妄想、愉悦。


拾伍


  


 蘭丸と源太郎が安馬田を発ち神賀井に着いたのが三月程前になる。
 安馬田の養生所で世話になった老医師の伝で訪れたこの場所は、若い医師とその妹夫婦の医師が営む養生所だった。
 三人の若者は源太郎と蘭丸を話を信じ、受け入れ、住まいと仕事を提供してくれた。それからその人達とは家族同然の付き合いが始まった。
 三人は驚く程おおらかで人が良い。神賀井の真新しかった生活に馴染んだ頃、好意に甘えている身でありながら、蘭丸はずっと気になっていた。

「何故、此処までして下さるのですか?」

 蘭丸は裏庭の焚き火で栗を焼いている康太郎に訊ねた。康太郎はきょとんとした顔で蘭丸を見つめ返す。

「どうしてって、何がだ?」

「見ず知らずの私達に、どうしてこんなに親切にして下さったのですか?」

「そりゃあ、困ってる者に施すのが人情だろ」

「人情でも、すんなり受け入れるのは無用心だと思いました」

「はは」

 康太郎は笑いながら火かき棒で葉の中の栗を転がした。

「周りの人のお陰かな。俺達は施す側であっても、施される側になることも多い。ほれ、今日もこの栗貰ったろ」

「私達が凶悪な盗賊だったらどうしたのですか?」

「それはないさ」

「もしもの話です」

「うーん。したら…そうだなあ。端から家には入れないと思う」

「悪人が最初から正体を表しているとは限りませんよ」

「大丈夫、家には健吾がいる。健吾にはな、不思議な力があって、悪人を見抜くことが出来るんだ」

「健吾殿が?」

「ああ。健吾に危険を回避して貰ったことは幾度かある。そんな健吾がすぐ懐いたんだから、大丈夫だって思った。これはもういいな」

 康太郎は焼けた栗を転がしながら端へ寄せた。どんな危険があったのか知りたかったが、康太郎は目の前の栗に夢中だった。

「いい匂いねー」

 仕事を終えた康と健吾がやって来た。蘭丸は前掛けで焼き栗を拾い、息を吹き掛けて冷まし、半分に剥いて健吾に差し出した。健吾は受け取ると、瞳を輝かせながら栗に食いついた。康が感心しながら言う。

「上手ねー。私にも剥いてくれる?」

「はい」

 焼き栗を笊に集めて、縁側で並んで食べた。甘くて美味しい。

「中ちゃん早く帰って来ないかなあ」

 康が栗を手こずりつつ剥きながら言った。蘭丸は、半身を出した状態で差し出す。

「有難う。やっぱり美味しい。温かいうちに食べさせてあげたいなあ」

 中哉は配達に出ていた。夫を想う康の気持ちが蘭丸にはよく分かる。蘭丸は康の隣で頷いた。

「よし、これで最後だ」

 康太郎は頃合いを見て最後の栗を焚き火から出すと、布の上に置き、包んだ。

「蘭丸、もう上がっていいぞ」

「え?」

「もう後片付けも終わってるしな。これ、熱いうちに源太郎に届けてやれ」

 蘭丸に熱い包みを手渡し、康太郎は言った。

「有難うございます」

 蘭丸は頭を下げ、手荷物を持って養生所を出、源太郎の職場へ向かった。
 果樹園で果物の世話をしている源太郎は、普段は夕刻までの仕事を終えてから蘭丸を迎えに養生所に寄るが、こんな風に蘭丸が早く仕事を終えた日は蘭丸から迎えに行くこともある。
 段々日が傾き、景色が茜色に染まって行く。懐にしまった焼き栗はまだ熱く、きんと張った空気が気持ち良かった。

 果樹園では働く人々が締めの準備をしていた。早く終わらせようと皆忙しそうで、蘭丸は邪魔にならないように人の波を避けながら源太郎を探した。

「随分綺麗な子だねえ」

「ほら、あの背の高い、若い新入りの…」

 背後で女性の話し声が聞こえた。背の高い若い新入りとは源太郎のことだろうか。

「へえーあれじゃあうめでも勝ち目ないんじゃない?」

「あら、もともと相手になんかされてないわよ」

 女性らはけたけた笑っていた。知らない名前が源太郎の話題に出てきたようだが、蘭丸は源太郎を探す目的を優先してその場で足を止めなかった。
 若い男性ばかりが揃っている辺りで見回していると、ぽんと肩を叩かれた。蘭丸は振り返る。

「やっぱり、源太郎の」

 果樹園で働いてる青年だった。康太郎にここを紹介された時に、同伴した蘭丸も一度だけ顔を合わせている。

「桃太殿。お勤めご苦労様です」

「どうもな。源太郎を迎えに来たのか?もう殆ど終わってるぞ」

「はい」

「あっちだ」

 礼をして桃太が指した方へ走り出した。
 人混みに紛れていても、背の高い源太郎はすぐに見つけられた。源太郎は仲間と談笑しながら締めの後片付けをしていた。此処の人達とも上手くやっているようだ。楽しそうな姿を見ると、蘭丸まで嬉しくなってしまう。

「……」

 しかし、源太郎の隣にいる娘が嫌でも気になる。やたらと距離が近いのは気のせいではないと思うが、源太郎は反対側の男性と盛り上がっていて、娘の態度は気にしていないようだった。笑っていた源太郎が不意に顔を正面に向け、蘭丸と目が合うと表情が更にぱっと明るくなった。

「お蘭ー」

 源太郎が手を上げ左右に振り、駆け寄る。大した距離でもないのに全速力で、少しだけ息を上げていた。

「どうしただ?」

 源太郎が蘭丸の肩を抱きながら身を寄せ、蘭丸は頬が熱くなるのを感じた。

「先生が栗を焼いて下さって、温かいうちに届けたらどうかと」

「ほんとか?もうすぐ片付くから、待っててな」

 源太郎が蘭丸の頭を撫で踵を返すと、背後に先程源太郎の隣を陣取っていた娘がいた。源太郎はわっと驚いて半歩後退りをした。

「何だ、急に後ろに立って…」

「その子誰?」

 娘は蘭丸に不躾な視線を送りながら言った。分かりやすい敵意が汲み取れる。

「ん?お蘭だ」

 源太郎は娘の意図も分からず得意気に蘭丸の肩を抱いて答える。

「どうして男みたいな格好してるの?」

「どうしても何も、お蘭はこげん可愛い顔してるけどおのこだよ」

「なあーんだ良かった。でも、どうしておなごみたいな呼び方をするの?」

「別にいいだろ、ほら、早く終わらせるぞ。お蘭、すぐ終わるから、其処で待っててな」

 源太郎は娘の背を押しながら、一緒に作業場へ戻った。源太郎の隣で、娘はちらりと横目で二人を傍観している蘭丸を見て、口角を上げた。

「……」

 彼女の目付きは蘭丸が新人小姓だった頃の意地悪な先輩のそれと似ていた。初対面であんなに敵意を向けられると言うことは、彼女は源太郎に好意を抱いているのだろう。しかし、幸か不幸か鈍感な源太郎はちっとも彼女の気持ちに気付いていない。今も持ち場に戻ったにも関わらず、源太郎の隣に居ながら殆ど作業はせず、早く帰る為に源太郎が彼女の分の仕事を請け負っている。それでも、彼女は源太郎に一方的に話しかけていた。

「すまね」

 仕事を終え源太郎が走って蘭丸の元まで来た。気温は低いのに汗をかいている。蘭丸は手拭いを出して源太郎の汗を拭った。

「そんなに待ってないですよ。二人分のお仕事をしたのに、随分早いですね」

 口にしてから嫌味な物言いではないかと気になった。しかし、源太郎は気にかけることもなく返す。

「そうなんだ、あいつ、口ばっか動かして手作業は殆どしねえ。な、それより栗食べたい」

「ああ、まだ温かいですよ」

 蘭丸は懐の包みを開き、一粒取り出した。皮を剥いて実を源太郎に差し出す。源太郎は蘭丸の指から直接食べた。湿った柔らかな唇が一瞬触れる。

「旨い」

「良かった。では、早く帰りましょう」

「うん」

 源太郎はごく自然な動きで蘭丸の肩を抱き、帰路を歩いた。蘭丸も、源太郎の腰に腕を伸ばしてぴたっと寄り添った。

「珍しいな。まだ周りに人がいるだよ?」

「少し、寒いですから」

「そうか。なら…」

「え?」

 源太郎は足を止め、蘭丸の抱いた肩の手の位置を少しずらすと、屈んで蘭丸の裏腿の位地に腕を伸ばし、そのままひょいと抱き上げた。

「何なさってるんですか!」

「この方が寒くないだか?」

 源太郎は無邪気に笑った。蘭丸の慌てる素振りも楽しんでいるようだ。

「お蘭、あんまり大きい声出して暴れると、余計注目浴びるだぞ?」

「そんな…。あの、一緒に歩いた方が体も温まります故、下ろして下さい」

「ん…」

 少し残念そうな源太郎に体を下ろされ、源太郎が顔を上げ終わる前に蘭丸は源太郎の腰に手を添えた。

「お蘭、顔真っ赤。そげん恥ずかしかったら、無理しなくていいだよ?」

「赤く見えるのは、夕焼けのせいでは?」

 源太郎はくつくつ笑った。

「お蘭、周り見てみ」

「え?」

 蘭丸は顔を上げた。前には若夫婦が、隣には子供を引き連れた家族連れが居た。

「果樹園は…ご家族で通っている方々が多いのですね」

「ああ。男も女も大人も子供にもそれぞれ出来る仕事があるからな。だから…」

 源太郎は蘭丸の肩を強く抱き寄せた。

「こげん、おらたちがくっついてても何も可笑しくねえし、誰も不思議には思わないだよ」

「そうですね」

 源太郎は少し前を歩く仲睦まじい若夫婦を見詰めた。

「毎日、仕事が終わって養生所に向かう時、すっげえ楽しいんだ。もうすぐお蘭の顔が見れるんだなあって。友達同士、恋人同士、家族で一緒に帰っていく奴見てると、よりお蘭に会いたくなる」

 源太郎はこの道を普段は一人で歩いているのだ。

「一人でも淋しくはないのですね」

「うん。だが、こうやって二人でおんなし景色を見ながら帰るのもいいな」

「はい」

 こんな風に寄り添っても、周りに溶け込める。自然と二人の歩調も揃っていた。




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