な、ほんとのほんとは、お前が隠しちまったんだろ?あいつが可愛いから」

 今度はすがり付くようににじり寄る。

「違うだ、本当に信長が…」

「もう、お前の手元に置いといていいだよ、だからさ、会わせてくれ…」

 田子作は考えることを拒否していた。源太郎は横っ面をひっぱたく。ぱあん、と乾いた音が鳴り、田子作は横に倒れた。源太郎は立ち上がる。

「いい加減にしろ!」

 そう叫んだ頃、背後で足音がした。振り返ると、田子作の仲間たちがぞろぞろとやってきた。気付いた一人が、倒れた田子作と源太郎を交互に見て、慌てて駆け寄る。

「田子作、大丈夫だか!」

 田子作は腫れた頬を押さえながらゆっくり起き上がった。

「やっぱり、源太郎だったか?」

 問い掛けに、田子作は頷いた。

「でも、源太郎んちには誰もいなかっただよ」

 田子作はすぐに返す。

「ああ。こいつ、隠し場所を言わないだ」

「おらは隠してない!」

「そげんこと言って、逆上して殴ってきただ」

 源太郎の言葉を無視して、田子作は都合のいい言葉を並べた。田子作の仲間が一斉に源太郎に向き直り、にじり寄る。

「おい、どう言うことだ」

「あいつを独り占めする気か」

「一人で楽しむつもりだったんだろ」

 距離を詰められ、拳がとんできた。源太郎の体は倒れ、沢山の足が目の前にあった。足と足の間から残酷に笑う少し遠くの田子作の顔が見えた。





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